日本企業は不都合を隠したがる
今日の午後はコンプライアンスに関するセミナーに参加して、講師の方々からのお話を拝聴していましたが、1人だけ、相変わらず、日本経済の特殊性を言い立てる人がいました。一部上場の有名企業の社長と会長を歴任して、今は相談役か何かをしておられる方だと思います。ガバナンスやコンプライアンスなどについては、日本は諸外国と比較して違うんだと思っているんでしょう。それにしても、アングロサクソンの市場経済やグローバルスタンダードと比較して、日本経済、あるいは、日本の市場経済は異質だと考えている人がまだいるんでしょうか?
昨年あたりから、またしても「リビジョニスト」なる言葉をよく聞くようになりました。最近のは経済とは関係なくて、多くはユダヤ人に対するホロコーストをリビジョンする立場の人を指しているようですが、10年程前には日本経済に対する米国内の見方として、リビジョニストが騒がれたことがあります。昔懐かしいスーパー301条なんて、覚えている人も少ないでしょうが、1995年の春、自動車およびその部品に関する日米貿易交渉が決裂し、米国がスーパー301条を使用して、日本の高級車輸入に100パーセントの関税をかける経済制裁を決定し、日米貿易戦争前夜の様相を呈していたことがあります。
私も当時は日米包括協議の別の分科会に引っ張り出されて、ああでもない、こうでもない、と、とても強い外圧に悩まされたことがあります。しょっちゅう米国に海外出張していました。1995年1月の阪神淡路大震災の日も成田空港で米国行きの飛行機を待っていた記憶があります。
当時、米国は民主党のクリントン政権下でしたが、ウォルフレンやファロウズなどはリビジョニストを代表して、第2次世界大戦前後の日本人のメンタリティを分析していたりします。例えば、日本人は戦時中には軍の命令に自分の命を捨てるほど忠実だったんですが、敗戦を迎えるやいなや、掌を返したように、米国占領軍に気味が悪いほど従順に従ったりしていました。ですから、リビジョニストは、「日本人の内的行動を変えさせる方法として残されているのは外部からの圧力しかない」とし、さらに、「外部の圧力が挑戦不能なほど強くなければならない」と結論を下したりしました。これが、この時の日米自動車貿易摩擦における米国政府のウルトラ強圧的姿勢の本当の理由のひとつであると考えられています。
ひるがえって、数年前にAPECでアジア的価値が一瞬だけ取り上げられたことがありますが、日本国内ではひっきりなしに日本特殊論が取り上げられています。今日午後のセミナーはコンプライアンスに関するものだったんですが、このコンプライアンスやガバナンス(時々、CSRに代替されることがあります)については、日本の企業はかたくなに欧米流、というか、アングロサクソン流のコンプライアンスやガバナンスを否定し、日本流のCSRとかを推奨したりします。そして、そもそも、アングロサクソン流がガバナンスで、日本流がCSRだったりして、用語そのものに地域的特殊性の思惑を込めたりします。
私はホロコーストに対するリビジョンについては別として、日本経済が特殊だとは思っていませんし、日本の企業家が日本経済を特殊だと思いたがるメンタリティが理解できません。しかし、ここに、謎を解く鍵があります。日本人だけがして、外国人がしない行動に、ハゲスダレがあります。そうです。周囲の髪の毛を伸ばして頭頂部のハゲを覆い隠す、アノ方法です。少し前にある雑誌で見たのですが、20年ほど前の中曽根総理大臣のスダレ頭と現在の米国FEDのバーナンキ議長の潔いハゲ頭を比較して、改めて、ルース・ベネディクトの「菊と刀」における恥と罪の文化を再考している記事がありました。
つまり、日本は恥の文化であり、ハゲ頭もスダレで隠していれば、つまり、他人に見られなければオッケーなんです。キリスト教国は神が原罪を背負ってくれており、他人に見られようが見られまいが、罪は罪なんです。ですから、かどうかは知りませんが、ハゲ頭はスダレで隠すことなく、堂々とむき出しにするようです。
日本企業のガバナンスやコンプライアンスで最も悪い点は、バレなければオッケーの体質なんです。隠しおおせれば隠してしまう点なんです。コンプライアンスで不都合な点を隠そうとし、CSRでガバナンスの対象を拡散するのが日本企業の特殊論だとすれば、とても悲しいことだと思います。
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