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2006年11月10日 (金)

官邸主導の条件は整っているか?

9月末の日経新聞の経済教室で、慶応大学の塩澤教授官邸主導の勧めみたいなコラムを書いていました。確か、9月29日付けだったと記憶しています。塩澤教授とは長いお付き合いで、10年ほど前に私が人事院の経済職国家公務員試験の試験委員をした時に、同時に塩澤教授もいっしょに試験委員に任命されたと記憶しています。もっとも、公務員から任命された試験委員は通常は1年で交代するんですが、大学教授の方はもっと長期で、塩澤教授は今でも試験委員を務めているようです。また、塩澤教授は中央省庁再編後に参事官として役所に出向されていた経験もあります。ランクとしては現在の私と同じです。でも、塩澤教授が霞ヶ関の役所で参事官だった時、私はジャカルタにいましたので、霞ヶ関の官庁街でお会いしたことはありません。
ということで、古くからの顔見知りですから、少し前に塩澤教授とお話をする機会がありました。役所で参事官をしていた時、塩澤教授は中国からのシイタケなんかのセーフガードの適用の際なんかに、閣議が全会一致であることから、各省調整にとても手間取った経験があるそうで、その弊害を排除するために官邸主導を主張しているように見受けられました。ひとつの考えられるであることはもちろんですし、私も官邸主導は基本的に賛成なんですが、そのための前提条件があります。それは、現在までの歴史的な官僚主導の政策決定では責任体制があいまいになることが最大の欠陥であるにもかかわらず、官邸主導で政策決定する際の責任体制が現時点では確立されていないように見受けられる点です。
現在まで続いて来た歴史的な官僚主導の政策決定については、私は昨夜のエントリーで書いたように、中立的っぽい解決策を探ることが大きな欠陥だと考えていますが、これは現時点では少数意見なのかもしれません。いずれにせよ、何らかの利害対立を解決する際に、当事者どうしでの解決が困難であれば、政府が介入することは当然にあり得ます。いろんな政策立案も必要です。しかし、現時点までの官僚主導の政策立案では責任体制があいまいです。例えば、ということで例に出すのもやや恥ずかしいんですが、最近の新聞を賑わせている教育問題に関するタウンミーティングでのやらせ問題でも、主催者の内閣府と文部科学省との間で責任のなすり合いが醜く行われているようです。要するに、我々公務員は手厚い身分保障の下で責任を取らないわけです。
では、官邸主導の政策決定の際の責任とは、ズバリ選挙による政権交代です。政策が間違っていたら選挙で敗北し、政権が交代するのが憲政の常道です。英米流の二大政党でなくても、大陸欧州のフランスやドイツなんかでも選挙による政権交代は経験しているんですが、日本では1993年から94年のごく一時的な期間を除いて、本格的な政権交代を経験したことがないといえます。ある意味で、政治的に成熟していないといういい方も出来るかもしれません。
しかし、昨夜のエントリーの最後と同じなんですが、国民の教育水準が上がり、情報の入手が容易になった現時点では、役所の公務員が政策策定を主導するのは時代遅れとなっており、憲法に定める代議制民主主義の下で官邸主導が進められるべきであるのは当然です。そのための前提条件も時代の流れに沿って整備され、政治的な成熟度も高まって行くんだろうと思います。

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