『学歴社会の法則』(光文社新書) を読む
今日も、スッキリと晴れ上がっていいお天気でした。最高気温は20度を超えたようです。さすがに、花粉が飛ぶ季節も終わり、お天気がよくなっても快適そのものです。今日の野球が甲子園でデーゲームだとは知らず見逃してしまいました。おかげで、負け試合を見ずに済みました。
今日は、一家そろって名探偵コナンの映画を見に行く予定だったんですが、下の子に突発的な事情が生じて私と出かけることになり、おにいちゃんのゴールデンウィークの予定もいっぱいなため、おにいちゃんだけが女房に連れられて出かけました。結局、午後もヒマになったので、先日、近くの図書館で借りた『学歴社会の法則』(光文社新書) を読んで過ごしました。一橋大学の荒井一博教授の本です。一応、「教育を経済学から見直す」との副題がついているんですが、確かに、経済学の文献も引用されていて、それはそうなのかもしれないと認めるものの、どちらかというと、荒井教授の信念に基づいて書かれているような気がしないでもありません。ハッキリ言って、パッとしません。第1章の人的資本論と第2章の最初の方のシグナル論あたりまでは、まあ、いいような気もしますが、シグナル論に対する痛烈な批判から始まって、かなり脱線した印象を私は持ちました。各種実証研究成果の取捨選択は少し恣意的な印象を受けます。特に、教育バウチャーに関する議論は首肯しがたい面もあったりします。格差是正の観点から論じている場面があると思えば、最後の実践編の英語教育に関しては日本人の2割のトップエリートだけに集中して英語を教育した方がいいと読めなくもない主張が顔を覗かせたりします。
私が混乱を感じたのは、第1に、教育に関して少なくとも経済学を応用しようと努力している部分と荒井教授の信念の部分がゴッチャになっていることです。英語教育を2割の日本人に集中する部分が前者であれば、義務教育や公立学校における格差是正を論じるのは後者です。第2に、教育に関する各経済主体の最適化行動を無視しているような気がします。教育を受ける子供とその親とをいっしょに論じている場合と子供だけを取り出して論じている場面と、少し混乱してしまいます。もちろん、学校や大学は言うに及ばず、卒業した学生を雇う企業、教育のスピルオーバー効果を考慮しつつ政策を司る中央および地方政府、どこに主眼を置いた議論なのかが、時折、わけが分からなくなってしまいます。もしも、各主体の最適化行動が合成の誤謬を犯しているのであれば、その原因を明示して回避する方法が提示されるべきで、教育のようなスピルオーバーが極めて大きくて長期にわたる活動においては、特に、問題を切り分けて議論することが重要だと思います。新書版という一般読者を対象にした限られたスペースで難しい面もあろうかとは思いますが、著者の信念を吐露したという印象しか読み取れません。この混乱が最も如実に現れているのは第6章のいじめに関する分析ではないかという気がします。いじめのグループに入らないことに主眼が置かれていて、いじめのボスに対する分析は何もありません。荒井教授が排斥を意図しているであろう新古典派的な経済学が適用できる部分も少なくないし、そうでなく古典的な教育論を適用すべき部分も大いにあって、それをキチンと切り分けられていないような気がしてなりません。
とっても著者のヤル気を感じさせる本なんですが、私には同意できる部分が少ないとしか感じませんでした。図書館で借りたんで、まあ、いいんですが、自腹で買っていたら失敗だったと感じるような気がします。でも、部分的には共鳴する人も少なくないような印象を持ちました。それだけ、教育に関する議論が混乱しているんだという気がします。もっとも、専門外の分野を論じている私の頭も混乱しているんであろうことは大いに認めます。
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