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2007年3月15日 (木)

経済格差の処方箋と経済学の限界

今日の東京は午前中はいいお天気だったんですが、午後から雲が広がりました。明日は雨が降るらしいです。気温は上がらず、真冬に戻ったような寒さでした。

このところ、花粉症で体調が鈍ったり、春休みが近づいたりしたので、何となく、のほほんとしたブログを書いて来たんですが、そろそろ、経済格差について再び論じたいと思います。でも、何度も繰り返しているように、世の中の頭のいい人たちが目いっぱい考えて、それでも妙案が出ないんですから、私なんかの貢献できる部分はとっても少ないと思います。それでも、一応は、エコノミストを自称する者として、この重要な課題に関与しておきたいと思います。
今夜考えたのは、経済格差に対する処方箋はどこまで具体的であるべきか、という点です。いろいろと考えた末に、現実の格差の拡大と意識としての格差意識の浸透や顕在化の2面があると私は考えています。現実の格差の拡大の背景はグローバリゼーションやイノベーションへの対応や活用の違いであり、他方、格差が拡大して来たとの格差意識の源流には流行語にもなった「下流社会」の人々の絶対的な所得が減少していることが上げられます。
現実の格差と意識としての格差の両者を同時に扱える例として、低熟練労働者の賃金の低下があります。グローバル化の進展で中国なんかと同じ賃金水準を受け入れざるを得ない階層で、賃金が引き下げられるのは厳しい現実からすれば当然です。なお、脱線しますが、少し前の昨年10月3日のエントリーで、私はヘクシャー・オリーン的な文脈で要素価格の均等化圧力について言及しましたが、よくよく考えると、少し違っていることに気づきました。すなわち、要素価格が均等化するならば、日本の労働者の賃金は下がって、資本の収益性が高まるハズなんですが、実は、そうなっていません。資本の収益性も同時に低下しており、中国なんかの途上国との競争で労使ともに賃金と資本の収益性が同時に低下しているように見受けられるからです。
それはそうと、話を戻すと、この「下流社会」の所得を増加させるのが必要だとすれば、これをそのまま処方箋とするのは、何の意味もありません。風邪をひいて病院に来た人に、熱を下げて、咳と鼻水を止めなさい、そうすれば風邪は治ります、と処方箋を出すようなもんです。同じように、この「下流社会」の所得を増加させることが出来れば格差是正につながる、と言っても、何の処方箋にもなっていないことは明らかです。トートロジーそのものと言えるかもしれません。せめて、現在の景気拡大をさらに継続して、景気をより成熟した段階に進めることが必要です。しかし、さらに、景気を成熟した段階まで継続させるために、何が必要かまで考える必要があります。金融緩和を続けるのか、それとも、金融の正常化を進めるのか、議論は定まっていないように見受けられます。
次に、ヘクシャー・オリーン的な文脈を持ち出しても、中国なんかの途上国と似通った生産関数なのだから、もっとイノベーションを組み込んだ生産関数にジャンプしなさい、と言っても同じことです。ゴルフを上達したい人に対して、ティーグラウンドでドライバーを振ってフェアウェイの真ん中に250ヤード飛ばしなさい、と処方するのと同じで、どうすればそれが可能になるかを処方しなければ、絵に描いた餅でしかありません。
これは私がジャカルタにいたころに、経済開発計画について技術協力していた時とまったく同じ悩みで、要するに、何をどうすればいいかが分からないわけです。その意味では、発展途上国の開発戦略と日本の格差是正方策は共通の悩みを持つとも言えそうです。逆の方向から見れば、これらの経済開発や格差是正などの事象を分析するには、経済学における科学としての限界があるのかもしれません。

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