長崎の人に対する印象
長崎に着いて3週間がたちました。先週末は長崎の街とお盆の風習に関して書きましたので、やっぱり、ヒマにしているこの週末は、もう少し詳しい長崎の人に対する印象です。もちろん、まだ長崎に来てからそんなに期間もたっていませんし、行動半径の狭いことでは定評のある私のことですから、そんなにたくさんの人と接したわけでもなく、極めて偏った印象であろうとは思いますが、人間というものは第一印象が大切とも言いますし、この時点での印象を取りまとめておこうと思います。ほとんど冗談に近いのでそんなに真剣に受け取らないでサラッと流し読みをお願いします。
私は今までの大雑把に50年近い人生で、大学卒業まで京都の両親の実家に住まいしていた後、東京の役所に国家公務員として勤務していましたので、極めて大雑把に20年余りを京都で過ごし、その後も、やっぱり20年余りを東京で過ごし、残りの6年余りを海外、すなわち、独身時代のサンティアゴでの外交官生活と家族を伴ってのジャカルタでの役所勤務で過ごしています。3年前にこのブログを書き始めた時は松戸に住んでいて、千葉県民をやっていたんですが、実質的には東京の役所に通っていたわけですから東京都民と大差ありません。ですから、長崎の人の比較対象は京都、東京または首都圏、カトリック教のラテンアメリカとイスラム教のアジアの、どちらも南半球の新興国・途上国となります。日本中、世界中のあらゆる人と国を知っているわけではありませんので、仕方のないところです。
まず、長崎の人にはそんなに裏表を感じません。私が深く付き合った人がいないから上っ面だけで判断している面は否定しませんが、例えば、せっかちかのんびりかということに関しては、表も裏ものんびりです。東京の人は表も裏もせっかちです。京都の人間は私が典型なんですが、表はのんびりで裏はせっかちです。表面的には「どうぞ、急ぎません」と言っておきながら、実は「早くやってくれ」と思っていたりします。日本のどこかに、表はせっかちで、裏はのんびりの地域がありそうな気がするんですが、いまだに私は知りません。次に、裏表という意味ではないんですが、150年前までの江戸時代で先進地域であったのに比べると、長崎も今ではすっかり普通の地方都市ですから、人々はお節介で詮索好きであるにもかかわらず、やや責任感に欠けるところも散見されます。例えば、何かで困っている人がいると、京都では事情を知りたがりもしないし助けてもくれないという意味で無介入無責任なんですが、私が東京に出て行った最初のころ、東京の人は事情を聞きもしないで助けてあげようとする傾向があってびっくりしたことがあります。ステレオタイプの時代劇でまま見かける無鉄砲に他人のために一肌脱ぐ江戸っ子のタイプです。京大と東大で国家公務員になる比率の差を決定しているような気質の差だと感じたことがあります。いわば、無介入かつ責任感の強い人です。しかし、長崎はこれと逆で他人のことをしっかり詮索しても助けてあげようという意識は強くありません。極端な表現をすれば、詮索好きかつ無責任と言えます。私がめずらしく怒りまくった実例で、大学の医務室に電話して、いつも東京でもらっていた薬が欲しいので処方箋を書いてもらえるかと尋ねたところ、何の病気かと聞き返されたので、言いたくもないのに病名を答えると、医務室には看護師だけで医者がいないので処方箋は書けないと言い返されてしまった例があります。最初から処方箋が欲しいと言っているにもかかわらず、病名を答えないと処方箋は書かないという結論を伝えてもらえないのにはびっくりしました。とっても悪く言えば、人が困っている事情を聞くだけ聞いて、詮索好きな気質を満足させた上で、ダメを出すんですから困ったものです。表面的には温厚な気質を装っている私なんですが、この時だけはキレて、声を荒げて怒りまくってしまいました。困った人を助けてあげないという点では京都と共通なんですが、私のような京都人は何も聞かずにダメを出して放置するような気がします。やや話が長くなりました。長崎の人も親切心があって、何とかしてあげようと考えているのかもしれませんが、私自身が被害者でしたので、割り引いてお読み下さい。
ヒマにしている土曜日に、現時点では冴えないオリンピックの野球の3位決定戦の中盤を聞きながら、独断と偏見に満ちた長崎の人に関する私の感想でした。単なるジョークとして受け止めていただければ幸いです。
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