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2006年3月10日 (金)

日銀の量的緩和の解除

昨日の金融政策決定会合で量的緩和が解除され、道しるべというか、目安というか、福井総裁の言葉を借りると「理解」として、ゼロから2%までであれば物価安定とみなす、との今後の金融政策運営の目安が示されました。ただし、ゼロから2%については、物価安定に関する「理解」として持ち出されたもので、金融政策運営の「目安」や「道しるべ」ではない、とされています。

私の感想を数点あげると、以下の通りです。

私の解釈の第1は、「理解」と呼ぼうと、何と呼ぼうと、数字を出してしまった以上、インフレターゲティングと同じと考えられることです。みずほ証券の上野さんなんかの見方によれば、日銀ではこの数字は有名無実のものにしてしまいたいと考えているフシもあるが、それはムシがよすぎる、とのことで、私もまったく同感です。どのような呼び方をしても、政治的には、この数字は日銀総裁のクビをかけたコミットメントと同じとみなされるでしょう。世間はそこまで甘くないと思います。このあとの第2点で申し上げるように、実態は何も変わらないにもかかわらず、政府からも市場からもレジームが転換したと受け取られることは間違いありません。

第2に、さはさりながら、この目標値は何とでも読めるものであり、日銀も政府もどちらも不満を抱きつつ、結局、痛み分けに終わった可能性が高いことです。日銀の福井総裁も政府・与党の竹中大臣や中川政調会長も、ひょっとしたら、どちらも「勝った」と思っているかもしれません。
さらに、この第2点目に含まれる含意を敷衍すれば、実態は何も変わらないことです。ごくごく一般的にいって、政府エコノミストはある程度長期的な構造改革、ある意味ではサプライサイドを重視して、5年とか10年とかの先を見ているのに対して、中央銀行のエコノミストは需要サイドを見て、比較的短期の景気の1循環くらいの2-3年をタイムスパンとしていると、私は考えています。そうだとすれば、中央銀行エコノミストのタイムスパンである2-3年、もっといえば、福井総裁の残された任期のあと2年を考えれば、物価が2%を超えることは考えにくいです。むしろ、日銀がヘマをしてゼロ以下に、もう一度日本経済をデフレに落っことすことの方が、あくまで可能性ですが、後者の可能性の方が高いと思います。景気の現状を勘案すると、再びデフレになるのには日銀がよほど大きなヘマをする必要があり、これも可能性は低いと考えられます。だとすると、この先2-3年では物価は少々のことをしてもこのゼロから2%のレンジに収まってしまう可能性が高いと考えられます。とすると、金融政策の実態は何も変わりません

第3に、福井総裁の発言などを精査したわけではないのですが、何も変わらないといいつつも、それを正直に市場と対話できないことです。前任の速見前総裁がゼロ金利について、自分で決定した政策であるにもかかわらず、効果がないことをしきりと強調しましたが、現在の福井総裁が同じように今回の政策変更について、実は変更ではないとか、実態は変わらないといい出せば、速見前総裁と同じ轍を踏むことになり、任期を2年残して日銀プロパーの総裁としての末期症状を呈することになります。そうならないように。

第4に、私がとても興味があるのは、日銀がコールレートのニュートラルな水準をどこに置くかです。物価をゼロから2%の間といい、潜在成長率が1.0-1.5%とすれば、きちんとした計測はしていないのですが、テーラールールに従えば、常識的には2%前後のオーバーナイトレートがニュートラルな水準ではないかと想像されます。しかし、コールレートの引上げに従ってイールドカーブはややフラット化するとしても、その場合、長期金利は3%を越える水準となる可能性が高いです。これを政府が許容するかどうか、許容するとしてもどのような条件をクリアしなければならないのか。傍観者的ながら、私はとても興味があります。

第5に、新聞やマスコミの論調がコロコロ変わりました。少し前まで、政府・与党の中川政調会長などが日銀を牽制したりすると、したり顔で、日銀の独立性を言い立てて政府を批判していた新聞各紙なんですが、今日の社説ではコロッと態度を変えました。日経を除いて「量的緩和を解除しても日本経済は大丈夫か」の一色になっています。要するに、責任を取らずに何かを批判してればいいのか、と疑い深くなってしまいかねません。その点、日経新聞は首尾一貫しているように見受けられます。ただし、日経の中でも太田編集委員だけはやや論点がボケをかましているように見えます。今日の日経金融新聞の第2面の解説もちょっとどうかな、と思いました。

第6に、実は、今回の決定とは何の関係もなくて、私のゲスの勘ぐりに属することなのですが、2000年8月に当時の速見日銀総裁がゼロ金利を解除する大失敗をしたにもかかわらず、政府、というか、小泉総理が辞任させずにさらし者にしたのは、今回の例のメール事件で民主党の前原代表をさらし者にしているのと、とてもよく似ている、と考え始めています。ややはしたない考えかもしれませんが、実によく似ていると思います。「本石町日記」さんなんかでは、2度目の失敗はシベリア送り、なんてとても抽象度の高いことをいっていますが、私は再びさらし者説を取ります。私の説が当たっているとすると、物価のゼロから2%の「理解」についても、日銀は総裁のクビをかけたコミットメントではないと主張するでしょうから、外れても総裁を辞めさせないという点では、結果的な責任の取り方は政府と日銀は妙に一致したりします。

最後の点と関係して、私は現在の福井総裁は最後に金利を正常化して、それを花道にご勇退とのシナリオが考えられると思っています。長らく量的緩和が続いて、さらに、福井総裁がそれを積み増したりして、とうとう30-35兆円となりました。福井総裁に残されたあと2年間で金融政策を正常化し、何だかワンポイントリリーフみたいな感じになった福井総裁は、エースの武藤副総裁に引き継ぐんでしょうかねえ。でも、武藤さんなら期待できそうな気がします。

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