エレガントな論理構成
私はエレガントな論理構成が好きです。また、何度か表明してきましたが、私はエコノミストを自称しています。いうまでもありませんが、エコノミストは経済学がフィールドです。経済学は科学であり、すべからく科学というものは、自然科学であれ、社会科学であれ、因果関係を解明するものとされています。しかし、因果関係はいったいどのように流れているのか、やや分かりにくい場合があります。論理構成がエレガントでないからかもしれません。
勝ち組と負け組、下流社会などの言葉がはやってから久しいですが、例えば、三浦展「下流社会」(光文社新書)では、コミュニケーション能力の不足を下流社会の特徴であると解説される場合があり、酒井順子「負け犬の遠吠え」(講談社)では、ごく単純に子供のいる女性は勝ち組とされていたりします。ただし、私は後者の本は読んでいませんので、巷間いわれていることを理解しているだけです。
ここで、コミュニケーション力がないのが下流社会の原因であると考えるのは、それなりに理解できるところですが、子供がいるのが勝ち組の原因とはいい切れないように思います。勝ち組だから子供を作れる、ということも可能だからです。論理構成のエレガントさと関係しているように見受けられます。
エコノミストからすれば、景気が悪ければ政府が公共投資を増やす、とか、インフレを抑制するためには中央銀行が金利を引き上げる、などの経済への何らかの影響を行使するための政策対応は、十分に因果関係を分析しやすく、ある意味で当然のように見えますが、これは論理構成がエレガントだからだと思います。しかし、経済現象以外については私もよく分からない部分があります。
例えば、よくひきあいに出される三段論法で、「風が吹けば、桶屋がもうかる」というのがあります。これは、私が落語で聞いて理解した範囲では、春風が吹けば砂が舞い飛んで、それが目に入ると目をこすってはやり病になって、結局、失明してしまい、昔のことですから、失明した人は三味線を持って門づけをすることになり、三味線を作るためにネコが捕まえられて、その結果、ネズミが増えて桶をかじってダメにし、最終的に桶屋がもうかる、という論理構成になっています。落語ではこれを八っつぁんと熊さんが面白おかしくやり取りします。トンデモ論法と見なされていて、エレガントな論理構成とは余り見なされていないような気がします。
もっと大マジメにはバタフライ効果があります。これは、一言でいうと、「北京でチョウが羽ばたくとニューヨークに嵐が起きる」というものです。これはトンデモ論法ではなく、学問的に確立された理論です。ある時、マサチューセッツ工科大学(MIT)の気象学研究室で実際にあった出来事がもとになっています。すなわち、コンピュータによる気象シミュレーションを行っていたところ、研究者がコーヒーブレイクに席を立ったほんの小1時間の間に、コーヒーブレイク前に入力した初期値からは想像できないほどの計算結果がもたらされていたというのです。わずか1000分の1に満たない誤差が、計算の進行とともに予想もできないほど大きく増幅されてしまったのです。この誤差が増幅された理由は「式が非線形であること」、そして「式に代入を繰り返したこと」であると考えられています。先ほどの「北京でチョウが羽ばたくとニューヨークに嵐が起きる」の中の、1000分の1の誤差が「北京でチョウが羽ばたく」であり、「ニューヨークで嵐が起きる」との大きく増幅された結果になるわけです。これはそれなりにエレガントな論理構成だと思います。
エレガントな論理構成をもっともエレガントに表現したのが微分方程式だと私は思っています。歴史や人生は確率的なシフトをしながら微分方程式に沿って運動している、と以前のパングロシアン・エコノミストを取り上げた今年1月26日のブログでも書いたことがありますし、30歳になったばかりの若いころには、「経済学とは微分方程式を解くことである」とうそぶいていたこともあります。計量経済モデルは微分方程式の連立方程式体系にほかならないからです。でも、今ではそれだけが経済学ではないと、もう少し幅を持って考えられるようになっています。
また、実際には、微分方程式は解けないのがほとんどですから、結局、再帰的(リカーシブ)に解くことになり、微分方程式体系としてはエレガントなのかもしれませんが、解き方は決してエレガントではありません。このあたりが経済学のうっとおしいところかもしれません。
何だか、今夜は支離滅裂で、エレガントなブログにはなりませんでした。
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