鯉のぼりに関するメモ
今日の午後に雨が上がった後、総理大臣官邸の横の道を歩いていると、官邸の中庭に鯉のぼりを見かけました。5月5日はこどもの日で端午の節句です。ということで、半分くらいゴールデンウィーク体制に入っている我が家ののほほんとした雰囲気を伝えるために、今夜のブログは鯉のぼりに関するトリビアな日記です。
まず、端午の節句とはもともとは江戸時代に武家で始まったといわれています。旧暦の5月5日までの梅雨の季節の雨の日に武家の子弟の出世を願って家庭の庭先で飾られたものだそうです。我が家では晴れの日だけに鯉のぼりを出していて、雨が降ると引っ込めていましたが、実は、元が魚だけに雨の日に出していたんです。なお、5月5日がこどもの日として国民の祝日になったのは昭和23年1948年からだそうです。
もっとも、逆の説もあり、武家ではなく町家が起源だとする説もあります。すなわち、端午の節句が同時に菖蒲の節句と呼ばれるように、この季節は菖蒲の季節でもあるんですが、「菖蒲」が武を尊ぶ「尚武」と同じ発音であることから、武家では鎧兜や太刀・太鼓などを配した武者人形を飾った一方で、町家で鯉のぼりを立てたのだとの説もあるそうです。地域によって異なるのかもしれません。いずれにせよ、江戸時代に始まることについては確かなようです。
起源は別にして、鯉のぼりは紙や布などに鯉の絵柄を描いて、風になびかせる吹流しを鯉の形に模して作っていたそうです。雨でも紙製ので大丈夫だったんでしょうか。なお、鯉のぼりは別名で皐(さつき)のぼりとも呼ばれています。俳句では鯉のぼりは夏の季語として用いられます。また、余り知られていないことなのですが、ちゃんと英語名もあり、Carp Streamerというそうです。
もちろん、これ以前にも鯉の滝登りは有名で、日本の江戸時代をさかのぼること1500年くらい前の後漢書に記された故事があります。黄河の急流に竜門と呼ばれる滝があるんですが、たくさんの魚がこの滝を登ろうと試みたものの、もちろん、全部が登り切れるハズもありません。でも、この滝を登り切った魚は竜になることができた、との故事に因んで鯉の滝登りが立身出世の象微となりました。このあたりのお話は聞いたことがあるような気がします。
もともとの江戸時代の鯉のぼりは黒い真鯉だけで、明治時代から黒い真鯉と赤い緋鯉の対で揚げるようになったといわれています。さらに、昭和に入ってからは家族を表す物として青い子鯉を添えたものが主流となったようです。現在では、鯉の上に五色の吹流しを付け、さらに天辺には風車を置いて立てるのが一般的なように見受けられます。
なお、第2次世界大戦前から鯉のぼりの生産量日本一は埼玉県加須市で、日本一だということは世界一でもあると思うんですが、1988年2月には長さ100メートルの鯉のぼりを作って、全長世界一の大きさで有名になったそうです。生産量の多さとともに加須の鯉のぼりとして世界中に有名だそうです。みんなよく知っている「屋根よーり高い、鯉のーぼーりー」と歌われる有名な童謡の作曲は滝廉太郎です。
我が家では男の子が2人ですから、今まで鯉のぼりと兜の武者人形を飾っていたのですが、青山に引っ越してから、団地のベランダの作りが少し違って、我が家の持っている鯉のぼりが立てられなくなりました。今では室内の兜の飾りだけです。ジャカルタですら鯉のぼりを立てていたのですから、少し寂しい気がしないでもありません。
以上。今夜のブログは鯉のぼりに関するトリビアな日記でした。
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