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2006年1月16日 (月)

チリの大統領選挙の決選投票

チリの大統領選挙の決選投票の結果が出ました。与党コンセルタシオンのバチェレ女史がピニェラ候補を抑えて当選だそうです。これで、ピノチェット軍事政権から1990年に民政移管してから4代続けて反ピノチェット派の現与党コンセルタシオンからの大統領となります。
1973年にアジェンデ社会主義政権をグーデタで倒して大統領となったピノチェット将軍が1990年にチリ大統領を退く際に、チリではキリスト教民主党(PDC)、社会党(PS)、民主主義のための政党(PPD)が中心となって与党連合コンセルタシオンを結成し、チリ大学のエイルウィン教授(当時)を大統領の統一候補を立てました。なお、コンセルタシオンとは統一とか、調和とかの意味です。民政移管後最初の大統領選挙でキリスト教民主党のエイルウィン元大統領が当選し、私が在チリ大使館に赴任した時はエイルウィン政権のころでした。1993年にも大統領選挙があり、ここでは同じキリスト教民主党のフレイ前大統領が当選しています。その後、社会党から民主主義のための政党に移ったラゴス現大統領に続いて、社会党のバチェレ女史はコンセルタシオン4代目の大統領となります。大統領就任は3月だったと思います。
チリは言うまでもなくラテンの国で、ラテンはマッチョの国です。つまり、男尊女卑です。本国のスペインよりも中年米の方がマッチョの度合いが強いと言われます。チリやアルゼンティンはそうでもないのですが、スペイン人と現地インディオとの混血が進んだ国では、要するに、大昔は、父親がスペイン人、母親がインディオとの組合せが一般的だったわけですから、中南米では人種差別も加わって、底流はとても男尊女卑です。その裏返しに中世的な騎士精神の発露だと思うのですが、男性は女性に対してとても慇懃に振舞わねばなりません。エレベーターの乗り降りなどでもレディファーストは絶対です。
そのようなマッチョのラテンの国で女性が大統領になったのですから、私は大いに驚いています。決選投票前の段階でバチェレ女史は圧倒的に有利と言われながら過半数を制することができずに、結局、ピノチェット派の大番頭格のピニェラ候補との決選投票にもつれ込んだ時点では、コンセルタシオンの勝利を危ぶむ声もあったと聞きます。私の大使館時代のローカルスタッフはそのようなことをクリスマスカードに書いて送ってきたりしました。
コンセルタシオンのバチェレ女史が危ないといわれて、決選投票にもつれ込んだのは、テレビ討論会でさえなかったからだといいます。私もピニェラ候補は会ったことがありますが、とても美男子で話し方も物腰もソフトで好感の持てる人物です。ハッキリいって、見た目だけで判断するとピニェラ候補の方がカッコいいです。バチェレ女史は前の国防大臣だそうで、大使館の経済アタッシェだった私とは接点がなく、私はバチェレ女史に会ったことはないのですが、インターネットや新聞で見る限り、普通のおばちゃんに見えました。もっとも、私がいた時のインドネシアの大統領だったメガワティ前大統領も普通のおばちゃんでした。さらにいえば、バチェレ女史の以前のコンセルタシオンからの大統領3人、つまり、エイルウィン元大統領、フレイ前大統領、ラゴス現大統領はこの順番で美男子である度合いがだんだんと落ちてきているように思います。中南米では見た目がいいことはとても重要なんです。しかし、逆にいえば、そのようなマッチョの国で、大して見てくれもよくないバチェレ女史が大統領に当選したのは、それだけ実力があるというか、与党コンセルタシオンが高い支持を得ている証拠だと思います。
1994年3月の当時のフレイ大統領の就任式は私もテレビで見ていました。最高裁長官に向かって宣誓し、大統領就任を告げられて大歓声に応える姿は感動的でした。大使館のオフィスのテレビにも人だかりができ、感激して涙ぐむ女性のローカルスタッフもいました。

バチェレ女史の下でチリがどのような発展を遂げるのか、私も興味を持って見ていきたいと思います。

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