カルト教団への抵抗力
一昨日はともかく、今週に入ってから、昨夜なんかは少し前から作りためていた経済学のメモを流用したので、するどくも、私がそろそろ夏休みに入るので手を抜いているのだと見抜いた人がいました。実はその通りです。5月のゴールデンウィーク前は、いつから休みに入るのかがカレンダーから明らかなので、のほほんとしたブログをのん気に続けていたのですが、夏休みはゴールデンウィークほどは統一性のある休暇の始まりがないものですから、何となく、ごまかすために経済学のメモを流用してサボっていたのですが、実は、明日から夏休みに入ります。ちゃんと、本日、休暇簿を提出して上司の承認を得てあります。
ということで、最後の平日のブログも流そうかと思ったんですが、最近、新聞などで韓国起源らしいカルト教団摂理の話題をよく見ますので、カルト教団への対策や抵抗力として、しっかりした宗教観を持つことの重要性について考えてみたいと思います。
何度もこのブログで表明してきたように、私は京都府南部の出身です。京都から奈良にかけて広がる農村地帯の出自です。我が吉岡家はいつから続いているのか、まったく高貴な家柄からほど遠いので、そんなに正確なところは分かりませんが、3年前に亡くなった父親の説によれば、少なくとも数百年、ひょっとしたら千年以上の長きにわたって京都の南部に定住してきたのではないかといっていました。繰返しになりますが、真実の確認のしようがありません。しかし、室町時代の15世紀くらいまでは、無理やりに、さかのぼれるようなこともいってました。
これも亡くなった父親の受売りなんですが、通常、東京圏の経済規模が大阪圏を上回ったのが昭和9-11年ころであると考えられているんですが、おそらく、昭和初期までの日本が農業国であったころは、京都の南部地域は農村地帯としては日本でもっとも豊かであったと、私の父親は考えていました。私もほぼ同意します。ということは、おそらく、有史以来、京都から奈良にかけての私や私の先祖が住んでいた地域は、1500年くらいにわたって、日本でもっとも豊かな地域であったといえます。ここからは余談なんですが、よく、英国貴族が数百年にわたって栄養状態の良好な食生活であったことから、平民よりも体格がいいといわれています。ホントかウソかは知りませんが、これを根拠に、私の父親の説によれば、日本でもっとも豊かな農村地帯に定住してきた我が家は体格がいい、ということになるそうです。確かに、私は平均よりは少しだけ身長が高いかもしれません。でも、体重の方は平均をずっと上回っていたりします。しかしながら、この地域の平均的な体格が大きいという風説も証拠もありませんので、父親の説はやや疑わしいと私は思っています。
それはそうとして、宗教に戻ると、我が家は一向宗の門徒です。一向宗とは一般には浄土真宗という名で社会科で習います。親鸞上人がお始めになった仏教の一派です。もっとも、正確な統計は知りませんが、京都府南部地域では浄土真宗よりも浄土宗の方が信者は多いような気がします。浄土宗もそうなんですが、特に、浄土真宗は凡夫の宗教であり、たとえ悪人であっても南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、死んだ時には極楽浄土に仏として生まれかわる、という、とても単純な教義です。阿弥陀仏さえ信仰して念仏を唱えればいいわけですから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に近く、特段の修行や喜捨などを必要としません。他力本願でひたすら阿弥陀仏のお力により極楽浄土に生まれるわけです。死んだ時に輪廻転生から開放され、即ち、解脱して極楽浄土に生まれかわるとの阿弥陀仏の願をもって、現世での心の安らぎを得ることができるわけです。
いずれにせよ、私は何らかの宗教的なバックボーンがカルト教団への大きな抵抗力になると考えています。
他方、カルト(cult)とはラテン語のcultusに由来しており、これは耕すという意味です。語源的には文化cultureなんかと同じだったりします。中国語では邪教の訳を充てているそうで、日本人にはこちらの方が分かりやすいかもしれません。ヨーロッパではセクト、フランス語でSecteと呼ぶことも多いそうです。
臨床心理学、社会心理学、社会学の専門家なんかが正確な定義付けを試みているそうですが、エコノミストを自称する私には少しハードルが高いので、実際に報道などで記憶している限りの実例を上げると、1978年に米国からガイアナに移動した人民寺院信者の900人に及ぶ集団自殺が最初に私が知った例です。大学時代には「聖書を読みませんか」と近づいてくる統一教会の信者もいましたし、10年ほど前には日本でも1995年の地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教なんてのもありました。
今回の摂理を含めて、カルト教団については報道以上の情報はありませんが、多感な20歳前後の若年者を誘い込む手口は、各種のカルト教団で似通っていると思います。逆にいうと、大学生になる前か入学してから早々に、何らかの抵抗力や対策が必要とされるわけです。
私はインドネシアに3年間住んで、少しびっくりしたのが、無宗教が許されない、ということです。インドネシア人の多くはイスラム教で、もちろん、イスラム教を強制されることはありませんが、観光でやってきたツーリストはともかく、居住者には無宗教は許されないそうです。ですから、入管の時ではなく、アパートに入居する時、家族全員の宗教を申告させられました。無宗教の共産主義国の人を居住させないための便法であるという人もいますが、これはこれで、見識ある制度かもしれません。
というのは、カルト教団への抵抗力をつけるためには、自分自身で何らかの宗教的なバックボーンを持つのがもっとも望ましいと私は考えているからです。自分の信ずる宗教があり、それに自信を持っているのであれば、邪教とまでいわれるカルトに毒されることもないような気がします。
我が家はお正月の元旦には、一家そろって着物で初詣に行ったりしますが、私にとっては家族そろって遊びに行く感覚であり、多くの日本人と同じように初詣を宗教行事とは考えていません。しかし、私と多くの日本人とで違う点は、多くの人は、初詣も含めて、神式の結婚式や仏式のお葬式など、ほとんどの宗教が関係する行事を宗教行事と考えていないのに対して、私は南無阿弥陀仏と念仏を唱える宗教行事をバックボーンに持っているために、念仏を唱える以外に神や仏を祭る必要がない、だから、初詣はいうに及ばず、結婚式やお葬式も宗教行事ではないと考えていることです。ひょっとしたら、この違いは大きいかもしれません。
要するに、今夜のブログの結論は、自分の信ずる宗教や宗教活動を確立させることがカルト教団への最大の抵抗力となる、ということです。夏休みを前にのほほんとした気分でとりとめもない内容になってしまいました。
明日から夏休みです。
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