長崎の石橋を訪ねる
昨日から少しお天気が下り坂なので、3連休初日の今日は昼前から少し出かけます。長崎のややダウンタウン寄りの公会堂近くにある中島川に架かる石橋群を見に行きました。何といっても有名なのは眼鏡橋ですが、中島川には10余りの橋が架かっているそうで、なかなか見事な石橋群を形成しています。まず、石橋を見に行く際の電車の写真です。先週末のエントリーにも書きましたが、単身赴任中は手近に被写体の子供達がいないので電車で代用しています。
まず、中島川の川沿いにある石橋群を紹介するプレートです。
最初の石橋は、何といっても全国的に有名な眼鏡橋です。今日は少し風があったので川面に波がありましたが、水面が静かだと橋が映って双円を描き眼鏡のように見えることから命名されたことはよく知られています。1960年に国から重要文化財として指定を受けています。1634(寛永11)年、興福寺二代住持であった唐僧・黙子如定(もくすにょじょう)の技術指導で架設され、日本最初のアーチ式石橋として、その石橋技術は全国の規範となったといわれています。何度かの大洪水により流失や半壊したこともあります。なお、アーチ状の丸い部分に置かれている石が輪石、その一番上のがいわゆる要石です。
次に、袋橋です。眼鏡橋からひとつ下流に架けられています。袋町に架かることから、袋町橋と呼ばれていましたが、明治初期に袋橋と命名されたそうです。
3番目に、眼鏡橋のふたつ上流寄りに架かっている東新橋です。なお、この東新橋と眼鏡橋の間には普通の橋が架かっています。私は西新橋から虎の門や霞が関方面はよく知っているんですが、東京の新橋とは直接の関係はないように思います。1982年の長崎大水害により流失したため1986年に昭和の石橋として架設されたそうです。
4番目に、芋原橋です。このあたりから読み方が難しくなって来て、「すすきわらばし」と読みます。上の東新橋の下にチラリと見えていたものです。この橋も1982年の長崎大水害により流失したため1986年に架設されたそうです。
最後に、中島川石橋群からは外れるんですが、中島川の支流である西山川に架かる拱橋です。「こまねきばし」と読みます。どうしてこの橋を番外編として取り上げたかというと、本学正門を入ってすぐの敷地内に架かっている石橋だからです。この橋を越えると関係者以外は立入禁止になっていたりするんですが、もちろん、私はバリバリの関係者ですから大学の敷地内に入っています。もっとも、私は正門よりも裏門を利用することの方が多いです。それはともかく、この拱橋は本学経済学部の前身である長崎高等商業学校創立2年前の明治36年の架橋とされています。「手を拱く」や「拱手傍観」などは少しネガティブな印象の熟語を成しているんですが、もともと、腕を組んで上に持ち上げるのは中国式の正式の挨拶ですし、その昔の長崎高商生が腕を組んで思索しながら、この拱橋を渡って教室に向かう姿を想像すると、現在、本学に奉職している私にも感慨深いものがあります。
最初に書いたように、お天気が下り坂で、午後から少しパラパラと雨が落ちて来ましたので、少し遅い昼食を眼鏡橋近くのお店でチャンポンをいただいて、夕方前、早めに切り上げました。
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