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2005年12月 8日 (木)

中央銀行の独立性は何によって担保され、何を目指すのか?

最近、少し前に出された日銀に関する本を読んでいます。1999年2月のゼロ金利政策とその後の2000年8月のゼロ金利解除に関してジャーナリストが書いた本です。政府と日銀のやり取り、日銀審議委員の中での議論などをかなり生々しく取り上げています。
当然のことながら、1998年4月施行の新日銀法に定めた独立性についてもいろんな議論が紹介されています。その中に、とある審議員が中央銀行の独立性について、何によって担保されるのかを真剣に考え、「政策の正しさによって中央銀行の独立性は担保される」と結論し、それだけでなく、マネタリストとして著名なシカゴ大学のフリードマン教授にファックスして問い合わせ、「その通り」との回答を得たとのエピソードが紹介されていました。

先月から、自民党政策調査会の中川会長や政府の竹中総務大臣から日銀の量的緩和やゼロ金利の解除に関する牽制発言が相次ぐ中で、日銀法改正にも言及される場合もあり、中央銀行の独立に関する議論も活発になっています。もちろん、日銀の独立を無条件に擁護する、言っては悪いですが、ややシロート筋の意見も散見されます。他方で、私が最近発見して注目しているのは、日経新聞の太田編集委員のコラムで、大雑把に言うと、中央銀行の独立性は政府のインフレ的な圧力からの独立性であり、デフレ下では当てはまらないとするものです。インフレ期とデフレ期とでは中央銀行の独立性は非対称であるとする議論です。
私の解釈ですが、もしも、中央銀行の政策が物価の安定を目指すが故にデフレ的・ディスインフレ的なバイアスを持ち、政府の政策が完全雇用を目指すが故にインフレ的・リフレ的なバイアスを持つと仮定とすれば、そうだと仮定すればなんですが、インフレ期には中央銀行が政府からのインフレ的な圧力を排除してディスインフレ的な政策を進めるために独立性が必要であるのに対し、デフレ期にはリフレ的な政策を政府と協調して進める必要があるので、ここでは中央銀行が独立性に基づいてデフレ的な政策を進めるのは百害あって一理なしとなります。これがインフレ期とデフレ期に中央銀行の独立性に対する非対称性となります。

しかしながら、1930年代の大不況はあるものの、長らくデフレを経験しなかった歴史的な経緯から、各国の中央銀行制度でデフレ期を想定したものはほとんどありません。日本でデフレが始まろうとしていた時期に審議・施行された新日銀法でも、日銀の独立性についてデフレ期とインフレ期とで非対称な扱いをしている訳ではありません。デフレは法律が想定する範囲外の経済状況だったわけです。実は、新日銀法案を国会に提出したのは政府であり、国会審議で答弁に立ったのは当時の大蔵省の武藤総務審議官、つまり、現在の日銀副総裁です。極端な言い方をすれば、政府がアホだったのかもしれません。
もしもそうで、政府がデフレを見据えて、アホでなくなって中央銀行の独立性に対して非対称なることを発見したのであれば、日銀の独立性について再考すべきなのかもしれません。もっとも、私は法律には想定していない不備がある場合もあり、ある程度は実行上で何とかするのも大人の知恵ではないかとも思います。
いずれにせよ、中央銀行の独立性を無条件で前提するよりも、いろんな議論が交わされて、哲学的・神学的な前提を排除して、何が国民経済のためにベストか、との実践的な結論が得られればすばらしいと思います。

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