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2006年2月28日 (火)

プラズマジムの登録完了

12月に我が家で開催したポケモン・カードゲームのジム戦がポケモンカードゲーム・プレイヤーズ事務局に認められ、プラズマジムとして登録されていました。1月に認定されていたことになっていました。主たる活動地域は千葉県松戸市となっています。当然です。昨夜、ポケモンカードゲーム・プレイヤーズのオフィシャルサイトを見て、何と、初めて知りました。事務局からは何のお知らせもありませんでした。自己責任で自らプレイヤーズ事務局のホームページを確認する必要があるのでしょう。

プラズマジム

上の画像は事務局のサイトに掲載されていたのをキャプチャしたものです。私を中心に、向かって左側がおにいちゃんで、右側がおとうとの下の子です。今のところ、ジムメンバーはこの3人だけです。もちろん、3人ともポケモンカードゲーム・プレイヤーズの会員で、ちゃんと登録してあります。

我が家のプラズマジムを認定をしていただいたお礼でもないのですが、ポケモンカードゲーム・プレイヤーズの宣伝をここでご紹介します。
プレイヤーズ登録は1年の期限で、明日の3月1日から第4期が始まります。ですから、第4期は来年の2月28日に終了します。どうしてこんなに中途半端な時期にしているのかはよく分かりません。
プレイヤーズ登録をするといくつかの特典があります。主なものは以下の通りです。
第1に、プレイヤーズIDが発行されて、このIDをプリントしたIDカードが届きます。カードそのものはペラペラで、大したカードではないのですがこのIDに経験値(EXP)が貯まっていきます。また、このIDがあると、我が家のようにジムを結成したり、ジム戦などのイベントを開催したりできます。我が家のようにジムを結成すると、ポケモンカードゲーム・プレイヤーズのオフィシャルサイトで写真入りで紹介してもらえたりします。
第2に、この経験値なんですが、ポケモンカードゲームを対戦したり、関連商品を買ったり、あるいは、オフィシャルイベントに参加したりすると、経験値(EXP)が貯まって、プレゼントカードをもらえたりします。経験値はプレイヤーズ事務局のオフィシャル・ホームページで確認できます。
第3に、年4回発行される情報誌の「プレイヤーズニュース」が届きます。我が家の子供達は毎回熟読しています。何かしらオマケもいっしょに送られてきます。もちろん、ポケモンがいっぱいです。
第4に、プレイヤーズ会員限定の通信販売があって、一般には売り出されていない商品を購入できるチャンスがあるそうです。我が家では使ったことがありませんが、ポケモンセンターオンラインで買い物をしたことはあります。
第5に、プレイヤーズ登録してIDを取得しておくと、ポケモンカードゲームの世界大会であるワールドチャンピオンシップに参加することができます。これは、3月のジム戦から始まって、延々と夏まで続くのだそうです。小学生を対象にしたジュニアリーグもあるんですが、我が家の子供達はポケモンカードゲームで対外的な対戦をするつもりはサラサラないようです。私はいいカードをそんなに持っていないので、出ても負けるに決まってますから出ません。

なお、登録料金については、ポケモンカードゲーム・プレイヤーズに新規登録する際は無料なんですが、我が家の場合は昨年夏の幕張メッセでのイベントからの登録ですので、第3次からの継続となり1人当たり500円の継続料が必要でした。コンビニでお支払いしました。ただし、この500円を払うと、一般には入手できないとてもめずらしいカードを送ってもらえたりします。自分の名前を書き込めたりします。でも、まだ我が家には届いていません。とても楽しみです。

来月にお引越ししたら、活動地域を千葉県松戸市から東京都港区に変更するよう、ポケモンカードゲーム・プレイヤーズ事務局に届けなくっちゃ、とプレイヤーズ事務局のホームページを見た下の子が言っていました。

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2006年2月27日 (月)

今春封切られる「県庁の星」と「ナルニア国物語」はヒットするか?

今さらですが、私はマンガをよく読みます。順不同で、ドカベン、じゃりんこチエ、パタリロ、日出処の天使、沈黙の艦隊、比較的新しくて今も続いているところでは、ゴルゴ13、総務部総務課山口六平太、美味しんぼ、大使閣下の料理人、課長から部長・取締役・常務まで続いている島耕作シリーズ、などなど読んできましたが、その他に読んでるのもあります。ドラゴン桜は読んでいる最中です。あぶさんは途中でヤメました。さすがに、週刊マンガ誌では読み切れずに、単行本になってから読んでいます。
この週末にはビッグコミック・スペリオールに連載中の「県庁の星」の第1巻が出ていたので拝見しました。スペリオールでは読んだことがなかったので、映画化もされたことだし、少し期待していたんですが、やや違うかなという気になりました。
2月25日に封切られる予定の映画ではK県となっているんですが、マンガでは舞台はY県です。ここは違いますが、県庁のキャリア職員がさえないスーパーに民間交流で派遣されるのは同じです。パート店員が教育係につくのも同じです。「県庁さん」と呼ばれる彼がスーパーではほとんど役に立たずに、お荷物扱いされるのも同じです。ただ、公務員志望の動機は同じなのか、違っているのか、よく分かりません。マンガでは製薬会社のサラリーマンの父親に遊んでもらえなくて、働かなくてもクビにならないのは公務員だけだと、母親からいわれたのが動機らしく書かれていますが、映画ではどう処理されているのか、よく知りません。まあ、大きな違いはないのでしょう。
「県庁の星」が映画ではマンガとはかなり違って作られていることでしょうし、キャスティングの妙味もあって、それなりにヒットするのかもしれませんが、マンガそのままだとあまりに平凡すぎるのではないかと危惧しています。県庁さんの教育係のパート店員さんは、ウラ店長と呼ばれている実力者で、ある意味でスーパーそのものを切り盛りしていて、県庁さんだけでなく、正社員というだけでパートさんよりいいお給料をもらっている店長やその他の正社員を揶揄する内容になっています。
映画としてヒットするための条件はいくつかありましょうが、マンガそのままだとストーリーも平凡で、「電車男」のような他に見られないエピソードも少なく、マンガ的な大げさな表現も実写の映画では無理があるでしょうから、いろいろと工夫を凝らさないと映画でヒットさせるのは難しそうな気もします。でもまあ、そこはプロが映画化しているんでしょうから、おもしろい映画に仕上げているのかもしれません。

それよりも、私がどうかと思っているのは「ナルニア国物語」です。ディズニーですから、それだけで見に行く人も多いのでしょうが、私の感覚からすれば、少しキリスト教色が強すぎるのではないかと心配しています。私が原作を読んだのはかなり前で、しかも、英語の原作を読みましたので、ほとんど忘却の彼方なのですが、それでも、仏教徒の私には違和感を覚える場面がかなりあったのを記憶しています。
ストーリーはご存知の通り、C.S.ルイスの原作で、第2次世界大戦中に英国の4人の兄弟姉妹が田舎に疎開して、衣装だんすからナルニア国に行って、白い魔女と戦ってナルニア国の冬を終わらせる、というものです。ちなみに、どうでもいいことですが、映画化されたのはこの「ナルニア国物語」の第1章で、タイトルは英語の原作では「ライオンと魔女と衣装だんす」となっていましたが、なぜか、日本で封切られるときには最後の衣装だんす(ワードローブ)が省略されています。なぜかは知りません。
たぶん、ディズニーのことですから、雪の映像はとてもきれいでしょうし、ストーリーも冒険性があってワクワクするものなのでしょうが、私がとても気になっているのは、善と悪とをとてもくっきりと描き出していて、そこに、キリスト教的な価値観がテンコ盛りになっていることです。欧米のキリスト教国では、おそらく、とても分かりやすくて、ひょっとしたら、子供達への教育的観点からも推奨される映画なのかもしれませんが、日本ではどうかね、という気になってしまいます。そもそも、4人の主人公の子供達がアダムの2人の男の子とイブの2人の女の子として登場しますし、4人の兄弟姉妹が圧倒的な善で、白い魔女が圧倒的な悪として描かれています。
まあ、ウルトラマンの善と怪獣の悪の対決のようなもんですから、それなりに日本人にも受け入れられる余地があるのかもしれませんが、それにしても、英語の原作を読んでいる限りでは、キリスト教色がとても強いように感じた記憶があります。日本の小学生にはアダムとイブといっても、何のことだか分からないのではないでしょうか。キリスト教的な考え方について、とてもいいものだと信じている親は、子供達にこの映画を見せるのかもしれませんが、クレヨンしんちゃんだったら目いっぱい文句を言いそうな気がしないでもありません。

我が家では春休み、夏休み、冬休みと、学期の間のお休みには、何かしら映画を見る習慣になっているのですが、この春休みにはドラえもんくらいでサラッと楽しんでおこうかと思っています。
関係者やファンの方には誠に申し訳ありませんが、「県庁の星」と「ナルニア国物語」はパスしようと思います。

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2006年2月26日 (日)

今日は雨のためクロノスで遊ぶ

今日は松戸では朝から1日中雨でした。
外に出かけるのが困難だったので、午前中に勉強を済ませた後、昼前にクロノスをインストールしました。2月半ばから無料になっていたのを知っていたので、私と子供達の3人分のIDを登録し、プログラムをダウンロードしてありましたので、今日はこれをインストールします。ただし、我が家のパソコンは古くてスペックがギリギリなので、インストーラはダメでした。zipファイルをダウンロードして解凍します。

一応、念のために簡単に解説しておきますと、クロノスは「眠らない大陸クロノス」と呼ばれ、2002年12月に韓国で正式にサービスが提供され始め、全世界で250万人を超える会員を擁する多人数同時参加型オンライン・ロールプレイングゲームです。それ以上のことはクロノスのホームページをご覧ください。

さすがにクロノスはかなり本格的なネットゲームで、画像などもとてもきれいです。その分、最初は小学生には難しいかと思いましたが、何とかおにいちゃんだけでなく、おとうとの下の子もプレーできています。難しいのはプレーそのものではなく、マシンのパワーが不足気味だということです。一応、CPUクロックやRAMなどのマシンのスペックは把握していますので、クロノスのホームページで必須スペックと推奨スペックを確認してあります。何とか必須のスペックはクリアしているんですが、推奨のスペックには達していません。子供達のゲーム専用マシンはOSもWindows XPではなく、Windows 2000です。しかし、我が家の古いパソコンが動作最低限のスペックに達していないことも往々にしてあることから、クロノスでは最低限のスペックをクリアしているので、私の目から見ると、たかがゲームでもありますし、これで十分だとついつい思ってしまいます。実際に、何とかプレーできています。
マシンが古いので、プレーは何とかできていますが、ゲームの立ち上がりなどがとても遅いです。これはADSLの速度が1.5MBPSと遅いせいもあります。古いマシンと速度の遅いADSLの組合せですから、ネットゲームをするには少しストレスがあります。でも、今日は雨の日曜日で、サーバの方も夕方からかなり混み合ってきたようですので、いろんな動作が遅くなるのも仕方がありません。もっとも、我が家の小学生は夜はプレーしませんが、夜になるともっと混み合うのかもしれません。いずれにせよ、少し前まで有料でお金を払ってしかプレーできなかった本格的なネットゲームが、無料で提供されているのですから、感謝して使わせていただいています。

下の写真はクロノスをプレーする子供達です。

クロノス  クロノス

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2006年2月25日 (土)

午前中はバドミントンで遊び、午後はムシキングで遊ぶ

今日は土曜日ですので、恒例により我が家のパソコンはウィルスチェックです。
今日はテコンドーのお稽古はお休みです。

朝のうち、子供達が勉強をしている間にウィルスチェックを始めます。その後、どうしても、おにいちゃんよりもおとうとの下の子の方が勉強が早く終わりますので、私が下の子のお相手をします。団地の公園でバドミントンで遊びます。我が家では女房が勉強の係で、私が遊びの係です。
少し風があったのでなかなかタイヘンでしたが、団地の公園でしっかりと遊びました。3年前まで住んでいたインドネシアはバドミントンの盛んな国だったので、我が家のバドミントンのセットはすべてジャカルタで買いました。子供達もそろそろバドミントンができる年齢に達していたこともあります。ラケットとともに、シャトルコックがメチャメチャ安く売っていたのを覚えています。でも、ジャカルタでも風の吹かない体育館でバドミントンをできるのは所得階層の高いところの人達に限られており、普通の子供達は原っぱでサッカーをしていたように記憶しています。
下の写真はバドミントンで遊ぶ下の子です。

バドミントン

午後からはおにいちゃんと外出しました。先週、おにいちゃんが小学校のクラスメートとカードの交換をして、ポケモンカードと交換でムシキングの金レアのタランドゥスツヤクワガタを手に入れたので、ムシキングでこれを試してみたくてしょうがないのです。私がワイシャツをクリーニング屋さんに持って行く時に、いっしょに自転車に乗ってついてきて、近くのスーパーでムシキングをしようとしたのですが、何と運の悪いことにマシンが故障中で遊べませんでした。クリーニング屋からいったん引き返してから、仕方がないので、松戸駅前に出てたっぷりとムシキングで遊びました。でも、いいカードは出なかったです。残念。
下の写真は自転車で出かける時のおにいちゃんです。

自転車のおにいちゃん

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2006年2月24日 (金)

オジサンはソーシャル・ネットワークサービスをどのように使っているか?

ソーシャル・ネットワークサービスというのがあります。SNSと省略することもあります。今週号のダイヤモンドで人脈特集が組まれていて、その中にも記事が出ていました。この記事を見たのかもしれませんが、最近、私に招待状を要求するメールを送りつけてきた友人もいました。そうなんです。GoogleのGMailと同じで、今では多くのSNSに加入するのには友人から招待状をもらわなければならないんです。なお、SNSでは、20代くらいからせいぜい30代までの若い人がほとんどで、私のように40歳を超えているオジサンはあまり見かけません。
私が加入しているのはmixiGREEの2つで、ほかにも入っていたのかもしれませんが、そちらではまったく活動していません。mixiとGREEのどちらも、一昨年2004年の2月か、3月か、4月くらいに募集を始め、そのころは会員数も少なかったので、招待状なしで申込みだけでいくらでも入れたと記憶しています。私はそのころに加入しています。初期の方の会員ですから、SNSでは割合とカッコいいニックネームをつけています。今では取れないのではないかと思っています。決して、ブログと同じ「吉岡家一同おとうさん」ではありません。

SNSで何をするのかといえば、私の場合なんですが、出身校のコミュニティに入ったり、本や映画のレビューを書いたり、ブログのアドレスを公開したりしています。以前にもこのブログに書きましたが、私は中高6年間一貫制の中学校と高校に通っていましたから、中学校の卒業生のコミュニティはありませんので、高校と大学、つまり、京都大学経済学部のコミュニティに参加しています。ひょっとしたら、出身校のコミュニティの中では最高齢者ではないかとおそれています。職場のコミュニティもできたような気がしますが、今は親元官庁を離れて出向中の身ですので参加していません。少なくとも、私が加入した2年前にはありませんでした。霞ヶ関官庁街のコミュニティも最近できて、私の知り合いが管理人をしたりしているんですが、これも今のところ参加を見合わせています。知り合いが管理人だからです。
また、本のレビューについては、友人から招待状要求があった直後に、アマゾンやブログで書いていたのを適当にアップしました。ブックレビューの数そのものはアマゾンよりもずっと多いので参考になる場合もあります。もちろん、失礼ながら、アマゾンほどは質は高くないように見受けられます。でも、とても正直に批判している、というか、文句をいっているレビューが少なからずありますので、それはそれで参考にしていいような気がします。
もちろん、人によってSNSの利用方法はさまざまで、私のように純粋にネット上のコミュニティとして利用している場合から、ほとんど出会い系と間違っているような人もいると聞きますし、堂々と商売をしてその秘訣までネット上で公開している人もいるらしいです。どちらにせよ、私のような中年はあまりいません。

私は国家公務員で職階は参事官ですから、mixiかGREEか、どちらか忘れましたが、少し前に「参事官」で検索をかけてみたことがあります。ご同輩がいっぱい出てくるとは思いませんでしたが、なんと、公明党の神崎代表がヒットしました。神崎代表は検事さんの出身で、法務省のなんとか参事官をやっていたのか、なんとか参事官室に勤務していたのか、すっかり忘れましたが、それでヒットしたのだと思います。ついでにいうと、神崎代表のお友達には共産党の志位委員長が登録されており、志位委員長のプロファイルを見に行くと、今度は、社民党の福島党首がお友達登録されていたりしたのを記憶しています。この3人とも東京大学のご出身ですから、仲がいいんでしょうか。通常国会が始まる前だったんで、のどかな雰囲気をかもし出していたのを記憶しています。なお、この部分ですが、公党の党首で完全に公人だと思いますので、私のブログのようなさえない場でもあり、実名そのままで出させていただいております。プライバシー上の観点から抗議があれば伏せ字にして対処します。もしも、抗議があるのならブログのコメントでお願いします。可及的速やかに伏せ字で対処し、コメントの方は削除させていただきます。

最後にお断りですが、mixiとGREEについては、私は知り合いしか招待しません。ですから、知らない方からの招待状の要求はほとんど無視しています。でも、GMailについては大量に招待状の枠を持たされていますので、このブログのコメントを書いて下さった方には招待状を差し上げます。ただし、今月いっぱいだけで、私の招待状の枠を使い切った時点で終了します。
GMailの招待状がほしい人は、コメントの中に必ずメールアドレスを入れておいて下さい。私の方から招待状をお送りした後にコメントは削除させていただきます。あるいは、メールアドレスが長らくWEB上にさらされるのが困る方は、ご自分で適当なタイミングで削除して下さい。すべては自己責任でお願いします。

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2006年2月23日 (木)

金融政策で注目すべき物価指標

今週月曜日の2月20日に、日銀のホームページから日銀レビューとして「金融政策の説明に使われている物価指数」というファイルをダウンロードして拝見しました。

この日銀レビューでは、物価指数として消費者物価指数、GDPデフレータ(あるいは、民間最終消費支出デフレータ)、企業物価指数を取り上げて、金融政策の指標とすべき物価指数は何であるべきかを論じています。原油価格高騰のあおりを受けてずっとプラスを続けている企業物価指数は別にして、現時点では、消費者物価がプラスに転じて、GDPデフレータはマイナスを続けているので、とてもタイムリーな問題提起だと思います。
基本的な議論はまっとうなもので、私も大いに賛同するところなのですが、もちろん、日銀が取り上げているのですから、それなりのバイアスがかかっています。現時点で、消費者物価が少しプラスに入ってきていて、GDPデフレータがマイナスのままですから、早く量的緩和やゼロ金利を解除して、フリーハンドを取り戻したい日銀は、少しでもプラスに入っている消費者物価が望ましいようなバイアスをかけて論じています。

日銀レビューで取り上げているGDPデフレータが消費者物価より望ましくない点として、第1に、輸入と輸入物価が控除されているため、原油価格の上昇などで輸入物価が上がっても、それがフルに転嫁されない限り、輸入物価の上昇とは裏腹にGDPデフレータは低下してしまう点です。これはその通りです。第2に、カバレッジからくる問題点として、GDPデフレータには政府消費が含まれており、これには公務員給与が占める割合が高くて、デフレが続いているので、人事院勧告で民間給与の下落を後追いしていたためにマイナスが続いているが、これをもって物価の傾向とするのは疑問、というものです。これまたごもっともです。第3に、GDPデフレータは四半期で作成されるデータですので発表が3ヶ月おきになってしまうことが上げられています。速報性がないわけです。これがもとっとも大きなGDPデフレータの弱点だろうと私は考えています。最後に第4点目として、事実として、GDPデフレータが改定の幅が大きいこともその通りです。1次速報、2次速報、さらに改定を重ねて確報となります。
ですから、GDPデフレータがリアルタイムに物価をモニターする指標として適さない可能性が高いことはごもっともです。金融政策のようなタイムスパンが比較的短い政策を機動的に運営するためにはGDPデフレータが適さないのは私も合意します。日銀レビューのご指摘の通りだと思います。私だけでなく、伊藤隆敏「デフレから復活へ」(東洋経済新報社)なんかでも同様の主張がなされています。

ただし、今回の日銀レビューでは取り上げていない点も重要です。もちろん、今回の日銀レビューの対象範囲外だったので、明示的に取り上げていないだけであって、日銀内では十分に認識されているのであって、故意に隠しているわけではないとは思いますが、次の2点は考慮に値するものと私は考えています。
第1に、GDPデフレータがパーシェ指数で下方バイアスがかかるのに対して、消費者物価はラスパイレス指数ですので上方バイアスがかかっていることです。エコノミストの間では少なくとも0.2-0.3%ポイント程度のバイアスがあるのではないかとの議論が見受けられます。
第2に、このような消費者物価のラスパイレス指数に基づく上方バイアスの大部分がこのなる8月の消費者物価指数の改定により取り除かれる可能性が高いことです。8月末の改定で今年4月の消費者物価にさかのぼって改定されます。2000年基準から2005年基準への改定です。ここで、0.2-0.3%ポイントのバイアスが取り除かれる可能性が高いといわれています。しかし、なぜか、最近になって、日銀はこの基準改定による下方修正の幅が小さい、あるいは、ほとんどないことを主張し始めています。これは私には謎です。ヘドニック方式による品質調整もありますし、現在の消費者物価指数はかなりの上方バイアスがあると考えるのが自然なのですが、それを否定する日銀の論調は不自然です。

日銀は早ければ3月にも量的緩和の解除に踏み切るとの市場の観測があります。私は銀行の流動性危機に対する量的緩和の役割は終わったと考えていますので、量的緩和そのものは解除しても経済への影響はほとんどないと予想していますが、その後の政策運営についてはやや心配しています。すなわち、金融政策については指標となるべき何かを提示し、市場の期待が流動化するのを防止すべきであるのに対して、日銀はあくまでフリーハンドに固執しすぎているように見えます。現状で、財政政策が財政赤字のためにやや引締め気味に運営される中、日銀があまりに前のめりになって、金融政策まで引締めに向かって舵を切るのは、やや時期が早いとの批判が生じるおそれがあるのではないか、と思えてなりません。
2000年夏に速水総裁当時の日銀が犯した過ちを、今の時点でもう一度繰り返さないように強く望みます。

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2006年2月22日 (水)

カーリングの映画に関するお詫びと修正

さきほどのブログで、カーリングの映画があったらいいのに、みたいなことを書きましたら、実はあるそうです
4年前のソルトレークシティ・オリンピックの際の日本代表の女子カーリングチームを題材にした「シムソンズ」というのが封切られているらしいです。加藤ローサ主演で、ほかに、星井七瀬、高橋真唯、藤井美菜の出演で、佐藤祐市監督作品らしいです。

知り合いから、早速、とてもキツい内容のメールをいただきました。キツいのは映画だけではなく、その人は「マスコミみたいにメダルばかりに目を向けるんじゃなく、メダルに向けて努力する過程が大事なんだ」との説でした。でも、そんな国民一般に見えない過程なんて、どこまで評価できるのか、私には分かりません。ですから、結果も出してほしいです。この点は修正しません。

ですから、修正を求めるコメントがつかないうちに、ブログのタイトル通りに、映画については、自らお詫びして訂正します
反省して、今後はよく調べて書くようにします。

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がんばれニッポン@トリノ・オリンピック

先日のブログでも書きましたが、トリノの日本勢が低調なようです。オリンピックの後半戦に入って、現時点ではまだメダルはありません。
昨夜、というか、今朝早朝未明のフィギュアスケート女子のショートプログラム(SP)で荒川選手が3位、村主選手が4位と健闘しています。これから24日早朝のフリーに臨み、メダルが期待されています。今日の夕刊には荒川選手の写真が大きく掲載されていました。まあ、逆にいえば、それくらいで、ほかはほとんどメダルの期待ができないということなんでしょう。
あんまり関係がなくて、いきなり脱線するんですが、今週号のアエラの表紙は、このフィギュアスケート女子の荒川選手でした。女性のアップの顔写真についてコメントする時は慎重であらねばならないのですが、さすがに坂田栄一郎さんだけあって、とてもよく撮れていました。あれだけのすばらしい表情を撮れるとは驚きました。今日の朝日新聞夕刊のセンターフォールドの写真とは大違いです。もちろん、フォトグラファーの置かれた条件も大違いなんでしょうが、今年1月20日のブログでも紹介しました通り、坂田栄一郎さんが昨年の写真界の賞を総なめにしたのもよく分かります。

もっとも、メダルとはあまり関係ないと考えられていたカーリング女子で、それなりの注目を集めて、少しずつでしょうが人気が出そうなのは、これからの競技の裾野を広げるためにはとてもいいことなのでしょう。メダルには結びつかなかったものの、オリンピック参加がこの競技に対して一定の役割を果たしたように思います。今回のトリノでの日本女子のカーリングでの活躍は、カルガリーでのジャマイカのボブスレーチームを思い起こさせます。ディズニーがクールランニングとして映画化したのはとても有名ですが、今回のトリノの日本女子のカーリングについても、何か物語に出来ないものなんでしょうか。私はクールランニングは2回も見ましたが、トリノのカーリング女子の日本勢の活躍も映画にでもなれば、ぜひとも見に行きたいと思います。
ヤなことをいわせてもらえば、もしも、もしもですよ、女子フィギュアスケートでメダルが取れなかったりしたら、今回のトリノ・オリンピックから帰ってくる選手団で、日本でもっとも歓迎されるのはこの女子カーリングの選手たちかもしれません。これまた、失礼ないい方なんですが、びっくりするほどすごい美人がいるわけでもないのに、日本に帰国したら大きな注目を集めることと思います。

オリンピックはよく「参加することに意義がある」といわれます。これは出場する選手にとってなんでしょう。オリンピックぐらいのハイレベルな競技会には出られるだけで大したもんだ、というのはよく分かるのですが、深夜までテレビにかじりついて応援している我々にとっては、それなりの成果も求めたいものです。
選手たちはよくやっているとの見方もできましょうし、アテネで調子に乗ってしまった国民の期待が大きすぎるとの意見もあるかもしれません。いろいろと不出来の原因はあるのでしょうが、私は選手や関係者を責めるつもりはありません。でも、小学生や中学生くらいまでであれば、よくがんばりました、で済ませて、努力したこと自体が賞賛の対象になるのかもしれませんが、日本の代表としてオリンピックに出場している選手たちですし、いい歳をした大人なんですから、それなりの結果を出さないと国民はソッポを向きかねません。失礼ながら、ベテランで中年に差しかかったオッサンがジャンプ競技のルールを知らずに失格なんて、怒り出す人がいてもおかしくありません。あんまりにも結果が低調だと、個々の競技にとっては、場合によってはなんですが、今回のトリノ・オリンピックへの参加がマイナス効果をもたらさないとも限りません。
もちろん、サッカーのワールドカップのように、つい最近まで出場すらかなわずに、出られるだけでも大きなニュースになったことも過去にはありましたが、経済大国ニッポンで世界的なスポーツの状況がいつまでもそんなことでは情けないような気がします。オリンピックもサッカーのワールドカップも、まさか金メダルをジャカスカ取ったり、ブラジルを破って優勝したりしないまでも、それなりに見せ場は欲しい、いい場面で感動したい、そして結果として、オリンピックの表彰式で日の丸が上がるのを見たい、などというのが大多数の国民の正直な気持ちではないでしょうか。

私はエコノミストですので、精神論をブチ上げたりするのは大嫌いですし、大上段に振りかぶってJOCなどのスポーツ界のおエラ方を批判したり責任追及したりはしたくありません。また、気のきいた強化策を具申したりする見識もありませんが、ニッポンの代表として世界の檜舞台のトリノ・オリンピックに送り出したのですから、メダルを取って表彰台に上がる日本選手が見たいと思います。コケたり、何か失敗したりする選手にため息をつくために深夜遅くまで起きてテレビを見ているわけではないのですよ。これが多くの国民の偽らざる心境だと思います。


がんばれニッポン

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2006年2月21日 (火)

就職シーズンにマーケット・エコノミストとアカデミック・エコノミストについて考える

何度も申し上げていますが、私はエコノミストを自称しています。
エコノミストも何種類かあり、典型的にはマーケット・エコノミストとアカデミック・エコノミストがいます。とてもシンプルにいうと、前者はシンクタンクや金融機関などに勤務していて経済指標を分析して、顧客にその情報を提供しています。なかなかの高給取りではないかと推測しています。お給料がいい分、とてもハードワークだと聞いたことがあります。後者は大学や大学院に勤務していて学生や院生に経済学を教えたり、レフェリー付きのジャーナルを読んだり、自分自身で投稿したりしています。お給料は普通のサラリーマンと大差ないと考えられます。時間的余裕も割合とあるようにうかがえます。大学教授、あるいは、助教授と呼ばれています。蛇足ですが、この両者の間にガバメント・エコノミストがいます。どちらにより近いかは業務の中身によります。官庁に勤めていて、官庁エコノミストとも呼ばれます。お給料は通常の公務員とまったく同じです。仕事はお給料の割にはやや多忙ではないかと思いますが、業務の内容や時期などにより一概にはいえません。
もちろん、ここでの両者のスケッチはかなりシンプルですので、マーケット・エコノミストがジャーナルを読まないとか、アカデミック・エコノミストは経済指標に興味がないとか、主張しているわけではありません。

どうして、このようなことを書いているのかというと、今日の帰り道で、電車に乗っている時に私は座っていたんですが、私の前に立った人が「社会人から大学教授になる方法」を読んでいたからです。確か、PHP新書ではなかったかと思います。確信はありません。
そこで考えたのですが、社会人から大学教授になるとすれば、割合とすんなりと理解できるのはメーカーなどの技術系の人が工学系の大学教授になる場合とマーケット・エコノミストが経済学系の大学教授になる場合ではないかと思います。そのほかにもいろいろとあるんでしょうが、すぐには思いつきません。
私の出身地の京都の島津製作所の技術者がノーベル賞をお取りになったのは余りにも有名ですし、シンクタンクや金融機関のマーケット・エコノミストからも何人か大学教授に転職している人を知っています。さらに、大学教授になってから手鏡事件でクビになった人もいたりします。もちろん、ガバメント・エコノミストから大学教授になった諸先輩も顔見知りの方はいっぱいいらっしゃいます。さらに、ガバメント・エコノミストからマーケット・エコノミストになった先輩もいらっしゃいます。

マーケット・エコノミストから大学教授になる最大の関門は所得が大幅にダウンすることではないかと勝手に想像しています。しかし、マーケット・エコノミストはとてもお給料がいいらしいので、黒木亮「巨大投資銀行」(ダイヤモンド)を読んだ時にもありましたが、ファックユー・マネーかそれに類する概念のお金を貯めてお辞めになる方も多いと聞きます。ファックユー・マネーとは辞める時に「くそくらえ」とでもいって辞めるインベストメント・バンカーがいるそうで、辞めても暮らしていけるだけのお金を貯められるそうです。マーメット・エコノミストとインベストメント・バンカーでは同じくらいのお給料をもらっているのではないかと、ガバメント・エコノミストを自称している私が勝手に想像しているだけですが、一応、こういった状況を想像させるに足る実例も知っています。私の先輩のガバメント・エコノミストが退職されてから、まあ、悪いいい方をすれば「天下り」したわけですが、マーケット・エコノミストになられたところ、バブル期の最後の方にお買いになった横浜のマンションから自由が丘の1戸建てと思しき住所に昨年引越しをされて、私にも転居のお知らせをいただいた記憶があるからです。

マーケット・エコノミストとアカデミック・エコノミストではお仕事の内容もかなり違うのでしょうが、永遠について回る謎は、忙しくてお給料がいい仕事を選ぶか、お給料はさほどでもないが時間的余裕がある職業にするかです。私は就職する際には、明らかに後者を選んだつもりだったのですが、若いころにはメチャメチャ働かねばならなかったころもあり、お給料との見合いでとても損だと感じたこともありました。最近、いい歳になって、ようやく、時間的な余裕もできてきた気がします。公務員については、かなり長い時間的視野でいろんなことを考慮に入れる必要がありそうな気がします。
卒業間近の大学生はもう就職が決まっている人も多いんでしょうが、4月に4年生になる大学生はこれからが就職シーズンの本番です。就職状況は売り手市場になりつつありますから、じっくりと、自分にあったいい職場を選んでください。

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2006年2月20日 (月)

とてもナチュラルな絲山秋子「沖で待つ」

今日は、仕事で帰りが遅くなったので、サラッと書評をひとつ。

先日、芥川賞を受賞した絲山秋子「沖で待つ」を一気に読みました。いつもの私の主張通りに文芸春秋の3月号で読みました。短編ですので、30分余りで読めました。
短編ながら、というか、短編であるがゆえに、というのもあるのでしょうが、とても自然ですんなりと入ってくる印象を持ちました。水に例えれば、何も入っていない純粋の水、といった感じです。もちろん、アルコールは入っていませんし、コーヒーや紅茶のようなものでもありません。甘味料の入ったジュースでもさらさらありません。ミネラル分をやけに強調したり、発泡したりしているミネラルウォーターでもありません。まあ、ミネラルウォーターに近いのでしょうが、純度が高くて混じり物のない水のような小説でした。かといって、決して今はやりの「癒し系」ではありません。これはとても完成度の高い小説なのです。

いろんなところで紹介されているので、いまさらとも思いますが、ストーリーは、主人公の総合職の女性が同期入社の男性と、先に死んだら残った方が死んだ方のパソコンのハードディスクを壊す約束をして、実際に不慮の死をとげた同期男性の同僚のパソコンのハードディスクを壊しにいく、というものです。

力が入っているわけではなく、かといって、脱力感を感じさせることもなく、かなり長い10年くらいの月日を淡々と書き進めています。決してミニマリスト的ではなく、必要な描写はしっかりとしています。結婚や転勤などのいろんなエピソードもとても自然です。特筆すべきは、福岡の支社に配属された主人公が女性の更衣室に入って行く時の、一般職で現地採用であろうと想像される女性たちの反応です。茶化したコミカルなものではなく、批判的でシニカルなものでもなく、とても自然にありそうな風景をさらっと描写しています。これだけの筆力を持っている作者に脱帽しました。
もちろん、同期入社の同僚男性との関係も同じことがいえます。友人でもなく、もちろん、恋人でもなく、会社の同期入社の同僚、以外には何とも表現できません。ちなみに、この男性は途中で結婚するのですから、なおさら、色恋沙汰の関係ではありえません。それでも、ハードディスクの破壊を相互に約束しあえる関係なのです。もちろん、そのためには部屋の鍵を送りあう必要があります。そこまでの信頼関係はあるわけです。
ですから、ストーリーも個人や情景の描写も、とても自然でナチュラルだと感じられます。芥川賞受賞作だから冒険談を期待する人はいないでしょうが、純文学のいいところが出ているような気がします。もっとも、直木賞受賞作にありがちなハラハラドキドキするような感情移入や一気のストーリー展開はありません。でも、読者がこうだろうと思う通りにコトは進んでいきます。そのストーリーとストーリーの描写が自然で美しいのです。
1日を終えて、静かな夜に1人でじっくりと読みたい小説です。しかし、「癒し系」ではないと重ねてお断りしておきたいですし、また、人によっては期待はずれと感じる人も少なくないような気がしますので、万人にお勧めできる小説ではありません。

文芸春秋の書評も面白かったです。前回の芥川賞では、昨年9月27日付けの私のブログでもご紹介しましたが、ほとんどの評者が否定的な見解を示していましたが、今回ははっきりと分かれました。新人の小説に未知の新しい戦慄を期待する石原慎太郎や読者の感情移入を重視する村上龍などは否定的な選評の代表格でした。宮本輝はこの作品を2回読むと2回目は印象が違う、と選評で書いていましたので、私も2回読みましたが、印象は変わりませんでした。不慮の死をとげた同期入社の同僚社員のハードディスクの中身が気になるとしていたのが高樹のぶ子で、逆に、ハードディスクに何が入っていたのかを考えることには意味がないと主張しているのが池澤夏樹でした。私は圧倒的に池澤夏樹に近いです。最後に、私に最も近かった評者は山田詠美で、「茫漠とした空気を正確に描くことに成功している」というものでした。まったく、その通りだと思います。

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2006年2月19日 (日)

着々と引越しの準備が進む

先日、引越し業者がカートンボックスを大量に持ち込んだのに加えて、女房がゴミで捨てたり、リサイクルに引き取ってもらったりする、まあ、ハッキリいえば、我が家の不用品を廊下に積み上げたりしています。
昨日も子供部屋の片付けなんぞをしていましたし、何だか、着々と引越しの準備が進んでいるようです。私は午前中は書の至宝展を見に上野に出ていましたし、腰痛持ちなのでひたすらサボっています。ジャカルタ往復の引越しを経験している女房は手抜かりはありません。私を当てにせずに1ヶ月も先の引越しがちゃんと進んでいて、とても頼もしく思います。

この分でいくと、私は引越しをお知らせするハガキの係だけで、引越し準備からは逃れられるのかもしれません。でも、我が夫婦間の力関係から推し量れば、多分、2-3日くらいは休暇を取って引越しに協力させられるのであろうと予感はしています。

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書の至宝展に感激

今日の午前中は、子供達を連れずに久し振りに1人で出かけて、上野の国立博物館で開催されている書の至宝展に行きました。中国の上海博物館や朝日新聞などの主催で開催されています。
我が家は朝日新聞をとっていますので、両陛下をはじめとする皇族方の宮さまが何人もご鑑賞にいらっしゃっている記事を数日おきくらいに拝見していましたし、私も少しの間ですが杉並に住んでいた時に書道を習っていたことがあるので、とても興味を持っていましたが、さすがに最終日の日曜日だったのですごい人出でした。朝早く出て、9時半開館の10分ほど前に着いたのですが、すでに入場待ちの長い列が出来ていました。もちろん、年齢層は高いです。私の視野に入る範囲で、平均年齢はラクに50歳は超えているように見受けられました。入ってからも混んでいて、子供達を連れてこなくてよかったと思ったほどです。

見所はたくさんあるのですが、私的には、王羲之を中心に北魏から初唐にかけての楷書、写経などの細楷、それと、平安期に確立した仮名、の3点です。そのほかに、篆書と隷書にもいいのがありましたが、私には十分な価値を見極める目があるかどうかの自信はありません。

まず、書といえば誰が何といっても王羲之です。唐の太宗がすべてお墓に持って行ってしまったので真筆は残されていませんが、模写したものからでさえすばらしさは伝わります。楷書ではありませんが、喪乱帖や孔侍中帖はすばらしいの一言です。それから、楷書では初唐の三大家の欧陽詢、虞世南、チョ遂良です。このあたりの人名は苦労して書いています。チョ遂良の「チョ」の字は出てきません。正しくは、衣へんにつくりは者に点を打った字です。ごカンベン下さい。
杉並に住んでいた当時に書道を習っていた先生は、欧陽詢をお手本にしていました。今日の書の至宝展でも拝見しましたが、九成宮醴泉銘をお手本に毎週お稽古をしていたのを思い出します。虞世南なんかも欧陽詢と同じ系列です。九成宮醴泉銘なんかは人間が書いたのかと不思議に思うくらいの完成度です。コンピュータを使ってCGかCADででも書いたのではないかと思うくらいの寸分も隙のない字体です。自分で書道のお手本にしていたのが恥ずかしくなるくらいでした。
ただし、初唐の楷書で顔真卿が欠けていました。欧陽詢や虞世南などの細身の楷書と違って、骨太でいかにも男らしい字体を見ることができなかったのは残念でした。何かの思惑があって入れていなかったのか。それとも、単純にモノがなかったのか。真相はわかりません。

それから、私は細楷も好きです。我が国の奈良時代に書かれた紫紙金字金光明最勝経は独特の字体でとても美しかったです。写経ですから、写経をしたことがある人はご存じでしょうが、各行きっちり17文字で書かれており、その様式美は何ともいい表せません。お経の有り難い内容がさらに有り難くなるような気がします。

最後の注目点は、何といっても我が国平安時代に確立した仮名書きです。当然ながら、小野道風に止めを刺します。秋萩帖も出展されていましたが、何といっても仮名書きの継色紙や升色紙です。誤解のないように申し上げておきますと、継色紙は小野道風ですが、升色紙は藤原行成ですので、念のため。しかし、しかしですよ、私の印象からすれば、お行儀のいい仮名ばっかりで、分かち書きなどの仮名独特の色紙は少なかったように思います。ずっと時代を下がって、江戸時代の松花堂昭乗の三十六歌仙帖の色紙にやや仮名独特の様式が見られただけです。小野道風が立てひざに口をあけて、狂ったように筆を握っている絵が残されていますが、こういった紙一重の天才の書ではなかったように思います。

これら3点の見所や注目点に加えて、2点ほど指摘しておきたいと思います。
まず、中国で皇帝制が確立したといわれる宋・明の時代の書で、特に宋なんですが、米フツや蔡襄の書で、陛下や聖慈などの皇帝を表す言葉や文字で上げ字をしていなかいことです。再び、フツの字が出ません。草かんむりに市と書きます。臣こそ小さい字で書いてありましたが、皇帝を表す字の上げ字をしていませんでした。清代になると皇帝を表す字は必ず2字上げて書いているのですが、このころまではそういった習慣がなかったのでしょうか。これは新発見でした。
もうひとつは、篆書と隷書です。こんなのが書けたらいいな、と思わせるような軸ものがいくつかありました。また、これと関連して、書の中に篆刻がいっぱい押してありましたが、篆刻専門の書家もいるくらいですから、篆刻の美しさに注目するのもアリかもしれません。

今日が最終日ですので、お勧めしても詮ないことかもしれませんが、日本と中国の書がこれほど一堂に会して拝見できる機会は余りないような気がしました。もっと早く行っておけばよかったと後悔しているほどです。たっぷりと2時間ほど拝見して、3000円のカタログを買い求め、マクドナルドで昼食の後、昼過ぎに松戸に戻りました。

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2006年2月18日 (土)

午前中の片付けの後、午後からはゲーム喫茶で遊ぶ

引越しまでにはまだ1ヶ月余りもあるのですが、今日の午前中は子供部屋の片付けをしました。机の上にポケモンカードが乱雑に散らかっていたのを整理し、少し幼児向けの絵本などを捨てました。もうすぐ4月には小学4年生と2年生になるのですから、絵本はそろそろ不要です。ただし、絵本のかわりにマンガが増えつつあります。これはこれで年齢相応なのでしょう。

午後からは松戸駅前のマンガ喫茶に遊びに行きました。おにいちゃんはゲームキューブを借りてソニックで遊び、おとうとの下の子はプレステ2を借りて桃太郎電鉄で遊びます。私は引越しに備えて、インターネット・プロバイダさんの引越しについて調べ物をしました。そうしたら、何と今の回線よりももっと速くて安いのがあるではありませんか。プロバイダさんのインフォメーションにメールを打って確認すると、今の1.5Mの2倍の3Mにすると、初期費用は数千円かかるものの、月額で数百円の節約が可能となるため、回線を今の時点で変更すると、年内には初期費用を回収できてしまいます。早速、家に帰ってホームページ上から変更手続きを取りました。

下の写真はお出かけの子供達です。

お出かけ

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2006年2月17日 (金)

2005年10-12月期の四半期別国内総生産統計の発表に見るデフレの現況

今日、内閣府から昨年2005年10-12月期の四半期別国内総生産の統計が発表されました。
前期比で1.4%成長、年率で5.5%成長でした。また、2005年暦年の実質成長率は2.8%でした。ただし、デフレータは引き続きマイナスを続けています。
早くも横道にそれるのですが、この四半期別国内総生産の統計はエコノミストの間ではQE(キューイー)と呼ばれています。なにを省略したものかについては諸説があり、Quick Estimationであるとか、Quarterly Estimationであるとか、いわれています。口の悪い人は精度が悪いことを取り上げて、Quick Errorともいいます。

さて、本題に戻ると、高成長を記録した要因は雇用者所得の伸びに支えられた個人消費の増加と円安を背景とする輸出の増加です。
夏のボーナスに続いて、冬もボーナスは好調で、雇用者所得がかなり伸びました。さらに、有効求人倍率の上昇に見られるように雇用情勢が好転し、消費者マインドも上向いています。これに加えて、今年の冬がとても寒かったため、衣料などの売上も増加しました。さらに、株式相場の上昇により資産効果も出始めているのではないかと考えられます。このため、個人消費は7-9月期の0.4%増から10-12月期には0.8%増に伸びを高めました。
民間住宅投資も1.9%増と伸びています。団塊ジュニアのマンション購入と都心での賃貸住宅の増加といわれていますが、耐震偽装問題から今年に入ってマンションの売上がやや伸び悩んでいるともいわれており、今後の動きは予断を許しません。
民間設備投資は2005年に入って増加を続けており、1-3月期3.9%、4-6月期2.4%、7-9月期1.8%、10-12月期1.7%と伸び率は鈍化していますが、引き続き高い伸びになっています。円安による輸出の伸びとデフレ予想の後退による先行き見通しの改善が主因です。マイナスを続けていて、10-12月期にはデフレータのマイナス幅が拡大したものの、方向としてはデフレータがじわじわとマイナス幅を小さくなる方向にあり、実質金利と資本コストが低下してきています。
政府消費と政府投資を合わせると、ほぼニュートラルな政策運営がなされているように見受けられます。
輸出入については円安から輸出が増加し、輸入が減少したため、外需が実質成長率をかなり押し上げる要因となっています。特に、輸出は円安に加えて、米国や中国の経済が好調を持続しており、実質輸出は2桁増となっています。輸入については円安と原油高から価格効果により減少したのではないかと考えられます。

マーケットは発表が予想通りだったので、ほとんど、反応らしい反応を見せませんでした。これだけの成長率になったにもかかわらず、東証の日経平均は330円ほど下げました。

トピックとしてはデフレータの動きが上げられます。成長率は7-9月期0.3%成長よりも10-12月期1.4%と大きく上向いているのですが、なぜかデフレータは-1.3%から-1.6%と下落幅を拡大しています。
2月2日のブログにも書きましたように、デフレが続いているかどうかは定義の問題に帰着すると思うのですが、GDPベースのデフレギャップは今日の10-12月期の成長率を見る限り、完全に解消したと考えられます。成長率が上昇して、デフレギャップが解消したにもかかわらず、GDPデフレータが下げ幅を拡大しているのは、一見するとパズルのように見えます。
これに対して、原油高などの輸入物価の上昇が大きかったからであると説明されています。すなわち、国内総生産(GDP)の控除項目である輸入において大幅なデフレータの上昇があれば、逆に、輸入を控除した国内総生産ではデフレータが下がるように見えるからです。しかし、私はこれに対してやや疑問を持ちます。つまり、輸出入を除いた国内需要でもデフレータが下落幅を拡大しており、もっといえば、個人消費も民間設備投資も0.1ポイントながらデフレータが下げ幅を大きくしているからです。
これは基本的にはヘドニック・アプローチを取っているからであろうと考えられます。ヘドニック・アプローチとは、品質を考慮した価格を考えることです。例えば、性能を高めたパソコンが性能の低い旧来型のと同じ価格で売られていれば、性能を調整した価格が下がっていると考えるわけです。設備投資にはこの影響がかなり出ることは理解できますが、個人消費においてもデフレータの下げ幅を拡大しているのは少し理解に苦しみます。
ですから、これはパズルです。

繰り返しになりますが、デフレギャップは完全に解消したと考えられますが、何かよく分からないながらも、「物価の持続的な下落」と定義したデフレを脱却するには、いま少し時間が必要になるような気がします。もう一度明確な形でお断りしておきますが、私の直感的な印象です。竹中大臣の「デフレはしつこく続いている」とのコメントが正しいのかもしれません。

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再び子供の安全を守る

今夜は、朝一番に発表された昨年2005年10-12月期の国内総生産(GDP)の統計についてコメントしようと思っていたのですが、昼休みにNHKニュースを見てびっくりしました。
滋賀県長浜市で市立幼稚園に通う2人の園児が、付き添いをしていたお友達の母親に刺し殺された、とのニュースです。夕刊でも大きく報じられていました。衆議院予算委員会のライブドア集中審議が一気にかすんでしまいました。

これまたショックな事件でした。昨年2005年12月10日(土)に私の出身地の京都府宇治市で小学生が塾講師に刺し殺された事件もショックだったんですが、幼稚園の通園に輪番で付き添いをしていた母親に幼稚園児2人が刃物で刺し殺されるんですから、これまた、誰を信じていいのか分かりません。不審者から子供達を守るための付き添いの意味がまったくありません。近所の人や子供の同級生の親で顔見知りであっても、信頼して子供の安全を任せられないのでしょうか。
付き添いをしていたにもかかわらず、不審者や暴漢が襲ってきて、我が子を守ってくれなかった、力及ばず守り切れなかった、というのではありません。お互いの同意の下に輪番で子供の付き添いをお願いした同級生の親が2人の幼稚園児を合計20ヶ所も刺して殺して、そのあたりに投げ捨ててしまったんです。普通は刃物なんかない自動車の中ですから、何らかの計画性があったとしか考えられません。報道では犯人は中国籍とされており、日本名と中国名の両方が掲載されている夕刊もありました。日本語が十分でないために周囲になじめなかった、とも報道されていました。しかし、だからといって、幼稚園児を刺し殺すことはないでしょう。
まだ、事件の動機などが解明されたわけではありませんが、ほかの同じような事件も含めて、どうして、こうも短絡的な思考から小さな子供達が犠牲にされなければならないのでしょうか。今日の事件だけでなく、小学生や幼稚園児が犠牲になったいくつかの事件について、私は強い怒りを感じます。それとともに、今回の事件については深い絶望感にも襲われます。

どのようにして我が子を犯罪から守ればいいのでしょうか?

途方にくれてばかりはいられません。我が家では、危ないと思ったら、大声で助けを求めて逃げる、これを徹底したいと思います。我が家の子供達は小学生になっていますし、男の子ですので、まず、自分の身は自分で守るとの意識を高め、そして、私も力いっぱい子供達の安全を守りたいと思います。

少し興奮しているかもしれませんので、GDP統計については、別途、このブログで取り上げたいと思います。

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2006年2月16日 (木)

エレガントな論理構成

私はエレガントな論理構成が好きです。また、何度か表明してきましたが、私はエコノミストを自称しています。いうまでもありませんが、エコノミストは経済学がフィールドです。経済学は科学であり、すべからく科学というものは、自然科学であれ、社会科学であれ、因果関係を解明するものとされています。しかし、因果関係はいったいどのように流れているのか、やや分かりにくい場合があります。論理構成がエレガントでないからかもしれません。

勝ち組と負け組、下流社会などの言葉がはやってから久しいですが、例えば、三浦展「下流社会」(光文社新書)では、コミュニケーション能力の不足を下流社会の特徴であると解説される場合があり、酒井順子「負け犬の遠吠え」(講談社)では、ごく単純に子供のいる女性は勝ち組とされていたりします。ただし、私は後者の本は読んでいませんので、巷間いわれていることを理解しているだけです。
ここで、コミュニケーション力がないのが下流社会の原因であると考えるのは、それなりに理解できるところですが、子供がいるのが勝ち組の原因とはいい切れないように思います。勝ち組だから子供を作れる、ということも可能だからです。論理構成のエレガントさと関係しているように見受けられます。

エコノミストからすれば、景気が悪ければ政府が公共投資を増やす、とか、インフレを抑制するためには中央銀行が金利を引き上げる、などの経済への何らかの影響を行使するための政策対応は、十分に因果関係を分析しやすく、ある意味で当然のように見えますが、これは論理構成がエレガントだからだと思います。しかし、経済現象以外については私もよく分からない部分があります。
例えば、よくひきあいに出される三段論法で、「風が吹けば、桶屋がもうかる」というのがあります。これは、私が落語で聞いて理解した範囲では、春風が吹けば砂が舞い飛んで、それが目に入ると目をこすってはやり病になって、結局、失明してしまい、昔のことですから、失明した人は三味線を持って門づけをすることになり、三味線を作るためにネコが捕まえられて、その結果、ネズミが増えて桶をかじってダメにし、最終的に桶屋がもうかる、という論理構成になっています。落語ではこれを八っつぁんと熊さんが面白おかしくやり取りします。トンデモ論法と見なされていて、エレガントな論理構成とは余り見なされていないような気がします。
もっと大マジメにはバタフライ効果があります。これは、一言でいうと、「北京でチョウが羽ばたくとニューヨークに嵐が起きる」というものです。これはトンデモ論法ではなく、学問的に確立された理論です。ある時、マサチューセッツ工科大学(MIT)の気象学研究室で実際にあった出来事がもとになっています。すなわち、コンピュータによる気象シミュレーションを行っていたところ、研究者がコーヒーブレイクに席を立ったほんの小1時間の間に、コーヒーブレイク前に入力した初期値からは想像できないほどの計算結果がもたらされていたというのです。わずか1000分の1に満たない誤差が、計算の進行とともに予想もできないほど大きく増幅されてしまったのです。この誤差が増幅された理由は「式が非線形であること」、そして「式に代入を繰り返したこと」であると考えられています。先ほどの「北京でチョウが羽ばたくとニューヨークに嵐が起きる」の中の、1000分の1の誤差が「北京でチョウが羽ばたく」であり、「ニューヨークで嵐が起きる」との大きく増幅された結果になるわけです。これはそれなりにエレガントな論理構成だと思います。

エレガントな論理構成をもっともエレガントに表現したのが微分方程式だと私は思っています。歴史や人生は確率的なシフトをしながら微分方程式に沿って運動している、と以前のパングロシアン・エコノミストを取り上げた今年1月26日のブログでも書いたことがありますし、30歳になったばかりの若いころには、「経済学とは微分方程式を解くことである」とうそぶいていたこともあります。計量経済モデルは微分方程式の連立方程式体系にほかならないからです。でも、今ではそれだけが経済学ではないと、もう少し幅を持って考えられるようになっています。
また、実際には、微分方程式は解けないのがほとんどですから、結局、再帰的(リカーシブ)に解くことになり、微分方程式体系としてはエレガントなのかもしれませんが、解き方は決してエレガントではありません。このあたりが経済学のうっとおしいところかもしれません。
何だか、今夜は支離滅裂で、エレガントなブログにはなりませんでした。

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2006年2月15日 (水)

子供の寝相の悪さから教育問題の一端を考える

我が家の2人の男の子はとても寝相が悪いです。
主として幼児期にジャカルタのだだっ広い家で、大きなベッドに好き勝手な格好で寝ていたことに由来するのではないかと勝手に想像しています。ジャカルタのころのアパートは250平米くらいあり、寝室だけでもラクに60平米くらいはありました。杉並に住んでいた時は60平米足らずの宿舎でしたので、ジャカルタに赴任した時には大いに感激したものです。
ジャカルタは赤道直下で熱帯です。最低気温は年中27-8度で文字通り熱帯夜です。エアコンをかけなければ寝苦しくてたまりません。逆に、エアコンの温度設定を適当に操作すると、布団やタオルケットなどを何もかけなくても、ベッドにゴロリと横になって快適に眠れたりします。ですから、我が家では大家さんに大きなベッドを要求して、布団やタオルケットなどはかけたとしても余り頼りにせずにベッドにゴロゴロと寝る生活を3年間してきました。我が家の子供達の幼児期です。要するに、半そでのパジャマで大きなベッドの上で、自由にゴロゴロできる生活だった訳です。これが寝相の悪い原因ではないかと思います。
ついでにいえば、ジャカルタではお風呂から上がって裸でいても風邪をひくようなこともありません。日本の冬では、こんなことをすればすぐに風邪をひいてしまいます。最近の住宅は暖かいのでいいのでしょうが、私が小さかったころは風呂上りに湯冷めをしないように、と盛んに注意されたものです。我が家の子供達はここでもジャカルタ方式から脱却できていません。

しかし、春休みに引越しをした後は、子供達それぞれに勉強部屋を与え、ゆくゆくは子供部屋で寝かせようとしているのですから、寝相が悪いととても心配です。ベッドから落ちて怪我をするとまでは思いませんが、布団を蹴り飛ばして風邪をひいたりするとバカバカしいです。今から寝相をよくしておこうとは思うのですが、上のおにいちゃんなんかにいわせると、寝ているのだからそんなことは分からないといいます。これももっともです。私もどうすればいいのか、さっぱり分かりません。徳川慶喜が小さいころは寝相が悪くて、水戸の実家では慶喜の周囲にかみそりを立てて、寝相をよくしないとケガをするぞと脅しつけたとのエピソードも知ってはいますが、我が家の子供達にそんなことをするつもりは毛頭ありません。実は、私自身はとても寝相がよかったりします。結婚当初は女房がびっくりしていましたから。

そこで考えたのですが、寝相をよくしてから子供部屋で寝かせるようにするか、一定の時期がきたら自動的に子供部屋で寝かせるようにして、子供部屋で1人で寝るのだから寝相がよくなるように仕向けるか、どちらがいいのでしょうか。これは、よーく考えました。
結論として、教育的観点からは、寝相をよくするためには子供部屋に1人で寝かせるべきであり、寝相をよくしてから子供部屋に1人で寝かせるのでは段取りがよくないのではないか、というものです。すなわち、学習効果の確認ではないのですから、寝相のような生活習慣については、一定の年齢に達すると、一定の生活習慣を身につけるべきであると考えて実行すべきではないかと考える次第です。
政府においても、猪口大臣が「待ち組」なる言葉をひねり出して、「負け組」は積極的にチャレンジした結果だからと持ち上げ、フリーターやニートを「待ち組」と表現して反省すべき、といった発言をしたそうです。私はこれには大いに疑問を持っています。フリーターやニートは好んでそうしている人もいるのでしょうが、学校を卒業したのが超氷河期だったりして、運が悪かった人も多いと思うからです。
しかし、確かに、好んで待つことについて、これがよくないことについては私も同意します。ですから、我が家でも、ある時期が来れば、子供達の寝相がよくなる前であったとしても、子供部屋で1人で寝かせようと考えています。結局、そうした方が寝相をよくする早道だと思うからです。
ショボくはありますが、これもひとつの挑戦です。

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2006年2月14日 (火)

トリノ・オリンピックの日本勢のメダルは低調

ようやく風邪が治って体調が回復してきたので、少しテレビでオリンピックを見たりしているんですが、トリノの日本勢がどうもさえないようです。なかなかメダルに手が届きません。
しかし、しかしですよ、今日の朝日新聞夕刊を見てびっくりしました。素粒子なる1面のコラムに、「トリノから相次ぐ悲報」とありました。悲報ですよ、悲報

「新聞は社会の木鐸」とはよくいったものですが、いったい、何を考えているんでしょうか。それとも単に日本語を知らかったり、勘違いしているだけなんでしょうか。もう少し考えて書けばいいのにと思いました。

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社員持ち株会とリスクの分散

今日のランチで、自社株を買って数百万円を損した、という方とお話をする機会がありました。会社四季報などを見ると、確かに、大企業の中にも上位10位までの大株主に社員の持ち株会が名を連ねているところが散見されます。
そのランチの場でも申し上げたのですが、私は、この社員持ち株会がとても不思議です。なぜなら、リスクがまったく分散されていないからです。すなわち、会社の業績は強く正の相関を持って社員のボーナスと株価に表れるのではないかと思うからです。会社の業績が下向きになれば、ボーナスの伸びが鈍化するか、そもそもボーナスが減少したりする一方で、株価もボーナスと同じ下方向に動く可能性が高いと思われます。逆は逆で、会社の業績とともに一蓮托生で、浮き沈みが激しくなる可能性が高いわけです。
これを防ごうと思えば、資産運用は会社の業績と逆相関を持つ資産で行うべきであると考えられます。例えば、コカコーラの社員はペプシコーラの株を持つとか、日立の社員は東芝の株で運用するとか、あるいは、全然違う業界の株を持った方が資産運用リスクは分散されます。

しかしながら、実際に、自社の株式を保有していることは愛社精神の発露として、おそらくは、それなりに賞賛されるべきでしょうが、同業のライバル社の株式を保有するのは、やや精神的に圧迫感を持つことになりかねません。ここのポイントは自分の所属する会社と逆の業績を上げるであろう企業の株式を保有する、ということです。コカコーラとペプシコーラの業績は、コーラの売上が変わらなくてゼロサムであれば、逆相関になると考えられますが、そもそもコーラの売上が落ちる局面では順相関になるとも考えられます。日立と東芝も同じです。
もちろん、資産運用については、リスクを分散させるのが重要とはいいつつも、1点買いですべての資産を集中運用することも考え方としては成り立ちます。鉄鋼王のカーネギーが「すべての卵をひとつのバスケットに入れてじっと見守る」といったのは有名な格言にもなっています。

ひるがえって、国家公務員が国債に投資するのはどのように考えるべきでしょうか。もしも、借金漬けになっている現在の国家財政が破綻したりすると、あくまで仮定のお話なんですが、国家財政が破綻したりすると、我々国家公務員のお給料は支払われなくなるかもしれません。もちろん、国債の償還もできなくなる可能性もあります。ひょっとしたら、貸与されている宿舎からも追い出されるかもしれません。追い出されないまでも、グンと家賃が上がったりする可能性もあります。
経済大国ニッポンでそのようなことが起こる可能性はとても小さいと思いますし、見通しうる近い将来にこのようなことが起こる可能性はほぼゼロだと考えられますが、歴史的・地理的に視野を広げると、いくつかの国で政府が借金を返せなくなった例は過去にないわけではありません。日本もとっても遠い将来であれば、そのようにならないとも限りません。

やっぱり、人的資本に投資するのが、リターンの面からも、リスクの面からも、合理的な選択なのだろうか、と、我が子を見つめる親バカの我が家です。

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2006年2月13日 (月)

吉岡家一同の都心回帰プロジェクト始動

昨年11月ころから、いろいろと考えた末に、結局、松戸から引っ越すことにしました。
そこで、まず、都内回帰と考えました。結婚して、子供達が生まれたのは杉並に住んでいた時でしたので、中野区・杉並区・世田谷区・目黒区あたりで探し始めたのですが、昨年、職階のランクが上がって、幹部用の宿舎が選べるようになりましたので、都内なんてケチなことは言わずに、一気に都心を目指すことにしました。今まで杉並で一家をなしたことはありますが、都心に住んだことはありません。ですから、正しく言おうとすれば、「都内回帰」か「都心進出」であって、「都心回帰」は歴史的・論理的にはおかしいのですが、そこは不動産業界の慣例に従ってやや誇張された表現を取っています。

引越し先でもっとも重視したのは子供達の待遇で、子供達に独立した勉強部屋を与えることでした。そもそもこれが引越しを考え始めた動機でした。別に、松戸市の今の小学校を気に入らないというわけではなく、小学校なんて全国どこでも大差ないとは思いますし、引越し先でも一番近くの区立の小学校に入れるつもりですが、部屋だけは与えてやりたいと思いました。今度の住宅は少し広いので、子供達に1部屋ずつ勉強部屋を与えることができます。間取りも重要な要素でした。今は川の字でみんなでいっしょの部屋に寝ていますが、ゆくゆくは子供部屋で寝かせることも十分可能です。

それから、定義の問題ではありますが、無理やりに名付けた都心回帰ですから、都心でなければ矛盾を生じます。ここで横浜だったりしたら都心回帰どころか、都内回帰にすらなりません。ですから、都心として都内3区を目指しました。つまり、千代田区・中央区・港区のいずれかです。実は、都心ではなく、先ほど申し上げたような中野区・杉並区・世田谷区・目黒区あたりの方がお家賃との関係では望ましかったりしたのですが、結局、港区で決まりました。もちろん、私の通勤にも便利です。

もっとも心配だったのは、都心ですから家賃だけでなく、生活費が高いのではないか、というもので、これはハッキリいってまだ解決されていません。私は公務員ですから、歩合制のお給料をもらっているわけではなく、仕事をうんとがんばればお給料が増えるような仕組みはほとんど皆無です。もう管理職になっていますので、残業代も出ません。もちろん、アルバイトも許されません。それどころか、名目上は通勤費が減るのでお給料が減ってしまう可能性すらあります。実質上は変わりありませんが、名目上ではそうなります。都心に引っ越したが故に、チマチマしたケチい生活を送らねばならない可能性もありますが、松戸でもケチい生活を送っていたので、そんなに変わりはないと高をくくっています。特に、自動車については完全に諦めました。生活費が上昇する上に、交通の便のいい場所に引っ越すのですから、自動車購入は遠い先の話となってしまいました。

今日、子供達に持たせた小学校の連絡帳にも引越しの旨を書いて担任の先生方にお知らせし、午前中に引越し業者さんに見積もりに来てもらいました。見積もりはもう何社かくるようです。
春休みの引越しに向けて我が家の大プロジェクトのスタートです。

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2006年2月12日 (日)

今日の活動は低調ながら、オペラのアルバムは完成

熱こそないものの、どうも風邪気味で、しかも、私だけでなく、おにいちゃんまでが風邪をひいてしまったために、今日の我が家はどこにも出かけずに家でゴロゴロしていました。しかしながら、おとうとの下の子は元気いっぱいで、なぜか、女房も家の中の片付けとゴミ捨てに熱心に取り組んでいました。普段はサボりっ放しなのですが、そろそろ片付けを始めねば春休みに間に合わないと思ったのでしょう。

私は鼻水も止まり、家でオンラインアルバムの構築にいそしみました。何とかオペラが提供しているオンラインアルバムを完成することができました。おすすめリンクにもリンクを掲載しておきましたが、ここにもあります。コメントはオペラ会員からしか受け付けないので、スパムコメントを防ぐには効果的なような気がします。よく考えてあるものです。日本のブログも会員がログインした状態からしかコメントやトラックバックをできないようにすれば、スパムの発出に対して抑止力があるように思います。私はスパムから逃れるために何度かブログのアドレス変更を余儀なくされましたので、実効力あるスパム防止策が取られるように希望しています。
なお、オペラのマイページではブログなども可能なようなんですが、私はアルバムだけを使わせてもらっています。300MBの容量が使えるので、我が家のように100MBを軽く超えて写真の手持ちが多い一家でも安心です。

もちろん、子供達のお相手もします。最近、おにいちゃんは小学校のクラスメートとスタンダードデッキによるポケモン・カードゲームで遊んでいるそうなので、私もにわか仕込みでスタンダードデッキを作って、おにいちゃんとポケモン・カードゲームをしました。我が家では今まで30枚のカードからなるハーフデッキでのゲームばっかりだったのですが、おにいちゃんのクラスメートで気前よくおにいちゃんや下の子とポケモンカードの交換をしてくれるお友達がスタンダードデッキでポケモン・カードゲームをするらしいのです。スタンダードデッキはハーフデッキの倍で60枚のカードで構成します。サイドは3枚ではなく6枚おきます。その他はハーフデッキ戦と同じです。
下の写真はスタンダードデッキで私と対戦するおにいちゃんです。2勝1敗でおにいちゃんが勝ちました。

スタンダードデッキ戦

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2006年2月11日 (土)

綾瀬のテコンドー教室の後、青山のTEPIAプラザでロボット解体ライブ

今日は土曜日なので、綾瀬小学校でテコンドー教室のお稽古がありました。女房が子供達を連れて行きます。
私は毎週土曜のパソコンのウィルスチェックを始めて、ワイシャツをクリーニングに出したりした後、いつもの通り、昼食から参加します。たまごっちを持って行くのも重要な役目です。
昼食は今日も綾瀬駅前のマクドナルドでした。オマケは適当なのをもらいます。ポケモンカードももらいます。それから、今日は、スクラッチで下の子がポケモンカードのミニカードホルダーを当てました。やっぱり、くじ運がいいのでしょう。

午後からは機械産業記念財団が青山に持っているTEPIAプラザでロボット解体ライブを見てきました。千葉工業大学未来ロボット技術研究センターの古田所長による1時間ほどの講演会で、最先端ヒューマノイドロボットmorph3を解体しながらロボットについて解説していくものです。
少し遅れていったのでいい席がなく、女房と下の子がいっしょに並べただけで、家族4人がほとんどバラバラに座りました。その位置関係が微妙だったため、おにいちゃんはロボットに触れて面白かったといっていましたが、少し離れて座ってしまった下の子は触れませんでした。私はさらに別のところに座っていて、昨日からの風邪薬のために半分くらいは寝て過ごしました。

下の写真は夕方に団地に帰ってきた子供達です。青山から松戸に帰るには延々と電車に乗らねばならないので、首から提げたたまごっちがヒマつぶしとして重要です。

帰宅した子供達

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2006年2月10日 (金)

風邪をひいて眠い

風邪をひきました。インフルエンザではないようです。左の鼻が詰まってしまいました。熱はありません。先週末のWindowsの再インストールによる荒行がたたったのかもしれません。

今日の午前中に役所の地下にある医務室に行って薬をもらってきて飲んでいます。ごく一般的な総合感冒薬です。しかし、とても眠くなります。特に、昼食後に飲んだものですからたまりません。
午後は3時から、学部は違うんですが女房の出身大学の法学部の大先生に来ていただき、いろいろとお話を伺いました。大先生からお話を伺っているだけではとてもたまらなくなり、自分から話をし出さないと眠くてどうしようもありませんでした。特に、お話を聞き終わった後、大先生をご案内して部長の部屋に行ってご挨拶してもらっている時がとてもツラかったです。
確かに、風邪薬をもらう時に「眠くなっても大丈夫ですよね」とは注意されていたし、いつももらっている薬だから平気と思っていたのですが、今日はこれほどひどくなるとは想像していませんでした。それだけ睡眠を必要としているのかもしれません。

以前、ジャカルタに行く前に杉並に住んでいた時、やっぱり、猛烈な風邪をひいて医者に行き、薬では間に合わないからと、お尻に注射をされたことがありました。もう忘れましたが、どうしても役所に行かなければならない業務があったことだけは記憶しています。この時も猛烈に眠くなりました。電車を下りて歩いている時に、歩きながら寝そうになったのを覚えています。今日もそれに近いです。いつも飲んでいる薬なのに、体調によって作用が違ってくるのだと思います。
私はよほどのことがない限りお酒を飲まないのでいいのですが、チリに駐在していた時には、お酒を飲んで同時に風邪薬も飲み、とてもヘンになったこともあります。ラリッたような状態になり、強気に信号無視をしまくって車を運転していたことは記憶しています。外交官特権で捕まらなかったのが幸いです。

ということで、今日のブログは適当にごまかしてお終いにしてもう寝ます。

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2006年2月 9日 (木)

ガバナンスは閉じているか、発散しているか?

最近、久し振りに「パタリロ」を見る機会がありました。魔夜峰央作のマンガで、白泉社の「花とゆめ」に連載されていました。今でも時々番外編が出されたりしているようです。私はこの「パタリロ」全巻を持っていたのですが、ジャカルタから帰国する際に処分してしまいました。まあ、どうでもいいですが、少女マンガ雑誌に連載されていたので、男性で知っている人はかなりマニアックといえるかもしれません。
ちなみに、どんどん脱線していくと、私は山岸涼子さんの「日出処の天子」も持っていました。聖徳太子をテーマにしたマンガです。これも「花とゆめ」に連載されていたような気がします。もっとも、姉妹誌の「LaLa」だったかもしれません。ものすごくどうでもいいことです。脱線ついでに、「ドラゴン桜」も途中まで読み進んでいます。マンガであること以外に「パタリロ」や「日出処の天子」とは共通点はありません。

どうして「パタリロ」でガバナンスが始まるかというと、「パタリロ」で定番のギャグに、誰何のギャグがあります。すなわち、あるところでだれかがパタリロに出会うと、まず、出会った人が「お前は誰だ」とパタリロに誰何します。すると、パタリロが「お前は誰だというお前は誰だ」と聞き返し、さらに最初の人が「お前は誰だというお前は誰だというお前は誰だ」といい出し、さらにさらにで、パタリロが「お前は誰だというお前は誰だというお前は誰だというお前は誰だ」と応酬し、これが次々に繰り返されることになります。ガバナンスはコーポレート・ガバナンスにせよ、政府に対するガバナンスにせよ、誰かが誰かを監視し、それをまた監視し、という形で、これと似た連鎖があるわけです。
つまり、コーポレート・ガバナンスを例にすると、取締役を株主が直接的に監視できればベストなのですが、株主がとても多くて実際的でないとすれば、ガバナンスは発散します。つまり、責任の所在があいまいになります。発散しないようにすれば、株主に代わって取締役を監視する監視委員会制度を作れば、今度は、監視委員会を監視する制度が必要になります。「屋上屋を架す」という言葉がありますが、これを続けると、永遠に監視する連鎖が続くことになる可能性があるわけです。これも閉じていないという意味で発散と呼ぶべきでしょう。監視する人が多すぎて監視の実効がなくなったり、責任の所在があいまいになったりするのと、監視の連鎖が閉じていないのと、どちらも今夜のブログでは発散と呼んでいます。まあ、これは定義の問題です。企業だけでなく、政府を監視するガバナンス体制でも同じです。本来であれば、公務員レベルの政府を監視するのは政治家レベルの内閣であり、内閣は国会で選出された総理大臣が組閣することになっていて、国会は国民の直接投票で選ばれた国会議員から成り立っているわけですから、最終的な納税者、というか、主権を有する国民がガバナンスを閉じていなければなりませんが、国民一般が実際的にそんなことをできるわけもなく、実は、ガバナンスが発散している可能性があります。

企業においては、もっとも情報量が多くて、企業の実情をもっともよく知っているのは、取締役であろうと考えられています。日本的な企業のシステムからいえば、取締役はシニアの社員の中から選ばれるからです。米国のように取締役会がCEO以外はほとんど社外取締役から成立しているのとは違います。政府については、これがもっと顕著で、一昔前の言葉で言うと、高級官僚がもっとも実務に精通していて、もっとも多くの情報を有しています。ですから、企業にせよ、政府にせよ、これら組織の実情にもっとも精通している人達が、情報の非対称性を利用して本来の利害関係者をだます可能性があるわけです。取締役が株主をだまして、利益は上がらないが、自分の名声を高めるために巨大なモニュメントを建設したり、あるいは、高級官僚が自分自身や同僚の天下り先を確保するために税金で特殊法人を作ったりする可能性があるわけです。しかも、可能性だけでなく、実際にそのように行動することに経済合理性がある場合も少なくありません。
ですから、企業の取締役や政府の高級官僚を監視することがガバナンス上で大事なのですが、監視する主体によっては発散する可能性があります。例えば、ライブドアではホリエモン以外で大株主といえるのはフジテレビくらいで、過半数が個人投資家だったといわれていますが、これでは株主からの監視が発散する可能性が大きいといえます。日本の多くの企業は米国流のコーポレート・ガバナンスへのアンチテーゼとしてCSRを提唱し、株主以外の従業員や仕入れ先・販売先、はては事業所のある地域住民までをステークホルダーと捉えて、利害関係者をとても幅広く考える場合がありますが、これは意図的ではないかもしれませんが、ガバナンスを発散させる方向に話を持っていこうとしていると勘ぐられても仕方がありません。他方で、私が評価するのは、ストックオプションを取締役に与えることにより、取締役の利害を株主に近づける試みが広がっていることです。

しかしながら、高級官僚についてはこのストックオプションは使えません。私は少し前まで、政府に対するガバナンスを考える上で、パブリックの精神にあふれたNPOを重要なプレイヤーと見なしていましたが、よくよく考えると、NPOはガバナンスを閉じることはできません。そのNPOがちゃんと監視しているかどうかを監視・評価する体制が必要になる可能性があります。しかし、国会と投票を通じた国民を最終点とするガバナンスでは発散する可能性があります。
今年6月に取りまとめられる政府の歳出・歳入一体改革はエコノミストから見ると、とても重要なものなのですが、政府のサイズを決める上でガバナンスの持つ意味はとても重要です。政府が小さければガバナンスにかかるコストは小さいですが、政府が大きくなればなるほどガバナンスのコストはハネ上がります。ガバナンスを放置すればそのコストはさらに大きくなる可能性もあります。

もう少し時間もありますので、今後とも、もっとよく考えたいと思います。

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2006年2月 8日 (水)

アマゾンのレビューに投稿する

2月6日の月曜日に、黒木亮「巨大投資銀行」(ダイヤモンド)の読後感想文をこのブログに投稿しましたが、ついでに、アマゾンのレビューにも投稿してみました。掲載してくれるかどうかは4-5日で決めるそうです。
商業銀行と投資銀行のリスクの取り方の違いは、一般読者にはちょっと難しいかな?

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象徴について考える

昨日電話で連絡があって、今日の昼休みに修理を終えた結婚指輪を引き取ってきました。何だか、新品みたいにきれいになって、修理の最大の眼目であったサイズもちゃんと調整されて戻ってきました。
結婚指輪を修理に出してから、左手の薬指に少し違和感がありましたが、もちろん、それも解消しました。最近では、結婚指輪代わりには何もしていませんでしたから、ちゃんと指輪が戻ってきて助かりました。
結婚指輪は、もちろん、結婚の単なる象徴であり、夫婦間の愛情の深さを正確に反映しているわけではありません。結婚指輪をしている人は、していない人より特に夫婦の愛情が深いか、といわれれば、必ずしもそうとはいえないように思います。特に、男性の場合は結婚数年で指輪を外してしまう人が少なくないのも事実です。私くらいの年齢になると、結婚指輪を外していても、周囲の人々は特段の違和感を持たないでしょうし、ましてや、倫理的にいかがわしい目で見られることもありえません。職場や地域によっては結婚指輪をしている中年男性の方がめずらしい場合すらあるかもしれません。
しかし、そうはいっても象徴は象徴ですから、まったく意味がないわけでもありません。結婚指輪をしていることを周囲にアピールし、さらに、本人には、少なくとも、自分が結婚しているんだという自覚はより強くなるような気がします。このような人生でも重要なことを忘れるとはとても思えませんが。

ついでに、自覚を強めるという意味では社員章なんぞを背広につけるのもそうなんでしょう。私も会社の社員章について熟知しているわけではありませんが、三菱や住友くらい有名なら見れば分かります。ちなみに、役所でもシンボルマークやロゴのようなものを取り入れりるところも多くなってきており、私が8月まで在籍していた親元の出身省庁も、ほとんど知名度がなくて全く市民権をえていないシロモノでしたが、シンボルマークがありました。名刺に刷り込んだりしていたものです。しかし、出向している現在の役所ではそういったものはありません。もっとも、私が知らないだけかもしれませんが、少なくとも周囲の同僚で名刺にシンボルマークを入れている人はいないような気がします。

そこで、いよいよ本命の象徴ご一家についてです。ブログのタイトルを見て、どうしてなかなか出てこないんだろうとお考えの向きもあったかもしれませんが、いよいよ本論です。
昨日、秋篠宮妃殿下の紀子さまのご懐妊が宮内庁より発表されました。男のお子さまであれば皇室典範改正案はどうなるんだ、といつもの政府批判が出ています。今日の国会答弁で、小泉総理も軌道修正したように受け取る向きもあります。皇室典範改正案についての私の基本的な立場は少し前のブログにも書きました。エコノミストとして、ひたすら、もめないようにコトを運んでいただきたいと思うだけです。
しかし、エコノミストだから象徴ご一家については、何ら関係ないとも言い切れない可能性があります。例えば、昨日のご懐妊の発表とともにピジョンや和光堂などのベビー用品に関係する企業の株価が上昇したりしています。もしも、9月に男のお子さまがお生まれになったりすると、昨年の黒田さんと紀宮さまとのご結婚よりもさらに盛り上がって、一昔前の言葉で言えば「フィーバー」するかもしれません。象徴ご一家にとって、男のお子さまがお生まれになるのは40年振りだそうですから、エネルギーが溜まっている可能性は十分あります。そうはいっても、「フィーバー」する可能性はとても低いでしょう。ちなみに、我が阪神タイガースが1985年に21年ぶりのセリーグ優勝、日本一になった時には、それまで溜まりに溜まっていたエネルギーが一気に解放されて、たいへんな騒ぎになったことを覚えています。無視し得ない経済効果もあったような気がします。もっとも、蛇足ながら、阪神優勝がバブルの引き金になったと考えるエコノミストは誰もいません。さらに蛇足を続ければ、さすがにそうはいっても、象徴ご一家のお子さまの動向よりも、日銀の動向、すなわち、量的緩和の解除とか、ゼロ金利の解除の方が日本経済に与える影響は大きいに決まっています。

本当に、象徴ご一家に男の子がお生まれになると、どうなるんでしょうか。エコノミストとしてキャリアを積み上げてきただけに、こういった関係の知見が不足しているのを恥じるばかりです。

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おにいちゃんのたまごっちも無事に結婚

おとうとの下の子のたまごっちだけが先に結婚してしまい、おにいちゃんのたまごっちの行く末を心配していたのですが、今夜、私が帰宅した直後に、おにいちゃんのたまごっちにもおトキっちがお見合い相談に来てくれて、無事に結婚しました。すぐに子供も生まれました。
しかし、先に生まれた下の子の方の子供がくち属のオスだったのですが、心配した通り、今夜生まれたおにいちゃんの方の子供もめめ属のオスで、やっぱり、2代目もオスどうしで結婚できなくなってしまいました。

それでもおにいちゃんも下の子も明るく一所懸命にたまごっちを育てています。我が家は団地住まいを続けているのでペットが飼えないため、せめて、たまごっちで生命の尊さを学んでほしいと思います。

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2006年2月 7日 (火)

マクドナルド

我が家の子供達はマクドナルドのハンバーガーが大好きです。ついでにくれるハッピーセットのオマケをもらうのも大好きです。先週の土曜日もテコンドーのお稽古の後にマクドナルドで昼食にし、ポケモンカードのオマケををもらっていました。

エコノミストとして、日本を経済大国だと感じる根拠の一つはマクドナルドがあちこちにいっぱいあることです。確かに、リーズナブルな値段と完全にマニュアル化された均質な品質と店員さんの客対応とで、よくはやっているように見受けられます。日本では直営店とフランチャイズ店を合わせて3700余りのお店があるそうです。経済規模からして、東京だけで500店くらいあっても不思議ではありません。さすがは経済大国ニッポンの首都です。
ジャカルタにいたころにもマクドナルドにはしょっちゅう行きました。でも、家から近くにドライブスルーがあり、ジャカルタのマクドナルドの店内は清潔感が余りなかったので、お店で買ってきて家で食べることが多かったような気がします。子供達がいっしょについてきて、いつもオマケをせしめていました。
逆に、サンティアゴにいる時の思い出の一つは、マクドナルドがとても少なかったことです。私が赴任した時にはサンティアゴ市内に2店しかなく、私が帰国する直前に3店目が私のアパートの近くにできたことを記憶しています。チリは国内いっせいにお休みする日が年に2回ほどあり、デパートや商店街はいうに及ばず、レストランまでいっせいに閉店するのですが、なぜかマクドナルドだけは常に開店していて、昼も夜も外食に頼っていた独身時代の私の強い味方であったことを記憶しています。

マクドナルドといえば、今もやっているのかもしれませんが、毎年春に英国のエコノミスト誌が世界各地のビッグマック価格を調査して発表しています。物価水準の比較の一助になるものです。在チリ大使館から私が帰国する直前に電信官の同僚が香港に転勤になったのですが、その当時のビッグマック価格では香港はサンティアゴの4倍の値段がついており、転勤していく同僚が香港の物価の高さを気にしていたことを覚えています。

また、2年半ほど前に米国の首都のワシントンDCに出張した時にマクドナルドに入ると、店員さんはほとんで黒人だったのですが、オーダーの確認などをスペイン語でやっていたのをとても奇異に感じました。米国の首都で、米国大衆文化の象徴の一つとさえいう人もいるハンバーガーのマクドナルドでスペイン系の人が多いのか、と思ったからです。私もスペイン語が分かりますので思わずスペイン語で注文すると、「ひとつ」というのを「ウノ」といってしまい、ハンバーガーはスペイン語では女性名詞で「アンブルゲッサ」だから、「ウノ」ではなくて「ウナ」だと訂正されてしまいました。

現在、出向している役所は霞ヶ関付近の官庁街の中では、やや虎ノ門や新橋から距離があり、マクドナルドが近くにないのがとても残念です。

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たまごっちはお見合いを断れない

今日、家に帰ると大事件が起こっていました。
おとうとの下の子のたまごっちが、おにいちゃんのたまごっちとではなく、別のたまごっちと勝手に結婚してしまっていて、しかも、すでに子供までできていたのです。
どうやら真相は、昼間に子供達が小学校に行っている間に、下の子のたまごっちにおトキっちが訪問してきて、お見合いを勧めたので、女房が「はい」を押してお見合いさせたところ、そのまま結婚してしまったらしいです。
おにいちゃんのたまごっちとの熱愛を何とか続けさせて、結婚にもって行こうと腐心していた下の子はがっかりです。もちろん、おにいちゃんもがっかりです。
女房は子供達に平謝りに謝っていました。女房はたまごっちがお見合いしても断れると思っていたらしいんですが、たまごっちはお見合いをすれば断らずにそのまま結婚するそうです。私と同じように女房も結婚は遅いんで、それなりにお見合いはしてきているんだと思うんで、お見合いをしても断れると思っていたのはそれなりに同情の余地があります。
仕方がないので、おにいちゃんのたまごっちもおトキっちのお見合いのお勧めに従って結婚させ、次の2代目でふたたび結婚を目指すらしいですが、子供達の2代目が同性になってしまえば、結婚は不可能です。しかし、たまごっちは15歳を過ぎると老後に入ってしまいますので、おにいちゃんのたまごっちも結婚を考えなければなりません。

いろいろと試行錯誤が続きます。

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2006年2月 6日 (月)

投資銀行と商業銀行の違い

黒木亮「巨大投資銀行」(ダイヤモンド)を読みました。
私のことですので、少し厳しく書くかもしれませんが、それなりに金融の現場をよく書いているいい本です。お勧めできると思います。ただし、分かっている人には付加的に得られる知識が少ないでしょうし、分かっていない人には読んでも分からないでしょう。昔あったヘルメット理論、とか、シートベルト理論と呼ばれるやつです。つまり、ヘルメットやシートベルトが法律で義務付けられる前には、バイクに乗る時にヘルメットするような慎重な人は、そもそも事故を起こす確率が低いのでヘルメットをする必要がない、あるいは、車を運転する時にシートベルトをするような人は、慎重な運転をするだろうから事故は少なくシートベルトの必要性は低い、といったことです。要するに、読まなくても分かっている人は分かっているので読む必要がないし、読んでも分からない人はどこまでも分からないような気がします。私のように中途半端な理解を有している人には大いにお勧めです。

ただし、1点だけとても指摘しておきたいことがあります。
すなわち、エコノミストとして、大いに疑問に思ったのは、この作者はどこまで商業銀行(コマーシャルバンク)と投資銀行(インベストメントバンク)の違いに気づいているだろうか、ということです。割りと本質をはずした些細なその他の業務形態やそこで働く人のメンタリティの違いに気をとられて、2つの銀行業務に関する本質的な違いに気づいていないから、ちょっと的外れな外資vs国内銀行、のような構図でお話を進めてしまっている気がしてなりません。途中から、思い出したように、「投資銀行=証券会社」と書き始めるのも、何だが、本質を見据えていないような気がします。なぜ、この2業態にファイアーウォールが設けてあるのかも、作者は理解していない可能性があると思います。まあ、チョコッと「利益相反」という言葉は出てきますが、商業銀行と投資銀行の間の利益相反ではなく、別の文脈で出てきたような気がします。

では、商業銀行と投資銀行の本質的な違いは何か?
それは商業銀行が自らリスクを取るのに対して、投資銀行はリスクを取らない、ということです。外資の投資銀行だからエゲツなく、リスクを顧客に押し付けて自分だけがノーリスクで利益を上げているのではなく、そもそも、投資銀行とはリスクを取らないものなのです。そこを間違えると、いかにもエゲツない外資のやり方を際もの的に読んでしまうことになります。ただし、作者はそのあたりは際もの的には処理していませんので、付け加えておきます。
商業銀行は顧客から預金を集めて、それを自らの判断で融資や投資を行います。預金者は何もリスクを取りません。預金者と投資先とは何の関係もありません。みなさんの銀行預金もそうだと思います。商業銀行は自らの判断で融資や投資を行います。
それに対して、投資銀行は投資先のファイナンスを手伝うだけです。投資先が必要な資金を証券化したり、あるいは、さまざまな手法を用いて、投資家に販売するのが投資銀行の業務です。ですから、株式の公開や増資、あるいは、社債の発行などが典型的なんですが、ファイナンスされた資金とリスクは投資銀行を通り抜けるだけで、リスクは出資者が負うことになります。
もちろん、投資銀行は自己勘定によるポジションを持っているではないか、との反論はありえます。しかし、自己勘定によるポジションは個人でも事業会社でも、もちろん、商業銀行でも、誰でも持つ場合があります。例えば、輸出企業はほとんど常に外貨の買い持ちポジションでしょうし、株式の持合いをしていない大企業なんてありえません。私も在チリ大使館から帰国した折りには、ドル建てでお給料をもらっていたものですから、その気もないのにかなりの外貨のポジションを持たされていました。確かに、投資銀行の場合は個人や事業会社よりも多額のポジションを持つのでしょうし、「巨大投資銀行」においても自己勘定で巨額の裁定取引を行う日本人トレーダーが登場したりしますが、投資銀行の業務の本質は自己勘定によるトレーディングではなく、投資資金のファイナンスを投資家のリスクにより実施することにあります。
いつもの蛇足ながら、ですから、投資銀行においては投資先の収益見込みなどの情報をしっかりと分析した上で、それを投資家に対してスマートにプレゼンすることがとても重要になります。一方、商業銀行では自分が負うリスクを小さくするためには、投資先の収益性なんかを調べるよりは担保を取ることに一所懸命になります。その結果、土地バブルを招いたりします。

ですから、意図的にではないんでしょうが、「巨大投資銀行」の作者がややミスリーディングな書き方をしているのは、主人公が国内の商業銀行を辞めて外資の投資銀行に行ったことを取り上げて、商業銀行vs投資銀行、の構図で描き出すべきところを、日本vs外資、の構図で書いてしまっている部分が散見されることです。もちろん、銀行融資による間接金融が中心の日本と株式や社債などの直接金融が中心の英米とでは、ついつい勘違いしてしまうのかもしれませんし、私が読み間違っているのかもしれませんが、実際に比較すべきは銀行の国籍ではなく、業態の違いにあります。自分たちはノーリスクで投資家にボロくずのような商品を売っていたのは外資だからではなく、投資銀行だからなのです。投資銀行とはリスクをそのまま投資家に負わせる業務形態であり、投資銀行自身がリスクを負うことはないことを見抜いてほしいと思います。
もちろん、昔の大蔵省の護送船団方式による保護からたっぷりと規制などのフランチャイズバリューを得ていた日本の銀行の各般にわたるレベルの低さも大いにありましょうが、商業銀行と投資銀行のリスク負担の本質的な違いをきちんと理解すれば、この小説をもっと楽しめそうな気がします。

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2006年2月 5日 (日)

熱愛のたまごっちはツーしんを避ける

たまごっちツーしん

上の写真はおにいちゃんとおとうとの下の子が女房のたまごっちを間にはさんでツーしんしているところです。
おにいちゃんのたまごっちと下の子のたまごっちは熱愛状態にあるので、直接にツーしんをしてプレゼントを渡したりすると、やや危ないらしいです。すなわち、ちょうちょが出て来てびっくりしてラブラブ度合いが下がったりするそうです。ですから、直接はツーしんせず、女房のたまごっちを仲介させてプレゼントをやり取りしているらしいです。
何となく、人間の世界でもありそうな気がします。顔をあわせていない時の方が愛情は冷めないのかもしれません。
それはそうと、下の子のたまごっちがオフィスに通い始めました。がんばってかしこさのゴッチポイントを貯めまくったので研究所勤務だそうです。パソコンでたまごっち星の研究所に通わせて、名刺を交換するゲームに挑戦していました。

私は今日もWindowsの再インストールとその後の環境整備に明け暮れました。何とか通常の方法で使えるレベルまで修復させることが出来ました。

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2006年2月 4日 (土)

今日は重労働

このところ、一番新しい、といっても2001年9月に日本に一時帰国した際に購入したノートパソコンの調子がおかしかったので、この週末に思い切ってWindowsの再インストールをしました。これがなかなか時間がかかって大変でした。
我が家の新しい方のVAIOはもともとがWindows MEだったのをXPにアップグレードし、その上でディスク管理システムをFAT32からNTFSに変更してあるので、もともとのVAIOに付属してきたリカバリディスクでWindows MEを再インストールしようとすると、まず、NTFS領域の削除から始めないと、Windows MEのリカバリディスクが反応してくれません。
その上で、VAIOに付属して付いてきたリカバリディスクでWindows MEにリカバリした上で、最終的にWindows XPへアップグレードする必要があります。もちろん、OSをインストールした後も、ワープロや表計算のMicrosoft Office、システム管理のNorton SystemWorks、ファイアウォールとウィルス対策のNorton Internet Security、PDFファイル作成のためのAdobe Acrobatと、それなりの大物だけでもしこたまインストールせねばならず、小物ソフトを入れた後、さらに、Windows、Office、Nortonなどのアップデートも膨大にあります。一応、ディスクシステムもNTFSにしておきたいですし、PostPetのメールの設定も4人分あります。
今日のところは、朝からまずバックアップをしっかり取って、昼前からWindowsの再インストールを始め、夕方までにWindows XPまで済ませて、大物ソフトのインストールまで終えました。明日は小物ソフトとアップデートの予定ですが、明日までに終わるかどうかは分かりません。一応、女房には2-3日はメールが見られずに、インターネット接続も出来ないと言い置いて作業を始めていますが、まあ、明後日の月曜日にはメールとインターネットは可能になる予定です。

子供達は午前中はテコンドーのお稽古でした。真新しい帯を締めて、とても元気よくお稽古していました。マクドナルドの昼食には私も合流し、松戸駅前で小学館の小学生雑誌を買って、さらに、イトーヨーカ堂ででかたまとツーしんした後、たまごっちの攻略本のようなものも買いました。家に帰ってからは子供達は本を読んでいるのでとても静かでした。おにいちゃんのたまごっちはみみっちになり、おとうとの下の子のたまごっちはとさかっちになったそうです。2匹のたまごっちは熱愛で、もうすぐ予定通り結婚させるのだそうです。

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2006年2月 3日 (金)

来週から衆議院予算委員会での本格審議が始まる

国会が1月20日に開会して2週間がたちました。
国会では本年度の補正予算案の審議を終え、来週からいよいよ来年度予算の本格的な審議に入ります。このブログでもふれたように、議会とは歴史的に見て国王や政府が勝手に国民に課税することを防止し、国民の立場から課税をチェックするための機関として設立されました。ですから、課税のコインの反対側である支出についても当然チェックする役目を果たします。

今国会において野党は少し前まで3点セットによる与党の追及を掲げていましたが、最近では4点セットに増えたようです。3点セットとは、耐震偽装、BSE、ライブドアの3つです。これに防衛施設庁の談合を加えて4点セットとなります。一方、与党は今国会を行革国会と位置づけ、行政改革基本法案などを提出し、公務員の定数削減などを進めようとしています。
エコノミストの私の目から見て、4点セットのいずれも、公的な監視の目が行き届くかどうか、あるいは、行き届かせるためには結果的に大きな政府になってしまうんですが、これを行革とどこで折合いをつけるかがポイントになります。昨年2005年12月7日のブログでも書きましたように、ほとんどの場合でフリーランチとして提供される政策はありえません。耐震偽装をチェックしようと思えば、民間検査機関から役所の検査に戻して、さらに、検査にたずさわる公務員をかなり増員しなければなりません。BSEについても同じようなことがいえます。ライブドアや防衛施設庁の談合についても同様の事件を防ぎ、市場に対する投資家の信頼を取り戻したり、官庁の入札に不正がないかどうかをチェックしたりするには、それ相応の役所の体制の強化と公務員の人員増強が必要となります。役所の方ではチャンスとばかりに組織の拡充と定員の増加の必要性を声高に訴えるでしょう。不都合を生じた官庁が、結果として、組織や人員を増やすような焼太りを許すべきでないのはいうまでもありません。
もちろん、他方で、昨年9月11日の衆議院総選挙の結果は、郵政の民営化だけでなく政府のサイズを小さくすることを国民が支持しているように受け取れます。これは公的な監視の目を行き届かせることと明らかに矛盾するように見えます。監視の目を行き届かせるためにはどこまでコストをかけるのが適当なのか、それを決めるのが国民の代表で構成される国権の最高機関の役割といえましょう。今国会はその意味で、今までよりもさらに見ごたえのある論戦を期待したいと思います。

最後に、エコノミストの視点とはまったく関係がないのですが、皇室典範の改正についても注目すべきかと思われます。あえて誤解を恐れずに申し上げると、エコノミストから見ると皇室を誰が継ごうと、男系であろうと女系であろうと、経済的には何の意味も持ちません。極端にいえば、皇室がなくても経済活動には特段の影響はないと私は考えています。
しかし、皇室典範改正に対する賛成論は、私から見ればやや根拠薄弱で、「皇室典範の改正は、愛子さまが天皇になる道を開くものであり、逆に、皇室典範改正に反対する勢力は愛子さまが天皇になることを間接的に反対している」との意見が一般に多く見られるような気もします。もっとも、皇室典範改正に反対する陣営も根拠薄弱であることにかわりはありません。
いずれにせよ、エコノミストから見てどうでもいい問題が国民のコンセンサスを得ないで国会に提出されたりすると、無用の議論を引き起こしたり、妙にクローズアップされたりするのは、本当の論点をぼかす可能性があることから、あまり好ましくない気がしています。それなりに日本社会にとって皇室制度が重要であることも理解しているつもりですので、自分勝手ないい方ではありますが、国会はもっと重要な問題に取り組んで欲しいと思います。

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2006年2月 2日 (木)

デフレが終わってバブルが生じている?

エコノミストにとって難しい質問がよく発せられるようになりました。
巷間いわれているように、デフレが終わってバブルが生じているのか、あるいは、デフレが続いているのに一部でバブルが生じているのか、といったたぐいの質問です。
この答については、私は基本的には定義の問題だと思っています。結論からいうと、私はまだデフレが続いていて、バブルにはなっていないと考えています。しかし、別の定義を持っている人からは反論があるかもしれません。

まず、デフレについて、デフレの定義はいろいろありますが、2001年3月に政府はデフレを「持続的な物価の下落」と再定義しています。実物経済の好況や不況とは切り離して、物価だけに着目しているわけです。私も官庁エコノミストですから、この定義に従います。というか、正しいと思っています。そうすると、今もデフレは続いています。反論があるとすれば、消費者物価指数(CPI)がプラスに転じているのではないか、というものですが、CPIのラスパイレス指数の算定方式では上方バイアスがかかりますので、0.1%くらいの物価上昇ではこのバイアスのためであって、実力でプラスに転じたとはいい難く、デフレが続いているとする方が政策対応を誤らないと思います。まったく蛇足ですが、私が経済職国家公務員試験の試験委員をしていた時に、ラスパイレス指数とパーシェ指数の穴埋め問題を出題した記憶があります。さらにどうでもいいことですが、人事院の担当官が、この問題は統計学か計量経済学か、どちらに分類して上司に報告するかで悩んでいたのを記憶しています。
話を戻しますと、デフレについて別の定義をしている人からは反論がありえます。デフレをGDPベースのデフレギャップがある状態と定義している人からすれば、もうデフレは終わったとの反論はありえるでしょう。デフレを不況の面からとらえている意見です。私もこの定義であれば、おおむねこの意見に同意します。私もGDPギャップは昨年の10-12月期でほぼ解消されたと考えているからです。

次にバブルです。バブルはデフレよりも定義が難しいです。通常は実態よりかけ離れた価格がつけられる状態なのですが、これではインフレとの区別が分かりにくいと私は思っています。もしも、資産価格に的を絞れるのであれば、資産価格の変動のうち、「経済の基礎的条件では説明できない部分」ということになります。資産価格のインフレのうち、ファンダメンタルズで説明できない値上がりをバブルと呼ぶ、といっても同じことです。しかし、やっかいなのは、資産価格だけでなく、実物経済にもバブルは影響することです。
実物経済のバブルは取りあえず後で考えるとして、資産の特徴について考えると、第1に、資産を購入すると、通常の財と違って、後々に収益を生み出す点が指摘できます。株式なんかを想像すれば分かりやすいです。もちろん、耐久消費財についても、収益ではないのですが、何らかの便益を後々に生じます。テレビなんかを思い浮かべれば分かりやすいです。第2に、この資産の特徴は、需要を満たすべく生産を増加させるのが通常の財よりも難しい点も指摘できます。土地や著名画家の絵などがもっとも分かりやすいでしょう。株式も需要があるからといって供給を増やすとは限りません。これをエコノミスト的にいうと、供給曲線が垂直、あるいは、垂直に近く右上がりに立っているといえます。さらにいえば、需給のギャップを量ではなくて価格で調整する部分が大きいと考えられます。
資産のこの1点目の特徴から、資産価格は将来収益を割引率で割り戻した現在価値として算出されます。2点目の特徴から、何らかの要因で資産に対する需要曲線がシフトすると、急激な資産価格の上昇や下落を引き起こします。株式価格はテレビやハンバーガーなどよりも価格変動が激しいのは普通に観察されることです。
ですから、少し脱線しますが、バブルの原因を資産に限ってより詳しく述べると、以下の通りです。すなわち、将来の期待収益が上昇したり、あるいは、この将来の期待収益を現在価値に割り戻す割引率が低くなったりするとバブルが発生することになります。もちろん、この2つが同時に起こることが多いと考えられます。割引率については金利に将来リスクのリスクプレミアムを加えたものだと考えられますが、バブル期においては特に後者のリスクプレミアムが低くなります。要するに、将来がとても明るくて、今以上にもうかって、しかもそれが極めて実現性が高い、と、みんなが将来に対して過度に楽観的になれば、資産価格はハネ上がります。さらに、供給曲線が垂直または垂直に近いものですから、価格は一挙に上昇します。バブルが弾けると、この逆の現象が生じます。もちろん、いうまでもなく投機がさらに何倍にもこの現象の振幅を大きくします。さらにいえば、これは資産の実際の価格が理論値に回帰していく、金融工学でコンバージェンスと呼ばれる現象ですが、もちろん、そんなにきれいに収束するわけではなく、オーバーシュートを繰り返しながら理論値に近づくことになります。
さらに、1980年代末の我が国のバブルについて土地に焦点を当てると、この通常の株式などの資産のバブルの発生と崩壊に加えて、我が国の銀行業界の特異な体質が指摘できます。つまり、長らく続いた土地神話に対する信仰とそれに基づく土地担保主義です。このために、土地が値上がりするとその土地を担保にした銀行融資も可能となってしまい、それがまた土地購入に向かう結果となり、とてつもないレバレッジが効く形になって、途方もない地価の上昇を発生させました。
ご興味のある向きでより詳しくは、吉冨勝「日本経済の真実」(東洋経済)がいい参考書となります。このブログのような議論は、特に、第2章で詳しく論じられています。

さて、脱線が続いて話が長くなってしまいますが、バブルが実物経済まで影響を及ぼすのは、まず、資産価格の上昇による資産効果です。すなわち、例えば、株式を保有していて、その株価が上昇すると、それを売却して現金化しなくても、資産が増えたことによる消費刺激効果があります。そして忘れてはならないのは資本設備も労働力・雇用も生産をする上で資産だということです。先行きが過度に楽観的になると、資本設備の増強や新規採用の増加などがもたらされます。資本設備の増強は設備投資の増加として成長率を高めますし、雇用の増加も消費者の収入を増やして消費拡大につながります。
そして、バブルが弾けると、資本設備はストック調整のメカニズムをもって不況を招来し、労働者の過剰人員については、新規採用の面では大卒者就職の氷河期や超氷河期となり、さらには、中高年のリストラをもたらしました。バブル崩壊とともにフリーターが大量に発生したのはご存じの通りです。そして、最終的には日本銀行の金融政策の誤りもあって、デフレギャップが大きくなり、日本経済はデフレに陥ってしまいました。もっとも、デフレになったのはバブル崩壊よりも日本銀行の政策対応の誤りの方がより深刻だったと私は考えています。

そして、バブルが生じているかどうかの結論ですが、ライブドア事件で株式市場が冷や水を浴びせられたこともあるんですが、やっぱり、現時点で将来についての過度の楽観論が経済全体で支配的であるとはとても思えません。その意味で、現時点ではバブルではないと結論付けられます。ですから、バブル退治の政策対応は必要ないと考えています。しかし、しかしですよ、1回目の「しかし」なんですが、バブルでないとはいってもバブル的な様相を呈してきている要素も散見されます。資産価格がじわりと上昇して来ているのは明らかです。そこでさらに、2回目の「しかし」なんですが、バブルの芽を摘む必要性はあるとしても、世界のエコノミストの間では、資産価格の動きについては中央銀行は対応しない、あるいは、中央銀行は一般物価をターゲットに政策運営すべきであって、資産価格は金融政策のターゲットにしてはならない、との幅広い合意があります。マクロの対応ではなく、個別の対応、例えば、地価の上昇に対しては土地購入にかかる銀行貸出しを抑制するなど、で対応すべきであると考えられています。さらにさらにで、3回目の「しかし」を続けると、このように中央銀行は資産価格をターゲットとするべきではない、との世界中のエコノミストの幅広いコンセンサスが、政治家や一般投資家の間にまったく理解されておらず、危ぶむべき現状があることも、蛇足ながら付け加えておきます。

とても長くなりましたが、最後に結論です。物価の持続的な下落と定義されるデフレは、消費者物価指数がラスパイレス指数で算定されているバイアスから考えて、現時点でも続いていると考えられる一方で、将来に対する過度に楽観的な期待から生ずるバブルはいまだに発生していません。ですから、バブル的な様相を呈している一部について個別の対応が必要である、あるいは、近く必要となる可能性は否定しませんが、金融政策のようなマクロ経済政策はデフレ脱却を第1の政策目標とするべきであって、間違ってもバブル潰しに走るべきではないといえます。

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2006年2月 1日 (水)

公務員の5%定員削減

昨日、行政減量・効率化有識者会議が初会合を開いたと報じられていました。セコムの飯田さんが座長です。
事業削減の重点8分野として、農林水産統計、食糧管理、北海道開発、ハローワーク、社会保険庁、行刑施設、森林管理、国立高度専門医療センターを明示的に示し、削減の重点とするようです。これに加えて、配置転換や新規採用抑制を通じて今後5年間で5%以上の定員純減を目指すこととなっています。

振り返って、先日発表された統計によると、有効求人倍率が1倍に達したそうです。13年振りだそうです。先日のブログでも取り上げたように、日本経団連の奥田会長は賃金引上げを容認する発言をしていますし、労働市場は需給が引き締まってタイトになりつつあります。失業や失業率が低下し、賃金が上昇する気配を見せ、人手不足を感じる企業が増えつつあります。要するに長かったリストラが終了に向かっています。このように、民間部門では労働力が不足に向かうと考えられているのに対して、政府部門では人手を減らそうとしているわけです。つまり、民間が終われば、今度は政府部門がリストラを始めようとしているわけです。労働組合なんかの反対は強いでしょう。だって、民間企業はリストラしないと企業が倒産する可能性がありましたが、政府はリストラしなくても倒産しませんから。

私はエコノミストですから、政府の景気対策はカウンターサイクリカルに行うべきだと考えています。すなわち、民間の景気がいい時は引締め気味に運営し、景気が悪い時には景気を拡大させるように運営するのが基本だと思います。現時点での景気はいざなぎ超えも視野に入れた長期にわたる拡大局面が続いていますが、外需に依存していて、基盤がやや脆弱な面もあります。ですから、手放しで順調な景気拡大であるとまではいえませんが、雇用面では徐々に労働需給が逼迫化する方向であることは確かですから、政府部門のリストラを始めるにはいいタイミングであると思います。バブル期のように政府と民間とで貴重な人材を取り合っていてもしかたありません。
しかし、ここで注意が必要なのは、国家公務員には団塊の世代の問題がない、ということです。つまり、通常の民間企業であれば、社会全体の人口構成と同じように、団塊の世代がほかの年齢層に比較して大きな比率を占めているのですが、国家公務員についてはそういった現象はありません。ですから、逆に言えば、ここ2-3年で団塊の世代が大量に定年退職することもないわけです。もっといえば、普通の企業であれば、ここ2-3年で団塊の世代が大量に定年を迎えるので、退職する人数が大きいですから、そこそこ新規採用も出来るのですが、国家公務員には団塊の世代で大量退職もなく、そのために、新規採用抑制で定員削減を図ろうとすれば、通常の企業よりもずっと大幅な新規採用抑制を実施しなければ定員削減が進まないことになります。

もうひとつ、忘れてはならないのは、公務員を削減する前提条件として、行政をスリム化するのが大事だということです。公務員を削減するのはいいのですが、それがそのままとはいいませんが、公共サービスの量も質も落ちるのは国民の側でも覚悟しておいていただく必要があります。人数を減らしておきながら、従来と同じ行政サービスを要求するのはワガママでしょう。その観点から、不要な行政サービスは縮小されるべきです。ここは公共サービスの受益者である国民の側から総論賛成、各論反対が出る可能性があります。

最後の問題は、さはさりながら、公務員の仕事振りは無駄が多いので効率化できる余地は大きいことです。私が役所に入ったころにお仕えした上司で、京都大学経済学部の先輩でもあり、もうお亡くなりになった方なんですが、役人が仕事を進める際の3類型について、能力で仕事をする人、人柄で仕事をする人、仕事をしない人、の3種類の役人がいると喝破した方がいらっしゃったくらいですから、昔は役人の中には仕事をほとんどしない人もいたらしいです。現在では仕事をほとんどしない人は見かけませんが、ムダな仕事をしている面はまだまだあると思います。

ですから、公務員の定員を削減するに際しては、第1に、本当にプライオリティの高い重要な仕事を、第2に、効率よく、第3に、少ない公務員で遂行する、ような仕組みを考える必要があります。昨年9月11日の総選挙を見て、公務員も覚悟を決めましたから、公共サービスを受ける国民の側でも、削られるところは削られるとの覚悟を決める必要があると思います。

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