ティンバーゲンの定理とデフレ脱却に割り当てるべき経済政策
経済政策においては政策目標と同じ数だけの政策手段がないと政策目標が達成されません。これをティンバーゲンの定理といいます。オランダの経済学者だったと思います。私がジャカルタ勤務だった時に、インドネシア中央銀行のエコノミストがオランダに留学し、その留学先がティンバーゲン・インスティテュートだったと記憶しています。インドネシアは第2次大戦前にはオランダの植民地だったわけですから、オランダに留学するエコノミストもいるのか、と感じたことを記憶しています。この大学の実態はよく知らないんですが、経済学については名門校そうな名前だと感じました。そうでなければ、まったくの駅伝大学かもしれません。日本に野口英世医科大学なんてあったら、インチキくさい大学のような気がしないでもありませんから、大学名なんて当てになりません。
ティンバーゲンの定理から政策目標と政策手段の数の関係は明らかなんですが、それでは、どの政策手段をどの政策目標に割り当てるべきかは明らかではありません。ひょっとしたら、とても適当な政策割当てでも政策目標を達成できるのかもしれませんが、やっぱり、効率的な割当てが存在するであろうコトは容易に想像されます。
例えば、最近、時折、耳にする考え方で、構造改革が格差を拡大したのだから、そろそろ、格差是正のために構造改革を止めたらどうか、というのがあります。これなんかは政策手段の割当てを間違えた典型的な議論だと思います。つまり、格差是正の政策目標に対して、構造改革を止めるという政策手段を割り当てるのは、とても奇怪な議論だからです。格差是正のためには構造改革をストップさせることより、もっと適当な政策手段が存在することは、誰の目にも明らかです。
バブル崩壊からの日本の失われた15年に関する分析では、私はほぼ完全にリフレ派の議論が正しいと考えています。特に、今世紀に入ってからのデフレ対策として、金融政策を中心とするマクロ政策を割り当てなかったのは、私にはまったく理解不能です。マクロ政策とは1930年代の大不況時にケインズなどにより考案され、デフレのような経済状況を打破するためにこそあると私は考えているからです。逆にいうと、構造改革政策をデフレ脱却に割り当てるのは政策割当てとして、明らかに間違っていると考えています。デフレ脱却のためには需要拡大が必要であり、そのためにはマクロ政策を割り当てるべきであるのは、あまりにも明らかです。
ただし、マクロ政策により景気変動を完全に除去することを目指すのは非現実的だとも私は考えています。今まで、そんなことに成功した例は見当たりません。そこまでのファインチューニングを期待することは出来ないにしても、1930年代の大不況や最近時点で日本が経験したようなデフレにはマクロ政策は一定の有効性を持つと私は考えていますし、そう考えるエコノミストはいっぱいいると思います。
構造改革とは定義のはっきりしない政策です。通常のエコノミストは供給サイドの強化だと考えているように見受けられます。あるいは、生産関数における技術進歩を促進し、全要素生産性を引き上げる政策ともいえます。だとすると、需要不足でデフレギャップが拡大したことに起因するデフレ状態を脱却するために構造改革を割り当てるのは適当ではない可能性がとても高いです。構造改革を進めても需要は拡大しないからです。短期的には可能性は低いかもしれませんが、むしろ、供給が増加してしまって、デフレギャップが拡大することすらありえます。構造改革は長期的な経済成長のために割り当てるべきであり、短期的な景気循環には割り当てるべきではありませんし、デフレ対策のような需要拡大にはまったく無力であるとすらいえます。
しかし、どうも、現実に進められている小泉政権の構造改革とは供給サイドの強化ではないように私は感じています。郵政民営化が構造改革の本丸といわれるのですから、どうも、この小泉政権の構造改革は供給サイドの強化ではないような気がします。むしろ、小さな政府とか「官から民へ」の方で、政府のサイズを小さくすることなんではないかと私は考えています。これは、広義の、というか、通常理解されている構造改革の部分集合をなすものなもかもしれませんが、少し違う気もします。いずれにせよ、通常理解されている構造改革はもちろんのこと、小泉政権下で進められている政府のサイズを小さくすることを目標にするような構造改革も、需要を拡大しないんですからデフレ対策に割り当てられるべき政策ではありません。
構造改革とはデフレギャップが解消され、デフレ脱却が視野に入ってきた現在こそ、長期的な経済成長を促進する政策として割り当てられるべきであると私は考えています。
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