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2006年9月20日 (水)

国民が決めることと専門家が決めること

先日来、9月8日や14日のエントリーでデフレ脱却宣言について取り上げましたが、結局、政府の月例経済報告なんかではデフレ脱却宣言は出ませんでした。小泉総理大臣が政治判断しないと発言したんですが、とってももっともなことです。経済政策においては、国民が判断すべきことと専門家が判断すべきことがあると私は考えています。デフレ脱却宣言なんかは後者の専門家が判断する典型例で、政治判断という名の代議制民主主義下における国民の判断を仰ぐような事項ではないといえます。
経済政策において、国民の判断すべき事項と専門家の判断すべき事項をクリアに分ける基準はありえないと思いますが、大雑把にいって、専門家がいくつかの選択肢を示し、その中で国民判断するのが民主主義の基本だと考えています。しかし、重ねて申し上げますが、すべてを国民が判断するのが適当かどうかは疑問が残ります。
ひとつは現状判断があります。景気動向について、現時点で景気が拡大しているのか、不況に入っているのか、については専門家の判断で決めるべきで、デフレ脱却宣言もこの現状判断の範疇に入ると考えられます。いろんな経済指標を総合的に勘案して現状を判断するのは専門家の仕事だと考えられます。
他方で、専門家が選択肢を示して国民が判断すべき事項もたくさんあります。社会保障の負担と給付については、いくつかの考えられる選択肢を専門家が示して、国民が代議制民主主義に基づいて判断を下すのがあるべき姿ではないかと考えられます。また、格差について、心地よい格差なる言葉を昨夜のエントリーで紹介しましたが、どの程度の格差が国民経済的に許容されるのか、また、格差を是正すべきであるとすれば、その政策手段は何か、については、専門家の間で国民に対して開かれた透明な議論をした上で、最終的な判断は国民がすべきであると考えるエコノミストが多いんではないでしょうか。

しかし、微妙なのが日銀の金融政策です。昨年11月くらいから日銀が量的緩和解除や利上げに向けてタカ派的な姿勢を示して、それに対して、中川自民党政調会長や竹中総務大臣を筆頭に、政府・与党が反対する姿勢を示した時に、中央銀行の独立性を余りに重要視し過ぎたのか、マスコミなどで政府・与党に対して批判的な意見が散見されました。私はこれは少し違っていると考えています。物価安定という極めて国民生活に直結した重要な政策目標について、専門家たる日銀に丸投げするのが民主主義下の国民として正しい態度なのかどうか、とても疑問に感じています。
エコノミスト的にいえば、もしも、短期的に安定的なフィリップス曲線、あるいは、拡大フィリップス曲線があると考えれば、また、さらに、オークン係数が安定的であるとすれば、日銀が物価を決めれば失業率や成長率も決まってしまいかねません。もちろん、この前提はかなり怪しいんですが、この前提が成り立たないとしても、物価安定はそれだけでも国民生活に大きな影響を及ぼすものですから、専門家たる日銀に判断を委ねるのが本当に適当なのかどうか、成熟した民主主義国の国民として、もう一度じっくりと考えるべきであると思います。

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