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2006年2月 6日 (月)

投資銀行と商業銀行の違い

黒木亮「巨大投資銀行」(ダイヤモンド)を読みました。
私のことですので、少し厳しく書くかもしれませんが、それなりに金融の現場をよく書いているいい本です。お勧めできると思います。ただし、分かっている人には付加的に得られる知識が少ないでしょうし、分かっていない人には読んでも分からないでしょう。昔あったヘルメット理論、とか、シートベルト理論と呼ばれるやつです。つまり、ヘルメットやシートベルトが法律で義務付けられる前には、バイクに乗る時にヘルメットするような慎重な人は、そもそも事故を起こす確率が低いのでヘルメットをする必要がない、あるいは、車を運転する時にシートベルトをするような人は、慎重な運転をするだろうから事故は少なくシートベルトの必要性は低い、といったことです。要するに、読まなくても分かっている人は分かっているので読む必要がないし、読んでも分からない人はどこまでも分からないような気がします。私のように中途半端な理解を有している人には大いにお勧めです。

ただし、1点だけとても指摘しておきたいことがあります。
すなわち、エコノミストとして、大いに疑問に思ったのは、この作者はどこまで商業銀行(コマーシャルバンク)と投資銀行(インベストメントバンク)の違いに気づいているだろうか、ということです。割りと本質をはずした些細なその他の業務形態やそこで働く人のメンタリティの違いに気をとられて、2つの銀行業務に関する本質的な違いに気づいていないから、ちょっと的外れな外資vs国内銀行、のような構図でお話を進めてしまっている気がしてなりません。途中から、思い出したように、「投資銀行=証券会社」と書き始めるのも、何だが、本質を見据えていないような気がします。なぜ、この2業態にファイアーウォールが設けてあるのかも、作者は理解していない可能性があると思います。まあ、チョコッと「利益相反」という言葉は出てきますが、商業銀行と投資銀行の間の利益相反ではなく、別の文脈で出てきたような気がします。

では、商業銀行と投資銀行の本質的な違いは何か?
それは商業銀行が自らリスクを取るのに対して、投資銀行はリスクを取らない、ということです。外資の投資銀行だからエゲツなく、リスクを顧客に押し付けて自分だけがノーリスクで利益を上げているのではなく、そもそも、投資銀行とはリスクを取らないものなのです。そこを間違えると、いかにもエゲツない外資のやり方を際もの的に読んでしまうことになります。ただし、作者はそのあたりは際もの的には処理していませんので、付け加えておきます。
商業銀行は顧客から預金を集めて、それを自らの判断で融資や投資を行います。預金者は何もリスクを取りません。預金者と投資先とは何の関係もありません。みなさんの銀行預金もそうだと思います。商業銀行は自らの判断で融資や投資を行います。
それに対して、投資銀行は投資先のファイナンスを手伝うだけです。投資先が必要な資金を証券化したり、あるいは、さまざまな手法を用いて、投資家に販売するのが投資銀行の業務です。ですから、株式の公開や増資、あるいは、社債の発行などが典型的なんですが、ファイナンスされた資金とリスクは投資銀行を通り抜けるだけで、リスクは出資者が負うことになります。
もちろん、投資銀行は自己勘定によるポジションを持っているではないか、との反論はありえます。しかし、自己勘定によるポジションは個人でも事業会社でも、もちろん、商業銀行でも、誰でも持つ場合があります。例えば、輸出企業はほとんど常に外貨の買い持ちポジションでしょうし、株式の持合いをしていない大企業なんてありえません。私も在チリ大使館から帰国した折りには、ドル建てでお給料をもらっていたものですから、その気もないのにかなりの外貨のポジションを持たされていました。確かに、投資銀行の場合は個人や事業会社よりも多額のポジションを持つのでしょうし、「巨大投資銀行」においても自己勘定で巨額の裁定取引を行う日本人トレーダーが登場したりしますが、投資銀行の業務の本質は自己勘定によるトレーディングではなく、投資資金のファイナンスを投資家のリスクにより実施することにあります。
いつもの蛇足ながら、ですから、投資銀行においては投資先の収益見込みなどの情報をしっかりと分析した上で、それを投資家に対してスマートにプレゼンすることがとても重要になります。一方、商業銀行では自分が負うリスクを小さくするためには、投資先の収益性なんかを調べるよりは担保を取ることに一所懸命になります。その結果、土地バブルを招いたりします。

ですから、意図的にではないんでしょうが、「巨大投資銀行」の作者がややミスリーディングな書き方をしているのは、主人公が国内の商業銀行を辞めて外資の投資銀行に行ったことを取り上げて、商業銀行vs投資銀行、の構図で描き出すべきところを、日本vs外資、の構図で書いてしまっている部分が散見されることです。もちろん、銀行融資による間接金融が中心の日本と株式や社債などの直接金融が中心の英米とでは、ついつい勘違いしてしまうのかもしれませんし、私が読み間違っているのかもしれませんが、実際に比較すべきは銀行の国籍ではなく、業態の違いにあります。自分たちはノーリスクで投資家にボロくずのような商品を売っていたのは外資だからではなく、投資銀行だからなのです。投資銀行とはリスクをそのまま投資家に負わせる業務形態であり、投資銀行自身がリスクを負うことはないことを見抜いてほしいと思います。
もちろん、昔の大蔵省の護送船団方式による保護からたっぷりと規制などのフランチャイズバリューを得ていた日本の銀行の各般にわたるレベルの低さも大いにありましょうが、商業銀行と投資銀行のリスク負担の本質的な違いをきちんと理解すれば、この小説をもっと楽しめそうな気がします。

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