2025年5月12日 (月)

大きく悪化した4月の景気ウォッチャーと大きな黒字を計上した3月の経常収支

本日、内閣府から4月の景気ウォッチャーが、また、財務省から3月の経常収支が、それぞれ、公表されています。各統計のヘッドラインを見ると、景気ウォッチャーでは、季節調整済みの系列の現状判断DIが前月から▲2.5ポイント低下の42.6、先行き判断DIも▲2.5ポイント低下の42.7を記録しています。経常収支は、季節調整していない原系列の統計で+3兆6781億円の黒字を計上しています。まず、統計のヘッドラインを報じる記事をロイターのサイトから引用すると以下の通りです。

街角景気4月は2.5ポイント低下、「このところ回復に弱さみられる」へ下方修正
内閣府が12日に発表した4月の景気ウオッチャー調査で現状判断DIは42.6となり、前月から2.5ポイント低下した。米国の関税措置による悪影響が強く意識されている。4カ月連続で低下し、2022年2月(37.4)以来の低水準となった。ウオッチャーの見方は「このところ回復に弱さがみられる」に下方修正された。
指数を構成する3部門の全てがマイナスとなった。家計動向関連が前月から2.8ポイント、企業動向関連が1.7ポイント、雇用関連が1.9ポイントそれぞれ低下した。
2-3カ月先の景気の先行きに対する判断DIは、前月から2.5ポイント低下の42.7。5カ月連続で低下し、21年4月(41.8)以来の低水準となった。内閣府は先行きについて「賃上げへの期待がある一方、従前からみられる価格上昇の影響に加え、米国の通商政策の影響への懸念が強まっている」と表現を変更した。
調査期間は4月25日から30日。トランプ米政権の一連の関税措置の内容が明らかになった後に行われた。
米国は4月3日、輸入自動車に25%の追加関税を発動した。同5日、貿易相手国に「相互関税」の基本関税10%、同9日に国・地域ごとに設定した上乗せ分をそれぞれ発動した。その後、上乗せ部分については90日間の一時停止を発表した。
経常黒字、3月として過去最大、所得収支・貿易黒字がけん引=財務省
財務省が12日発表した国際収支状況速報によると、3月の経常収支は3兆6781億円の黒字だった。対外投資からの収益と貿易黒字が増加し、3月としては過去最大の黒字。ロイターが民間調査機関に行った事前調査の予測中央値は3兆6780億円程度の黒字だった。
比較可能な1985年以降で過去最大の経常黒字となった2月からはやや縮小したものの、海外保有資産からの収入を示す第1次所得収支に支えられ、前年同月比で黒字幅を拡大した。自動車や半導体等製造装置の輸出増などで貿易収支も5165億円の黒字と黒字幅を拡大し、サービス収支の192億円の赤字を相殺した。貿易・サービス収支は全体で4973億円の黒字だった。
第1次所得収支は前年同月から3129億円増えて3兆9202億円の黒字、第2次所得収支は1209億円減って7394億円の赤字だった。
米国が6日に発表した3月貿易収支は関税政策の駆け込み需要で過去最大の赤字だったが、財務省担当者は日本の貿易黒字が増加した要因について「判然としないためコメントしない」とした。
旅行収支は、堅調なインバウンド(訪日外国人)の伸長に支えられ、5561億円の黒字と、前年同月の4568億円から拡大した。
2024年度の経常収支は30兆3771億円と過去最大の黒字だった。第一次所得収支が41兆7114億円と過去最大の黒字、旅行収支も過去最大の黒字だった。

長くなりましたが、包括的によく取りまとめられている印象です。続いて、景気ウォッチャーのグラフは下の通りです。現状判断DIと先行き判断DIをプロットしており、色分けは凡例の通りです。影をつけた期間は景気後退期を示しています。

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景気ウォッチャーの現状判断DIは、最近では2月統計で前月から大きく▲3.0ポイント低下して45.6となった後、3月統計でも▲0.5ポイント低下の45.1、本日公表の4月統計ではさらに▲2.5ポイント低下して42.6を記録しています。先行き判断DIも同様に大きな低下を見せており、4月統計は前月から▲2.5ポイント低下の42.7となっています。現状判断DIをより詳しく前月差で見ると、家計動向関連のうちの住宅関連が▲3.8ポイント、小売関連が▲3.5ポイント、サービス関連が▲1.7ポイント、それぞれ低下した一方で、飲食関連は+0.5ポイントの上昇と、わずかながら改善を見せています。基本的には物価上昇、特に食料の価格高騰の影響が家計関連のマインドに出ていたのですが、引用した記事にもあるように、調査時期から類推して、米国の関税政策の動向も影響している可能性があります。それにしても、コメ価格の高騰が大きな影響を及ぼしていると私は考えているのですが、1月統計から2月統計にかけて▲4.8ポイントの大きな低下を示した後、3月統計では+0.4ポイント、本日公表の4月統計でも+0.5ポイントの上昇を記録しています。謎です。また、住宅関連が4月統計で大きく低下しており、価格上昇に加えて、どこまで金利上昇が影響しているのか、やや気になるところです。企業動向関連については、現状判断DI、先行き判断DIともに製造業・非製造業どちらも前月差マイナスながら、製造業の先行き判断DIが前月から▲7.1ポイントの大きな低下を見せているのは、明らかに米国の関税政策の影響であると考えるべきです。統計作成官庁である内閣府では基調判断を「景気は、緩やかな回復基調が続いているものの、このところ弱さがみられる。」から「景気は、このところ回復に弱さがみられる。」と、先月から明確に1ノッチ下方修正しています。国際面での米国の通商政策とともに、国内では価格上昇の懸念は大いに残っていて、今後の動向が懸念されるところです。また、内閣府の調査結果の中から、家計動向関連に着目すると、小売関連では「食品価格などの値上げが続き、買い控えや選択消費の傾向がみられる (近畿=スーパー)。」といったものが目につきました。

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続いて、経常収支のグラフは上の通りです。青い折れ線グラフが経常収支の推移を示し、その内訳が積上げ棒グラフとなっています。季節調整していない原系列の統計では、引用した記事にもあるように、貿易・サービス収支が+4973億円の黒字を計上したようです。ただし、私が注目している季節調整済みの系列に着目すると、2024年12月に2023年10月以来の黒字を計上した後、今年に入って、2025年1月、2月は赤字に戻っています。直近でデータが利用可能な3月は速報段階で▲5685億円の赤字を計上しています。さらに、引用した記事にもある通り、日本の経常収支は第1次所得収支が巨大な黒字を計上していますので、貿易・サービス収支が赤字であっても経常収支が赤字となることはほぼほぼ考えられません。はい。トランプ関税によって貿易収支の赤字が拡大したとしても、第1次所得収支で十分カバーできると考えるべきです。ですので、経常収支にせよ、貿易収支・サービスにせよ、たとえ赤字であっても何ら悲観する必要はありません。エネルギーや資源に乏しい日本では消費や生産のために必要な輸入をためらうことなく、経常収支や貿易収支が赤字であっても何の問題もない、逆に、経常黒字が大きくても特段めでたいわけでもない、と私は考えています。ただ、米国の関税政策の影響でやたらと変動幅が大きくなるのは避けた方がいいのは事実です。

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2025年5月11日 (日)

日本科学者会議主催「日本学術会議法人化法案の廃案をめざす緊急シンポジウム」に出席する

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そろそろ出かけて、今日の午後は、日本科学者会議主催「日本学術会議法人化法案の廃案をめざす緊急シンポジウム」に出席する予定です。京都駅からも歩ける距離にある龍谷大学大宮キャンパスでの開催です。
日本科学者会議は、我が国の人文・社会科学、自然科学全分野の科学者の意見をまとめ、国内外に対して発信する日本の代表機関です。戦後、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立され、戦前、学問の自由、研究の自由が奪われ、一部とはいえ、科学者のコミュニティが戦争に協力させられた歴史を踏まえて、軍事や安全保障にかかわる研究が、学問の自由や学術の健全な発展と一定の緊張関係にあることを反映しています。科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることです。
去る5月9日に衆議院内閣委員会で採決された日本学術会議法案は、憲法が保障する「学問の自由」を毀損しかねません。すなわち、総理大臣が任命する監事や評価委員会、外部者でつくる会員選定助言委員会などを新設することにより、政府の強い監督下に置かれることから、活動や会員選考における独立性など、ナショナル・アカデミーが備えるべき要件が充足されないという重大な懸念があります。大学教育・研究に携わる者として見過ごすことはできません。
特に、現時点で、私は日本が法治国家として是正するべき極めて重大な法律違反事態が3つあると考えています。集団的自衛権、兵庫県政、そして、学術会議会員の任命拒否です。学問の自由を守り、日本学術会議の独立性を確保するため、法案の廃案と任命問題の解決を求めます。

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2025年5月10日 (土)

今週の読書は経済書のほか小説や文庫本まで計7冊

今週の読書感想文は以下の通り計7冊です。
まず、ブランコ・ミラノヴィッチ『不平等・所得格差の経済学』(明石書店)では、スミス、リカード、マルクスなど、経済的不平等や所得格差の思想について過去2世紀以上にわたる進化をたどり、最近の研究業績として、ピケティ教授の『21世紀の資本』の役割をきわめて高く評価しています。ジョン・ローマー『機会の平等』(勁草書房)では、機会の平等については「競技場を平準にする」ために、社会はなしうることをすべきであり、特に、不遇な社会的背景を持つ子供達は補償の教育により、ジョブをめぐる競争で必要とされるスキルを獲得できる、と結論しています。モーリッツ・アルテンリート『AI・機械の手足となる労働者』(白揚社)では、現代の工場、広い意味での工場における労働者の実態を明らかにしようと試みており、Eコマースにおける労働者、ゲーム労働者、クラウドワークやオンデマンドの労働者、そして、SNSの労働者などを取り上げています。伊坂幸太郎『楽園の楽園』(中央公論新社)は、作家のデビュー25年を記念した書下ろしの短編であり、強力な免疫を持った3人が世界の混乱を解決するために<天軸>の制作者である先生の行方を探し、その手がかりとなる「楽園」と名付けられた絵画を頼りに「楽園」を目指します。田中将人『平等とは何か』(中公新書)では、ロールズやスキャンロンの平等観を発展させて、実証研究ではなく規範研究の方法を取りつつ、政治哲学と思想史の知見から世界を覆う不平等について議論を展開し、「財産所有のデモクラシー」をひとつのヴィジョンとして提示しています。C.S. ルイス『ナルニア国物語4 銀の椅子と地底の国』(新潮文庫)では、ペペンシー4きょうだいのいとこであるユースティス・スクラブが学校の仲間と2人でナルニア国を訪れ、カスピアン王の息子であり、行方不明になっているリリアン王子を探しに、巨人国や地底国を冒険します。森見登美彦[訳]『竹取物語』(河出文庫)は、竹取の翁が竹から見つけ出したかぐや姫が絶世の美女となりながら、いい寄る求婚者たちに無理難題を課して退散させた後、月に帰ってゆく、という古典に現代訳をほどこし、森見ワールドを展開しています。
今年の新刊書読書は1~4月に99冊を読んでレビューし、5月に入って先週までの6冊と合わせて105冊、さらに今週の7冊を加えて112冊となります。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2でシェアしたいと考えています。なお、本日の7冊のほかに、ロバート・ロプレスティ『休日はコーヒーショップで謎解きを』(創元推理文庫)も読んでいます。すでに、いくつかのSNSにてブックレビューをポストしていますが、新刊書ではないと考えますので、本日の感想文には含めていません。

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まず、ブランコ・ミラノヴィッチ『不平等・所得格差の経済学』(明石書店)を読みました。著者は、所得格差研究で有名なルクセンブルク所得研究センター(LIS)の研究員です。本書の英語の原題は Visions of Inequality であり、2023年の出版です。本書では、経済的不平等や所得格差の思想について、過去2世紀以上にわたる進化をたどっています。7章構成のうちの6章までが歴史上の偉大なエコノミスト個々人を取り上げ、最後の章で冷戦期という不平等研究の暗黒期をタイトルにして、全体を総括している印象です。1~6章で焦点を当てているのは、重農主義のケネー、経済学の創設者とも目されるスミス、古典派経済学を完成させたリカード、そして、マルクス、ここまでが古典的な経済学に属するエコノミストであり、限界革命以降の新古典派経済学からパレートとクズネットが取り上げられています。まず、古典的な経済学の4人に関しては、本書でも指摘しているように、個人間や家計間の不平等ではなく階級間の不平等、すなわち、生産手段としての土地所有者である地主、資本設備の所有者である資本家、そして、生産手段を持たない労働者の3大階級の間の不平等に着目しています。もちろん、マルクスが少し例外的な視点を提供していますが、本書では冒頭に「規範的な見方を扱うことはしない」として、同時に、マルクスの価値理論が階級間の所得分配の不平等に影響するという分析はスコープ外として扱わないとしています。少し残念です。でもまあ、マルクス主義的な見方をすれば資本制が停止されない限り、不平等削減の方策は不徹底な「日和見主義」でしかない、とするものですから、まあ、理解できる気はします。私は不勉強にして、マルクスも含めた古典的経済学の範囲では、それほど大きな現代的含意を汲み取ることは出来ませんでした。その意味で、クズネッツは注目されます。いわゆるクズネッツの逆U字仮説、すなわち、経済成長の初期段階では不平等が拡大し、その後、不平等は縮小に転じる、という仮説を提示したことで不平等研究に大きな貢献をなしています。ただし、1980年くらいから現在までの新自由主義的な経済政策の下で、逆U字仮説ではなく、N字に近い歴史的経過をたどる、すなわち、不平等は再び拡大する可能性が認識されている点は指摘しておきたいと思います。それを明らかにしたのは、章として独立に取り上げられてはいませんがピケティ教授の功績です。最終章で連戦機が不平等研究の暗黒期だったというのは、東西の両陣営でイデオロギー的な経済学の支配があったからであると指摘しています。すなわち、資本主義では市場による資源配分と所有権の尊重、共産主義では生産手段の社会的所有が、それぞれもっとも重視され、いわゆる制度学派的な見地も含めて、こういった制度が重要であり、格差や不平等の問題が片隅に追いやられた、というわけです。共産主義体制下では統計に基づく経験主義ではなくイデオロギー的に考えられたフシがあります。例えば、私がJICAから統計の短期専門家としてポーランドに派遣された際には、共産主義政権下では定義的に失業は発生しないとして、経験的な統計を取らずに失業率はゼロとカウントしていたらしいです。逆に、資本主義世界では、不平等研究は思想的に望ましくないものとみなされて、研究資金の配分が少なかったり、ジャーナルにおける査読で不利に扱われたりしたと指摘しています。その観点も含めて、不平等研究の最近における画期としてピケティ教授の『21世紀の資本』の役割をきわめて高く評価しています。

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次に、ジョン・ローマー『機会の平等』(勁草書房)を読みました。著者は、米国イェール大学の政治学・経済学名誉教授であり、ご専門は数理マルクス主義経済学だそうです。立命館大学の吉原直毅特任教授と帝京大学経済学部の後藤玲子教授が巻末に解説を付しています。本書の英語の原題は Equality of Opportunity であり、1998年の出版です。冒頭では本書のよって立つ前提として、いくつかの点が強調されています。すなわち、著者は、結果の平等を志向するものではなく、機会の平等を支持していると明記されています。その上で、機会の平等については「競技場を平準にする」ために、社会はなしうることをすべきであり、特に、不遇な社会的背景を持つ子供達は補償の教育を受けることにより、より有利な子供時代を送った人々とのジョブをめぐる競争で必要とされるスキルを獲得できる、という結論です。ただし、教育を財政の観点からだけ見て、教育設備の平等を達成しても、そういったリソースを有効・効率的に用いる能力に差があることから、不十分である可能性を示唆しています。その上で、機会平等化を目指す政策(EOp)の下で、等しく努力している諸個人は最終的に等しい帰結に至るべきである、と結論しています。「等しい帰結」を求めているからといって、これは結果の平等を目指すものではありません。スタートラインを調整した上で、あくまで等しい努力をすれば等しい帰結を得るわけですから、努力水準に帰結は依存します。努力水準に依存せず等しい帰結に至るのであれば、結果の平等かもしれませんが、等しい努力水準が等しい帰結をもたらす、という点は忘れるべきではありません。ということで、第4章あたりから数理マルクス主義的な議論の展開が始まり、基本的に、平等性に関しては100分位の分布に沿う議論が展開され、数式を解くことにより結論が得られます。数式の展開を省略して結論だけを一部取り出すと、分析の結果、機会の平等政策(EOp)は、才能の分散が小さい場合は功利主義に接近し、才能の差が大きい場合はロールズ主義に近くなります。これは直感的にも理解できるところではないかと思います。ですので、成人になった後の収入と消費の有利性=アドバンテージに関する機会の平等をもたらすためには、子供のころに教育的資源をどのように配分するか、という機会の平等化政策(EOp)の結論は、教育的資源を将来の生産性に転換する能力の低い子供により厚く配分されるべきである、ということになります。おそらく、従来の、というか、新自由主義的な政策の観点からは、将来の生産性に転換する能力の高低にかかわらず教育資源は1人当たりで等しく配分されるのが機会の平等化政策(EOp)である、ということになるような気がしますが、本書では異なる結論が導かれています。これを一般化すれば、教育資源は同一の努力をする子供が、成人となった際に同一の稼得能力を有することになるように配分=投資されるべき(p.78)ということになります。結果の平等はあくまで努力水準を無視していますが、同一の努力であれば同一の結果を得られる、というところが重要なポイントです。その後、子供や教育を離れて、失業保険の議論などが展開されますが、それは読んでみてのお楽しみです。

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次に、モーリッツ・アルテンリート『AI・機械の手足となる労働者』(白揚社)を読みました。著者は、ドイツにあるフンボルト大学の研究員です。私が読んだ印象ではマルクス主義経済学の専門家ではないかと思います。邦訳書の底本となる原書の言語は明記されていませんが、米国のシカゴ大学出版局から2022年に出ている The Degital Factory に基づいて訳出されています。タイトルだけを見ると英語で書かれているように見えます。ということで、本書では、現代の工場、広い意味での工場における労働者の実態を明らかにしようと試みています。イントロダクションの第1章から始まって、第2章ではアマゾンなどのEコマースにおける労働者、第3章ではゲーム労働者、第4章ではクラウドワークやオンデマンド労働者、第5章ではSNSの労働者、第6章で結論を示すように広く工場としてのプラットフォーム労働を議論し、最終第7章がエピローグとなっている構成です。英語版はシカゴ大学出版局から出ているのですが、決してバリバリの学術書ではありません。まず、AI登場前の段階で、労働者が機械の手足となって働いているのは、それほど新しい現象ではありません。チャプリンの『モダン・タイムス』のころから、工場の主役は機械であって労働者ではありません。せいぜい、タイトル的にいえば「AI」が新たに加わっているだけです。全体を通じていえば、AIなども導入された現代の工場では、労働者はさまざまなデジタル技術で管理され、仕事内容は多くが熟練不要の単純労働で、フルタイムで働いてもパートタイムで働いても同じという意味で短時間労働と同等といえますし、日本でも指摘されている通り、「柔軟な労働」が可能となっています。したがって、必要とされる熟練の程度が低下し、労働の柔軟性が増すに従って雇用の安定は失われます。デジタルに基づいたフォード主義(フォーディズム)と科学的管理(テイラー主義)が生産の現場で専制的な指揮権を揮って労働者の管理に当たっていると考えるべきです。本書では、フレキシブル・ネオテイラー主義と呼んでいる例を紹介しています。しかも、「柔軟的」とされる働き方は雇用ですらない場合があって、デジタルなプラットフォームに集まるUberの運転手はUberに雇われているわけではありません。ほかのフリーランスに関しても同様です。Airbnbの部屋のオーナーが労働者でないのは判らなくもないのですが、Uberの運転手については、少なくとも、運転手とプラットフォーム企業が対等平等な役務提供に関する契約を持てるのかどうか、疑問が残ります。Uberの運転手やクラウド・ソーシングについては空間的にも労働者がオフィスや工場にとどまらずに分散している点もひとつの特徴です。我が国でも、連休谷間の2025年5月2日に厚生労働省で労働基準法における「労働者」に関する研究会の初会合が持たれています。労働基準法における最後の労働者の定義の改定は1980年ですから、50年近くを経て雇用と労働について大きく変化が見られるのは当然です。その上、コロナのパンデミックを経て、デジタルワークはますます広がりを見せています。日本と世界の今後の動向に注目するためにも基礎的な情報を提供してくれる良書だとオススメできます。

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次に、伊坂幸太郎『楽園の楽園』(中央公論新社)を読みました。著者は、日本でも有数の人気作家の1人だと思います。本書は、作家のデビュー25年を記念した書下ろしの短編であり、100ページに満たないボリュームです。人気作家の25周年ですから、この本の出版に関しては出版社でも力を入れているようで、特設サイトが開設されたりしています。応募期間は終了しましたが、登場人物3人のアクスタやポストカードセットなどのプレゼントがあった模様です。まず、本書はSF、というよりか、ファンタジーであり、特に植物のパワーを強調しています。同様に植物のパワーに着目するテーマを持った作品が時を同じくして、荻原浩『我らが緑の大地』が角川書店から出ていて、加えて、同じ角川書店から私も読んだ鈴木光司『ユビキタス』もホラー小説として出版されています。ここまで植物のパワーに着目した小説が立て続けに出るのは、ちょっと、不思議な気がします。めずらしいかもしれません。ということで、本書の舞台は近未来であり、人工知能<天軸>が暴走し、所在不明になってしまいます。各国の都市部で大規模な停電が発生し強毒性ウイルスが蔓延し、大きな地震が頻発するなど、世界が大混乱に陥り、逃げ出した人の乗った飛行機まで墜落する始末となります。この中で、<天軸>の制作者である先生の行方を探し、その手がかりとなる「楽園」と名付けられた絵画を頼りに、五十九彦=ごじゅくひこ、三瑚嬢=さんごじょう、蝶八隗=ちょうはっかい、の3人が、絵画に描かれた「楽園」にいると推測される<天軸>と先生を探す旅に出ます。要するに、楽園を目指す旅に出るわけです。このあたりは、明らかに三蔵法師の天竺旅行をテーマとする『西遊記』を踏まえているわけです。ただ、3人はある意味でスーパーマンであり、あらゆる感染症の免疫を持っているとともに、個々人も、五十九彦はスポーツ万能な少年、三瑚嬢はおしゃべりで頭の回転もいい少女、蝶八隗は食べ物関係の情報豊富な大柄な少年、という設定です。3人の姿は挿し絵に出てきます。その目的地の楽園は大樹がシンボルとなっていて、まあ、要するに、表紙画像のようなところというわけなんだろうと思います。そこで植物パワーに注目する思想的背景が出てきます。<天軸>をはじめとする人工知能=AIではなく、自然知能=NIという考え方も登場したりします。3人の旅の結果などは読んでいただくしかありませんが、ただ1点だけ、ボリューム的にページ数は少ないものの、非常に壮大なスケールの物語です。最後の最後に、「物語」に「ストーリー」というルビが振ってあるのですが、「ナラティブ」の方がいいような気がしました。

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次に、田中将人『平等とは何か』(中公新書)を読みました。著者は、岡山商科大学法学部の准教授です。ご専門は、政治哲学・政治思想史だそうです。ということで、その昔の「1億総中流」から、昨今の「親ガチャ」まで、平等・不平等や格差に関する流行語は大きく変化してきましたが、本書では、冒頭の第1章でそもそも不平等のどこが悪いのかを考えるとともに、日本の「失われた30年」を振り返り、政治哲学と思想史の知見から世界を覆う不平等について議論を展開しています。そして、本書は実証研究ではなく、規範研究の方法を取ります。これは、ミラノヴィッチ『不平等・所得格差の経済学』とは正反対の考え方です。そして、結論を先取りすれば、「財産所有のデモクラシー」をひとつのヴィジョンとして提示しています。ということで、まず、ロールズやスキャンロンの議論から不平等に反対する理由を4点上げています。すなわち、(1) 剥奪、(2) スティグマ化、(3) 不公平なゲーム、(4) 支配、となります。私はどちらかといえば、人間としての尊厳を重視するのですが、さすがに、政治学や政治思想史の視点からはこの4点に集約されるようです。ですから、その昔の自然がもたらす不運ではなく、社会に起因する不正義とみなされるようになってきているわけです。この4点の不平等への反対を反転させれば平等に対する支持理由となります。加えて、不平等を3種類に分類しています。もっとも大きな不平等は差別であり、許容されません。その次が格差であり、望ましくはないもののの、ゼロにすることは出来ず、一定の範囲で容認されます。最後の差異は承認される不平等で、これをなくそうとする試みは別の問題を生じることになります。私がもっとも注目したのは第4章の経済上の平等であり、ピケティ教授により世界的にも注目度が上昇しています。特に、日本では2010年代に入ると就職氷河期の世代がアンダークラスを形成するようになります。ベーシックインカムに関する本書の議論は、エコノミスト間の認識と少し違っている気が私にはしました。ベーシックインカムに関する議論に加えて、第5章の政治上の平等については、お読みいただくしかありませんが、一言だけ付け加えると、ここでもピケティ教授の用語が使われています。「バラモン左翼」です。能力競争に勝ち抜いて、リベラルな思想を持つビジネスパーソンなどです。ただ、私は、経済上の平等についてはフローとしての所得やストックの資産などが貨幣単位で計測できることから、不平等の是正はそれなりに可能であると考えるのですが、政治上の平等については影響力の差異をどのように計測するのか、というそもそものベースから不案内です。ですので、本書でも言及しているくじ引きによるロトクラシーに将来を見出しています。最後に、著者の言う「財産デモクラシー」については、財産が平等に行き渡るためにはフローの所得についても考える必要があります。その点は少し議論が不足している気がします。

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次に、C.S. ルイス『ナルニア国物語4 銀の椅子と地底の国』(新潮文庫)を読みました。著者は、アイルランド系の英国の小説家であるとともに、長らく英国ケンブリッジ大学の英文学教授を務めています。英語の原題は The Silver Chair であり、日本語タイトルにある地底の国は含まれていません。1953年の出版です。本書は、小澤身和子さんの訳し下ろしにより新潮文庫で復刊されているナルニア国物語のシリーズ第4巻です。本書では、ペペンシー4きょうだいのいとこであるユースティス・スクラブが学校の仲間と2人でナルニア国を訪れます。ユースティスの友人とは、学校でのいじめられっ子のジル・ポールです。いじめっ子に追われて学校の体育館裏に逃げ、そこにある扉から2人はナルニア国へと飛び込みます。ナルニア国ではすでに長い時間が経過していて、カスピアン王は晩年を迎えています。しかし、カスピアン王の息子であるリリアン王子は何年も前に魔女にさらわれて行方知れずになっていました。アスランからリリアン王子を探し出してカスピアン老王の元に連れ戻すというミッションをユースティスとジルが受けて冒険に旅立ちます。その際、アスランは4つの道しるべを示します。すなわち、(1) ユースティスが出会う懐かしい友人に挨拶する、(2) いにしえの巨人たちの廃墟となった都を目指す、(3) そこで、石に刻まれた言葉を実行する、(4) アスランの名にかけて、なにかしてほしいと頼む最初の人物こそが王子である、というものです。そして、2人はヌマヒョロリン族のドロナゲキとともにリリアン王子を探しに出かけます。巨人国の都であったハルファンから地底国に向かいます。タイトルになっている「銀の椅子」はリリアン王子が囚われて座らされていたものです。なお、巨人は、このナルニア国シリーズに限らず、ハリー・ポッターの物語などでも、決して、いいようには描かれていません。我が日本でも、特に、私の住む関西地方では巨人を嫌う人が多い印象です。ヌマヒョロリン族のドロナゲキは、ムーミンに出てくるスナフキンのような姿の挿し絵が挿入されています。ここで英語のお勉強ですが、ヌマヒョロリン族は Marsh-wiggle、であり、陰キャで悲観的な発言を繰り返しているドロナゲキは Puddleglum という名前です。ハリー・ポッターのシリーズについては、私は7巻中5冊までを英語の原書で読みましたが、ナルニア国物語などの子供向けの本から英語を勉強するのもいいんではないかと思います。

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次に、森見登美彦[訳]『竹取物語』(河出文庫)を読みました。現代訳者は、小説家であり、私は『有頂天家族』や『シャーロック・ホームズの凱旋』なんかを読んだ記憶があります。また、河出文庫のこの古典新訳コレクションのシリーズでは、酒井順子[訳]『枕草子』上下、円城塔[訳]『雨月物語』なんかを読んでいます。ということで、何分、「竹取物語」ですから、多くの日本人が見知っていることと思います。竹取の翁が光る竹を切ったら姫が現れ、家に連れ帰ればものすごいスピードで成長し、やがて絶世の美女に成長したかぐや姫は、いい寄る求婚者たちに無理難題を課して退散させた後、月に帰ってゆく、というストーリーは広く人口に膾炙しているところであり、本書でも何ら変更ありません。私は「竹取物語」を古語で読んだことはありませんが、例えば、2年ほど前に、あをにまる『今昔奈良物語集』に収録されている「ファンキー竹取物語」なんてのを読んだ記憶もあります。本書では、広く知られた「竹取物語」のストーリーを森見登美彦の小説の世界で表現しています。この訳者の小説のファンであれば押さえておくべきかと思います。

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2025年5月 9日 (金)

4か月ぶりにCI一致指数が悪化した3月の景気動向指数をどう見るか?

本日、内閣府から3月の景気動向指数が公表されています。統計のヘッドラインを見ると、CI先行指数は前月から▲0.5ポイント下降の107.7を示し、CI一致指数も▲1.3ポイント下降の116.0を記録しています。まず、統計のヘッドラインを報じる記事をロイターのサイトから報道を引用すると以下の通りです。

景気一致指数3月は4カ月ぶりマイナス、部品工場事故による自動車減産響く
内閣府が9日公表した3月の景気動向指数速報(2020年=100)は、足元の景気を示す一致指数が前月比1.3ポイント低下の116.0と4カ月ぶりのマイナスとなった。自動車用ばね部品などを製造する中央発条(5992.T)の工場で3月に発生した爆発事故の影響で、自動車・同部品の生産・出荷が減少したため耐久財や鉱工業用生産財の出荷指数が下押しした。
一致指数を構成する景気指標のうち、投資財出荷指数や輸出数量指数もマイナス要因となった。コンベア出荷減や、アジア・米国向けの輸出減が響いた。
先行指数も前月比0.5ポイント低下の107.7と2カ月連続のマイナス。自動車や同部品の出荷減少により最終需要財在庫率指数が悪化したほか、マネーストックや消費者態度指数などが落ち込んだ。消費者態度指数は物価高により4カ月連続で前月比で悪化している。
一致指数から一定のルールで内閣府が決める基調判断は11カ月連続で「下げ止まりを示している」とした。

いつもながら、包括的によく取りまとめられている印象です。続いて、景気動向指数のグラフは下の通りです。上のパネルはCI一致指数と先行指数を、下のパネルはDI一致指数をそれぞれプロットしています。影をつけた期間は景気後退期を示しています。

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3月統計のCI一致指数は4か月ぶりの悪化となりました。3か月後方移動平均は5か月ぶりの前月比マイナスを記録した一方で、7か月後方移動平均は8か月連続の上昇で、3月統計では+0.28ポイント改善しています。しかし、統計作成官庁である内閣府では基調判断は、今月も「下げ止まり」で据え置いています。引用した記事にもある通り、5月に変更されてから11か月連続で同じ基調判断の据置きです。なお、細かい点ながら、上方や下方への局面変化は7か月後方移動平均という長めのラグを考慮した判断基準なのですが、改善からの足踏み、あるいは、悪化からの下げ止まりは3か月後方移動平均で判断されます。ただ、「局面変化」は当該月に景気の山や谷があったことを示すわけではなく、景気の山や谷が「それ以前の数か月にあった可能性が高い」ことを示しているに過ぎない、という点は注意が必要です。いずれにせよ、私は従来から、米国経済がソフトランディングに成功するとすれば、そう簡単には日本経済が景気後退局面に入ることはないと考えていて、それはそれで正しいと今でも変わりありませんが、米国経済に関する前提が崩れつつある印象で、米国経済が年内にリセッションに入る可能性はかなり高まってきていると考えています。理由は、ほかのエコノミストとたぶん同じでトランプ政権が乱発している関税政策です。関税率引上げによって、米国経済においてインフレの加速と消費者心理の悪化の両面から消費を大きく押し下げる効果が強いと考えています。加えて、日本経済はすでに景気回復・拡大局面の後半に入っている点は忘れるべきではありませんし、多くのエコノミストが円高を展望して待ち望んでいる金融引締めの経済へ影響は明らかにネガであり、引き続き、注視する必要があるのは当然です。
CI一致指数を構成する系列を前月差に対する寄与度に従って詳しく見ると、引用したロイターの記事にもあるように出荷関係が下押ししており、耐久消費財出荷指数▲0.70ポイント、鉱工業用生産財出荷指数▲0.60ポイント、投資財出荷指数(除輸送機械)▲0.34ポイント、輸出数量指数▲0.32ポイント、などであり、他方、逆に前月差プラスとなったのは、有効求人倍率(除学卒)+0.32ポイント、商業販売額(小売業)(前年同月比)+0.23ポイント、などでした。ついでに、引用した記事にありますので、CI先行指数の下げ要因も数字を上げておくと、最終需要財在庫率指数(逆サイクル)▲0.50ポイント、マネーストック(M2)(前年同月比)▲0.35ポイント、消費者態度指数▲0.34ポイント、などとなっています。

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2025年5月 8日 (木)

富裕層減税の経済的帰結やいかに?

連休に読んだいくつかの学術論文の最後に、富裕層減税の経済的帰結 "The economic consequences of major tax cuts for the rich" を分析したものがあります。2022年の論文ですから、ものすごい最新論文というわけではありませんが、それなりに考えさせられる結論を導き出しています。まず、論文の引用情報は以下の通りです。

次に、論文を掲載したジャーナルのサイトからAbstractを引用すると以下の通りです。

Abstract
The last 50 years has seen a dramatic decline in taxes on the rich across the advanced democracies. There is still fervent debate in both political and academic circles, however, about the economic consequences of this sweeping change in tax policy. This article contributes to this debate by utilizing a newly constructed indicator of taxes on the rich to identify all instances of major tax reductions on the rich in 18 Organisation for Economic Co-operation and Development (OECD) countries between 1965 and 2015. We then estimate the average effects of these major tax reforms on key macroeconomic aggregates. We find tax cuts for the rich lead to higher income inequality in both the short- and medium-term. In contrast, such reforms do not have any significant effect on economic growth or unemployment. Our results therefore provide strong evidence against the influential political-economic idea that tax cuts for the rich ‘trickle down’ to boost the wider economy.

要するに、富裕層減税は経済成長や失業には有意な影響をもたらすことはなく、すなわち、trickle down は生じなかった一方で、短期的にも中期的にも所得不平等拡大につながった、と結論しています。論文から Figure 3. Effects of major tax cuts for the rich on inequality, growth, and unemployment, 1965-2015 を引用すると以下の通りです。

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一番上のパネルの不平等は減税実施後に有意に拡大していますが、2-3枚目の成長と失業は特に有意な動きは見せず、シャドーで示された95%の信頼区間にはゼロを含んでいます。はい、私の直感と同じ結果です。でも、査読を経てジャーナルに掲載された論文で定量的に確認できているのは意義があると考えるべきです。

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2025年5月 7日 (水)

米国経済の景気後退はすでに始まっているのか?

米国トランプ政権による関税政策の乱発は世界経済に混乱を引き起こしており、そもそも、米国経済そのものに大きなダメージがあるとの指摘もありますが、実は、すでに米国経済は景気後退に陥っているのではないか、とする論文が明らかにされています。"Has the Recession Started?" と題するワーキングペーパーで、すでに査読を経てジャーナル掲載が決まっているようです。まず、引用情報は以下の通りです。

次に、ワーキングペーパーのサイトからAbstractを引用すると以下の通りです。

Abstract
This paper develops a new rule to detect US recessions by combining data on job vacancies and unemployment. We first construct a new recession indicator: the minimum of the Sahm-rule indicator (the increase in the 3-month average of the unemployment rate above its 12-month low) and a vacancy analogue. The minimum indicator captures simultaneous rises in unemployment and declines in vacancies. We then set the recession threshold to 0.29 percentage points (pp), so a recession is detected whenever the minimum indicator crosses 0.29pp. This new rule detects recessions faster than the Sahm rule: with an average delay of 1.2 months instead of 2.7 months, and a maximum delay of 3 months instead of 7 months. It is also more robust: it identifies all 15 recessions since 1929 without false positives, whereas the Sahm rule breaks down before 1960. By adding a second threshold, we can also compute recession probabilities: values between 0.29pp and 0.81pp signal a probable recession; values above 0.81pp signal a certain recession. In December 2024, the minimum indicator is at 0.43pp, implying a recession probability of 27%. This recession risk was first detected in March 2024.

昨年あたりからエコノミストに注目され始めた Sahm rule、すなわち、失業率に注目して、過去3か月の失業率の平均が過去12か月ので最低だった失業率からどれだけ上昇したかに着目し、その上昇幅が0.5%ポイントあれば経験的に景気後退の兆候と見なす指標があり、本論文では、それに求人率を組み合わせた新指標を開発し、Michez rule と名付けています。この新指標は失業率の上昇と求人率の低下が同時に生じることを捉え、景気後退局面入の閾値を適切に設定することにより、的確な景気後退指標をして用いることができると主張しています。ひとつの比較として、Sahm rule よりも景気後退を検知する遅延期間が短く、さらに、Sahm rule では1960年以前では検知能力がほとんどない一方で、新たな Michez rule では1929年以降の15回の景気後退を誤検知なく特定できる、と主張しています。そして、経験的な閾値として0.29%ポイントを設定し、0.29%ポイントから0.81%ポイントの差があれば景気後退の可能性があり、0.81%ポイントであれば景気後退が確実であると結論しています。そして、以下のようなグラフを示しています。ワーキングペーパーの FIGURE 3. Michez rule in the United States, 1960-2024 を引用しています。

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ワーキングペーパーには算出式が展開されていますが、新指標の算出には最小値を求めるオペレーションはあるものの、微積分なんやといった小難しい式はほとんどありません。まあ、そうなのでしょう。我が国の景気動向指数について内閣府が示している「景気動向指数の利用の手引」なんかも、同様に、それほど難しいものではありません。この指標を最近の米国経済に当てはめると、2024年3月に初めて景気後退の可能性が検知され、2024年12月には0.43%ポイントの大きさに拡大し、その時点での景気後退の確率は27%であった、と算出しています。この結果をどう解釈するかは幅があると思いますが、ただ、景気後退局面入りが決定的になってはいないものの、現在のトランプ大統領就任前から景気後退の方向に向かっていた、あるいは、景気拡大ないし景気回復が後半局面にあった、ということは明らかだろうと私は受け止めています。

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2025年5月 6日 (火)

中国における認知能力と起業の相関やいかに?

英国の伝統ある経済学術誌 The Economic Journal に中国における認知能力=学力と起業志向の関係を分析した "Entrepreneurial Reluctance: Talent and Firm Creation in China" と題する論文が掲載されています。まず、論文の引用情報は以下の通りです。

続いて、ジャーナルのサイトからAbstractを引用すると以下の通りです。

Abstract
This paper examines the correlation between cognitive ability and firm creation. Drawing on administrative college admission data and firm registration records in China, we investigate who had created firms by their mid-thirties. We find a clear pattern of entrepreneurial reluctance: given the same backgrounds, individuals with higher college entrance exam scores are less likely to create firms. Through an exploration of firm performance, alternative career trajectories and variations across regions, we propose an explanation: the ability represented by exam scores is useful across occupations, yet higher-scoring individuals are attracted to waged jobs, particularly those of the state sector.

要するに、中国では college entrance exam scores=大学入試のスコアが高いほど起業する可能性が低く、高得点者は賃金労働、特に、公務員に魅力を感じる、という結論です。下のグラフは論文から Fig. 1. Firm Creation versus College Entrance Exam Score を引用しています。

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左のパネル(a)は大学に入学しなかった学生も含めた推計結果であり、右の(b)が大学入学者だけのサンプルです。見て明らかな通り、大学入試のスコアと30代半ばまでに起業した比率の間には明らかな負の相関があります。なお、起業者は企業登録記録に基づいて算出されています。30代半ばまでに起業しなかったことが原因となって大学入試スコアが影響を受けることはほぼほぼ考えられませんから、大学入試スコアが原因で起業の方が結果となる因果関係が推測されます。ですので、中国では大学入試スコアがいい学生は起業する傾向が明らかに低いわけです。
ある意味で、起業はリスクを伴うビジネス行為であり、認知能力=学力が高い学生はリスク回避的に公務員を目指す、というのは理解できるところです。私は60歳の定年まで国家公務員をしていましたが、少なくとも、私くらいの世代までは高学力であることが推測される東大卒業者が大量に国家公務員に採用されていたのは歴史的事実だろうと思います。

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2025年5月 5日 (月)

経済産業省の若手新政策プロジェクト(PIVOT)による「デジタル経済レポート」を読む

先週水曜日の4月30日、経済産業省から若手新政策プロジェクト(PIVOT)による「デジタル経済レポート: データに飲み込まれる世界、聖域なきデジタル市場の生存戦略」が明らかにされています。もちろん、pdfの全文リポートもアップロードされています。
デジタル経済については経常収支のデジタル赤字に注目が集まっており、例えば、2023年8月10日、日銀レビュー「国際収支統計からみたサービス取引のグローバル化」とか、2024年7月2日、財務省から財務省「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋」懇談会の報告書などが出ています。この経済産業省のリポートでも、冒頭でIMD World Competitiveness Ranking 2024 を引いて、ロボティクスや通信環境インフラなどはデジタル競争力ランキングが高い一方で、デジタル・技術スキルやビッグデータ活用などの競争力が低いと指摘しています。
私は国際収支におけるデジタル赤字はそれど気になりません。古典派経済学的なリカードによる比較優位はどこの国にも何かの産業に優位があることを示しています。もちろん、デジタル産業の競争力を高めたいというのは政府や中央銀行ならば、どの国でも期待するのかもしれません。ただ、そのあたりの競争力向上の誤解については、本リポートでも十分認識しているようで、第5章 戦略実行において日本企業、投資家、政府が抱えるギャップ において指摘しています。例えば論点2では、アプリケーション事業者は「デジタル小作人」ではないか、といった議論を展開しています。プラットフォーム企業に取り込まれてしまうという懸念です。いろいろと、私のようなデジタル経済のシロートには参考になりそうです。

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上のテーブルは、リポート p.48 から 表9 プラットフォームビジネスのグローバル市場における事例 を引用しています。デジタル経済でもっとも重要な役割を果たすプラットフォームビジネスです。まあ、私はこのあたりから勉強を始めようと思います。

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2025年5月 4日 (日)

3タテされるのと違って3タテするのは難しい

  RHE
ヤクルト000100301 5131
阪  神000100100 2100

【ヤ】石川、木澤、荘司、石山 - 古賀
【神】伊原、漆原、工藤、島本 - 坂本、梅野

ヤクルト石川投手を打てずに甲子園の連勝ストップでした。
ドラ1伊原投手も7回途中までよく投げましたが、打線の援護が足りませんでした。まあ、そうそう3タテするのは難しいのでしょう。

次のジャイアンツ戦は、
がんばれタイガース!

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2025年5月 3日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ヤニス・バルファキス『テクノ封建制』(集英社)では、資本主義の次に来るシステムは社会主義ではなく、デジタル取引プラットフォームが市場に取って代わるテクノ封建制であり、クラウド領主がレントを農奴から搾取するシステムはもう始まっていると指摘しています。小山大介・森本壮亮[編著]『変貌する日本経済』(鉱脈社)は、マルクス主義経済学の観点から縮小し衰退しつつある日本経済や格差が拡大している日本や世界経済を分析し、グローバル化に疑問を呈し、ベーシックインカムの是非について議論を展開しています。河村小百合+藤井亮二『持続不可能な財政』(講談社現代新書)では、現在の財政は持続可能ではないとし、30兆円単位の財政収支改善を提案していますが、財政収支を30兆円規模で改善するとどうなるかについては覚悟と良心でもって気合で乗り切れ、といわんばかりです。ドナルド E. ウェストレイク『うしろにご用心!』(新潮文庫)は、不運な大泥棒のドートマンダーが主人公になるシリーズで、故買屋のアーニー・オルブライトから依頼を受けて、投資家で大富豪のプレストン・フェアウェザーから美術品を盗もうと計画します。高野結史『バスカヴィル館の殺人』(宝島社文庫)は、前作『奇岩館の殺人』の続編であり、実際に殺人が行われる推理ゲームであり、顧客の大富豪が探偵となって殺人事件の謎解きに挑みますが、相変わらず、シナリオ通りには進みません。西村京太郎『SLやまぐち号殺人事件』(文春文庫)は作者の絶筆であり、SLやまぐち号の最後尾の客車5号車が山口と仁保の間の7.5キロを走行中に消失し、乗客32名が誘拐され、乗客の1人が死体で発見されます。十津川警部が謎解きに当たります。
今年の新刊書読書は先週までの1~3月に75冊を読んでレビューし、4月は24冊、5月に入って今週の6冊と合わせて105冊となります。これらの読書感想文については、Facebookやmixi、mixi2でシェアしたいと考えています。なお、本日の6冊のほかに、ロバート・ロプレスティ『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』(創元推理文庫)も読んでいます。2019年に読んでいて再読です。すでに、いくつかのSNSにてブックレビューをポストしていますが、新刊書ではないと考えますので、本日の感想文には含めていません。

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まず、ヤニス・バルファキス『テクノ封建制』(集英社)を読みました。著者は、経済学者=エコノミストなのですが、経済政策の実践の場では、2015年のギリシア経済危機の際に財務大臣を務めています。本書の英語の原題は Technofeudalism であり、2023年の出版です。なお、本書は集英社のシリーズ・コモンの1冊として出版されており、本書に至るまでの既刊5冊のうち、斉藤幸平・松本拓也[編]『コモンの「自治」』とジェレミー・リフキン『レジリエンスの時代』は私も読んでいます。ということで、通常、というか、何というか、現在の資本主義の後には社会主義が来る、というのがマルクス主義の歴史観、唯物史観に基づく見方であり、私もその可能性は十分あると考えています。私のような不勉強なエコノミストだけではなく、例えば、日本でもイノベーション理論で人気の高いシュンペーター教授なんかも、資本主義はいつかは社会主義に取って代わられる、と考えていたように記憶しています。しかし、本書では資本主義の次に来るのは社会主義ではなく、テクノ封建制であると分析しています。というか、すでに、資本主義は死んでいて、テクノ封建制が始まっているとすら指摘していたりします。かつては、格差が大きく拡大し資本主義の存続ではなくコモンの拡大による社会主義的なシステムが主流になる可能性が十分あると、私なんかの凡庸なエコノミストは考えていたんですが、そうではない可能性を強く指摘しているわけです。資本主義における市場に対して、テクノ封建制ではデジタル取引プラットフォームが取って代わり、資本主義において企業が最大化するターゲットであった利潤ではなく、レントの追求に変質した、と主張しています。デジタル取引プラットフォームはかつての中世の「封建領地」になぞらえられ、私のような一般市民はその「封建領地」を耕す農奴なわけです。もちろん、対極にはテクノ封建領主=クラウド領主がいて、クラウド・レントを求めて農奴を搾取しているという構図です。軽く想像される通り、本書では明示されていませんが、GAFAMを想像すればいいわけで、アマゾンなどのデジタル・プラットフォームを基礎にしたEコマース、あるいは、SNSなどの経営者がクラウド領主に該当します。そして、世界経済に視野を拡大すれば、米国と中国がテクノ封建制の新たな土俵で覇権を争う冷戦が始まっているわけです。インターネットが提供するコモンズは、やや「お花畑」的に想像された自由で平等な世界を実現するのではなく、逆に、テクノ封建制を準備したに過ぎなかった、という評価です。このあたりまでは、直感的に理解できるところではないでしょうか。もちろん、その「変容」=メタモルフォーゼの詳細、そして、テクノ封建制の実態の解明、そして、何よりも本書が最終章で提示するテクノ封建制からの脱却=クラウドへの反乱、などなどにつては、お読みいただくしかありません。細かな論証については、決して学術的にコンセンサスを得られるものではない可能性が高いと私は受け止めていますが、現在の世界経済の現実を的確に説明できる可能性があり、専門家でなくても直感的な理解は十分可能だろうと思います。とても散文的で難解な表現も含まれていますが、本書の内容は多くのビジネスパーソンが日々接している現実経済を解明している部分が多々あると考えるべきであり、その意味で、とってもオススメです。

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次に、小山大介・森本壮亮[編著]『変貌する日本経済』(鉱脈社)を読みました。編著者2人は、それぞれ、京都橘大学経済学部准教授と立教大学経済学部准教授です。ほかの章ごとの分担執筆者も基本的にマルクス主義経済学のエコノミストではないかと思います。なお、『季刊 経済理論』第59巻第4号に書評が掲載されています。ご参考まで。実は、ゴールデンウィークの合間を縫って、私の勤務する立命館大学経済学部の研究会に出席したのですが、私以外はマルクス主義経済学のエコノミストで、他方、官庁エコノミスト出身の私はほぼほぼまったくマルクス主義経済学の専門性はなく、いわゆる「界隈」が違うのですが、実証分析や対象のエリアによっては理解できる部分もあります。本書は日本経済を対象にしていますので、今年度前期の授業が本格的に始まった段階で目を通してみました。まず、当然ながら、事実認識に大きな違いがあるわけではありません。すなわち、日本経済が縮小している、別の表現では、衰退している、という認識は変わりありません。この点は誰の目から見ても明らかです。さらに、日本のみならず世界で格差が拡大しつつあリ、格差拡大は決して好ましいことではない、という認識も共通しています。加えて、日本では格差拡大は雇用の劣化から生じている可能性が高い、という認識も同じではないか、という気がしています。ですので、かなり多くの分野でマルクス主義経済学と主流派経済学は同じ認識を共有し、同じ方向を向いていると考えても差し支えありません。しかし、主流派経済学との相違がまったくないわけではなく、いくつかの点に現れています。例えば、グローバル化がホントに日本経済に役立っていて、国民生活を豊かにするのか、という点に対しては本書は大いに疑問を呈しています。ただ、主流派経済学でもそういった見方が広がりつつあり、特に、米国トランプ政権がむやみな関税政策を振り回し始めて以来、ホントにグローバル化の進展が企業にもいいことだったのだろうか、という疑問が生じ始めている可能性はあります。マルクス主義経済学ではもっと脱成長の議論が盛んなのかと思っていましたが、主流派経済学と同じで日本経済が衰退しているのは決して好ましいことではなく、国民生活を豊かにするためには決して成長を諦めるべきではない、という認識は共通しているようです。もちろん、社会保障や福祉の観点からは主流派経済学よりもマルクス主義経済学の方が進んでいる可能性もあり、本書ではベーシックインカムについて章立てして議論をすることを試みています。もちろん、ベーシックインカム万能論では決してなく、その否定的な側面も指摘しています。それだけに、議論をきちんと進めようという姿勢も見えます。ただし、雇用を考えるチャプターでは、主流派経済学の本と同じように、日経連の『新時代の「日本的経営」』をまったく無視しています。ついでながら、第3章では置塩定理が援用されています。私にはもちろん、大学の学部レベルでは難しいのではないかと思いますが、実に判りやすくていねいに説明されているのが印象的でした。ちょっと、私には不慣れな分野だったかもしれませんが、「セカンドオピニオン」を求めるような気軽さで読んでみた次第です。

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次に、河村小百合+藤井亮二『持続不可能な財政』(講談社現代新書)を読みました。著者は、それぞれ、日銀から民間シンクタンクの日本総研に転じたエコノミストと参議院事務局を退職した白鴎大学法学部教授です。本書の意図は明らかであり、現在の財政赤字の継続は公的債務残高の累増を招いており、このままでは財政は持続可能ではなく、したがって、歳出削減または歳入増加により財政収支の改善を図るべきで、その財政収支改善幅は30兆円程度である、というものです。何度か書きましたが、はい、私は一応この方面では学術論文 "An Essay on Public Debt Sustainability: Why Japanese Government Does Not Go Bankrupt?" も書いていて、日本の財政は成長率と利子率の関係が動学的効率性を満たしておらず、その上、政府の基礎的財政収支改善努力もあって、財政はサステイナブルである、と結論しています。もちろん、本書は新書でのご議論であって学術論文のような正確性を問うものではありませんが、財政破綻したらたいへんなことになるとか、将来世代に負担を先送りするとかの、やや根拠が不確かで扇情的な議論は回避すべきだと私は考えています。ですから、私が論文で指摘したような公的債務のGDP比での安定を図るか、横断条件を満たすように国債をすべて償還することを考えるのか、などの議論はすっ飛ばしてもいいのですが、せめて、財政破綻のコストと30兆円の財政収支改善のネガな経済効果を比較するくらいの議論はあって然るべき、と私は考えます。そういう議論がなく、本書の隠し味は、日銀がこれから利上げする方向にあるので、それをサポートするように財政収支を改善するべし、という形で、アベノミクス期の逆回転を試みようとしているように見えてなりません。私が長らく見てきた中で、本書のような stirve the beast でもって、財政破綻回避を「錦の御旗」にしてある種の政策に対する拒否感を示すのは、村上靖彦『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)で示されていたように、過剰に客観的な根拠を求めてある種の政策に拒否感を示すのと、まったく同じだと考えるべきです。要するに、政策に反対する根拠が希薄であることを自覚しているため、財政破綻のおそれや客観的根拠の要求を持ち出しているとしか思えません。ですので、本書の第5部の最後の節のタイトルは 問われる"国全体の覚悟"と"日本人の良心" となっていて、覚悟と良心を持って30兆円の財政収支改善を気合で乗り切ることができるかのような表現になっています。エコノミストとしては、実に、悲しい限りです。

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次に、ドナルド E. ウェストレイク『うしろにご用心!』(新潮文庫)を読みました。著者は、米国のミステリ作家であり、多作なことでも有名です。著作は100冊を超え、米国探偵作家クラブ(MWA)賞を3度受賞しているそうです。多くの作品が映画化もされています。なお、この作品は本邦初訳です。この作者によるドートマンダーを主人公とするシリーズはユーモア・ミステリとして有名らしいのですが、私は2年半ほど前にこの著者の『ギャンブラーが多すぎる』を同じ新潮文庫で読んでいるものの、それはドートマンダー・シリーズではなく、不勉強にしてドートマンダーを主人公とするミステリは初読でした。参考ながら、巻末にドートマンダーのシリーズの著書が長編10冊超をはじめとしてリストアップされています。ということで、主人公は運の悪い大泥棒のジョン・ドートマンダーです。本作品では、付き合いは深いものの、それほど好感を持っているわけではない故買屋のアーニー・オルブライトからの依頼があり、ニューヨーク在住の投資家で大富豪のプレストン・フェアウェザーがコレクションしている美術品を盗み出すことを計画します。プレストン・フェアウェザーご本人はカリブ海のリゾートで休暇中なのですが、謎の美女が誘拐目的で接近してきます。大富豪のプレストン・フェアウェザーは露出度の高いビキニ水着のまま海に逃げ出して、ニューヨークの自宅を目指します。そして、帰り着いてぐっすり眠っているところにドートマンダーと仲間が盗みに入って大騒動となるわけです。なお、アムステルダム・アヴェニューにあって、ドートマンダーと仲間がいつも作戦会議に使う<OJ>という店、ロロというバーテンダーがいる店が、美術品の盗みとは直接関係ないながらも、まあ、キーポイントのひとつ、重要な要素となります。ドートマンダーの盗みの副産物といえるかもしれません。

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次に、高野結史『バスカヴィル館の殺人』(宝島社文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、半年ほど前に同じ出版社から出ている『奇岩館の殺人』を私は読んだ記憶があります。基本的に、繰り広げられるのはリアルな殺人を含む推理ゲーム「推理遊戯」であり、実際に殺人が実行されるゲームに富裕層の顧客が大金を払って探偵として謎解きを行い、運営スタッフが探偵をサポートしつつゲームを進行する、ということであり、設定は同じです。ですから、謎が難しすぎると顧客の探偵が解けませんし、簡単すぎると満足度が上がらない、というフェアウェイの狭いゲームです。前作ではカリブ海の孤島でしたが、本書では森の奥に立つ洋館、バスカヴィル館がクローズド・サークルとなります。タイトルのバスカヴィルは当然ながらホームズの長編小説のひとつから取られていて、火を吹く魔の犬にちなんで死体が焼却されるところからの命名のようです。前作と同じところは、運営サイドのシナリオから実際の進行がズレまくる点で、軌道修正に運営スタッフが大きな苦労をします。今回作品の新規な点としては、誰が探偵役なのかが判別しきれず、運営スタッフのうちの1人が早く謎を解かせたいにもかかわらず、なかなかヒントを提供する相手が特定できない点です。もうひとつは、米国本社から日本支社の支社長だか、支部長だか、に対する査察役が運営スタッフとして密かに加わって、いわば、スパイのような役割を担うところもポイントかと思います。このため、前作よりも謎が複雑になっていることはいうまでもなく、出版社のうたい文句によれば「多層ミステリ」ということになるのですが、それでも、2番煎じであることは明白であり、他の読者はともかく、私自身は前作の方の評価が高いと考えます。評価高い読者は、ひょっとしたら、前作を読まずに本作品を読んでいるのかもしれません。何となく、続編がさらにありそうな気がしないでもないのですが、私が編集者であればヤメにしたら、とアドバイスします。

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次に、西村京太郎『SLやまぐち号殺人事件』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家です。ほぼ3年前の2022年3月に亡くなっており、本書が絶筆といわれています。本書も、この著者の作品の一連のシリーズである十津川警部が主人公となります。ということで、舞台はタイトル通りに山口県であり、何と、SLやまぐち号の最後尾の客車5号車が山口と仁保の間の7.5キロを走行中に消失し、乗客32名が誘拐されます。乗客の中に東京に本社がある警備会社の社長が含まれており、身代金、というか、諸経費として請求された2億円をこの警備会社が株式売却により調達して支払ったことが明るみに出ます。しかし、乗客の1人の死体が発見されます。加えて、鉄道敷設の際の延長問題、さらには、もっと古い幕末の山口における歴史的事件などが怨念を伴って関係してきます。列車消失ミステリは、この作者の代表作のひとつである『ミステリー列車が消えた』もありますし、私が読んだ範囲内でも、島田荘司『水晶特急』とか、いっぱいあります。その意味で、それほど奇想天外でも奇抜でもないのですが、本書のミステリの肝は列車消失とともに、同じような列車内の殺人事件であるクリスティの『オリエント急行殺人事件』も緩やかな関連性を持っている点だと思います。絶筆という意味で記念すべき作品といえるかもしれませんが、あるいは、全盛期のサスペンスフルな展開は望めないと考えるべきかもしれませんし、評価はさまざまだと思います。ただ、ここまで大昔の怨念のようなものを持ち出されての謎解きでは、「どうして、今になって?」という疑問が生じるのはやむを得ません。10年後でもいいでしょうし、5年前であってもいいような事件だと受け止めるのは私だけなんでしょうか。

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