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2006年2月 9日 (木)

ガバナンスは閉じているか、発散しているか?

最近、久し振りに「パタリロ」を見る機会がありました。魔夜峰央作のマンガで、白泉社の「花とゆめ」に連載されていました。今でも時々番外編が出されたりしているようです。私はこの「パタリロ」全巻を持っていたのですが、ジャカルタから帰国する際に処分してしまいました。まあ、どうでもいいですが、少女マンガ雑誌に連載されていたので、男性で知っている人はかなりマニアックといえるかもしれません。
ちなみに、どんどん脱線していくと、私は山岸涼子さんの「日出処の天子」も持っていました。聖徳太子をテーマにしたマンガです。これも「花とゆめ」に連載されていたような気がします。もっとも、姉妹誌の「LaLa」だったかもしれません。ものすごくどうでもいいことです。脱線ついでに、「ドラゴン桜」も途中まで読み進んでいます。マンガであること以外に「パタリロ」や「日出処の天子」とは共通点はありません。

どうして「パタリロ」でガバナンスが始まるかというと、「パタリロ」で定番のギャグに、誰何のギャグがあります。すなわち、あるところでだれかがパタリロに出会うと、まず、出会った人が「お前は誰だ」とパタリロに誰何します。すると、パタリロが「お前は誰だというお前は誰だ」と聞き返し、さらに最初の人が「お前は誰だというお前は誰だというお前は誰だ」といい出し、さらにさらにで、パタリロが「お前は誰だというお前は誰だというお前は誰だというお前は誰だ」と応酬し、これが次々に繰り返されることになります。ガバナンスはコーポレート・ガバナンスにせよ、政府に対するガバナンスにせよ、誰かが誰かを監視し、それをまた監視し、という形で、これと似た連鎖があるわけです。
つまり、コーポレート・ガバナンスを例にすると、取締役を株主が直接的に監視できればベストなのですが、株主がとても多くて実際的でないとすれば、ガバナンスは発散します。つまり、責任の所在があいまいになります。発散しないようにすれば、株主に代わって取締役を監視する監視委員会制度を作れば、今度は、監視委員会を監視する制度が必要になります。「屋上屋を架す」という言葉がありますが、これを続けると、永遠に監視する連鎖が続くことになる可能性があるわけです。これも閉じていないという意味で発散と呼ぶべきでしょう。監視する人が多すぎて監視の実効がなくなったり、責任の所在があいまいになったりするのと、監視の連鎖が閉じていないのと、どちらも今夜のブログでは発散と呼んでいます。まあ、これは定義の問題です。企業だけでなく、政府を監視するガバナンス体制でも同じです。本来であれば、公務員レベルの政府を監視するのは政治家レベルの内閣であり、内閣は国会で選出された総理大臣が組閣することになっていて、国会は国民の直接投票で選ばれた国会議員から成り立っているわけですから、最終的な納税者、というか、主権を有する国民がガバナンスを閉じていなければなりませんが、国民一般が実際的にそんなことをできるわけもなく、実は、ガバナンスが発散している可能性があります。

企業においては、もっとも情報量が多くて、企業の実情をもっともよく知っているのは、取締役であろうと考えられています。日本的な企業のシステムからいえば、取締役はシニアの社員の中から選ばれるからです。米国のように取締役会がCEO以外はほとんど社外取締役から成立しているのとは違います。政府については、これがもっと顕著で、一昔前の言葉で言うと、高級官僚がもっとも実務に精通していて、もっとも多くの情報を有しています。ですから、企業にせよ、政府にせよ、これら組織の実情にもっとも精通している人達が、情報の非対称性を利用して本来の利害関係者をだます可能性があるわけです。取締役が株主をだまして、利益は上がらないが、自分の名声を高めるために巨大なモニュメントを建設したり、あるいは、高級官僚が自分自身や同僚の天下り先を確保するために税金で特殊法人を作ったりする可能性があるわけです。しかも、可能性だけでなく、実際にそのように行動することに経済合理性がある場合も少なくありません。
ですから、企業の取締役や政府の高級官僚を監視することがガバナンス上で大事なのですが、監視する主体によっては発散する可能性があります。例えば、ライブドアではホリエモン以外で大株主といえるのはフジテレビくらいで、過半数が個人投資家だったといわれていますが、これでは株主からの監視が発散する可能性が大きいといえます。日本の多くの企業は米国流のコーポレート・ガバナンスへのアンチテーゼとしてCSRを提唱し、株主以外の従業員や仕入れ先・販売先、はては事業所のある地域住民までをステークホルダーと捉えて、利害関係者をとても幅広く考える場合がありますが、これは意図的ではないかもしれませんが、ガバナンスを発散させる方向に話を持っていこうとしていると勘ぐられても仕方がありません。他方で、私が評価するのは、ストックオプションを取締役に与えることにより、取締役の利害を株主に近づける試みが広がっていることです。

しかしながら、高級官僚についてはこのストックオプションは使えません。私は少し前まで、政府に対するガバナンスを考える上で、パブリックの精神にあふれたNPOを重要なプレイヤーと見なしていましたが、よくよく考えると、NPOはガバナンスを閉じることはできません。そのNPOがちゃんと監視しているかどうかを監視・評価する体制が必要になる可能性があります。しかし、国会と投票を通じた国民を最終点とするガバナンスでは発散する可能性があります。
今年6月に取りまとめられる政府の歳出・歳入一体改革はエコノミストから見ると、とても重要なものなのですが、政府のサイズを決める上でガバナンスの持つ意味はとても重要です。政府が小さければガバナンスにかかるコストは小さいですが、政府が大きくなればなるほどガバナンスのコストはハネ上がります。ガバナンスを放置すればそのコストはさらに大きくなる可能性もあります。

もう少し時間もありますので、今後とも、もっとよく考えたいと思います。

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