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2006年2月20日 (月)

とてもナチュラルな絲山秋子「沖で待つ」

今日は、仕事で帰りが遅くなったので、サラッと書評をひとつ。

先日、芥川賞を受賞した絲山秋子「沖で待つ」を一気に読みました。いつもの私の主張通りに文芸春秋の3月号で読みました。短編ですので、30分余りで読めました。
短編ながら、というか、短編であるがゆえに、というのもあるのでしょうが、とても自然ですんなりと入ってくる印象を持ちました。水に例えれば、何も入っていない純粋の水、といった感じです。もちろん、アルコールは入っていませんし、コーヒーや紅茶のようなものでもありません。甘味料の入ったジュースでもさらさらありません。ミネラル分をやけに強調したり、発泡したりしているミネラルウォーターでもありません。まあ、ミネラルウォーターに近いのでしょうが、純度が高くて混じり物のない水のような小説でした。かといって、決して今はやりの「癒し系」ではありません。これはとても完成度の高い小説なのです。

いろんなところで紹介されているので、いまさらとも思いますが、ストーリーは、主人公の総合職の女性が同期入社の男性と、先に死んだら残った方が死んだ方のパソコンのハードディスクを壊す約束をして、実際に不慮の死をとげた同期男性の同僚のパソコンのハードディスクを壊しにいく、というものです。

力が入っているわけではなく、かといって、脱力感を感じさせることもなく、かなり長い10年くらいの月日を淡々と書き進めています。決してミニマリスト的ではなく、必要な描写はしっかりとしています。結婚や転勤などのいろんなエピソードもとても自然です。特筆すべきは、福岡の支社に配属された主人公が女性の更衣室に入って行く時の、一般職で現地採用であろうと想像される女性たちの反応です。茶化したコミカルなものではなく、批判的でシニカルなものでもなく、とても自然にありそうな風景をさらっと描写しています。これだけの筆力を持っている作者に脱帽しました。
もちろん、同期入社の同僚男性との関係も同じことがいえます。友人でもなく、もちろん、恋人でもなく、会社の同期入社の同僚、以外には何とも表現できません。ちなみに、この男性は途中で結婚するのですから、なおさら、色恋沙汰の関係ではありえません。それでも、ハードディスクの破壊を相互に約束しあえる関係なのです。もちろん、そのためには部屋の鍵を送りあう必要があります。そこまでの信頼関係はあるわけです。
ですから、ストーリーも個人や情景の描写も、とても自然でナチュラルだと感じられます。芥川賞受賞作だから冒険談を期待する人はいないでしょうが、純文学のいいところが出ているような気がします。もっとも、直木賞受賞作にありがちなハラハラドキドキするような感情移入や一気のストーリー展開はありません。でも、読者がこうだろうと思う通りにコトは進んでいきます。そのストーリーとストーリーの描写が自然で美しいのです。
1日を終えて、静かな夜に1人でじっくりと読みたい小説です。しかし、「癒し系」ではないと重ねてお断りしておきたいですし、また、人によっては期待はずれと感じる人も少なくないような気がしますので、万人にお勧めできる小説ではありません。

文芸春秋の書評も面白かったです。前回の芥川賞では、昨年9月27日付けの私のブログでもご紹介しましたが、ほとんどの評者が否定的な見解を示していましたが、今回ははっきりと分かれました。新人の小説に未知の新しい戦慄を期待する石原慎太郎や読者の感情移入を重視する村上龍などは否定的な選評の代表格でした。宮本輝はこの作品を2回読むと2回目は印象が違う、と選評で書いていましたので、私も2回読みましたが、印象は変わりませんでした。不慮の死をとげた同期入社の同僚社員のハードディスクの中身が気になるとしていたのが高樹のぶ子で、逆に、ハードディスクに何が入っていたのかを考えることには意味がないと主張しているのが池澤夏樹でした。私は圧倒的に池澤夏樹に近いです。最後に、私に最も近かった評者は山田詠美で、「茫漠とした空気を正確に描くことに成功している」というものでした。まったく、その通りだと思います。

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