よく分からない外国語表現
先週、米国人の弁護士で九段の事務所に勤務している友人とランチをともにしました。
この友人は、身長はそんなに高くはないものの、見た目はまごうことなくガイジンさんで、すでに頭のてっぺんはせっかくの金髪がすっかり禿げ上がったりしているんですが、まったく日本語に何の支障もなく、ペラペラでとても流暢な日本語を話します。もちろん、読む方でも平仮名やカタカナとともに漢字もほぼ完璧です。独身ですから、奥さんが日本人、というわけでもありません。趣味は私といっしょに習っていた書道で、3級しかもらっていない私よりも上級者だったりします。ですから、私のブログも十分に読みこなす語学力を備えているので、こんなマイナーな私のブログは読んでいないとは思いますが、もしものことを考えて十分注意して書きたいと思います。
日本語が堪能であることについて、知り合った最初のころの少し前のエピソードなんですが、私のオフィスに電話が入って、霞が関ビルまで来ているからランチでもどうか、と誘って来たので、じゃあ、和食でもなく洋食でもなく中華にしようということになり、霞ヶ関ビルの最上階かその下くらいの上の方に天星苑という中華料理屋があるからそこにしよう、と私がいうと、漢字を教えろといわれたほどです。さらに、スカイの天とスターの星のエンだ、というと、エンは草カンムリか、国ガマエか、と聞かれてびっくりしました。私もハッキリしなかったので、天の星のエンで、エンが草カンムリと国ガマエの2つの中華料理屋が霞ヶ関ビルに同時に2つも並んで入っているとはとても思えないから、漢字は天と星さえ分かれば十分だろう、とゴマカしてしまったことを記憶しています。
本当に日本語がペラペラですから、コンビニで週刊誌を立ち読みしたりしますし、大部分の四字熟語くらいは何でもありません。先日、白鵬関が大関昇進の際に口上で使った「全身全霊」なんかはヘッチャラですし、その昔、宇野総理がお辞めになる時の言葉で「明鏡止水」なんかも、自分で使うことはないにしても、何とか漢字から意味が想像できるといいます。ただし、都合の悪い時は、週刊誌の芸能欄で伊東美咲の記事を読んでいたのをあわてて隠して、「ニホンゴ、ワカリマセーン」とゴマカしたこともあるといっていました。私は目撃したことはありません。
その友人が先週のランチタイムに分かりにくいと文句を言った日本語は、飲食店などで「準備中」とか、「支度中」とかの札をかけているのと、数字につける代と台の使い分けでした。
まず、「準備中」と「支度中」については、日本に来た最初のころに、クライアントとの打合せを終えて、2時過ぎに遅いランチを取ろうとして、そのあたりの定食屋に行ったんですが、準備中の札がかけられていたので、少しコンビニで10-15分くらい週刊誌を立ち読みした後で行ってみてもまだ閉まっているし、中では準備をしている様子もなく、準備しているよりもむしろ休憩している様子だったので、後でオフィスの日本人に聞いてみると、「準備中」や「支度中」はホントに準備や支度をしているわけではなく、要するに閉めているのだ、ということが分かった、というのです。
米国であれば、open か close の一言で明瞭に表すのに、日本では閉まっているにもかかわらず、いかにも準備で働いているような振りをするのは不当表示に近いと考えているようです。私もこの友人の考え方が理解できないでもありません。お店の方の表示が分かりにくいといえるかもしれませんが、逆から見ると、ヘンに日本語に流暢なるがゆえにこのような誤解を生じるような気がします。「準備中」や「支度中」はcloseを意味すると単純に覚えておけばいいんではないかと思わないでもありません。
もうひとつ分からないというのは代と台です。「米国の長期金利が5%台に上昇した」というのがある一方で、「20代男性の24パーセントがエステに通う」といった記事も見かけるのは事実です。数字のひとまとまりを表すのは代か台か、どちらなのかがよく分からないといいます。
私もよく分からないながら、「年代」といういい方がありますので、年や歳についてのみが代で、その他は台なんだろうと答えておきました。そうすると、じゃあ、マラソンなんかで2時間8分台の記録を目指す、なんていう時は同じ時間単位なのに台を使うのか、と聞かれたりします。私の方では、だから、代を使うのは年と歳だけなんで、時間や分や秒は台なんだと言い張ります。あまりマジメに相手していると面倒なので、そんなことよりも、早く日本の司法試験に合格するように、日本の法律をもっと勉強したらどうか、といっておいたりします。
私の方でも、よく分からない英語の用法について聞いたりします。日本語にその概念がないので分かりにくいのが複数形と冠詞です。先週のランチでは複数形について議論しました。中学か、高校か、どちらで習ったのかは忘れましたが、要するに、2に達するまでが単数形で、2に達すると複数形になる、というのが原則ですが、パーセントについては複数形になりません。2パーセントでも、これは百分率ですから、0.02のことであって2に達しないのでパーセント(percent)を複数形にしないのは、あくまで原則通りで、よく分かるのですが、じゃあ、200パーセントは2に達していますから、200 percentsと複数形にするかといえば、決して、そうではありません。たとえ300でもパーセントは複数形にしないのは、昔は、そんな大きなパーセント数字は想定外だったから、英米人が長らく複数形にするのを忘れているだけじゃないのか、と私の方からいったりもします。友人からはパーセントは単複同形なんだと反論され、そんなことよりも、現在の景気拡大がいつまで続くかしっかり分析したらどうか、といわれたりします。
米国人の法律家と日本人のエコノミストでそれなりに仲良くやっていますが、語学力は彼に遠く及ばないのが悲しいです。
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