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2007年1月12日 (金)

格差問題の本質をどう捉えるか

格差の問題は昨年10月13日のこのブログのエントリーで取り上げましたし、折にふれて着目しているんですが、今夜のエントリーでは現在問題となっている格差の本質について考えたいと思います。格差の本質の捉え方の違い、また、何が格差の問題点なのか、により処方箋も異なるのは当然です。でも、結論を先取りすれば、現時点では、国民の間で何が格差の問題とされているか、私にはまだ不明です。

私は現在マスコミなんかで問題とされている格差には2つの面が混同されて論じられていると感じています。すなわち、相対的な格差と絶対的な貧困の問題です。前者として捉えれば、格差は英語ではinequalityとかdisparityの問題ですし、後者ならもっと直接的にpovertyの問題です。よく、日本と米国とで、社長さんと新入社員の間の賃金の比率をマスコミなんかで取り上げていて、日本の方がこの比率が低い、つまり、社長と新入社員の平等の度合いが高いとか報じられますが、これは典型的に前者の格差といえます。相対的な格差であり、もっといえば、同質あるいは対等な者の中での比率的な差の問題です。しかし、石川啄木の和歌を引いて持ち出されるワーキング・プアなんかは後者の絶対的な貧困の問題といえます。異質な者も含めて、日本人として、あるいは、基本的人権を尊重された人間として、健康で文化的な生活を営めるかどうか、また、そのための所得を得られるかどうかの問題です。もちろん、無意識にか、意図的にか、この両者をごっちゃにして論じている場合も少なくありません。
ケチなエコノミストのヘンなガテゴリー分けに従えば、絶対的な貧困の問題を解消するためには、ある程度までは、経済成長を促進するようなマクロ経済的な処方箋が有効と考えられるのに対し、相対的な格差を解消するためには、ミクロ経済的な処方箋、というか、より耳当たりのいい表現を使えば、きめの細かい政策対応が必要となる可能性が高いように思います。例えば、財政再建のために増税を考えるとすれば、逆進性があるのは事実なんですが、消費税の方が成長を阻害しないと考えられているのに対して、所得税の累進性を強化したり、あるいは、現実的な実現性は低いものの、フリードマン的な負の所得税を導入したりする方が相対的な格差を解消するのに有効であるかもしれません。

格差問題がマスコミなんかで取り上げられるようになって、私も何らかのヒントを得ようと苦労しているんですが、現時点では、国民がどちらの格差を問題としているのかについて、実は、私なりの結論には達していません。ある意味で、とても困惑していたりします。昨日のエントリーで取り上げた「海辺のカフカ」においては、偶数章でカーネル・サンダースが出て来たり、黒猫が教えてくれたりと、ある意味で、神の啓示みたいなのがあるんですが、エコノミストは自ら観察したり、考たりするしかありません。今年の通常国会は格差が本格的に取り上げられそうな雰囲気もありますし、私なりに考えてみたいと思います。

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