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2006年10月17日 (火)

自由で開かれた競争と閉じたシステム

経済学とは、アダム・スミス以来の予定調和で成り立っています。ミクロ経済学では、個々の家計や企業が自分自身の経済的厚生を最大化するように行動すれば、特に、協調的な行動をとる必要もなく、社会全体で経済的厚生が最大化されることが厳密な数学的方法により証明されています。もっとも、ここで重要なのは市場が自由で開かれており、さらに、競争的であることです。完全競争市場とも呼ばれます。
もっとも、外部経済があって市場が失敗することもありますし、価格や賃金が硬直的で有効需要が不足すればマクロ的に失業が発生することもあり、政府が市場に介入することも正当化されたりしています。でも、これらはある意味では自由で開かれた市場の例外的な現象と見なされています。

今夜のエントリーでは最近の新聞で多く見かける2つの出来事を、エコノミスト的な自由で開かれた競争の観点から論じてみたいと思います。2つの出来事とは北朝鮮の核実験教育の場でのいじめやパワハラの問題です。この2つの問題は自由で開かれた競争がなく、閉じたシステムの中の攻撃的、ないし、非協調的な要因によって生じていることから、エコノミスト的に説明可能だと私は考えています。

まず、教育の場である学校は世間から隔離されて、公開の場になっていません。競争を嫌う雰囲気もあります。学校を開かれたものにする機運は何度かあったんですが、大阪の教育大付属池田小学校事件などで、不審者が学校に入ったりして、もちろん、中には進んでいる学校もあるようですが、なかなか進んでいないようにも見受けられます。学校を開かれた場にすることよりも、生徒・児童の安全の方がより重要ですから、これは理解できる面もあります。しかし、結果として、公立学校が自由で開かれているとはいい難い状況にあると私は考えています。
それに対して、私が通っていたような私立中学・高校はかなり競争の要素を取り入れています。特に、進学校を目指す学校なんかでは、週刊誌などへ東大や京大なんかへの大学進学者数を提供したりするわけですから、全国的な競争を勝ち抜く必要があります。なんだか、ドラゴン桜みたいで、ある意味で、歪みを生じる危険もありますが、全国レベルで自由で開かれた競争を繰り広げていることは確かです。昔は裏口入学なんてのが報道されたこともありますが、インチキはほとんどないとのコンセンサスがあります。別の面では、スポーツなどで高校野球で甲子園を目指すとか、別の分野でも全国大会なんかを目指す自由で開かれた競争があるように思います。私の贔屓目なのかもしれませんが、東大進学者数はいうに及ばず、高校野球なんかでも私立高校の比率が高いような気がしないでもありません。こういった自由で開かれた競争を勝ち抜いた学校や個人が社会的に評価されるのは当然です。
問題は先生です。社会的な評価を受ける機会がなく、およそ、自由で開かれた競争とは無縁の世界でのうのうとしているように見受けられます。実は、我々公務員とその職場である役所も同じです。要するに、制度的に自由で開かれた競争がほとんどなく、いろんなものがよどんでいるわけです。こういった学校においては、日本では教師が先頭に立っていじめを展開し、米国なんかでは生徒がライフル銃を乱射したりするわけです。もちろん、極端なケースですが。
これに対する明らかに有効な処方箋は、外から競争を導入することです。ですから、私は内側から教師の勤務状況を査定・評価したり、教員免許を任期制にして更新させたりするのは効果が薄いと考えています。学校選択制とバウチャー制を同時に導入して、生徒やその保護者が行きたい学校に行けるようにし、生徒や保護者から選ばれた学校がより多くの補助金を受け取れるように、生徒や保護者の外からの評価を導入して、教師が切磋琢磨して学校をよくする競争に励む条件を作り出すのがもっとも望ましいと考えています。そんなに難しいことではないと思います。郵政民営化と同じで、学校と教師の既得権を認めず、競争にさらす政策ですから、基本は同じです。ついでながら、コメントしておくと、官庁の業務についても、市場化テストで民間と官庁が入札で競い合う競争を導入しつつあるようです。

基本的には、北朝鮮も同じことで、世界経済におけるあまりに低い地位と核実験が相互に悪循環しているように見受けられます。私はエコノミストであって、軍事問題の専門家ではありませんが、素人目に見ても、インドとパキスタンの核開発競争とは様相を異にしているような気がします。
先月に聞いた講演会の中で、米国人ジャーナリストの本から引用して、戦争を起こしにくい国、less likelyな国の条件として、マクドナルド理論とデル理論というのがありました。マクドナルドはハンバーガーのチェーン店ですし、デルはコンピューターのブランドです。歴史上、マクドナルドがハンバーガーのチェーン店を大規模に展開している国同士が戦争をしたことはないそうです。マクドナルドのチェーン店展開なんて、ここ数十年のことでしょうから、歴史上というには余りに大風呂敷なんですが、要するに、マクドナルドが大規模にチェーン店を展開するほど中産階級が育って来ている国は戦争を起こす誘因がなく、デルがサプライチェーンを展開している国は戦争を起こすと経済的なダメージが大き過ぎるのだそうです。確かに、北朝鮮にはマクドナルドのチェーン店もデルのサプライヤーもそんなにいそうな気がしません。

しかし、教育の現場で自由で開かれた競争を展開するのと、北朝鮮において中産階級や世界的なハイテク産業のサプライヤーを育てるのは、難易度に大きな差があります。前者については、安部総理大臣が創設した教育再生会議で議論されて実施に移されるんでしょうが、後者の北朝鮮を世界の市場に組み入れるためのステップには、金融制裁や海上封鎖で兵糧攻めにしたり、最後は、何らかの直接的な軍事作戦も含まれ得るのかもしれません。先週の10月11日のエントリーでも書きましたが、私はエコノミストであって軍事専門家でないので、このあたりはよく分かりません

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