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2007年1月11日 (木)

村上春樹「海辺のカフカ」を読む

とっても今さらな気がするんですが、村上春樹「海辺のカフカ」を読みました。昨年秋口に村上春樹さんがカフカ賞を受賞して、昨年10月初旬にこのブログのエントリーでも取り上げましたし、11月5日のエントリーでは赤坂図書館では上巻がないと書きましたが、その後、図書館にないのであれば買うしかないと思って買い求めました。でも、年末年始にはやや仕事に関係しそうな本を買い込んだりして、今まで読むのが遅れていたわけです。なお、読書感想文なので、そうとは意識せずにネタバレがあるかもしれません。未読の方はそう多くないとは思いますが、十分ご注意ください。

私は昔から村上春樹さんの小説は好きです。かなり昔に何かの雑誌で、誰かが日本人に生まれてよかったことのひとつに、村上春樹さんの小説を原語で読めることを上げたりしていて、私もそのマネをしてジャカルタにいる時に同じようなことを職場のインドネシア人にいったりしたこともあります。でも、これも、昔の女性向け雑誌か何かに、文芸評論家でもある慶応大学の仏文の福田教授が、当時は助教授だったかもしれませんが、社交的な意味合いとして、村上春樹さんの小説が好きだと表明することは、「私は読書をします」という以上の情報にはならない、と書いているのも見たことがあります。村上春樹さんの小説が好きであるということは、少なくとも社交的な意味で何の情報にもならないのは私も同感です。ありふれているといういい方も出来ますが、逆にいえば、それほど多くの日本人が読んでいるということでもあります。ついでながら、福田教授は同じ女性雑誌の連載で、同じ慶応大学経済学部のエラい教授がダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」が好きだと公衆の前で表明したことをひどくバカにしていたりしました。ついでにいえば、私も「アルジャーノンに花束を」は決して嫌いではありませんが、大勢の人前でそれを表明するのは、少なくとも、中年になってからは、少し勇気がいるのも理解できなくもありません。

「海辺のカフカ」は15歳の少年が主人公で、家出という、ある意味で、この少年の非日常的な活動を描いた小説です。村上春樹さんが翻訳したサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」と同じシチュエーションといえなくもありません。でも、ハードボイルド一辺倒のサリンジャーと違って、「海辺のカフカ」はかなり幻想的な小説です。共通するのは、ストーリーを追い、プロットを楽しむというよりも、その表現力の豊かさを味わうべき小説だといえる点かもしれません。ですから、私がとても疑問に思ったのは、大島さんが女性であるにもかかわらず、男性にしか遺伝しない血友病である点なんですが、私のように、最後に至るまでに、何らかの謎解きがあるんではないかと期待するのは、ある意味で、とてもな気がしないでもありません。
誠に残念ながら、「海辺のカフカ」は私が中年になってから発表されたんで、どうしようもなかったんですが、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」やサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」とともに、高校生から大学生のハイティーンや大人になりかかる少し前のころに読んでおくべき小説だと思います。多感なこのころに読んでおくべき「海辺のカフカ」のような小説が日本人作家の手により書かれたことを日本人として誇りに思うとともに、改めて、村上春樹さんの小説を原語で読めることをうれしく思います。

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