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2006年10月31日 (火)

安倍内閣の経済政策の出番はいつか?

9月末に安倍内閣が成立して1ヶ月になるので、新聞各紙が特集を組んだりしていました。ご覧になった方も多いと思います。
内閣成立早々にアジア外交に取組み、まず、10月初に中国と韓国を訪問し、特に、中国での日中首脳会談が最大の経済政策だったとの意見もあったりします。その後、北朝鮮が核実験らしきものを実施したりして、安倍内閣には大いに追い風が吹き、補選で政権与党が2勝するなど、ロケットスタートとの声も聞かれます。最近になって、教育基本法改正案を審議する教育基本法特別委員会での議論が本格化するタイミングで、いろんな学校でのいじめ自殺履修漏れなどが続発し、教育問題が外交の次に取り上げられている感があります。さらに、私の勝手な憶測では、年明けの通常国会では社会保険庁の解体的出直しが議論の的に取り上げられるのは確実で、組織や職員の身分などをめぐって議論されることと思います。
経済政策的な観点からは、税制調査会の会長に増税派と目されている一橋大学名誉教授の石会長を再任せず、事実上更迭して、経済財政諮問会議の民間議員だった大阪大学の本間教授を税調会長に任命したことぐらいです。民間議員を一新した経済財政諮問会議では、地方分権改革なんかを取り上げているようですが、三位一体改革なんかと同じで、余り一般受けしないような気がします。少なくとも、エコノミストが活躍すべき分野からはほど遠いような気がします。

このように、今のところ、目につくような経済政策に関する議論は見受けないような感じがするんですが、見落としがちなのは金融政策の動向です。世界の常識、日本の非常識なんですが、世界の主要先進国でのマクロ経済政策の主たる手段は金融政策です。日本みたいな経済大国なのに、独立した中央銀行が政府の政策目標と異なる目標を掲げて暴走し始めれば、政府と日銀がまったく政策目標を共有していない現状で、経済成長を掲げる安倍内閣としてはとっても困ったことになるだけでなく、アジアや世界にも迷惑な話でしょう。
また、マスコミなんかに日銀の独立性を過度に擁護する傾向も大いにあったりします。私が何度も繰返し主張しているように、国民生活に密接な関係を有する物価安定を司る日銀に対して、憲法に定める代議制民主主義下での国民の代表たる国会議員が意見を述べれば、とっても不思議なんですが、マスコミが大きく取り上げて問題視するのが現状です。私のような論法で、国民生活に大きな影響を有する物価安定なんですから、国民の代表たる国会議員の声、国民の声を日銀は聞くべきであるとするマスコミ論調は、いまだかつて見たことがありません。今まで報道された程度の根拠で、このような傾向の報道をすることは不見識だと私は考えています。
最終的には、国民の代表たる国会を基礎にして議院内閣制の成立している日本なんですから、内閣と日銀で物価安定目標に関するアコードを結んで政策目標を同じくした上で、政策手段の独立性を日銀に保障するインフレーション・ターゲティングを導入するのが、正しい道なんでしょうが、取りあえず、年内や年度内の再利上げを食い止めるために、政府としてどのようなバーゲニングパワーを発揮すべきなのか。今後の経済政策運営の要諦だと私は考えています。

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2006年10月30日 (月)

高校の履修漏れ

先ほど、我が家の外を石焼き芋屋さんが通って行きました。こんな都会の真ん中の青山にも来るんですねえ。また、焼き芋の季節が到来したことを実感しました。我が家のおにいちゃんは、こんな夕食の後じゃなくて、オヤツのころに来ればいいのに、ともっともな感想を漏らしていました。

それはそうと、各地の高校で履修漏れが発覚しています。現在進行形で調査が進んでいるようですが、現時点では、数百校で履修漏れがあるような報道を見受けます。世界史などの必修の教科を履修しなかったり、選択教科で不足する場合もあるようです。実は、私も大学時代に必修の保健体育を4年生まで単位取得できずに苦しんだ経験があります。本来であれば、1年生のうちに単位取得しておくべきなんですが、京都大学の時計台の時計が止まってしまい試験に間に合わなかったアクシデントもあって、最終の4年生でようやく単位を取った記憶があります。
これだけ多くの高校で履修漏れがあるんですから、原因はさまざまなんでしょうが、基本は、ここ数年のゆとり教育根源的な原因を同じくしているような気がします。さらにいえば、競争が激しくなる中で、コストを最小化するためにリストラを進めて来た企業の姿勢とも共通するものが見られると考えるのは私だけでしょうか。
要するに、ゆとり教育と称してゆとりを持たせたつもりが、逆に、学習の努力を最小化する方向に学校を持って行ってしまったよう私には思われます。大学受験は相変わらず東京大学や旧制帝国大学を頂点とする大学のピラミッド型の偏差値の区分が変化せず、少子化が進んで受験者数が伸び悩んでいながらも、結局、受験の厳しさは緩和されていない中で、大学受験に特化した学習指導が漏れを生じたような気がします。
学校でも企業でも、悪い表現かもしれませんが、大学受験企業収益に直結しない、ある意味で、ムダの部分を最小化することにより、厳しい競争を勝ち抜こうとする姿勢は、それなりに理解できるんですが、だからこそ、大学受験や企業収益に直結しない部分を持てるのがゆとりなんではないでしょうか。こういった本当の意味でのゆとりや遊びが人生や社会を豊かにしてくれるんだと思います。
最後に、今回の履修漏れの解決方法なんですが、私は履修漏れのある高校生は被害者であるとの立場に立っていますから、出来ることであれば何らかの特別措置により、高校生の負担にならないような方法で、履修漏れの高校生を救済してあげて欲しいと思います。

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2006年10月29日 (日)

我が家の景気循環はピークを迎えたか?

今年の4月4日付けの「現在の景気拡大はいざなぎ景気を超えるか」のエントリーでも書きましたが、エコノミストの肝でありながら私は景気判断や景気分析はそんなに得意ではありません。経験則とトートロジーが支配する世界のように見えます。どちらかというと、私は統計的かつ数学的な経済分析を重視しています。別の言葉でカッコよくいえば、科学としての経済学を目指していたりします。ですから、このブログのサイドにおとうさんのお仕事ページへのリンクがありますが、そこにアップロードしてあるペーパーはそんなのばっかりです。少し前のジャカルタのころは、経済モデル専門家として派遣されていたので、何とかモデルと名の付くペーパーばっかり発表していました。そのものズバリの計量モデルの他、VARモデル、誤差修正モデル、状態空間モデル、果ては、マルコフレジーム・スイッチング・モデルなんてのもあったりします。

などと軽い前置きは別にして、我が家の景気循環がピークを迎えつつあります。我が家の景気循環はおおむね下の子が牽引しているんですが、先週後半に青山町探検で小学校の外に飛び出したのが楽しかったらしく、その後に、このブログのエントリーでも取り上げた金曜日夕方のハロウィン・イベントで大いに盛り上がり、今朝はボーイスカウトのカブ隊で筑波山にハイキングに行くので絶好調でした。特に、自分で地図帳を調べて、おにいちゃんが学校の遠足で行った高尾山の599メートルに対して、カブ隊で行く筑波山が877メートルあるといい出して、勝ち誇ったように上機嫌でした。ムチャな比較だと思いますが、気持ちは分からないでもありません。
おにいちゃんも少し前の塾のテストにとても自信があって、結果が出るのを楽しみにしていたんですが、先週半ばに結果を受け取り、予想にたがわず好成績でした。同じ団地から小学校の同じクラスに通っている、とっても勉強の出来るお子さんがいて、青山に引っ越してからはこのお友達を目標にしていたりしたんですが、9月から塾に通い始めて2ヶ月ほどでアッサリと追い付いてしまいました。夏休みに第1巻「賢者の石」を読んだ後、10月に入ってからはハリー・ポッターの読書も快調で、第2巻「秘密の部屋」、第3巻「アズカバンの囚人」、第4巻「炎のゴブレット」をアッという間に読み切って、今は第5巻「不死鳥の騎士団」を読み進んでいたりします。
女房はおにいちゃんの勉強にかかり切りですので、おにいちゃんがいい成績であれば上機嫌です。さらに、ここ2-3週間、いいお天気が続いていますが、お天気がよくて洗濯物がよく乾いた時は機嫌がいいような気がします。また、相変わらず、昼間はヒマにしているのか、せっせとお花の教室に通ったりしているようです。出来れば今一度、料理教室に通って欲しいと私は思っているんですが、直接意見を述べるだけの勇気はありません。
私は日本経済が順調ですので、官庁エコノミストの常として仕事も順調です。景気の最悪期には台風の最中の日曜日に長靴を履いて出勤して、景気対策の取りまとめをしたりしましたが、景気の実感が伴わないとかいいつつも、現在の景気拡大がいざなぎ景気を超えようかという段階で、官庁エコノミストとして特に大きな課題を抱えているわけではありません。

今後、我が家の景気循環の観点から、懸念される点がいくつかないわけではありませんが、我が家の景気拡大も順調に継続して欲しいと願っています。下の子と女房のニンテンドーDSをめぐるバトルをクリスマスまでにソフトランディングさせることが重要ではないかと思っています。

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2006年10月28日 (土)

風船ガムの練習とクロノス

今日は土曜日です。おそらく、我が家以外でも全国的に土曜日なんだろうと思います。
子供達は朝の子供向けテレビを見終えて、まず、勉強をさせます。特に、小学2年生の下の子は宿題が多いので、まず、宿題を片付けさせます。それから、思い思いにパソコンでゲームをしたり、ハリー・ポッターの読書に励んだりします。
下の子は、ようやく出来るようになった風船ガムをせっせと練習します。少し前までは出来なかったそうです。子供っぽいスキルかもしれませんが、これからいろいろと身について行くんでしょう。また、我が家は昨日のうちに青山通りのハロウィン・イベントに参加しましたが、本来のハロウィンである10月31日が近づいて来ましたので、パソコンゲームのクロノスではハロウィンのアイテムが登場するらしく、ウチの子供達は待ち望んでいます。でも、テストサーバで上手く行っていないらしく、まだ、ハロウィン・アイテムは現れません。とっても残念
下の写真は風船ガムを膨らませる練習をする下の子とクロノスのパソコンゲームで遊ぶおにいちゃんです。

風船ガム  クロノス

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2006年10月27日 (金)

青山通りのハロウィン・イベントに行く

今日は有給休暇を取って、午後から小学校の学校公開日に行った後、夕方からは下の子とともに青山通り商店街の主催するハロウィンのイベントに行ってきました。港区役所も後援だか、共催だかだったので、港区役所のホームページにも掲載されていました。集合場所は青山通りのエイベックスビルでした。
ハロウィンまず、集合場所に仮装して行って、ハロウィンのお菓子をもらえるお店の地図を受け取ります。もちろん、集合場所の直前にしか仮装はしません。先週、買い求めたドラキュラの扮装です。地図に従って、いろんなお店を回っては「トリック・オア・トリート」と下の子がいうと、いろんなお菓子をもらえます。私の役割は、もらったお菓子を入れるカバン持ちとドラキュラのマントが地面に引きずるのを避けることで、大きなカバンとマントを持って青山通りを歩き回っていました。ジャカルタのころはアパートの中だけを回っていましたので、幼稚園くらいになると子供だけで回れましたが、青山では外ですし、時間的にもに入って暗くなりますから、ボディガードの役目もあります。左上の写真は青山通りのブルックス・ブラザーズでお菓子を選ぶ下の子です。ウチの子はかわいい上に、体が大きくて目立つので、私だけではなく、アチコチのお店で写真のモデルをしていました。
最初は、集合場所から我が家のある方角に歩いてお店を回る計画だったんですが、下の子が地図にある限りの全部のお店を回るといい出し、広範な範囲を歩き回るハメになります。最初に書いたように、集合場所は青山通りのエイベックスビルで、当然のことながら、ハロウィンに参加しているお店のほぼ中央に当たります。最後に逆方向へ長距離を歩かねばならなかったのはツラかったですが、下の子は元気いっぱい機嫌もよかったです。
ハロウィンはジャカルタにいた当時の2002年が最後でしたから、4年振りでした。私は少しくたびれましたが、下の子は大満足で家に帰って来て、おにいちゃんとお菓子を分け合っていました。おにいちゃんも、すんげえなとその量の多さにびっくりしていました。また、下の子は生まれて初めて風船ガムを膨らませることが出来たと大喜びでした。

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小学校の学校公開日に行く

昨日の木曜日から来週の水曜日にわたって、我が家の子供達の通う小学校で学校公開日を行っています。学校が保護者や地域に対して公開されるのはとてもいいことで、私も及ばずながら協力するために、学校公開日が始まった昨日は朝の通勤の際にチラリと小学校に立ち寄った後、今日は本格的に有給休暇を取って、午後から小学校に行ってきました。
我が家の子供達は小学4年生と2年生で2人いますから、教室を交互に行き来します。小学校で午後からの授業といえば5時間目と6時間目です。5時間目はおにいちゃんが社会科の郷土の発展について教わっていました。玉川上水についての授業でした。下の子は算数です。二桁の足し算と引き算の勉強です。私がいたので先生も気を使ってくれて、ウチの子が最初に当てられていました。6時間目はおにいちゃんが国語の図書の時間で、図書室で読書していました。下の子も国語の授業で漢字を教わっていました。私が見ているからでもないんでしょうが、ウチの子はどちらもまじめな態度で授業に臨んでいました。
それにしても、私が小学生だった大昔の授業参観といえば、学校公開日とは厳密には違うのかもしれませんが、教室の後方スペースは鈴なりで、とてもたくさんの保護者が詰めかけていたもんです。でも、学校公開日として1週間にわたって保護者を受け入れていると適度に分散されるのか、せいぜい、保護者は教室当たりで多くても2-3人くらいでした。でも、学校や先生にはいい刺激になるような気がします。
下の子の教室で女房と鉢合わせします。割合と教室の子供達がお利口に静かに授業を受けている中で、夫婦で私語を交わします。体育館で作品が展示されているので、見に行くように女房から示唆を受け、スリッパに履き替えて、体育館で子供達の作品を鑑賞します。もっとも、私が主として鑑賞したのはウチの子供達の作品です。子供達の気が散るでしょうから教室では写真は遠慮していたんですが、体育館は保護者しかいませんから、心行くまで我が家の子供達の作品を写真に収めました。
下の写真は、上の2枚がおにいちゃんの作品で、下の2枚は下の子の作品です。子供の写っていない写真をこんなに撮ったのは久し振りな気がします。

原始人  恐竜時代
毎日の生活  笑顔

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2006年10月26日 (木)

格差の是正と教育再生

日本ハムが日本シリーズを制しました。おめでとう、新庄選手。
それはさて置き、教育再生会議が開始され、本格的に教育再生について議論されているようです。私は格差是正の観点から教育はとても重要だと考えています。しかし、格差の問題がとても大雑把にしか議論されていないので、今夜のエントリーでは、私が重要と考える観点から整理しておきたいと思います。
まず、教育再生の観点からは、大都市圏と地方圏の格差については、私の方で整理し切れていないこともあり、少し脇に置いておきます。申し訳ありません。私の方で地域間格差について考えがまとまれば、そのうちに、エントリーをアップしたいと思います。
地方間格差を別にして、所得格差では世代内格差と世代間格差をきちんと認識することが重要だと私は考えています。英語にすれば、intra-generationとinter-generationの格差です。世代内格差は1人の人が生きている間に、格差的ないい方をすれば、個人の生涯において低所得の階層と高所得の階層の間での移動可能性があるかどうか、別のいい方をすれば再チャレンジが可能かどうか、が問題になります。もちろん、低所得者層の底上げとして、適切なマクロ経済政策による経済成長の実現が重要なんですが、今夜のエントリーでは所得階層間の移動性を取り上げているので、経済成長については、取りあえず、置いておきたいと思います。それから、世代間格差は世代を経て格差が解消されるかどうか、あるいは、親の所得階層と子供の所得階層の間に移動可能性があるかどうか、が問題となります。直感的に理解できるように、後者の世代間格差の解消のためには教育が大きな役割を果たします。
さらに、格差の固定化が問題となる場合でも、世代内格差と世代間格差をきちんと理解する必要があります。世代内格差で格差を固定化しないためには、再チャレンジなどで高所得者になることが出来たり、フリーターやニートから正社員に登用される道を用意することが必要です。個人のレベルでの所得階層間での移動可能性を高めることが必要になるわけです。すなわち、職業訓練などを別にすれば、個人の努力企業や職場の体制の問題なんですが、世代間格差を是正するためには、低所得の親に生まれても高学歴を得られるような柔軟な教育システムが必要になります。少し前までは、これが国立大学というシステムで維持されており、学費を低く抑えながら高等教育を受けられるようになっていましたが、最近では、親の所得が高くなければ、逆に、いい大学に行けないようになってしまっています。これは、公教育の公立中等教育機関のレベルが落ちて、それなりの追加費用を要する付加的な教育を付与しなければならなくなったからです。これを子供の努力で対応するのはムリがある可能性が高いです。
また、格差については年齢とともに広がるのは当然です。生まれたばかりの赤ちゃんには遺伝的な要素を別にすれば、ほとんど格差はないといえますが、高齢者ではそれまでに歩んできた人生に従って、それなりに格差が大きいのが当然ともいえます。ですから、そんなに格差の広がっていない段階で、公教育のレベルを上げて、世代間格差を解消するような議論が教育再生には必要だと私は考えています。

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2006年10月25日 (水)

日本ハムが日本シリーズで3連勝

みなさんご存じの通り、今年の日本シリーズは日本ハム対中日です。少し前にこのブログでも書きましたが、阪神がセリーグで優勝できなかったので、私は新庄がいる日本ハムを応援しています。でも、ほとんど日本シリーズは見ていません。まあ、阪神が出ていないんですから、興味もありませんでしたが、今夜は久し振りに9時過ぎからテレビを点けて、終盤戦をテレビ観戦しました。ポケモン以外は余り見慣れないチャンネルだったので、コマーシャルが少しヘンだと感じたのは私だけでしょうか。
まず、見始めた時に3-0だったので経過を確認すべく、インターネットを調べます。すると、いつも見ている朝日新聞のサイトに、ヒルマン監督を批判して出場停止になっていた日本ハム先発の金村投手が、頭を下げてからマウンドに上った写真が掲載されていました。テレビのリプレイでも何度かやっていました。実は、私はサラリーマンとして、必ずしも上司に従順な方ではありません。上司のいうことをお説ごもっともと受け入れるのも給料のウチならば、お諌めするのも給料のウチと思っています。ですから、監督は絶対とする体育会的な論調と違って、監督批判もそれなりに容認するんですが、それにしても、ぬるま湯の公務員の世界と違って、プロ野球なんかは結果が明確に出る勝負の世界ですから、日本ハムをリーグ優勝に導いて、日本シリーズも今夜までのところ、3勝1敗と断然有利に展開しているヒルマン監督ですから、この実績ある采配に異議を唱えたのは間違いだったと、文字通り、素直に脱帽するべきなんでしょう。
それにしても、新庄選手はカッコいいです。私は今夜まで知らなかったんですが、新庄ではなくSHINJOとアルファベットでスコアボードに表記してありました。登録名がそうなっているからなのでしょう。でも、すぐ横の方に外国人選手がセギノールとカタカナで書いてあるのに、新庄選手の名前が縦書きでSHINJOとなっているのは少し違和感を感じないでもありませんでした。足が速くて肩が強くて、外野手としての守備は天下一品で、打撃の方もややムラがあるものの、意外性を備えた選手で、しかも、がありますから、人気が出るのも当然でしょう。阪神から大リーグに移った時は少し残念に思いましたが、日本のプロ野球界にとってはよかったのかもしれません。

阪神を破って日本シリーズに進出した中日をセリーグの代表と考えたくもありますが、やっぱり、阪神OBの新庄選手のいる日本ハムを応援してしまいます。でも、来年こそは阪神タイガース日本一になってもらいたいです。

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2006年10月24日 (火)

生産性を引き上げることは可能か?

いろんなエコノミストと意見交換する中で、今の安倍内閣を高く評価する点として、イノベーションなんかによる高成長志向増税ではなく歳出削減を重視した財政再建の2点をあげる人が多いと感じています。しかし、ちょっとだけ違和感を感じたことがあったんですが、成長率を高めることと潜在成長率・生産性を高めることの区別が、立派なエコノミストの間でも混同されているような気がします。
成長率を高めるのは、端的にいうと、需要を高めることで達成可能です。日本以外の先進各国では金融政策が需要の調整に割り当てられていると私は考えています。しかし、潜在成長率ないし生産性、ここではいわゆる全要素生産性(TFP)を考えていますが、これを引き上げるのは政策課題としては、相当に難しいことです。
成長率を高める経済政策はかなりの程度に解明されているといえます。例えば、超初級のマクロ経済学の教科書を見ても、金利を引き下げるとか、財政支出を増やすとかの政策手段がいっぱい書いてあったりします。でも、政策科学としての経済学の立場から、全要素生産性を引き上げる経済政策が解明されれば、ノーベル経済学賞が10個くらいもらえそうな気がします。エコノミストから見て超難題といえます。もちろん、政策的に全要素生産性を引き上げることに明確に成功した国はありません。何となく成功した国はあるかもしれません。
でも一方で、エコノミストの中には、この議論と混同して、生産性が残差で決まるといい放つ人もいたりします。これはこれで間違っていると私は考えています。確かに、全要素生産性はソロー残差と呼ばれたりしていますし、単純に計測しようとすれば、コブ・ダグラス型の生産関数を所得分配でカリブレートして、その残差で計測したりするんですが、計測が残差であることと、実際にどう決まるかが残差であることは、まったく別のことです。とても大きな根拠があるわけではありませんが、生産性にも何らかの決定要因があると想定した上で、現時点では科学としての経済学がそれを解明していないだけである、と考えた方が私はより合理的だと思います。少なくとも、計測と同じように、生産性は残差で決定されるわけではないと思います。

今夜は、何となくお天気もさえなかったので、考えがまとまりません。生産性・潜在成長率と経済成長率が違う概念であること、生産性を計測する場合と違って、何らかの生産性決定要因があるんではないかと考えられること、この2点についてのメモでした。

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2006年10月23日 (月)

子供を守る親の権利と義務

このところ、教育現場でのいじめに加えて、親などの虐待の記事なんかも新聞でよく見かけます。朝日新聞の朝刊では「虐待で3歳児餓死、体重7キロ 遺棄致死容疑で父ら逮捕」との記事がありましたし、それから、夕刊の入稿には間に合わなかったようですが、朝日新聞のサイトでは「脳に病気の乳児、親権停止し手術 両親、宗教理由に拒否」との記事を見かけました。
どちらも、ネットの記事から最初のパラグラフだけを引用すると、以下の通りです。

22日午前10時55分ごろ、京都府長岡京市西の京の民家から「子どもがぐったりしている」と119番通報があった。救急隊員らが駆けつけ、心肺停止状態だった佐々木拓夢(たくむ)ちゃん(3)を病院に搬送したが、死亡が確認された。顔全体に無数の殴られたようなあざがあったうえ、体重が3歳児平均の半分ほどの約7キロしかなく低栄養による餓死だった。向日町署は23日未明、保護責任者遺棄致死容疑で運送業の父佐々木貴正容疑者(28)と内縁の妻の西村知子容疑者(39)を逮捕した。
生まれつき脳に病気を持つ乳児の手術を宗教上の理由で拒否した両親に対し、大阪府内の児童相談所が昨年2月、「親権の乱用にあたる」として親権停止の保全処分を大阪家裁に請求し、6日後に認められていたことが分かった。医師が一時的に親権代行者となって手術を実施。乳児は現在、親権を回復した両親に育てられている。親権停止決定には通常数カ月かかることが多く、短期間での決定は異例という。

我が家のように親バカの家庭では考えられないようなことが世間では起こっているような気がします。しつけと称して、子供に十分な食事を与えないばかりか、顔などを殴ったり、命すら危ない病気なのに宗教上の理由手術を拒否したりと、健全な常識では考えられないことです。私なら、子供の命が危険にさらされるような教義の宗教はさっさと改宗します。子供の命より大切な宗教が存在すると考えるだけでバカげています。
でも、引用しておいてナンですが、私は朝日新聞の報道態度にも疑問を感じます。ネットになかったので引用はしませんでしたが、夕刊の社会面では京都の3歳の餓死の続報の下で、「児童相談所、家庭訪問怠る」と題して、児童相談所も同時に槍玉にあげているからです。こんな事件はほとんど100パーセント近く親の責任、あるいは、今回の場合は実の父親とその内縁の妻の責任だと思うんですが、役所や社会全体に責任を拡散させるような報道態度は疑問です。

その昔に、私が在チリ大使館の経済アタッシェをしていた時には、外国における邦人保護の重要性をやかましくいわれたものでした。やや誇張した表現かもしれませんが、経済班がチリの経済成長率を一桁間違って本省に報告しても単なる笑い話で済むものの、チリで邦人保護に失敗したり、何らかのミスがあったりして死者やケガ人が出ることは許されない、といわれたものです。民間企業で海外駐在している人にはこの感覚が分からないかもしれませんが、外交官として在外公館に勤務している場合は、邦人の人命の保護は何よりも重要で、絶対に失敗やミスの許されない部分です。外国で犯罪を犯したり、不正に加担したりして警察に捕まった場合なんかはともかく、まっとうな邦人の生命と身体の保護は少々のことを曲げても外交的には絶対的な正義だと見なされています。
在外公館における邦人保護でもこんな具合なんですから、自分の子供を守るのは親にとって絶対の正義なんだと私は考えています。子供の安全を守るのは親の義務であり、同時に、大きな社会的責任を伴うものであると思います。その上に立って、親の権利とは子供の安全を脅かしたり、健全な成長を阻害したりするものを排除する権利だと思います。まあ、このブログでも取り上げた月の観察の宿題なんかは、ある意味で、子供の健康を損なう恐れがあるわけですから、小学校の担任の先生に一言申し上げるのも親の権利に含まれると考えています。

学校でいじめがあったり、家庭で親に虐待されたり、子供にとって受難の時代なのかもしれませんが、少なくとも、我が家では親バカといわれようと、何といわれようと、絶対の正義の感覚の下に、子供の安全と健全な成長を守るべく愛情を注ぎます。

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2006年10月22日 (日)

赤坂図書館で読書の後、神宮外苑でサイクリング

かなり長く続いた秋晴れも今日の午後で終わり、東京では夕方から雨が降り出しました。私は雨が降る前に、午後から下の子と自転車で外出しました。
まず、赤坂図書館に行きます。おにいちゃんはハリー・ポッターにハマッていて、図書館から本を借りようとはしませんから、私と下の子だけで出かけます。下の子が借りている尼子騒兵衛の忍たまシリーズは、最初は、私が適当に借りていたんですが、毎週5冊くらい読み進みますので、今となっては、私では下の子がすでに読んだ本とまだ読んでない本が分からなくなってしまい、先週あたりからは、読んでいる本人を連れて行って借りています。
今週は7冊借りることにして、本を選び終わった後、コロコロ・コミックに下の子の目が止まります。もちろん、読みたいといい出します。帯出禁止のマンガですから、図書館の中で読まなければなりません。下の子は子供向けコーナーの読書室に入り、熱心にコロコロ・コミックを読み始めます。実は、かなり前に、松戸にいた時にコロコロ・コミックを買い与えた記憶があるんですが、付録のムシキングのカードが目的で、ほとんどマンガは読まなかったので、その後は買わないようにしていました。でも、そろそろ、コロコロ・コミックを読める年齢に達して来たような気がします。
赤坂図書館を出て、お隣の青葉公園のフリマに立ち寄ります。フリマそのものは終わりかけていて、何もめぼしいものは残っていなかったんですが、なぜか、下の子はフリマが大好きなんです。フリマの前を黙って通り過ぎることは出来ません。でも、そういった性格が幸いして、今日のフリマの会場にはビーバー隊のころにごいっしょしていたお子さんとおかあさんがいて、オヤツのおすそ分けをもらいます。下の子がフリマをますます好きになりそうです。
自転車で外出したので、久し振りに神宮外苑でサイクリングします。ビーバー隊のころに来た記憶はあるんですが、私が肉離れを起こしていて、子供達だけで遊ばせた覚えがあります。道路が自動車向けと自転車向けにきれいにパイロンで分けられていて、小さな子供連れでも安心してサイクリングが楽しめます。私はまったく関心がないんですが、競輪収益金の補助事業だそうです。これも、松戸に住んでいた時に、柏あたりの北方から日曜日なんかに家に帰る際、競輪場のある北松戸駅から少し雰囲気の違う人たちがドヤドヤと常磐線に乗り込んで来て、素直に違和感を覚えたものですが、あの人たちからの収益の一部が還元されているとは理解しても、私は一生競輪はしないだろうと思います。
場外馬券売り場やパチンコ屋なんかに子供連れで来ている人もいたりするようですが、私は子供を連れて行くには図書館の方がいいと思います。でも、神宮外苑のサイクリングは都会の中で、少し管理された趣きがあるように感じられます。本当であれば、郊外のだだっ広い原っぱで自転車を走らせてみたい気がしないでもありません。

下の写真は、左側のが赤坂図書館の読書室でコロコロ・コミックに読みふけっているところで、右側のが神宮外苑でサイクリングしているところです。どちらも下の子です。

赤坂図書館  神宮外苑

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勉強の後はポケモン・カードゲーム

日曜日は朝から小学生必見のテレビがあります。怪傑ゾロリです。小学生必見ですから、親もいっしょに見ることも大いにあります。先日、金融機関にお勤めのエコノミストとランチした折りにも、怪傑ゾロリで少し前にあった場面の話題が出たりします。すなわち、ゾロリに付き従う双子の山賊イシシとノシシのうちの、ノシシがさるお城に残ってゾロリとイシシだけで旅を続けそうになって、私の友人のお子さんは我が家より小さいので泣き出しそうになった、とかの話題がエコノミストのランチで出たりして、小学生を持つ親として、年代の近い間柄ではとっても親しみのある話題だったりします。これほど小学生必見の番組ですから、我が家では日曜日朝7時と早い怪傑ゾロリはDVDに録画してあります。ですから、寝坊してもオッケーです。
それはさて置き、朝のテレビを見終えて、子供達は勉強します。そのために子供部屋のある青山の団地に引っ越したんですから、勉強に励んでくれないと引っ越した甲斐がありません。上のおにいちゃんは勉強すべきことがいっぱいあります。下の子は主として宿題を済ませます。今週の作文の宿題はいつもの日記ではなく、好きなものについて書かねばなりません。下の子はいつもにも増して苦しみます。日記の作文であれば、どこかに出かけた記録で済みますが、好きなものであれば、それなりの表現力を要します。私はこの作文の宿題を高く評価しています。やっぱり、小学生の基礎学力は読み書き算盤です。おにいちゃんの担任の先生が出す月の観察の宿題なんかより、私はずっと高く評価しています。
ポケモン・カードゲーム昼前に勉強を終えて、子供達はかねてから示し合わせてあったのか、ポケモン・カードゲームを始めます。私はこの展開が読めませんでしたから、少し前から子供達の間で何らかの話題になっていたんでしょう。畳の和室にテーブルを持ち出して、久々の兄弟対戦です。下の子なんかは新しいデッキを考えていたようで、私のデッキが持ち去られており、私のデッキに対応した対抗デッキを構築していたようです。しかし、それが逆目に出たのか、おにいちゃんには負けてしまいます。おにいちゃんが2連勝して兄弟対戦を終えました。左上の写真はポケモン・カードゲームで対戦する我が家の子供達です。
午後から赤坂図書館に行きます。

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2006年10月21日 (土)

来週末のハロウィン準備の買い物に行く

昨年のこの季節もハロウィンを取り上げました。バレンタインやクリスマスに比べて、我が国でハロウィンの人気が出ないのは、例えて比べると、バレンタインの場合はチョコレート業界、クリスマスの場合はケーキ業界という特定業界でまとまった広告費をかけやすいのに対して、ハロウィンの場合はお菓子業界全体が対象になってしまうので、入会地の不幸のようになってしまって、広告費が過小にしか支出されない結果だと思います。我が国はキリスト教国ではありませんから宗教的なバックボーンはなく、結局、みんなの物は誰の物でもなくなってしまうことから、拡散し過ぎたお菓子業界はハロウィンに対する広告費をケチってフリーライダーとしてタダ乗りしようとするために、だれもハロウィンを宣伝しなくなり、ハロウィンについてはバレンタインやクリスマスに比較して広告費が過小にしか支出されず、我が国では人気が出ない結果となっているような気がします。まあ、チョコレート業界やケーキ業界よりも拡散性の広いお菓子業界であるために、広告費が公共財的な性格を帯びて過小支出に陥っているといえます。
などと、エコノミスト的な分析とは何の関係もなく、我が家はハロウィンの準備を進めます。とはいっても、青山の商店街でハロウィンを企画しているのに参加するため、仮装の衣装を買いに行きます。仮装していなければ参加出来ないそうです。ハロウィンは本当は10月31日なのですが、その日は火曜日なので、来週末に予定されています。でも、残念ながら、その当日はおにいちゃんは別用があり、下の子だけが参加するといいます。でも、買い物にはおにいちゃんもいっしょについて来ます。
我が家のある青山から渋谷に銀座線で出かけます。渋谷109の前で東京映画祭を記念して、ゲームコーナーがあり、親子で挑戦します。でも、ラッキーセブンを出したのはおにいちゃんだけで、私と下の子はダメでした。おにいちゃんは記念品をもらいます。それから、ようやく、東急本店前のドンキホーテでハロウィン向けの仮装を品定めします。実は、私はこのテの仮装は原宿のキディランドにいっぱいあるんではないかと考えていたんですが、女房から、1回か2回くらいしか着ないんだから、ドンキホーテで十分といわれてしまいました。いろいろと悩んだ末に、ドラキュラにします。赤と黒のマント、シルクハットにカマーベルトの3点セットです。大人向けに近いと感じましたが、他の仮装セットがモデルに120センチの小学校低学年を起用していたため、ウチの下の子にはちょっと幼稚に見えたようです。少し背伸びして小学校高学年から中学生くらいまでのカンジの仮装を選びます。
帰り道で、ビックカメラに立ち寄って、我が家ではまだ買っていないので、ニンテンドーDSを下見します。ニンテンドーDS本体も、ポケモンのダイヤモンドとパールもみごとに売り切れています。でも、ゲーム売り場の片隅に体験機が置いてあり、ポケモンのソフトがインストールしてありましたから、おにいちゃんと下の子が代わりばんこにせっせと遊びます。家に帰って、下の子が女房とニンテンドーDSについて交渉しますが、あっさりと交渉は終了してしまいます。これから、クリスマスに向けて長期戦の交渉が進められようとしているようです。

下の写真はドラキュラの仮装を着用した下の子と、鏡で仮装を吟味する子供達です。やっぱり、マントはしっかりと引きずっています。

ドラキュラ  ドラキュラ

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2006年10月20日 (金)

NY株式市場が史上最高値を連発

先週から今週にかけて、NYダウ史上最高値を連発しています。私は株式市場や為替市場については、基本的にランダムウォークすると考えているので、余りブログのエントリーでも取り上げませんでしたし、また、このテの金融市場関係の話題を取り上げると、ワッとスパム・トラックバックが来るので少し躊躇するんですが、ここまでNY市場が史上最高値を連発すると、少し取り上げてみたくなりました。
まず、全文だとかなり長くなってしまうので、最初の2パラグラフだけですが、日経ネットから引用すると、以下の通りです。記事のタイトルは「米国株、小幅高―ダウ平均が最高値、終値初の1万2000ドル台」となっています。

19日の米株式相場は小幅高。ダウ工業株30種平均は続伸し、前日比19ドル5セント高の1万2011ドル73セントで終えた。連日で過去最高値を更新し、終値で初めて1万2000ドル台に乗せた。好決算を手掛かりに大型株の一角が買われた。高値警戒感や原油価格上昇を背景に利益確定の売りも出て、もみ合う場面が目立った。
ハイテク株比率の高いナスダック総合株価指数は3日ぶりに小反発し同3.79ポイント高の2340.94。半導体株が先行きの収益不透明感から軟調で上値が重かった。ニューヨーク証券取引所(NYSE)の売買高は午後4時までの通常取引(速報)で約16億3000万株、ナスダック市場(同)は約20億 3000万株。

昨日10月19日の日中の取引の展開をざっと概観すると、NYダウ平均は前場の中ごろに当日の最高値を付けた後、少し伸び悩み、サウジアラビアがOPECで合意した減産に前向きな姿勢を示したとのニュースに反応し、原油先物が上昇したため株価の上値が抑えられたようです。後場に入ってからは、正午にフィラデルフィア連銀が発表した10月の製造業景気指数がマイナス0.7と市場予想を下回ったため、一時、小幅安に転じる場面があったものの、指数の中身で新規受注や出荷指数が上昇していたことを材料に、大きく株式を売る流れにはならなかったようです。全体として、今後の企業決算への期待から終値は1万2000ドルを超えて、史上最高値を更新しました。
なお、ナスダックや個別銘柄の値動きについては、日経ネットのリンク先やその他の情報をご参照下さい。
NYダウの終値ベースで、2000年1月14日のITバブル時に付けた1万1722.98ドルのピークを超えたのが10月3日で、これが6年8ヶ月振りでした。その後、北朝鮮の核実験の発表なんかをものともせずに、先週から今週にかけてNY市場は元気よく史上最高値を更新しているようです。

要するに、米国経済がソフトランディングするとの見通しから、あるいは、ソフトランディングさせるために、連邦準備制度理事会(FED)が金利の引下げを含む適切なアクションを取るとの見通しで、株式が買われているようです。ですから、朝方に決算を発表したシティグループやバンカメは決算が好調だったにもかかわらず、株価は軟調だったようですし、他の金融機関の株価にもこれが波及したようです。ハネウェルも好決算に関係なく売られたようです。フォワードルッキングなんでしょうが、エコノミスト的には説明が難しいような気がします。
しかし、市場関係者や専門家の間では、今週はかなり株価が上げましたので、近く調整局面に入る可能性も指摘されています。特に、市場関係者は誰でも知っていることですが、ヘッジファンドは11月が決算のところが多いので、決算前に株式の値を上げておいて、裏で売り抜けているファンドも多いのではないかと私は想像しています。そろそろ誰かがババをつかまされる展開なのかもしれません。

日本では57ヶ月のいざなぎ景気を超える景気拡大が今も続いていますが、株価は昨夏からかなり上昇したとはいえ、バブル期の最高値の半分にも達していません。ほとんど賃金が上昇していないことと併せて、景気拡大の実感が伴わないひとつの要因だと考えられます。

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2006年10月19日 (木)

子供のボディーガードに適しているのは?

毎日、いいお天気の秋晴れが続いています。東京ではかなり長らく雨が降っていないような気がします。昨年の10月もいいお天気だったんですが、週末ごとに雨が降って、そんなに遊びに行けなかった記憶があります。

さて、4月7日のエントリーでも取り上げましたが、子供達の安全を守るボディーガード役は、我が家では私が担っています。どう考えても、女親より男親の方が適していると思うからです。ですから、おにいちゃんのテコンドーのお稽古の帰りとか、の帰りとかはになりますから私がお迎えに行きます。また、下の子がカブスカウトの活動に行く場合も地下鉄か自転車に乗らねばならないので、私が付き添ったりしています。
特に、おにいちゃんのテコンドー道場は六本木にあるので、我が家のある青山とはかなり雰囲気の違う町ですし、しかも、帰りは日が暮れて夜になりますので、出来るだけ仕事を終えて六本木の道場まで迎えに行くことにしています。でも、残業が入ったりすると家の近くの駅までになったりします。さすがに下の子と違って、おにいちゃんは地下鉄で六本木から帰って来ることが出来ます。
しかし、下の子の場合は、カブスカウトの活動の集合場所まで地下鉄で1駅か、自転車なんですが、まだ、親バカの私の方に不安があって、さらに、私の職場までの定期券で行ける駅ですので、カブ隊に上進してからも私が付き添っています。これは、そのうちに、自分で往復出来るようになると思います。本人もその自覚はあります。親に付き添ってもらうのは安心である反面、少しカッコ悪いと思っているようです。カブ隊の活動は昼間のうちで夜になることはありませんから、子供でも慣れれば、我が家と集合場所くらいは往復出来るんではないかと思います。もっとも、先日の10月8日のみなと区民まつりの時のように、活動を終えて現地解散になることもあり、その場合は場所次第では引き続きお迎えが必要かもしれません。

そもそも、私はそんなに胆力があるとは思いませんし、自分では気は優しいつもりなんですが、外見的には迫力があるので、ある意味で、ボディーガードには適任かもしれません。身長はそこそこですが、横幅は十分ありますし、最近ではヒゲはぼうぼうで、普通の人のように毎日剃ることはせず、1週間に1回だけバリカンで刈り込んでいるような状態です。小さい子だったら怖がるかもしれません。その昔に、大臣のおそばにお仕えした時には、夏にはなるべく上着を着ないようにして、警護官のSPさんと間違えられないようにしていました。SPさんは夏でも上着を必ず着て、必要に応じて、脇の下なんかに拳銃を持っている場合があるので、私みたいな体格と外見の者が上着を着ていると拳銃を持っているかもしれないと間違えられると困るからです。
実は、我が家の女房も身長がそこそこありますから、外見的には子供達のボディーガード役には決して適していないわけではないんですが、そこは、こわもての私の方がより適しているといえます。親バカですから子供に付き添うのは大好きなんですが、そのうちに、子供がより自立するよう取り計らわねばならないと考えている秋の空です。

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2006年10月18日 (水)

教育に求められるのは平等か?

今日、教育再生会議の第1回会合が開催されました。
ということで、今日の午後は、ある大学に行って研究会に参加していたんですが、終わってから雑談で教育再生会議の話になり、昨夜のエントリーで私が書いたような教育バウチャーを導入するのは、エリート向けの教育にはいいかもしれないが、全国民一律の最低限の教育水準を確保する観点からは、必ずしも効果的ではないとの意見が出ました。大学の教授なんかも教育をしているわけですから、教育改革に関する意識は高いようでした。もっとも、教員の雇用と賃金を確保する方向で意識が高いのかもしれません。
さて、このバウチャー制は格差を広げるとの意見はもっともです。その通りで、正しいと思います。少なくとも学校間の格差は広がります。いい学校だと目されて多くの生徒や児童が集まると、それだけ多くの予算が獲得できることになります。逆に、行きたくない学校だと評判が立てば、集まってくる児童や生徒が少なく、従って、児童や生徒の数に従って配分される予算も少なくなります。児童・生徒や保護者はいろんな情報を収集して、いい学校に行こうと考える可能性がとても高いです。要するに、学校間に競争を導入するとは、そういうことなのですから。
もちろん、一部の学校に児童や生徒の入学希望が集中する可能性があり、このため、短期には摩擦を生じることが十分考えられますが、児童や生徒がコンスタントにたくさん集まる学校は校舎を建て増して、先生を新たに雇い入れればいいわけですから、長い目で見れば何とかなる可能性が大きいです。団塊の世代やその10年後くらいの私なんかの世代では、小学校のプレハブ校舎は当たり前の風景でしたし、校舎や教員が足りないなんて、何とかなるもんだと思えてしまいます。実際に、昭和30年代の日本は乗り切って来たんではないでしょうか。
それから、そもそも論として、教育に競争を持ち込むのがいいことなのか、という意見もあり得ます。競争を導入すれば格差が生まれるからです。しかし、教育に求められるのは平等ではないと私は考えています。個性を伸ばすという表現がありますが、これがよくて、格差といい換えると悪いことになってしまう面があって、やや、言葉遊びみたいなんで、どこまで真剣に議論すべきか、よく分かりません。そもそも論の神学論争に逃げ込むよりも、もっと実践的な結論を得るべきだと思います。ここ数年続いたゆとり教育が多くの国民から批判されているわけですから、この事実を直視するべきだと思います。

教育は国の形に直結するとともに、極めて広い層の国民が関与して、それだけに、既得権益はとても厚くなっています。現在のシステムが居心地がいいと感じるマイノリティを排して、ゆとり教育が間違いだったとする国民マジョリティの意見を反映させることが重要です。
私は、アノ悪名高い護送船団方式の金融政策においてさえ金融社会主義から資本主義に成長しつつあるんですから、教育も市場原理を少し取り入れて資本主義に脱皮するいいチャンスだと思うんですが………

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2006年10月17日 (火)

自由で開かれた競争と閉じたシステム

経済学とは、アダム・スミス以来の予定調和で成り立っています。ミクロ経済学では、個々の家計や企業が自分自身の経済的厚生を最大化するように行動すれば、特に、協調的な行動をとる必要もなく、社会全体で経済的厚生が最大化されることが厳密な数学的方法により証明されています。もっとも、ここで重要なのは市場が自由で開かれており、さらに、競争的であることです。完全競争市場とも呼ばれます。
もっとも、外部経済があって市場が失敗することもありますし、価格や賃金が硬直的で有効需要が不足すればマクロ的に失業が発生することもあり、政府が市場に介入することも正当化されたりしています。でも、これらはある意味では自由で開かれた市場の例外的な現象と見なされています。

今夜のエントリーでは最近の新聞で多く見かける2つの出来事を、エコノミスト的な自由で開かれた競争の観点から論じてみたいと思います。2つの出来事とは北朝鮮の核実験教育の場でのいじめやパワハラの問題です。この2つの問題は自由で開かれた競争がなく、閉じたシステムの中の攻撃的、ないし、非協調的な要因によって生じていることから、エコノミスト的に説明可能だと私は考えています。

まず、教育の場である学校は世間から隔離されて、公開の場になっていません。競争を嫌う雰囲気もあります。学校を開かれたものにする機運は何度かあったんですが、大阪の教育大付属池田小学校事件などで、不審者が学校に入ったりして、もちろん、中には進んでいる学校もあるようですが、なかなか進んでいないようにも見受けられます。学校を開かれた場にすることよりも、生徒・児童の安全の方がより重要ですから、これは理解できる面もあります。しかし、結果として、公立学校が自由で開かれているとはいい難い状況にあると私は考えています。
それに対して、私が通っていたような私立中学・高校はかなり競争の要素を取り入れています。特に、進学校を目指す学校なんかでは、週刊誌などへ東大や京大なんかへの大学進学者数を提供したりするわけですから、全国的な競争を勝ち抜く必要があります。なんだか、ドラゴン桜みたいで、ある意味で、歪みを生じる危険もありますが、全国レベルで自由で開かれた競争を繰り広げていることは確かです。昔は裏口入学なんてのが報道されたこともありますが、インチキはほとんどないとのコンセンサスがあります。別の面では、スポーツなどで高校野球で甲子園を目指すとか、別の分野でも全国大会なんかを目指す自由で開かれた競争があるように思います。私の贔屓目なのかもしれませんが、東大進学者数はいうに及ばず、高校野球なんかでも私立高校の比率が高いような気がしないでもありません。こういった自由で開かれた競争を勝ち抜いた学校や個人が社会的に評価されるのは当然です。
問題は先生です。社会的な評価を受ける機会がなく、およそ、自由で開かれた競争とは無縁の世界でのうのうとしているように見受けられます。実は、我々公務員とその職場である役所も同じです。要するに、制度的に自由で開かれた競争がほとんどなく、いろんなものがよどんでいるわけです。こういった学校においては、日本では教師が先頭に立っていじめを展開し、米国なんかでは生徒がライフル銃を乱射したりするわけです。もちろん、極端なケースですが。
これに対する明らかに有効な処方箋は、外から競争を導入することです。ですから、私は内側から教師の勤務状況を査定・評価したり、教員免許を任期制にして更新させたりするのは効果が薄いと考えています。学校選択制とバウチャー制を同時に導入して、生徒やその保護者が行きたい学校に行けるようにし、生徒や保護者から選ばれた学校がより多くの補助金を受け取れるように、生徒や保護者の外からの評価を導入して、教師が切磋琢磨して学校をよくする競争に励む条件を作り出すのがもっとも望ましいと考えています。そんなに難しいことではないと思います。郵政民営化と同じで、学校と教師の既得権を認めず、競争にさらす政策ですから、基本は同じです。ついでながら、コメントしておくと、官庁の業務についても、市場化テストで民間と官庁が入札で競い合う競争を導入しつつあるようです。

基本的には、北朝鮮も同じことで、世界経済におけるあまりに低い地位と核実験が相互に悪循環しているように見受けられます。私はエコノミストであって、軍事問題の専門家ではありませんが、素人目に見ても、インドとパキスタンの核開発競争とは様相を異にしているような気がします。
先月に聞いた講演会の中で、米国人ジャーナリストの本から引用して、戦争を起こしにくい国、less likelyな国の条件として、マクドナルド理論とデル理論というのがありました。マクドナルドはハンバーガーのチェーン店ですし、デルはコンピューターのブランドです。歴史上、マクドナルドがハンバーガーのチェーン店を大規模に展開している国同士が戦争をしたことはないそうです。マクドナルドのチェーン店展開なんて、ここ数十年のことでしょうから、歴史上というには余りに大風呂敷なんですが、要するに、マクドナルドが大規模にチェーン店を展開するほど中産階級が育って来ている国は戦争を起こす誘因がなく、デルがサプライチェーンを展開している国は戦争を起こすと経済的なダメージが大き過ぎるのだそうです。確かに、北朝鮮にはマクドナルドのチェーン店もデルのサプライヤーもそんなにいそうな気がしません。

しかし、教育の現場で自由で開かれた競争を展開するのと、北朝鮮において中産階級や世界的なハイテク産業のサプライヤーを育てるのは、難易度に大きな差があります。前者については、安部総理大臣が創設した教育再生会議で議論されて実施に移されるんでしょうが、後者の北朝鮮を世界の市場に組み入れるためのステップには、金融制裁や海上封鎖で兵糧攻めにしたり、最後は、何らかの直接的な軍事作戦も含まれ得るのかもしれません。先週の10月11日のエントリーでも書きましたが、私はエコノミストであって軍事専門家でないので、このあたりはよく分かりません

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2006年10月16日 (月)

ピノチェット軍政下での犠牲者

今夜は朝日新聞の夕刊の2面に大きな写真入りでチリのピノチェット軍政下での犠牲者の記事が出ていましたので、エントリーをもう一本書きます。まず、いつもの朝日新聞のサイトから引用すると、以下の通りです。

ピノチェト元大統領の軍事独裁が90年まで続いたチリで、拷問の被害者として初めて大統領となったバチェレ氏が14日、サンティアゴ市内の秘密収容所「ビジャ・グリマルディ」跡を31年ぶりに再訪した。チリやアルゼンチンでは米国の支援を受けた軍事政権下での人権侵害について問い直す動きが活発化している。
バチェレ氏は医学生だった75年1月、母親とともに秘密警察に拉致され、グリマルディで2カ月間、尋問と拷問を受けた。反ピノチェト派の空軍将校だった父は拘束中に死亡した。現在は公園となっているグリマルディを母とともに訪ね、「痛みと悲しい記憶、恐怖が呼び戻された」と当時を振り返る一方、「命と自由と平和を取り戻す機会でもあった」と語った。
73-90年のピノチェト独裁下、約3000人が死亡・不明となり、約3万人が拷問を受けたとされる。グリマルディはその象徴的な存在だ。数千人が拷問を受け、約300人が行方不明になった。
ピノチェト氏の裁判はこれまで、元大統領としての免責特権や、高齢による健康上の理由から、多くが停止されてきた。だが、昨年から裁判再開の動きが徐々に進み、グリマルディでの拷問についても裁判で問われることになっている。

私はそもそもバチェレ大統領を知りませんでしたし、バチェレ大統領がピノチェット軍政下で拷問を受けた被害者だということも、もちろん、知りませんでした。こんなことを書くと、そんなの知らなくて当たり前じゃん、といわれてしまいそうですが、そこは、さすがに経済大国ニッポンの外交団の経済アタッシェでしたから、それ相応の面識はありました。ピノチェット独裁政権から民政移管された初代の大統領であるエイルウィン元大統領のころに私はチリに赴任し、大使の交代に伴う信任状奉呈に同行して、当時のエイルウィン大統領とスペイン語で会話したこともありますし、その次のフレイ元大統領とは、1994年3月の大統領就任式の直前の2月の夏休みに、私のゴルフクラブで出会って、私たちのパーティが大統領のすぐ後でプレーしたこともあります。さらに、現在のバチェレ大統領の前のロゴス前大統領も面識はありませんが、私がサンティアゴにいた当時の社会党の党首として顔と名前くらいは知っています。ちなみに、ロゴス大統領の長男がチリ外務省の顧問をしていた時に、APECの関係で私がチリに出張して面会した記憶があります。私がお仕えしたころの在チリ日本大使は、大使は天皇の名代公使は総理大臣の名代、そして、吉岡さんは大蔵大臣や経済企画庁長官などの経済閣僚の名代です、といい放った大使がいたりしました。ホントにエラいかどうかは別にして、エラそうにしていたことは事実です。
それはともかく、ピノチェット独裁下では政治的な強権の基で、シカゴ学派的な経済改革民主的な手続きを無視されて実行されたといわれています。南米はポピュリスト的な政権が多く出現したことがあり、例えば、財政の均衡を無視して税金を安くし、補助金を増やすなどのポピュリスト政策が取られた時代もありました。ですから、中年以降くらいの方は、南米といえば、ブラジルやアルゼンティンなんかで放漫財政のあげくにハイパーインフレとなっていたのを記憶している人もいると思います。それに対して、チリのピノチェット独裁政権はポピュリスト的な政策を取る必要もなく、民主的な国会審議などの手続きも無視して、ある意味では、国民の負担を軍事的・強権的に求めることが可能でしたから、かなり思い切った経済改革を進めたことは事実です。特に、ピノチェット大統領の前のアジェンデ政権は社会党と共産党の連立政権で、ポピュリスト的な色彩がとても強かったといわれていますから、それを否定して反対の政策を行った面もあるのだろうと思います。
その結果、今でもチリは南米を代表する市場経済的な経済改革を実施して、産業界や国民も経済改革を強く支持しているようです。例えば、年金は完全民営化されていて、民間の保険会社が運営しており、実態上、国民皆保険に近いんですが、政府が年金を徴収したり、給付したりすることはありません。国民は自己責任で年金会社を選びますし、もちろん、乗り換えることも自由です。社会党を含むコンセルタシオンと呼ばれる現在の与党連合も経済政策面ではピノチェット独裁政権の政策を踏襲しているように見受けられます。ですから、米加自由貿易協定にメキシコが加わってNAFTAが出来た後、南米では最初にチリがこれに加盟したりしています。南米のアキレス腱だったインフレもかなり抑えられています。南米で通貨危機があっても、チリにまで伝染(contagion)することはないようです。
逆にいうと、経済的にはポピュリスト政策が南米においてすら破綻し、経済改革路線が南米で真っ先に定着したチリにおいてこそ、ピノチェット軍事政権化での人権問題を取り上げる余裕が出来て、再び、政治の季節を迎えるのかもしれません。

経済評論の日記と海外生活の思い出の日記で迷った末に、海外生活の思い出の日記に分類しておきます。

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月の観察の宿題に関する後日談

今日、女房が学校に行く用事があり、その際、何度かブログでも取り上げているヘンな月の観察の宿題に関して、おにいちゃんの担任の先生に一言申し上げたそうです。私の予想では、「ちゃんと月の出の時刻は確認しており、小学生にも十分観察は可能であると判断した」とか、「いろいろな形の月を観察する必要があるので、ご理解願いたい」とかいわれたあげくに、最後は、「ご批判があれば、今後、考え直す」とかで、ゴマカすんだろうと思っていたんですが、意外な答が返って来ました。
月が雲に隠れていたり、あるいは、月の出が遅くて宿題が出来なかったら、それはそれでいいそうです。宿題といっても、出来なくてもいいんだそうです。ですから、新月の時に月の観察の宿題を出すこともあるんだそうです。さすがに、新月であれば、絶対に、月の観察はムリです。これはとても意外な答でした。やっぱり、教員は公務員とは違うことを実感させられました。
私は自分が国家公務員ですから、教員も地方公務員的な答をするんだろうと思っていましたが、大外れでした。とてもアバウトな先生だということがよく分かりました。良し悪しは別にして、我が家にとっては対処しやすい先生だと思います。出来ませんでしたで済むのであれば、それはそれで結構だと思います。

今日は、目から鱗が落ちたのか、目に鱗がもう一枚かぶさったのか、どちらかよく分かりません。

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2006年10月15日 (日)

やっぱり「木村伊兵衛のパリ」(朝日新聞社)はすばらしい

午前中に赤坂図書館から借りた「木村伊兵衛のパリ」(朝日新聞社)を昼食後に拝見しました。
従来から、私は日本のリアリズム写真家の代表として木村伊兵衛と土門拳をこのブログなんかでも取り上げてきましたが、親しみがあって大好きな土門拳に比べて、やっぱり、木村伊兵衛は尊敬の対象です。どうして、こんな写真が撮れるのか、というより、どうしたって、こんな写真は撮れないとしか思えません。尊敬の対象たるゆえんです。ですから、赤坂図書館のカウンターで私は思わず「木村伊兵衛先生の写真集を取りに来ました」と先生付けで呼んでしまったりしました。少しバツが悪かったです。
木村伊兵衛がこの写真集の写真をパリで撮ったのは1954-55年ですから、私が生まれる前の話です。木村伊兵衛といえばライカで有名なんですが、この2度の欧州旅行は当時の日本光学がスポンサーだったとかで、ニコンで撮っています。フィルムは富士フィルムから提供された初期のカラーフィルムです。この写真集はフルカラーです。コダクロームも持って行ったそうなんですが、色調が少し柔らかくてパステルみたいに撮れるので、木村伊兵衛は富士フィルムが好きだったと書いてありました。少し国産品愛用のクサさを感じないでもありませんし、ポジのコダクロームネガの富士フィルムを比較するムリを感じないでもありませんが、木村伊兵衛らしい感想だと思えます。当時のカラーフィルムは今のASAに換算して10くらいだったとかで、普通のモノクロのフィルムみたいに100分の1とか、200分の1くらいのスピードでシャッターを落とせず、10分の1秒くらいでしか撮れないので、少しブレている写真もありましたが、それはそれで味のある写真に見えてしまうから不思議です。また、このため、夜の写真は少なくて、昼間の写真ばかりですが、当時の技術上の制約を考えれば止むを得ません。
大判のフルカラーの写真集で、そんなに大量に売れるとも思えませんし、「木村伊兵衛外遊写真集」で既発表の写真も含まれていますが、それでも、消費税別で14000円、税込みで14700円の価格は、決して高くないと感じました。今は図書館から借りていますが、冬のボーナスで検討したいと思います。
文句なしの5つ星です。
アマゾンとmixiにも同じ内容のレビューを投稿しておきました。

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青山まつりに出かける

このところ、いいお天気が続いており、今日の午前中は青山まつりなどに外出しました。
外出の主たる目的は2つあって、ひとつは、赤坂図書館です。図書館から先週電話があって、私が予約しておいた「木村伊兵衛のパリ」が貸出し可能になったと連絡を受けましたので、これを借りたりするほか、いろんな本を返却して、別の新たな本を借りて来ました。もうひとつは、1学期から下の子が少し苦しんでいた作文の宿題が出たので、何か、作文の題材になるようなものはないかと探して、この金曜日に始まった青山まつり最終日の今日に出かけた次第です。
まず、赤坂図書館に出かけます。下の子が借りていた尼子騒兵衛の忍たまシリーズを返却し、新たに何冊か借ります。おにいちゃんはハリー・ポッターにハマっているんですが、私が陰謀をめぐらせて、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの冒険」も試しに借りてみます。さらに、カウンターで予約してあった「木村伊兵衛のパリ」を探してもらいます。とても大判の写真本です。私のリュックは壊れそうなほどいっぱいになりました。図書館はすぐに終わって、青山通りを青山まつり目指して歩きます。
私はてっきり青山通りの多くの店舗が青山まつりに参加しているんだと思っていたんですが、そんなことはありませんでした。青山通りを青山一丁目から表参道まで歩きましたが、催し物をやっている雰囲気があったのは、神宮外苑の入り口と伊藤忠本社横の広場だけでした。街灯には青山まつりののぼりがかけてあったんですが、大多数のお店は知らんぷりで、青山まつりの会場ともいえる神宮外苑入り口と伊藤忠前も、ほとんど、フリマという名の古着の販売会場となっていたりしました。おかげで、デジカメを持って行ったにもかかわらず、写真を撮ろうという気にはなりませんでした
古着販売以外で目についたのはお茶の販売のコーナーで、伊藤忠前に展開していました。私と下の子がお茶を試飲したんですが、熱過ぎて舌を火傷しそうになり、下の子はすっかり機嫌を損ねてしまいました。仕方がないので、マクドナルドでアイスを食べて、昼食前に家に戻りました。

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2006年10月14日 (土)

子供の将来に対する投資

先週、知り合いの証券会社のエコノミストとランチをともにしました。
親しい人なので、以前から、お子さんがお受験をすると聞き及んでいましたが、今週末に保護者面接があるそうです。今日なのかもしれません。そういえば、我が家のおにいちゃんの幼稚園の面接も10月だか、11月だかにあった記憶があります。もっとも、私は行かずに女房に任せていたような気がします。せいぜい、下の子を家で面倒見ていたんだろうと思います。記憶は定かではありません。
知り合いのエコノミストがお子さんのお受験を考えたきっかけは、近くの小学校が各学年1学級しかないような状態で、廃校間近とは言わないまでも、やや子供を預けるのに信頼感がなく、そうかといって、学校選択制で区内の別の区立小学校に行かせようにも、希望者殺到のために断られたからだそうです。我が家の子供達を通わせている小学校は、一応、各学年3学級ありますので、そこそこの規模だといえます。でも、松戸の時は4学級ありましたから、やっぱり、郊外の方が子供がいるんだろうと思います。大昔、私が卒業した京都府宇治市立の小学校も卒業時で4学級ありました。学年に3-4学級が平均的なのかもしれません。
私が少し前に見た週刊誌などから、おとうさんの場合はダブルのスーツは厳禁で、おかあさんは茶髪がダメなのはいうに及ばず、ピアス穴があるんだったら小さめのイアリングで隠した方がいい、なんてことを受売りでいっていると、もちろん、そんなことは先刻ご承知で、その他にもいっぱい知っている様子でした。例えば、その他の備考欄には、収入的に学校の学費を払うことは問題ないと書き添えなければいけないそうです。いずれにせよ、小学校に上がる前の幼稚園児ですから、本人よりも保護者を面接しているのは明らかだと意見が一致しました。
特に、その人が気にしていたのが収入の安定性で、官庁エコノミストの私なんかよりもずっと年収は多いハズなんですが、よく聞くと、雇用自体は期間の定めのない、いわゆる終身雇用なんですが、所得は年俸制のために、極端な場合は、固定部分だけになってしまえば、私なんかよりずっと少なくなってしまう可能性があるらしいです。小学校は学校の中でも6年間と長丁場ですから、安定的・継続的に学費を支払う能力が必要なんだそうです。
いろいろと話をしているうちに、その人も私も借家住まいなんですが、家を買うところまで踏ん切りがつかないのは、ひとつに子供の学費だという話になります。特に、私立の医学部に行きたいとかになると、6年間で大雑把に5000万円かかるそうで、我が家は男の子2人ですから、2人とも行かせたりすれば1億円かかる計算になり、そうなると、80歳まで働いても借金が返し切れない、なんて冗談をいったりしていました。

最近は、貯蓄から投資へと資金の使い方が変化して来て、証券会社のエコノミストなんかはその最先端に立っているのかもしれませんが、従来から、私は子供の教育費がもっとも利回りのいい投資だと考えています。日本のエコノミストでこれを実証した人はいませんが、それにしても、私立医大の学費は天文学的な数字になるもんだと、改めてびっくりしました。我々サラリーマンでは手の届かない金額なのかもしれません。
特段の外出もせず、我が家でボケボケと子供達がパソコンで遊んでいるのを見て、投資対象として適当であるかどうかを考えている秋の空です。
一応、無理やりに経済評論の日記に分類しておきます。

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2006年10月13日 (金)

格差是正に関する雑感

今週から国会の衆議院予算委員会などで本格的な論戦が開始されました。
もちろん、安倍総理大臣の訪中・訪韓北朝鮮の核実験に関する質疑が多いような気がしますが、経済的な議論では格差問題が取り上げられているようで、私は注目しています。安倍総理とともに柳沢厚生労働大臣などが答弁に立っています。
格差といえば所得格差なんですが、2つのタイプの格差があるように見受けられます。ひとつめは職業や職種の間における格差です。正社員とフリーターの格差といってもいいかもしれません。もうひとつは地域間の格差です。東京に代表される大都市圏と地方圏の格差といえます。安倍総理なんかは前者の格差是正のために再チャレンジを主張しているようです。しかし、後者の格差是正は決め手に欠けるように見受けられます。
私は、今世紀に入って、小泉政権下で格差が広がったと実感されるようになった最大の原因はデフレ下のゼロ成長・低成長にあると考えています。すなわち、ニートやフリーターなんかもそうなんですが、低所得者層の所得の伸びがほとんどなかったことが格差を実感させる大きな原因であると考えています。ここでのポイントは、実際に格差が広がったことよりも、格差が実感されて問題視されるようになったことです。ですから、この低所得者層の底上げを図ることが重要なわけです。他方、福利厚生なんかも含めた正社員のコストが高過ぎるのも事実なんだろうと思います。
日本では新卒で採用した上で長期雇用を前提としたオンザジョブでの企業内トレーニング(OJT)を行う雇用システムが確立されていて、年金や医療保険などもこれに添う形で制度設計がなされていることから、デフレ期にこのシステムに入れなかった集団がニートやフリーターを形成しているのではないかと私は考えています。ですから、働く気がないとか、能力がないとかいって、ニートやフリーター自身の問題と捉えるのは少し間違っていると、私は思っています。ニートやフリーターなんかは、新卒期に不況やデフレによる超氷河期なんて称された就職難に直面して就職しそびれて、その後のオンザジョブトレーニング(OJT)なんかも受けられなかった、いわば、恵まれない集団なのだろうと思います。これらの集団に何らかの再チャレンジを可能にするような政策を立案することは、少子高齢化で労働力人口が減少する中でとても重要を考えられます。これを財政再建をにらみながら、ミクロの再チャレンジとマクロの高成長で実現しようとするのは経済政策的には正しい方向といえます。ただし、財政再建をにらむ必要があるわけですから、いわゆるバラマキ的な財政出動になるのは逆効果になる恐れすらあります。
もっと難しいのは東京をはじめとする大都市圏と地方圏の格差の問題です。金融業などのサービス産業は大都市圏立地に経済合理性が認められる場合があるとしても、基本的には、製造業配置はそれほどでもないわけですから、製造業立地の問題と考えられるんですが、現時点では、製造業が地方圏を飛び越える形で外国まで広がりを見せており、この流れは止まりそうもありません。
従来より、私はインフラ整備のための公共事業を地域間格差是正に割り当てる政策割当てを批判しています。資金は地方に流れるかもしれませんが、正社員的な職が地方にもたらされるわけでもありません。資金だけでなく、職を地方にもたらし、大都市圏に集積した人が地方にUターンやIターンするような政策が必要だと思っています。

何となく、まとまりに欠けますが、国会論戦を通じて私が得た格差問題に関する雑感です。

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2006年10月12日 (木)

おにいちゃんがハリー・ポッターにハマる

ヘンな月の観察の宿題をようやく終えて、たった今、再び寝たばかりの気の毒なおにいちゃんなんですが、最近、ハリー・ポッターにハマッてしまいました。
この夏休みに第1巻の「賢者の石」を読み終え、映画やDVDにはない最後のハーマイオニの謎解きなんかを私と議論したりしていたんですが、1-2週間ほど前から第2巻の「秘密の部屋」と第3巻の「アズカバンの囚人」を一気に読んでしまいました。昨夜は「アズカバンの囚人」を読みふけって、10時近くまでお風呂に入らなくて、続いて入る私が困ってしまったりしましたが、熱心に読書している途中でお風呂に入れというのも、邪魔をしているようで、結局、おにいちゃんは昨夜のうちに最後まで読み切ってしまいました。今日からは第4巻の「炎のゴブレット」を読み始めました。明日の朝の読書の時間のためにハリー・ポッターを小学校に持って行くといいます。ちなみに、どうでもいいことですが。我が家ではお風呂の順番は、お湯を汚したり、あふれさせたりすることが少ないだろうと推測されますので、子供達が最初に入ります。趣旨からすれば本当は子供達の次は女房で、最後が私なんでしょうが、女房は夕食の後片付けなんかで忙しいので、私が子供達に続いて入り、女房が最後になっています。ですから、おにいちゃんがハリー・ポッターを読みふけって、なかなかお風呂に入ってくれないと、私や女房にも影響が及んだりします。
少し前まで、おにいちゃんは江戸川乱歩の明智小五郎シリーズに夢中で、私や女房がせっせと赤坂図書館から借りて来たりしていました。ちなみに、下の子は今でも尼子騒兵衛の忍たまシリーズに夢中で、1週間に5冊くらいのペースで読んでいます。江戸川乱歩の明智小五郎シリーズはミステリなんですが、必ずといっていいほど名探偵コナンでは人が死ぬのに対して、江戸川乱歩のミステリは怪人二十面相が素封家のお宝を盗みに来るのを明智小五郎と小林少年をはじめとする少年探偵団が対決するというストーリーで、殺人がほとんどないし、子供も活躍したりするんで、私も大好きです。もっとも、そんなにしっかりと読んだことはありません。でも、先週あたりから、おにいちゃんは赤坂図書館から借りないといい出し、ハリー・ポッターにハマり出したようです。
夏休みに私がお勧めして第1巻の「賢者の石」を読ませたころは、ハリー・ポッターのシリーズはかなり大判のハードカバーですし、ページ数も500-600ページくらいあって分厚い本なので、おにいちゃんも最初は少し尻込みしていたんですが、やっぱり、読み始めると面白くて、すっかりハマッてしまったようです。実は、私も最初はそうでしたから、よく理解できます。特に、6月19日の読書感想文の日記でも取り上げましたが、私から見ても第3巻の「アズカバンの囚人」くらいまでは、謎解きなんかもとても面白くて、とてもお勧めです。でも、これから後の第4巻の「炎のゴブレット」から以降になると、本でも上下2巻に分かれるくらいに冗長になり、ストーリーとしても、人が死んだりして入れ替わることにより物語を進める傾向がありますので、第1巻から第3巻に比べると余りお勧め出来ません。逆にいえば、昨夜に第3巻を読み終えたおにいちゃんは、ハリーポッターのもっとも面白いところを通過したような気がします。

よく知られているように、ハリー・ポッターはホグワーツ魔法学校が舞台です。親バカの私としては、ハリーがロンやハーマイオニーのような友人に囲まれているように、我が家の子供達も友達に恵まれて欲しいと思います。また、先月9月18日と今夜ののエントリーでも取り上げましたが、おにいちゃんの担任の先生は少し無茶な月の観察の宿題を出したりしますので、第2巻の「秘密の部屋」に出て来るロックハート先生のようなインチキではなく、ホグワーツ校のダンブルドア校長先生のような立派な教育者にも出会って欲しいと思います。

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またしても月の観察の宿題

今夜、一家そろって夕食を食べながら、おにいちゃんから月の観察の宿題が出たと聞きました。今日の朝日新聞の朝刊の東京地方欄を見ると、月の出は21時52分とあります。ほぼ夜の10時です。都心の青山ですから、夜の11時くらいにならないと、宿題で出すに耐える月の観察は出来そうもありません。仕方がないので、今夜は早めにおにいちゃんを寝かせて、私が夜空を見上げて月の観察が出来そうなタイミングでおにいちゃんを起こすことにしました。
先月9月18日に取り上げたのと併せて、担任の先生が月の出の時刻を確認していないことがハッキリしました余りにひどいので、来週月曜日に小学校に行く用件のある女房が一言申し上げておくといってました。でも、こんな担任の先生には何をいってもムダだろうと思います。私には月の出の時刻を確認していないんだろうとしか思えませんが、児童の父兄から指摘されると、絶対確実に次のように言い訳するでしょう。「月の出の時刻は確認した。その上で、月の観察は十分可能だと判断した。しかし、ご指摘があるのであれば、次回から考え直す。」と答えるに決まっています。私も公務員ですから、こんなケースにも何度か直面したことがあり、先生のお答えが目に浮かぶようです。

要するに、嘘八百を並べて、何の反省もしないんだろうと思います。
教育再生会議での議論は時間がかかるんでしょうね。

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2006年10月11日 (水)

北朝鮮の核実験に対して金融市場は平静

一昨日の正午に北朝鮮核実験に成功したと発表しました。とても特徴的な北朝鮮のアナウンサーの絶叫調の放送をご覧になった方も多いと思います。ちなみに、いきなり脱線しますが、私の職場の同僚で韓国通がいるんで聞いてみたんですが、韓国ではテレビのアナウンサーは日本と同じように淡々としゃべっていて、こんなに絶叫調ではないといっていましたので、アナウンサーが絶叫調でしゃべるのは朝鮮半島に共通していることではなく、北朝鮮に特有の事情のようです。
今日のランチで、マイナーなマスコミのコメンテーターをしている、ある大学教授とごいっしょしたんですが、専門外の北朝鮮の核実験でコメントを求められてとても苦労した、といっていました。経済学的な捉え方として、昨年のノーベル経済学賞を受賞したシェリング教授のゲーム論を引いて、太平洋戦争時の日本のように拡張的な戦略を有しているんであればカタストロフィックな結果になるけれど、自国の体制保持が目的なのであれば、何らかの解が存在する、とコメントしておいたそうです。みんなが知っている孫子の「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」で締めくくったそうです。そもそも、北朝鮮や核実験はもとより、ゲーム論も専門ではないので、とても苦労したといっていました。
私も北朝鮮や核実験は専門外なので、ざっと金融市場を見た感想なんですが、昨日と今日のマーケットを見ていて、北朝鮮の核実験の日米金融市場への影響はとても限定的だったと考えています。7月5日のエントリーで北朝鮮のミサイル発射について取り上げた時と同じなんですが、地政学的なリスクが高まると質への逃避が生じます。まず、金融資産の間で株式から債券へ資金がシフトします。債券の中でも社債から国債にシフトします。国債の中でも中長期債から短期債へシフトします。それから、外国為替では核を持たない日本円から核保有国である米国のドルなどへシフトします。でも、今週に入ってからの金融市場ではこれらの質への逃避はまったく生じていないか、とても限定的にしか生じていません。
月曜日は日本の市場は体育の日でお休みでした。米国ではニューヨーク市場で株式は北朝鮮の核実験の報道があったにもかかわらず、まずまずの結果で終わり、昨日火曜日は史上最高値を更新しました。また、月曜日はコロンブス・デーだったか、何だったかで、先進国ではめずらしい、いわゆる片目の市場でしたので、債券市場はお休みでしたが、先週金曜日の市場で債券が売られた流れを受けて、昨日火曜日の債券は売られて値を下げていました。米国市場では質への逃避は生じませんでした
日本も、昨日の株式市場は値を上げ、今日は少し落としましたが、そんなに大きな変動ではなかったといえます。昨日今日と債券は売られて値を下げ日本でも質への逃避は生じませんでした。もっとも、日米よりもさらに直接的な影響を受ける韓国では、北朝鮮の核実験発表直後に株式や為替が売られたりしました。日本円はジリジリと円安になっていますが、プラザ合意以降で実質実効為替が最も安くなっていますし、120円の大台を前に円安への抵抗感もあり、韓国ウォンのようにドルなどの核保有国通貨への逃避は生じていません
なぜか、北朝鮮が核実験を行ったと発表しても、金融市場は何事もなかったのごとく、平静で淡々と取引を続けているように見受けられます。逆の見方をすれば、日米経済の先行きが順調であるとか、日本については安倍総理大臣の訪中や訪韓好感された結果であるともいえます。
今後については、地政学的なリスクがどこまで高まるかによりますが、やはり、極東の国として、日本でも下振れリスクが顕在化する可能性があります。現時点では、軍事行動として海上封鎖なんかが報道されていますが、さらに強硬に限定空爆なんかが実施されたりすると、日本の地政学的なリスクが高まる可能性が十分にあると考えられます。もっとも、テポドン発射の際に一部で取り上げられた限定空爆なんですが、北朝鮮の核保有の可能性が現実味を帯びた現段階では、誰もいわなくなったような気がします。北朝鮮の方でも軍事的な衝突は望んでいない可能性が高いと考えられますが、このあたりはエコノミストとしてはよく分かりません
最初に書いた通り、何らかの地政学的なリスクが高まったとマーケットが判断すれば、質への逃避が生じます。さらに、大規模に国境を越える質への逃避が生ずると、株式といわず債券といわず為替といわず、日本から資金が逃避します。すなわち、株式、債券、円のトリプル安です。今後の地政学的なリスクがどうなるかについて不明な以上、少なくとも、現状では質への逃避は生じていない、としかエコノミストとしてはいえません。それ以上は分かりません。

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2006年10月10日 (火)

季節のある国とない国と

我が家の子供達はジャカルタ育ちです。ですから、日本が寒いということを余り理解していない面があります。例えば、お風呂から上がって裸のままで家の中をうろつきます。ジャカルタでは私がお風呂に入れて、出て来た子供を女房が捉まえてバスタオルで体を拭いて、ベッドの上で子供達自身がパジャマを着るようにしていました。ですから、おにいちゃんと下の子との微妙なタイミングで、女房が捉まえ損ねた方の子が家の中を裸でうろつくこともありました。
日本に帰国して、そこそこ大きくなったので、自分で入浴出来るようになったんですが、相変わらず浴室から裸のままで出て来ます。そして、それぞれの子供部屋のベッドの下に引き出し式の衣装ケースがありますから、そこから下着やパジャマを取り出して自分で着ます。パジャマを切る前にもっと興味のあることを発見すると、当然ながら、裸で家の中をうろついて、私や女房に知らせに来たりします。
どうして、こんな話を思い出したかというと、先日、下の子が参加しているボーイスカウトのカブ隊の隊長さんとお話しする機会があり、もういい中年のオッサンなのに、カブ隊の隊長さんも風呂上りは裸で家の中をうろついているそうで、ついつい、我が家の子供達の行動パターンを思い出してしまいました。カブ隊の隊長さんの家では、奥さんと男のお子さんは浴室にある脱衣室でパジャマを着てから出て来るそうですが、隊長さんだけは裸で家の中をうろつくそうです。季節のある日本で生まれ育った人でもそうなんだと驚きました。

それから、季節のあるなしと関係ないんですが、ジャカルタでは家が広かったし、子供達が小さかったですから、家の中を走り回っていました。小さいころは何をして遊ぶかと聞けば、かけっこと答えて家の中を走り回ったりしていました。メイド部屋を含めて、かなり広いもんですから、子供達が小さい時には真剣にかくれんぼが家の中で出来たりしました。サッカーをしたこともあります。
日本に帰国して松戸の団地に入って、子供達がかなり大きくなったのもありますが、家が格段に小さくなりましたから、相対的に走り回れる余地がとても小さくなったので、しばらくの間は外で遊んだりしていました。しかし、青山に引っ越して家が大きくなり、しかも、いわゆるリビング・ダイニングでリビングとダイニングの部屋がいっしょになった広い部屋があるもんですから、またしても、子供達が家の中を走ることが多くなりました。そういえば、ジャカルタでもリビング・ダイニングのリビングの方に小さなソファだけを置いて、意図的に子供達が走り回れるスペースを確保していた記憶があります。今の青山の家では、下の子の部屋はこのリビング・ダイニングにドアひとつで出て来られるんですが、おにいちゃんの部屋は廊下でつながっていたりしますんで、おにいちゃんは特にみんなのいるリビング・ダイニングに走って来ることが多いような気がします。

下の子のカブ隊の隊長さんの面白いキャラクターに触れて、北朝鮮で核実験が実施されたと発表されたにもかかわらず、何となく、のほほんとしたエントリーになりました。核実験に対するエコノミスト的なマーケットの反応について、それから、長期のフィリップス曲線が垂直であることを明らかにしたフェルプス教授のノーベル経済学賞受賞については、後日、改めて取り上げたいと思います。

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2006年10月 9日 (月)

秋の準備を進める

この3連休は東京では秋晴れのいいお天気が続き、少し風が強かった日はありますが、陽射しがかなり強くて気温も上がりました。でも、街中は半袖が少数派になって長袖の人が主流になったような気がします。
私も今日の午後は秋物の上着を物色に外出しました。2000年から3年間ジャカルタにいたものですから、私の普段着はどうしても夏物に偏っています。年中クールビズの上着なしネクタイなしで3年間過ごしたものですから、秋物や冬物は不足しています。昨年、サッカーのグランドコートのような裏がボアになった防寒服は買いましたが、秋物で羽織る上着がありません。私の普段着は基本的に15年ほど前にチリのサンティアゴで買ったのが中心になっており、当時はテニスばっかりやっていましたので、テニスした後に羽織るウィンドブレーカーのようなのはいっぱい持っていたんですが、本当にテニスの後に羽織っていたものですから、汗で黄ばんでしまって使い物になりません。ですから、今日は渋谷と新宿に物色に出かけました。でも、今日のところは下見だけで、次の機会に買おうと考えています。
それから、先週からオフィスでも上着ありネクタイありの通常の服装になりましたので、それは早くから準備してあったんですが、今日になって、腕時計のブレスレットの掃除をしました。夏の間は半袖ですから気にならないんですが、腕時計のブレスレットが汚れていると、汗をかいた時にだか何だかでワイシャツのカフスの裏が汚れてしまうからです。私は腕時計を通勤用とオフィス用とで使い分けて、2個持っていますので、各々のブレスレットを時計から外して、洗面器に水を張って少し液体せっけんを落として、使い終えた歯ブラシでゴシゴシと汚れを落とします。
というと簡単なように聞こえますが、私は手先が器用ではないので、まず、時計からブレスレットを外すのにとても苦労します。時計屋さんを尊敬する瞬間です。時計職人といえば、大昔の戦争映画に「眼下の敵」というのがあり、その中にチラッと出て来たりします。「眼下の敵」は米独の合作映画です。1955年作としている人と1957年と書いている人がいたりしますが、いずれにせよ、何と、私が生まれる前の映画だったりします。私はテレビで放送されたのを見た記憶があるんですが、カラーだったのか、モノクロだったのか、記憶にありません。米国の駆逐艦の艦長がロバート・ミッチャムで、ドイツのUボートの艦長がクルト・ユルゲンスです。記憶ははなはだ不正確のような気もするんですが、駆逐艦から爆雷だか何だかを投下しようとしていた乗組員が、爆雷とレールの間に指をはさまれて切断してしまいます。ロバート・ミッチャム扮する艦長が「シャバに出れば指の1本や2本くらい何でもないさ」と慰めると、その水兵さんが「時計職人なんです」と答える場面があります。私のような公務員であれば、あるいは、指の1本や2本は職業生活に大きな影響を及ぼさない可能性もありますが、時計職人であるところがポイントなんだと思います。

大きく脱線してしまいましたが、時計のブレスレットを掃除し、秋物の上着を物色に出かけましたので、今日のエントリーもお出かけの日記にしておきます。

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2006年10月 8日 (日)

みなと区民まつり

今日の日曜日も下の子と9時半過ぎにいっしょに出かけます。ボーイスカウトのカブ隊の集合場所近くで別れて、下の子はカブ隊に合流し、私は赤坂図書館に行きます。おにいちゃんが借りていた江戸川乱歩シリーズや下の子が借りていた尼子騒兵衛さんの忍たまシリーズを返却し、また、私が借りていて結局読まなかった「トム・クランシーの海兵隊」も返却期限の2週間が過ぎますので、今日のうちに返してしまいます。新たに、下の子の忍たまシリーズを借ります。
下の子のカブ隊はみなと区民まつりに出かけると聞いていましたので、私も港区が運行している無料バスに乗って会場を目指します。みなと区民まつりの会場は芝公園から増上寺の一帯なんですが、さすがの港区もそれなりの広がりがあり、六本木はともかく、赤坂・青山やお台場からはアクセスがよくないので、区役所が無料バスを運行しています。この無料バスがさすがに区役所らしく、とても役所的な運営です。私は発車予定時刻ギリギリでもなく5分前くらいに着いて、定員上の最後の乗客でした。発着場の看板に「定員になり次第発車します」とあるので、発車すればいいのに、発車予定時刻まで待たされます。そうすると、別の老夫婦がやって来て乗ろうとしたんですが、定員いっぱいだから乗れないと公務員の添乗者と公務員と思しき運転手が断ります。なら、私が乗って定員になり次第さっさと発車すればいいのにと思うんですが、定員になったにもかかわらず発車せず、後から来た人をお断りするために定刻まで待たされます。その上、私が感じたところでも明らかに車内の気温が低いので、冷房を切るか設定温度を下げてくれるようお願いしたんですが、公務員と思しき運転手は設定温度は26度だといって譲りません。私からやんわりと世間では冷房の設定温度は28度ではないかと指摘したんですが、運転手はそんなのは決まっていないといい張ります。バスを走らせている最中に運転手と論争を続けるのはリソースが不足していると感じましたので、冷房の風の吹出し口を閉じて対処しました。私は長らく国家公務員をしていますが、区役所のような住民に近い役所ほど高圧的な気がします。

みなと区民まつりカブ隊は地下鉄で来たようで、私の方が早く会場に着きます。下の子らも会場に着いて、ボーイスカウトのテントに来て、割り箸鉄砲を作って遊びます。左の写真は割り箸鉄砲を作るウチの子です。なぜか、テントが赤くて全体的に赤っぽい写真になってしまいました。割り箸鉄砲が出来上がると隣の射的のコーナーで実際に試します。ボーイスカウトのテントの裏にはちょっとしたフィールドアスレチックみたいな遊び場もあって、なかなか人気だったようです。
子供をカブ隊に預けて、私はスタンプラリーに挑戦します。それから、いろんな会場を見て回ります。ご存じの通り、増上寺は江戸幕府を開いた徳川家の菩提寺で、浄土宗のお寺です。何の関係もありませんが、我が吉岡家の浄土真宗とも親戚筋です。徳川家康が厭離穢土・欣求浄土ののぼりを持っていたことは有名でしょう。でも、時折、その徳川家の菩提寺であった増上寺が浄土宗のお寺であることを知らない人がいたりして、私はびっくりすることがあります。脱線ついでに、とても有名な京都のお寺に清水寺があります。清水の舞台から飛び降りる、なんて慣用句になったりするほどの有名なお寺なんですが、このお寺が何宗のお寺かを知っている人はとても少ないです。かなり教養のありそうな人でも知らない場合が多い気がします。インターネットなんかで調べればすぐに分かるんですが、清水寺は北法相宗のお寺なんです。清水寺はもともと南都の興福寺の法相宗に属していたんですが、1965年に当時の大西良慶貫主が興福寺から独立した北法相宗を始めています。もともと、大西師は1899年に興福寺231世となり、1904年には法相宗の管長に就任し、1914年に清水寺住職となり、同時に、興福寺も兼務していたりしました。1975年生まれで1983年に亡くなりましたから、たいへんな長寿です。清水寺貫主とともに、日本初の5ツ子の名付け親としても有名です。

さて、話を元に戻すと、正午にカブ隊がみなと区民まつりの会場で現地解散した後、私と下の子は会場で売っているヤキソバで昼食にします。ヤキソバを食べ終えて、暑かったのでかき氷も買い求めます。私は赤いイチゴ味、下の子は青いブルーハワイにします。アチコチ会場をうろついて、下の子もスタンプラリーに挑戦して賞品をせしめ、バザーで少し買い物をして、再び港区運行の無料バスで我が家の近くまで戻って来ました。少し疲れました

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2006年10月 7日 (土)

ガンプラを買いに行く

今日から3連休ですので、暇つぶし集中力の養成を兼ねてガンプラを買いに行きました。いつものビックカメラの有楽町別館です。我が家からでしたら、地下鉄で銀座駅から歩きます。
ビックカメラの商品配置が少し変更されていましたが、子供達は熱心にガンプラを吟味します。おにいちゃんは105スローターダガーに決めました。最新発売のヤツです。先月に下の子が作ったヴェルデバスター・ガンダムのように、少し華奢で、やや安定性に欠けます。下の子は行く道すがら今日は一番難しそうなのに挑戦するといって、GP02Aサイサリスにしました。先月おにいちゃんが作ったジオのように、足が太くて安定性が十分です。下の子にいわせると、素早さには欠けますが、攻撃力と防御力に優れているそうです。下の子はついでに、ニンテンドーDSのポケモンのダイヤモンドとパールゲーム本も買う。ニンテンドーDSもポケモンのソフトも我が家にはないんですが、とってもポケモンが好きなのでいろんな情報だけでも欲しいといいます。
女房からは下の子が撮った写真を現像とプリントアウトに出してあるので、それも引き取るようにとのことでしたが、ガンプラを買った後は子供達が家に早く帰りたがったので、まず、ガンプラを持って家に帰し、私はそのままもう一度近所の写真屋さんに行きます。下の子がお誕生日のプレゼントのカメラで撮りまくった写真を引き取ります。下の子本人もしょうもない写真だといってましたが、そろって親バカの女房とともに写真の出来栄えを褒めちぎります。
105スローターダガー左の写真のように、おにいちゃんは早くから集中してガンプラ作製に取り組みます。今日の夕方までに完成してしまいます。しかし、下の子はおにいちゃんほどには集中力がなくポケモンの本も読んだりしながら、なかなか完成しません。ガンプラは集中力を養うために買い与えているんですから、この3連休のうちに完成させるように強くいい渡します。でも、夕方からはウルトラマン・メビウスになってしまったりします。
明日は港区のみなと区民まつり芝公園で開催され、ボーイスカウトのボランティア活動の一環として下の子がお手伝いに行きますので、私もちょっとのぞいてみようと思っています。

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2006年10月 6日 (金)

ノーベル経済学賞

今年度のノーベル経済学賞が来週月曜日10月9日の日本時間で夜に発表されます。かなり前ですが、トムソン財団が経済学賞に限らず、今年のノーベル賞の有力候補をホームページで特集しています。ただし、トムソン財団は科学財団ですから、文学賞や平和賞の有力候補の発表はなく、物理学、化学、医学・生理学、経済学の4分野だけです。そうです。経済学は科学なんです

ノーベル経済学賞は通例は1分野だけで、複数名が受賞することもありますが、トムソン財団が発表した今年のノーベル経済学賞の有力候補は3分野・7名で、以下の通りです。

  1. 国際貿易理論への貢献に対して

  2. Jagdish N. Bhagwati 米国コロンビア大学教授
    Avinash K. Dixit 米国プリンストン大学教授
    Paul Krugman 米国プリンストン大学教授
  3. 情報技術への投資と経済成長、また計量経済学で広く応用される技術のモデル化に関する貢献に対して

  4. Dale W. Jorgenson 米国ハーバード大学教授
  5. 取引費用の経済学、契約、インセンティブとコーポレートガバナンスなどに関する貢献に対して

  6. Oliver D. Hart 米国ハーバード大学教授
    Bengt R. Holmstrom 米国マサチューセッツ工科大学教授
    Oliver E. Williamson 米国カリフォルニア大学バークレイ校教授

要するに、すべて米国の経済学者ばっかりが注目されているようです。さらに、トムソン財団のリストアップはかなり正統派のエコノミストを網羅している印象があります。ただし、ひとつだけトムソン財団のリストアップの難点を上げれば、3点目の取引費用の経済学については、すでに、1981年に英国のコース教授が受賞していることです。ウィリアムソン教授らの新たな理論展開は、戦前に展開されたコース教授の取引費用の経済学を大きく超えるものであると私は理解していますが、果たして、どこまで評価されるんでしょうか。もっとも、情報の非対称性に関する分析への貢献については、1996年にマーリーズ教授とビックリー教授が受賞した後、2001年にスティグリッツ教授とアカロフ教授などが同じ貢献で受賞していまし、ゲーム論への貢献についても、アカデミー賞を受賞した映画のビューティフル・マインドで有名になったナッシュ教授らが1994年に受賞した後、昨年にシェリング教授とオマーン教授が受賞していますから、同じように取引費用の経済学でも、25年もたてば再び受賞する可能性が十分あると思います。
今世紀に入ってからの最近のノーベル経済学賞は、一部前のパラグラフと重複しますが、2001年スティグリッツ教授とアカロフ教授などに情報の非対称性による分析への貢献に対して、2002年カーネマン教授とスミス教授に心理学などの導入による行動経済学への貢献に対して、2003年エングル教授とグレンジャー教授時系列分析の手法や精度の向上への貢献に対して、2004年にはキドランド教授とプレスコット教授に実物景気循環(リアル・ビジネス・サイクル)に関する研究への貢献に対して、昨年2005年シェリング教授とオーマン教授ゲーム理論への貢献に対して、それぞれ授与されています。
私は2002年の行動経済学と昨年2005年のゲーム論に関する門外漢なんですが、それ以外の情報の非対称性、時系列分析、リアル・ビジネス・サイクルについては、とってももっともな受賞だとの印象を受けた記憶があります。なお、最近5年間の受賞者11人のうち、9人が米国人で、米国人でないのは英国人のグレンジャー教授とノルウェー人のキドランド教授だけだそうです。
トムソン財団のリストには日本人は入っていません。私の学生時代にはロンドン大学の森嶋教授が日本人でノーベル経済学賞に最も近いといわれていたりしたんですが、東京大学の宇沢教授とともに、かなりお歳を召してしまった印象があります。スタンフォード大学の青木教授雨宮教授、あるいは、政策研究大学院大教授の速水教授なんかも論文の引用本数が多いので、ある意味で有力だと聞いたことがあります。でも、これらのエコノミストもかなりお歳に思えます。次の世代では、東京大学の林教授あたりなんでしょうか。

昨日のエントリーでも取り上げましたが、村上春樹さんがカフカ賞を受賞して、今年のノーベル文学賞の有力な候補といわれていますが、ノーベル経済学賞も日本人が出て欲しいと思います。

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2006年10月 5日 (木)

ポケモンの新シリーズが始まる

ちょうど今ごろの9月下旬から10月上旬にかけてはテレビ番組の再編期で、いろんな特別番組をやっています。私が毎朝楽しみにしていたNHK朝の連続テレビ小説「純情 きらり」も終わって、「芋たこなんきん」が始まりました。戦後の大阪が舞台だそうです。宮崎あおいから藤山直美にヒロインが大きく方向転換したような気がします。関東地方での初回の視聴率は久し振りに20%になったと新聞で見たりしました。
我が家では先週水曜日の「バカ殿」を熱心にみました。DVDに録画しておいて、週末に見返したりしていました。やっぱり、ギャグの切れ味が最高で、とても面白かったです。お堅いPTAあたりからは低俗番組扱いされているのかもしれませんが、我が家では相変わらず人気です。今まではおおむね四半期ごとに放送していたんですが、この7月にはみんなで目を皿のように新聞のテレビ欄を見返していたんですが、結局、放送がなかったようで、少しガッカリしていたところ、秋の特番で放送されて、ガッチリ拝見しました。
その中で、我が家では特にポケモンの新シリーズを楽しみにしていました。ダイヤモンドとパールです。先週の初回は2時間スペシャルで、7時から9時前までだったんですが、子供達は女房に6時からの夕食を要求し、さっさと食べ終えて入浴も済ませて、私が帰宅した7時前にはテレビの前に陣取って、7時からノンストップで2時間スペシャルを見続けていました。今夜は新シリーズの第2回目の放送でした。
私は今までの主人公のサトシとピカチューに代わってヒカリが主人公になり、新ポケモンのポッチャマとともに旅をするんだろうと思っていたんですが、どうも、サトシの旅の仲間が今までのハルカとマサトの姉弟からヒカリに代わっただけで、引き続き、サトシとピカチューが主人公のようです。また、ロケット団も相変わらずサトシのピカチューを付け狙っていたりします。サトシの仲間のタケシもサトシやヒカリといっしょに旅を続けています。よく分からないんですが、ここまでサトシとピカチューが人口に膾炙したんですから、いまさら外すわけにもいかないんでしょう。ロケット団についてもご同様のカンジです。
ポケモンは今までも常に増え続けてきたんですが、新しいシリーズになってさらに増えたような気がします。毎年年末はマクドナルドの子供向けメニューであるハッピーセットのオマケがポケモンになり、さらに、ポケモンの一覧表までくれるんですが、毎年出さねばならないのも無理はありません。これまた、毎年夏休みにはポケモン映画が上演されて、ここでも新しいポケモンが登場したりします。

今年はカフカ賞に村上春樹さんが選ばれて、通例ではこのままノーベル文学賞を受賞するんではないかと噂されていたりしますが、私はアニメこそ日本が世界に誇るトップレベルの文化だと思っていますし、そのアニメの中でも日本を代表するのはジブリとポケモンだと思っています。この夏休みの映画ではジブリがコケただけに、ポケモンは日本を代表するアニメとして引き続きがんばって欲しいと思います。

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2006年10月 4日 (水)

親バカは本当にバカか不合理か?

我が家では子供達に小学館の学年雑誌を毎月買い与えています。先日、今月月初に発売の11月号が出たところです。そこで、おにいちゃんが近くの本屋さんに出向いて「小学4年生」を買ったんですが、下の子の「小学2年生」は売り切れていたそうです。私が帰宅して夕食を終えてから、おにいちゃんは部屋で「小学4年生」を読み始めたものの、下の子の「小学2年生」は売り切れで入手できなかったため、手持ち無沙汰で家の中をウロウロしていたので、女房に近くの別の書店に電話してもらって、「小学2年生」の在庫を確認して取り置きしてもらい、さらに営業時間を聞いた上で、私が買いに出かけました。一応、青山は商業地区でもありますので、本屋さんはいくつかあります。私は通常は夜のお出かけはしないんですが、コトがコトでしたので、Tシャツにジャージ姿でサンダルをつっかけて、青山通りを歩いて「小学2年生」を買いに出かけました。女房に電話してもらったにもかかわらず、ヒゲぼうぼうで少しみすぼらしい身なりの大男が買いに来たものですから、本屋さんも「吉岡さんですよね」としつこく念を押しつつも、そこは商売ですから、お金を受け取って雑誌を売ってくれます。家に帰ると下の子には大いに感謝されて、最近、アニメでも始まったポケモンのダイヤモンドとパールに出て来る新しいポケモンの進化について、「小学2年生」に掲載されている情報をとても詳しく解説してもらいました。でも、一晩寝るとすっかり忘れてしまいました。
要するに、早い話が、我が家は女房も私も親バカなわけです。夜のお出かけについても、職場の同僚と仕事帰りに酒を飲みに行ったりするのはまったく気が進まないんですが、塾帰りのおにいちゃんの帰宅の安全を確保するために駅まで迎えに行ったり、下の子のために「小学2年生」を本屋さんまで買いに行くのは、親としての義務だと感じていたりします。
私の現在の出向先の職場にも、もう一人親バカがいます。今年生まれたばかりの女の子の中学進学を早くも心配していたりしますが、少なくとも、乳幼児や児童の虐待がかなりの頻度で報じられる中で、あらゆる観点から見て、我が子を虐待するよりも親バカなくらい子供に愛情を注ぐ方が好ましいことは、多くの人のコンセンサスを得られるような気がします。問題はその程度で、かわいがり過ぎてかえって甘やかして、子供の成長にマイナスにならないようにすることが重要なだけだと思います。
もちろん、エコノミストとしてコスト・ベネフィットの観点から、少子高齢化が進む日本社会で、今後、我が家の子供達のような年齢層の希少性が高まることを見越すと、子供に愛情を注いで十分な子育てをすることにより、それなりの高リターンが見込めると考えている面もあります。少なくとも、子供を放任しておいて、私自身のスキルを高めるよりは、私のスキル向上のための時間を削ってでも、子育てに時間を割く方が、少なくとも日本経済にとっては生産性を高めるような気がします。ここでの問題は私の寿命で、私が生きている間にこのリターンを享受できるかどうかがポイントです。ですから、長生きしないと私自身にとっては意味がない可能性があります。

などと、エコノミストとして親バカを理論武装し、エコノミストの3条件をすべて破っている自分に言い訳しつつ、せっせと親バカに励んでいます。
今夜のエントリーも無理やりに経済評論の日記に分類しておきます。

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2006年10月 3日 (火)

日銀短観から何を読み取るか?

昨日、日銀の短観が発表されました。市場では横ばいを予想していたようなんですが、3ポイント上昇して24となり、最近の景気の拡大が確認さた結果となりましたが、先行きは下がるようになっていたりして、ハッキリいって、どうとでも受け取れる結果だと思います。
我が家で購読している朝日新聞などは、早期の追加利上げを示唆しています。朝日新聞のサイトから記事の最後のパラグラフだけ引用すると、以下の通りです。

今回の短観は、ゼロ金利解除に続く今後の追加利上げのタイミングを探るうえでも重要な判断材料となる。市場ではこれまで、米経済の先行き不透明感を根拠に「景気のブレーキとなりかねない追加利上げは当面難しい」との観測が大勢だった。しかし、今回の短観で足元の景気拡大傾向が鮮明となったことで、早期の追加利上げ観測が再浮上する可能性もありそうだ。

同様に、その筋の情報を扱っている日経金融新聞なんかは追加利上げが少し早まって、来年1-3月期との見通しを明らかにしています。日経金融新聞のサイトから引用すると、以下の通りです。

日銀が2日発表した9月の企業短期経済観測調査(短観)は、大企業製造業の景況感が大幅に改善、市場に広がっていた「日銀は年度内も利上げは難しい」との観測に微修正を迫る内容だった。クリスマス商戦に向けた米景気の先行きや安倍新政権の出方など、見極めるべき材料も残るが、専門家の間では「来年1―3月」の利上げを予想する声が再び増えている。

また、朝日新聞ではロイターから引用して、「9月日銀短観:識者はこうみる」と題して、証券会社などの金融機関などのエコノミストやストラテジストの意見を特集していたりします。引用が多くなりすぎますからここには引用しませんので、ご関心ある向きは朝日新聞のサイトをご覧下さい。

私の短観の見方はニュートラルです。ハッキリいってしまえば、特段の新たな情報の追加はなかったともいえます。日本も米国も景気はゆっくりと下り坂で踊り場にさしかかっており、来年年央が小さなボトムになる可能性もあります。ちょうど参議院選挙がそのあたりにありますので、政府からは塩崎官房長官が中小企業はよくないとの発言をしたといわれています。日銀OBの官房長官ですから、日銀寄りかと思われていましたが、かなりきわどい牽制球を投げたといえます。
物価の番人である日銀ですから、今後の物価動向次第なんでしょうが、景気の足踏みにより需給ギャップが拡大したとも考えられませんし、加えて、原油価格は一時より下げて来ています。今春の春闘は振るわず、単位労働コストはそんなに上昇していません。私はこの中で、昨年来、単位労働コストをもっとも重視しています。昨年12月15日には「来年は給料が上がってデフレを脱却できるか?」と題したエントリーを投稿しましたが、その中でも、単位労働コストが上昇すればデフレは脱却できると考えている旨を明らかにしていますし、この考えは今でも変わっていません。
単位労働コストで脱線すると、どうして、こんなに人手不足になり、新卒採用がかなりの増加を示しているにもかかわらず、単位労働コストが上昇しないかというと、私は海外との競争がもっとも大きな要因だと考えています。もちろん、労働組合の交渉力が低下しているとの説もあり得ますし、国民の間にデフレ期待が根強いとの見方もできますが、日本経済がグローバル化を進めて中国なんかと競争する中で、生産関数が中国と同じような産業ではヘクシャー・オリーン的な文脈で要素価格が抑制されるようになって来ている気がします。要するに、労働は移動しなくても貿易が自由になると、中国などの途上国と似通った生産関数を有している産業は、中国などと同じ賃金水準に均等化する力が働く可能性があるわけです。ですから、そうならないために、セーフガードを申請したりすることもあります。もちろん、実証研究をサーベイしたわけではありません。

さて、短観に戻って結論を申し上げると、今回の短観で何が私のデータベースに情報として付け加わったかというと、最初に申し上げたように、どうとでも取れる結果だっただけに、コメントを出したエコノミストの景気に対するスタンスが明らかになったように思います。単純にいって、私がニュートラルと見ている短観の結果を強いと見ている人は私より強気派で、そうでもないと見ているエコノミストはやや弱気派のような気がします。いろんなところで、私と面識あるエコノミストも自分の意見を述べていたりしますが、普段のお付合いから考えても順当ではないかと思われます。

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2006年10月 2日 (月)

ダウンロードとアップロード

ここ1-2年でインターネットの使い方が大きく変化しているように思います。今世紀初めころまで、私のような一般庶民はインターネットを閲覧するだけで、自分からコンテンツをインターネット上に持つことはありませんでした。唯一の例外がメールで、インターネットから何かをダウンロードするだけでなく、インターネットの流れに何らかの情報を送り込んでいたのはメールの送信だけでした。もちろん、メールは一般にオープンな情報をアップロードしているわけではなく、あくまで特定の送信先に対するクローズな情報のアップロードです。
我が家では2002年の暮れあたりからホームページを運営しています。もともとは、ジャカルタ在住だったために、京都の両親に孫の写真を届ける代わりにホームページにアップロードしていたんですが、帰国直後に父親が往生したにもかかわらず、今でも、独自ドメインを取得して手広く子供達の画像を公開しています。その後、2004年に始まったmixiやGREEなどのSNSにはいち早く登録し、2005年にはブログを始め、今年2006年はYouTubeにも登録してジャカルタのころの子供の動画をアップロードしたりしています。来年も新たなアップロードのチャンスがあるのではないかと期待しています。
私は市場経済の枠組みの中で、昨年10月17日のエントリーでも取り上げたように、インターネット資源が希少性に欠けるため、ほぼ無料でインターネット資源を利用できることになり、ダウンロードに取って代わってではないにしても、アップロードが一般ユーザにも開放されたんだと考えていますが、トフラー夫妻のようにprosumer=生産消費者として、市場経済に対してフリーランチを提供していると考える向きもあります。正直なところ、トフラー夫妻の生産消費者のような概念を持ち出さなくても、伝統的な市場経済の枠組みの中で、私のように単なる希少性の欠如の問題と捉えても、何ら不都合はないように見受けられます。というか、少なくとも、生産消費者の出現により、市場が失敗しているとは考えられませんから、伝統的な市場メカニズムは健在であると考える方が自然だと思っています。
他方で、伝統的な商品がインターネットに一般ユーザがアップロードすることにより、大きく希少性を損なわれている例も散見されます。典型的には百科事典です。私が小さいころは京都の我が家に百科事典がありました。そのころ売り出された新しいタイプで、ハードカバーではなくペーパーバックの百科事典でした。しかし、青山の我が家には百科事典はありません。私は何か調べものがあると、ウィキペディアを検索します。ウィキペディアのメインページによると、現在、ウィキペディア日本語版には約266,461本の記事があるそうです。よく知られているように、ウィキペディアは誰でも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます。ですから、インテリアとして見栄えはいいものの、高価で場所を取る百科事典は不要になりました。せいぜい、図書館に行って調べれば済むと考えられます。トフラー夫妻のいうところの生産消費者の一群がウィキペディアを作り上げ、今まで、百科辞典を執筆・編集して、その後、印刷製本し販売するリソースが開放されていると考えることが出来ます。私のように伝統的に考えれば、今まで百科辞典を執筆・編集・印刷・製本・販売するスキルは希少性が高かったが、インターネットの発達した現在では希少性が大きく欠如してしまったと考えることも可能です。
もちろん、一般ユーザと共存しているものもたくさんあります。我が家は子供達の写真を2000枚近くホームページにアップロードしていますが、引き続き、芸術としての写真の価値は大いに認めているつもりです。今年1月20日にはそういった趣旨のエントリーを書いたりしています。親バカで自己満足のために子供達の写真を撮ってホームページにアップロードするのと、被写体に対する深い洞察力に基づいてその被写体の真実の姿を明らかにするために写真を撮り発表するのとは、明らかに写真の果たす役割が異なると考えています。

などと、一部にエコノミストの視点も入れつつ、先週の秋のブログ3部作に続いて、芸術の秋っぽい終わり方のエントリーを書いて、引き続き、親バカの観点から子供達の写真を撮って、インターネットにアップロードし続ける私です。
今夜のエントリーは無理やりに経済評論の日記に分類しておきます。

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2006年10月 1日 (日)

メールアドレスを変更する

今日の夕方に決意して、もっとも頻度高く使っているプライベートのメールアドレスを変更しました。いわゆるプロイバイダのアドレスです。我が家は女房や子供達の分まで含めて、livedoorやYahooなどを別にして、3つのプロバイダから7つのメールアドレスを取得しています。もちろん、接続プロバイダはソネット1社ですから、他の2社からは無料のメアドをゲットしていることになります。このあたりのテクニックは日を改めて、別の機会に譲ります。そのうち、私のに集中してスパムが来ています。日本語のメールはほとんどが出会い系です。日本語の他に、国際派としての海外での活躍が認められたのか、世界各国から英語、仏語、独語、西語、中国語の5ヶ国語でコピー商品やバイアグラなどの購入を勧めるメールがワンサと来ます。
もちろん、メアドを変更するきっかけがあって、先々週に関西方面の有力な大学教授から私にメールが発出されたのを受けそびれたようなんです。1週間ほどの期限で、先週の金曜日までに、とある資料を送れ、といった内容だったらしいんですが、先々週のメールを私が受信しそびれて、先日、切れると怖いともっぱらの評判のその先生から、怒涛のような怒りのメールが来てしまいました。真実は不明ですが、先方が出し忘れたか、当方がスパムとごっちゃにして削除したか、のどちらかとしか考えられません。私のメアドはスパムが多くて心当たりがあるもんですから、ここは私の方にがある確率が高いと考えるのが自然かもしれません。
ということで、午後のブログを書いてから、夕方にメアドの変更をしました。プロバイダのホームページにアクセスして、メアドを変更すること自体は手間でもなんでもなかったんですが、その後、転送メールや各種登録のメアドを変更するのがタイヘンでした。ちょくちょく拝見しているブログを合間に見たりしながら、いろんなホームページにアクセスして、変更が30以上あったような気がします。出来るだけフリーメールで登録するようにしているんですが、中にはプロバイダ・アドレスでなければ受け付けられないところもあります。私は各種登録情報をとあるフリーソフトに収めています。起動時にパスワードを聞かれて、登録情報の入ったファイルは暗号化されているようなヤツです。それをアルファベット順に全部当って行き、中には今回のメアド変更に関係なく削除したモノまで含めて、今日の夕方から夕食や入浴を挟んで、10時過ぎまでかかってしまいました。

2度とこのような非生産的な作業はカンベンです。

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カブ隊の活動で赤い羽根の共同募金に行く

本日のカブ隊の活動は、今日から始まった赤い羽根の共同募金です。我が家の下の子は初めてなんですが、ビーバー隊から活動している子は何度か経験があるようです。まったくどうでもいいことですが、官庁としては赤い羽根の共同募金や歳末たすけあい運動などは厚生労働省が所管しています。ですから、先週金曜日の9月29日には赤い羽根共同募金の中央伝達式が厚生労働省で開かれ、3年連続のポスターモデルだった石原さとみさんや柳沢厚生労働大臣なんかが出席して、赤い羽根の特別塗装機を運航する全日空グループの客室乗務員に羽根を手渡したりしたそうです。スポーツ新聞で拝見しました。なお、いっそうどうでもいいことですが、赤い羽根の共同募金のホームページもあったりします。

さて、前置きはこれくらいにして、今日も下の子には私が付き添います。今日は女房とおにいちゃんも衣替えに備えて衣類の買い物に出かけるので、私と下の子とで昼食を食べて帰るようにと女房にいわれましたが、私の財布にはコインしかなくて、女房にランチ代を要求します。2000円くらい欲しいといったんですが、女房の財布には千円札がなく五千円札でくれます。下の子は後で3000円返すんだよと強くいい張ります。カブ隊の集合場所に行く道すがら、我が家は私が仕事して稼いだお金を専業主婦の女房が銀行から引き出して家計のやりくりをしてるんであって、決して、私が悪辣な手段で女房からお金をまきあげているわけではないと説明するのに労力を費やします。ついでに、共同募金の目的なんかも頭に入れさせます。我が家は何とかやって行けているが、世の中にはいろいろと困っている人も多いことを理解させます。
集合時間の少し前に集合場所に着き、いつもの通り、ボーイスカウトの大人の人に子供を預けて、ついでに、募金活動の場所が表参道の交差点付近だと聞き出してから、私はまず赤坂図書館に向かいます。私が借りている写真集と下の子が借りている尼子騒兵衛の忍たまシリーズを返却し、新たに別の忍たまシリーズを借り出します。今日はおにいちゃんは返却したり、新たに借りたりするのはないといいます。赤坂図書館から戻って、カブ隊の集合場所近くのお店で本を読んで時間を潰します
赤い羽根共同募金正午前になって、ランチのお客さんで混み始めましたので、これ以上は回数券の飲み物だけで粘るのもどうかと思い、表参道の交差点付近で赤い羽根の共同募金を呼びかけている下の子を探します。ちょうど、表参道交差点の交番の裏あたりで見つけ出し、他の子供達と元気よく募金を呼びかけているところを写真を撮ります。私も及ばずながら募金したりします。それが左上の写真です。ウチの子はみんなに「お父さんは写真撮るんだよ」とか話していました。
後で聞くと、駅の階段を上ったすぐのところで募金集めをしていたにもかかわらず、地下鉄の駅の場所を聞く人がいたりして、そんな人はそれ相応の募金をしてくれたそうです。かなり多額の募金をして行ったおばあさんがいたりして、ウチの子の募金箱は他の子のに比べてかなり集まったそうです。
昼前から本格的に雨が降り出しましたので、マクドナルドで昼食を食べて家に戻りました。なぜだか、私も下の子もかなり疲れてしまいました。

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