公共投資の乗数はどうして小さいのか?
1990年代以来、公共投資の需要拡大効果が弱まり、ケインズ的な乗数が小さくなっているのではないかといわれています。小渕政権下であれだけ公共投資や減税や何やかやをやっても、結局、日本経済はデフレに陥ってしまったのですから、経験的に説得力ある議論だと思います。でも、私は昔からケインズ的な乗数はそんなに大きくなかったんではないかと思っています。ケインズ的な公共投資乗数よりも、日銀の金融政策とか政府の需要拡大にかける姿勢のようなものが評価されていたような気がするからです。
それはともかく、確かに、一般均衡的な経済を表していると考えられる内閣府の短期日本モデル2005年版では1年目の公共投資乗数が1.12となっており、教科書的なケインズ乗数から想像されるよりも、実際の計量モデルで観察される乗数はかなり小さいようにレポートされています。この要因は、以下のように、クラウディングアウト、需要の漏れ、リカード的な中立命題の3点にあると私は考えています。
最初に、大学の教養部程度の超初級マクロ経済学のおさらいなんですが、経済に政府部門も海外部門もないとして、経済が以下の需要恒等式と消費関数で表されるとします。
Y=C+I
C=C0+cY
ケインズ的な乗数は1/1-cとなります。cは限界消費性向と呼ばれます。
ですから、限界消費性向が教科書にあるように0.8とかだったら、乗数は5になるわけですが、先に引用したように、計量モデルで観察される乗数は1より少し大きい程度なわけです。これはどうしてでしょうか?
第1に、考えるべきはクラウディングアウトです。
上の図は概念図であり、実際のデータに基づいて書かれているわけではないんですが、取りあえず、これを基に、IS-LMアプローチで考えると、ケインズ的な乗数である1/1-cは、IS曲線のIS0からIS1へのシフトを受けて、均衡点がAからBへ移動することです。しかし、実際には2段階のクラウディングアウトを生じます。まず、LM曲線が正の傾きを有しているとすれば、均衡点はBからCへLM曲線の正の傾きに沿ったクラウディングアウトが生じます。これは所得の増加に伴って、貨幣の取引需要が増加するために生じます。経済が流動性のわなに陥っていて、LM曲線がフラットであれば、このタイプのクラウディングアウトは生じません。次に、物価上昇により、実質単位で計測したIS曲線がIS1からIS2に左方にシフトし、実質貨幣供給の減少によりLM曲線がLM0からLM1に左方シフトするので、これと併せて、均衡点をCからDに移動させます。最終的に観測される均衡点はAからDに移動することになります。矢印で示した通りです。
ケインズ的な乗数がAからBへのシフトで計測されるのに対して、LM曲線が正常な正の傾きを有し、また、物価上昇に対してIS曲線とLM曲線がともに左方シフトするのであれば、ケインズ的な乗数が観測される均衡点Bよりも最終的な均衡点であるDは必ず左方に位置することになります。
ですから、この2種類のクラウディングアウト、あえて名づければ、取引クラウディングアウトと物価上昇クラウディングアウトにより、ケインズ的な乗数よりも、実際に観測される乗数は必ず小さいことになります。
第2に、需要の漏れがあります。
政府部門と海外との輸出入を考えると、公共投資により発生した需要が租税や輸入に漏れることから、乗数は小さくなります。詳しくは、初級レベルのマクロ経済学の教科書をご覧いただきたいんですが、結果だけを示すと以下の通りです。
まず、政府部門を導入し、経済が以下の需要恒等式と消費関数・租税関数で表されるとします。
Y=C+I+G
C=C0+c(Y-T)
T=T0+tY
乗数は1/1-cから1/1-(1-t)cになります。ただし、tは限界税率と呼ばれます。
さらに、海外部門を加えて、経済が以下の需要恒等式と消費関数・租税関数・輸入関数で表されるとします。
Y=C+I+G+X-M
C=C0+c(Y-T)
T=T0+tY
M=M0+mY
最終的に、乗数は1/1-(1-t)c+mになります。ただし、mは限界輸入性向と呼ばれます。
もっとも、投資が加速度原理でなされ、誘発係数があるとすれば、それだけ乗数は大きくなります。誘発係数をβとすれば、乗数は1/1-(1-t)c+m-βになります。
第3に、リカード的な中立命題の成立の可能性があります。
輸出や独立投資の増加ではなく、政府が公共投資の増加により需要拡大を目指す場合、リカード的な中立命題も乗数を小さくする方向に働くと考えられます。おそらく、リカード的な中立命題が完全に成り立つことはなく、部分的な成立の可能性が高いんですが、政府が公共投資によって需要拡大を目指しても、超合理的に思考・行動する経済主体が将来の増税を予想すれば、それに備えた貯蓄行動を取り、政府の公共投資拡大が何の需要増加ももたらさない可能性があります。部分的にこのような超合理的な貯蓄活動があれば、その分だけ乗数は小さくなると考えられます。
第1のクラウディングアウトと第3のリカード的な中立命題は計算しかねるんですが、第2の需要の漏れについては式がありますから、模擬的な計算が可能です。もっとも、実際のデータに基づいているわけではないので、以下の模擬計算は頭の体操程度のものです。
教科書とかにあるように、限界消費性向を0.8とすれば、教科書的なケインズ乗数は5となります。これは最初の図のAからBへのシフトの幅と考えられます。しかし、限界税率を0.3とし、限界輸入性向を0.1として、そのまま乗数の式に代入すれば、乗数は1.85になります。5もあった乗数が一気に2よりも小さくなってしまうわけです。これに加えて、計算しがたいんですが、第1のクラウディングアウト効果と第3のリカード的な中立命題の成立の可能性を考慮すると、内閣府の計量モデルのシミュレーション結果としてレポートされたように、公共投資の乗数は1よりほんの少し大きい程度、ということになってしまいます。
以上。夏休み突入前にかなりマジメに私が考えた、ケインズ的な公共投資乗数は実際にはなぜ小さいか、の回答です。今夜のブログは最初はかなり力を入れていたんですが、結局、大学の教養部程度の経済学で理解できるように、かなり難易度は低めになってしまいました。
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