フリードマン教授が死去
シカゴ学派の重鎮で、ノーベル経済学賞も受賞したミルトン・フリードマン教授が94歳で亡くなりました。年齢的にも大往生です。7月1日が誕生日だったと記憶しています。同じシカゴ大学の、やっぱりノーベル賞を受賞したベッカー教授がどこかの雑誌で、フリードマン教授の90歳の誕生日を祝うコラムを書いていたのを覚えています。2002年7月でしたから、ジャカルタのどこかのレストランで、1ヶ月遅れくらいでランチタイムに読みました。詳細はすっかり忘れました。
フリードマン教授の死亡記事をいつもの朝日新聞のサイトから引用すると以下の通りです。
20世紀を代表する米国の経済学者の一人で、ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマン氏が16日、米カリフォルニア州サンフランシスコの自宅で死去した。米メディアが一斉に伝えた。94歳だった。財政出動ではなく市場原理を重視する「小さな政府」を提唱。共和党のブレーンとして80年代のレーガン政権初期の経済政策などに関与し、市場経済化を進めた英サッチャー政権や日本の行財政改革にも大きな影響を与えた。
ニューヨークで生まれ、シカゴ大学の教授などを歴任。自由主義を説くシカゴ学派の重鎮として活躍した。76年に金融理論などでの功績が認められ、ノーベル経済学賞を受けた。著書に「選択の自由」などがある。
第2次世界大戦後の世界各国の経済政策は、不況期に政府が公共事業などによる積極的な財政政策で景気を浮揚させるケインズ主義が主流だった。フリードマン氏は60年代後半からケインズ批判を展開し、「マネタリスト」の筆頭として通貨供給のコントロールによる経済運営を主張。政府の役割として、規制緩和や構造改革を進めることの重要性を説き、近年の欧米の経済政策における理論的支柱となった。
フリードマン氏の死去に対し、米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は16日、「現代の経済学に直接、間接的に与えた影響の大きさを語り尽くすのは難しい」との声明を発表。ポールソン米財務長官は、フリードマン氏の「政府の干渉を抑えることが経済成長を最大化させる」などの理論を挙げ、「最も偉大な経済学者の一人」と評した。
フリードマン教授はマネタリストとして有名で、ケインズ的な財政政策ではなく、マネーサプライを重視した金融政策によるマクロ経済運営を提唱したことで有名です。現在では、先進各国ではすべて金融政策がマクロ経済運営を行うようになっており、この面で最も遅れていた日本でも小泉政権になった今世紀から、財政政策をマクロ経済運営に割り当てることを止めました。私はこれがフリードマン教授の最大の功績だと思っています。もっとも、朝日新聞サイトでは「近年の欧米の経済政策における理論的支柱」と表現しており、まだ、日本は含まれていないと考えているのかもしれません。デフレ下の日銀の金融政策運営に照らして、ひょっとしたら、朝日新聞の認識が正しいのかもしれません。
引用した記事にもあるように、市場重視で、小さな政府を目指す経済政策運営もすっかり英米を中心に定着しています。例外は北欧くらいのものかもしれません。もっとも、大陸欧州では社会民主主義の政党が政権に就いた時には、やや大きな政府が志向される場合もあるようです。
実は、私はシカゴ学派的な経済政策運営が最も顕著に実施されたのは、ピノチェット政権下のチリではなかったかと考えています。ピノチェット将軍によるクーデタの前に政権にあったアジェンデ大統領の社会党政権下での極めて特殊な社会主義的な政策へのアンチテーゼでもあったんでしょうが、ピノチェット将軍の軍事独裁政権では自由主義的で市場を重視した経済政策が取られました。国営企業の多くは民営化され、以前のエントリーでも取り上げましたが、医療保険や年金も民間企業で運営されています。もっとも、最大の例外がCODELCOと略称される国営銅公社で、これは今でも国営企業として残っており、世界最大のチュキカマタ銅山を保有し、CODELCO総裁は大臣に次ぐ政権の重要ポストとなっています。
その昔、米ソが対立する冷戦の時代には、政治的な民主主義や自由主義とセットで考えられていた市場経済なんですが、ピノチェット軍事独裁政権の名の通り、民主主義下の選挙で選出されたアジェンデ大統領を軍事クーデタで転覆し、民主主義的な言論の自由などが必ずしも保障されていなかったピノチェット政権下で、強権的に市場重視の経済改革が進められたわけです。しかし、その後、社会党も参加している現在の与党連合コンセルタシオンでも、シカゴ学派的な経済政策運営が継続されているわけですから、幅広い国民の支持があると考えられます。
フリードマン教授の死亡記事からチリの経済を思い出した今日の午後でした。
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