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2008年5月26日 (月)

堂目卓生『アダム・スミス』(中公新書)を読む

今日は、朝からいいお天気の五月晴れでした。気温もかなり上がったような気がします。来週からは役所ではクールビズが始まります。私は体型的に暑がりですので、少しフライングして勝手にクールビズを始めようかと考えないでもありません。

堂目卓生『アダム・スミス』(中公新書)大阪大学の堂目教授の『アダム・スミス』(中公新書)を読みました。昨日のエントリーの通り、新書は買わないことにしていますので、近くの図書館で借りて読みました。基本的に、私は仕事に関係する経済関係の本は読書感想文で取り上げないことにしているんですが、まあ、この本については仕事というより、一般教養ということでご紹介したいと思います。例えば、一応、私は官庁エコノミストと見なされることもなくはないので、経済とは少し遠い分野の公務員、すなわち、自衛官とか警察官とかの研修に講師として派遣される場合もあるんですが、今年になってから行った研修ではモロに経済学が一般教養として扱われていました。というのも、かなり大人数かつ長期の泊まり込みの研修でしたので、他の分野の講師とともに最後の謝恩会のようなものにご招待いただいたんですが、私以外の一般教養分野の講師の先生方は、将棋、写真、合唱などの分野で、場合によっては、経済学もこれらの分野とともに幅広い一般教養に入ることが私にも十分認識された次第です。
本書の副題は「『道徳感情論』と『国富論』の世界」と題されていて、前半部分で『道徳感情論』を紹介した上で、その思想的基礎の上に『国富論』を位置づけるもので、現時点での学会の主流と言えるものだと思います。私は『国富論』は読んだことがあるんですが、『道徳感情論』は読んだことがないので興味深く読みました。特に、世間一般の評価と自分の中の中立な評価については、本書の通りかもしれませんが、そもそも、自分自身の胸中に公平な観察者を持っていて、中立な評価を下せる人がそんなに多いとは、余り考えられないような気がしないでもありません。程度問題で、自分に対してそんなに甘い評価を下さない人はいますが、少なくとも、私が知る限りでは架空の人物ながら、自分自身も客観的な第三者の目で見られるのはゴルゴ13くらいのものではないでしょうか。自分自身についてかなりの程度に中立な見方ができるだけで賢者 (wise man) と言えそうにも思わないでもありません。でも、その思想的な背景は重要でしょう。
私が少し気にかかったのは、市場と政府の関係です。つまり、人間の本性として秩序を導く何かがあるのはいいとしても、市場について自由で公正な市場だけでなく、「おそらく、スミスは、参加者の独占や不正を防ぐために、市場は、ある程度、政府によって監視され、法によって規制されなくてはならないことを認めていたであろう」(275ページ)とされている部分です。もちろん、堂目教授がそんなことを主張していると言うつもりはありませんし、特に、独占に対する規制は必要なんですが、控えめに言っても、政府に多くを期待するべきではないと私は考えています。市場に代表される経済のシステムについては、本来的に何らかの均衡が達成されるものであると私は考えていて、言葉は悪いですが、何らかの基準に従って市場の均衡を歪めるのが経済政策であることも事実です。しかし、少なくとも、官庁エコノミストとも見なされ得る立場にありながら、政府にそんなに信を置くべきではないと私は思います。論点はさらにズレますが、特に、政府の歳入と歳出とではかなり非対称な認識を私はもっています。例えば、地球環境保護の課題に対して、カーボン・タックスなどの税制によって特定の財の消費を抑えることはかなり効率的に出来るような気がしますが、逆に、化石燃料に頼らない新エネルギー開発などの対策に政府支出を振り向ける方は、政府の施策によって画期的な対策が出来上がることには大きな期待は持てません。その意味では小さな政府に賛同するとも言えます。私が観察した範囲でも、ガソリンの暫定税率に対する批判よりも、その使い道の道路建設に対する批判の方が強かったようにも見受けられます。民主主義下では法が国民主権に基づいて制定されるとものである以上、法による規制は少なくとも多数決で国民の意志を反映していると言えますが、市場を政府が効率的に規制することはムリが多いような気がします。もちろん、堂目教授の論点は監視であって規制ではないことは理解しつつ、かなり極端な例を持ち出せば、政府が市場に取って代わろうとする社会主義経済が破綻したのは歴史的にも明らかですし、効率的に市場を規制した政府が、歴史上そんなに多く観察されるとはとても思えません。正しい堂目教授の論点に立ち返れば、市場を監視するのは政府ではなく市場参加者自身だという気がします。それも、本書の第1章の題になっている「秩序を導く人間本性」にあふれた市場参加者であると考えられます。繰返しになりますが、市場に対する政府の役割に多くを期待すべきではありません。少なくとも、現在の日本の政府はその胸中に公平な観察者を持っているとはとても言えないと私は考えています。ご賛同の方も多いんではないかと自負しています。

何やら、生意気にも、やや批判めいたことを書いてしまいましたが、特に、「体系の人」(man of system) に関する鋭い批判と、これにセットになっているように見受けられる漸進主義とは、私が『国富論』を読んだ大昔にも感じたことです。とってもオススメの本ですので、経済を専門にしていなくても、多くの方が手に取ることを期待しています。

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