またまた写真と将棋の文化の話題
今日は、朝から雨でした。陽射しがなくて気温は上がりませんでした。季節が逆戻りしたような肌寒さでした。街からは半袖が一気に消えたような気がします。
今日は午前中にお出かけして、昨日5月9日から6月8日まで、東京駅前の丸の内エリアにおいて開催されている写真展「AERA創刊20周年記念 坂田栄一郎 LOVE CALL - 時代の肖像 -」を見て来ました。写真展のタイトルの通り、"AERA" のカバーフォトを撮り続けている写真家の坂田栄一郎さんの作品を取り上げています。丸の内エリアのアチコチ、具体的には、丸ビルの丸キューブと呼ばれている吹抜けと3階の回廊、行幸通路の地下ギャラリー、新丸ビル3階のアトリウム、そして、丸の内オアゾの○○広場です、なお、最後の「○○広場」は「おおひろば」と読ませるようです。私が実際に今日の午前中に回った順番に並べています。"AERA"の表紙はご存じの通り、フツーに女優さんやモデルさんなんかの女性の顔写真を使っている他の週刊誌と違って、いろんな人の顔写真が登場します。政治家やスポーツ選手、来日したチャンスをとらえて外国人が登場したりもします。例えば、1990年に指揮者レナード・バーンスタイン氏が最後の来日をした時、札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバルの会場でバーンスタイン氏の最後のポートレートを撮影したのは坂田さんであると言われています。そのフォトグラファーの坂田栄一郎さんは私のマイナーなブログで紹介するのもおこがましいくらいの大御所ですが、「ポートレートの名射手」と呼ばれていて、2005年には人物写真などの功績を讃え、「PIERCING THE SKY - 天を射る」で第24回土門拳賞と日本写真協会賞の作家賞をダブル受賞しています。
さて、私が実際に回った順番は先ほどの通りなんですが、丸ビルの丸キューブには写真集の分厚い本も2冊置いてあり、自由に見ることが出来ました。先ほどのパラで触れたバーンスタイン氏(1990年)のポートレートは丸キューブで見ることが出来ます。他にも、現在の小沢一郎民主党代表(1990年)の若いころの写真や米国で民主党の大統領予備選中のヒラリー・クリントン上院議員(2004年)などの写真があります。丸ビル3階の回廊では、当時の小泉純一郎総理大臣(2001年)、ダライ・ラマ14世猊下(2003年)、トリノ・オリンピック直後と推察される荒川静香さん(2006年)などの大きくてカラーのポートレートがありました。もしも、1か所だけ行くのであれば、私は丸ビルをオススメします。行幸通路の地下ギャラリーは枚数的にはもっとも数が多く、軽く100枚は超えているような気がします。でも、すべてモノクロの写真です。東京駅を背にして皇居に向かって左側から年代順に並べてあり、左側を見終わると、今度は右側を皇居側から東京駅に向かって並んでいます。スポーツ関係ではテニスの松岡修三さん(1988年)や阪急のエースだった山田久志さん(1989年)、プロゴルファーの上田桃子さん(2008年)、あるいは、作家では芥川賞作家の金原ひとみさん(2008年)や川上未映子さん(2008年)なんかの写真が見られます。川上さんが芥川賞を受賞したのはつい最近ですから、見慣れた同じ顔なんですが、金原さんは芥川賞を受賞した時から印象が違って見えました。新丸ビル3階のアトリウムは音楽家限定のようで、指揮者の小澤征爾さん(1990年)など8人だけでした。手の届かない高い所に置いてありました。パスするとすれば、新丸ビルだと思います。オアゾの○○広場には柱6本の4面に写真があり、もっとも、そのうちの1面は写真展のポスターですから、計23人のポートレートがありました。サッカーの中田英寿選手(2000年)なんかが見られます。また、柱の写真とは別に、ゲルニカのレプリカの反対側の壁に、向井千秋さん(1989年)や毛利衛さん(1992年)など、日本人宇宙飛行士4人の写真がありました。オアゾには宇宙航空研究開発機構(JAXA)の情報センター JAXA i がありますから、その関係ではないかと思います。
まったくどうでもいいことですが、ひとつだけ不満があります。それは我が阪神タイガースの選手や監督の写真を私が見つけられなかったことです。もちろん、特に、行幸通路の地下ギャラリーなんかは大量の写真があって見逃したのかもしれません。実は、写真展のホームページにはレッドソックスの松坂大輔投手の写真があるんですが、私は見つけられませんでしたから、見逃した可能性も大いにあり、なかったと断言はしないものの、少なくとも見つけられなかったことは事実です。その昔、「週刊朝日」の最後の方に山藤章二さんが描いていたマンガは、山藤さん自身が阪神ファンだったものですから、割と頻繁にタイガース関係者のマンガが出ていたような気がするんですが、やっぱり、同じ朝日でも "AERA" は別物なのかもしれません。今年こそはタイガースがリーグ優勝と日本一になって、我々ファンも大いに盛り上げて、"AERA" の表紙にタイガースの選手や監督がバンバン出るようになって欲しいものです。
それから、話題を変えて、第66期将棋名人戦七番勝負第3局が昨日終了しました。朝日新聞と毎日新聞の共同主催なんですが、先のリンクは棋譜の豊富な朝日新聞のサイトに張ってあります。森内名人の先勝で始まった第1局に続いて、第2局は羽生二冠が制した後、第3局では序盤から中盤にかけては森内名人が優勢と言われながら、挑戦者の羽生二冠が141手目の森内名人のミスをついて、50年に1度とも言われる大逆転で勝って、対戦成績を2勝1敗としました。解説をしていた深浦康市王位は終了直前に「なんなんだ、この人は」と絶句したほどの大逆転だったらしいです。「50年に1度」というのも深浦王位が言い出したらしいです。将棋がカラッ下手の私には棋譜を見てもよく分かりません。なお、初めて全国規模で大盤解説会が開催され、多くのファンが楽しんだようです。私は行かなかったんですが、我が家の近くでは、先日、下の子とビギナーズ・セミナーに行った将棋会館道場で鈴木大介八段と船戸陽子女流二段による大盤解説会が開催されていたようです。最後に、朝日新聞のサイトから名人戦第3局に関する記事を引用しておきます。
9日朝から福岡市のJALリゾートシーホークホテル福岡で指し継がれていた第66期将棋名人戦七番勝負(朝日新聞社、毎日新聞社主催)の第3局は午後9時39分、挑戦者の羽生善治二冠(37)が森内俊之名人(37)を164手で破り、シリーズ成績を2勝1敗とした。敗勢の挑戦者が粘りに粘り、歴史に残る大逆転劇を演じた。持ち時間各9時間のうち、残りは名人1分、挑戦者5分。第4局は20、21の両日、名古屋市で。
終了直後、インタビューが始まった。勝った羽生挑戦者の声はかすれ、激戦の興奮からか涙声になる場面も。何度も信じられない逆転を重ねてきた挑戦者だが、今回は奇跡的だった。解説の深浦康市王位は終了直前、「なんなんだこの人は」と絶句。「驚異的な粘りが名人のポカを生み出した。50年に1度です」と総括した。
終始リードしていたのは名人。序盤の強手から最終盤まで万全の押さえ込みの態勢を作り上げ、会心譜になるはずだった。しかし挑戦者の執念の粘りが、141手目の先手9八銀という名人の致命的な大失着を呼んだ。挑戦者の後手8六桂が王手銀取りになり、名人は頭を抱えた。打った銀を直後に取られ、挑戦者の流れに変わった。
大盤解説会は初めて全国規模で開催され、多くのファンが楽しんだ。
写真と将棋の名人戦の組み合わせは、少し前にもこのブログで取り上げたような気がしないでもないんですが、何となく、お天気の冴えない週末にお出かけしましたので、再び文化の話題をお届けします。
| 固定リンク
コメント