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2008年3月13日 (木)

東大寺のお水取りがクライマックスを迎える

今日は、朝からいいお天気でした。まずまず気温も上がって、私は今週は火曜日からコートなしで出勤しています。

東大寺お水取り

3月1-14日まで奈良の古都に春を呼ぶ東大寺のお水取りが行われています。正確には、二月堂の修二会(しゅにえ)といいます。壮大な夜を徹した勤行です。毎夜上がる松明(たいまつ)の中でも、特に12日の夜は、一回り大きい籠松明(かごたいまつ)の登場がありました。いつもの asahi.com のサイトから記事を引用すると以下の通りです。

奈良・東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)は本行(3月1-14日)終盤の12日、毎夜上がる松明(たいまつ)の中でも一回り大きい籠(かご)松明の登場を迎えた。11人の練行衆(れんぎょうしゅう)(こもりの僧)の足元を照らして付き人の童子たちが1本ずつ抱え、二月堂正面の舞台に上がると、詰めかけた約3万3000人の参観者に火の粉の雨を降らせた。
籠松明は長さ8メートル、重さ60キロ以上。童子たちが杉の葉やフジのつるなどを巧みに組み合わせて作った。肩に食い込む重みに耐えて舞台を駆け抜けるのは、童子にとって最高の見せ場だ。
約30分の松明が終わった後、堂内からは練行衆の声明(しょうみょう)が響いた。

東大寺二月堂の修二会は、唐の玄奘三蔵の訳になる十一面神咒心経(しんじゅしんぎょう)に基づくもので、その本尊である東大寺二月堂の十一面観音に対して僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、代苦者、すなわち一般の人々に代わって苦行を引き受ける者となり、苦行を実践し、国家安泰等を祈る祈願法要です。この法要は、もともとは旧暦の2月1日から2月14日まで行われていた行事で、旧暦の2月に修する法会として「修二会」と呼ばれています。もちろん、現在は太陽暦を採用して、3月1日から3月14日まで二月堂で行なわれています。中でも、3月12日の夜に籠松明の登場でクライマックスを迎えます。
奈良の行事ですから歴史は飛び切り長く、天平勝宝4年、西暦では752年に、東大寺開山の良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟である実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって始められたと伝えられています。以来、戦争があろうと何があろうと途絶えることなく続けられ、今年は1257回になります。私は詳しくないんですが、毎年続けられている記録があれば、ギネスブックに登録されていても不思議ではありません。
松明が活躍するのに、どうして「お水取り」と呼ぶかといえば、若狭の遠敷(おにう)明神にまつわる故事があります。修二会を始めた実忠和尚がその行の中で諸国の神々を勧請していたんですが、若狭国の遠敷明神が釣りをしていて遅刻してしまい、遠敷明神はお詫びとして若狭国から香水を送りましょうと言うと、二月堂のお堂の傍らの岩が割れ、黒と白の二羽の鵜が飛び出て来て、そのあとから水が湧き出て来たそうです。この跡が閼伽(あか)井屋となっています。

この行事に3万人を超える人々が集うのは、単に観光行事というだけでなく、二月堂の周囲の舞台に陣取って火の粉を浴びると、その年は幸いと健康を得られると言われているからです。東大寺はこの宗教的なご利益(りやく)を否定しているようですが、我が家の祖母にはご利益があったようです。60台半ばだと記憶しているんですが、東大寺のお水取りに一晩行ったことがあり、長生きを続けて来週には100歳になります。誠におめでたい限りです。

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