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2008年10月22日 (水)

柳広司『ジョーカー・ゲーム』 (角川書店) を読む

柳広司『ジョーカー・ゲーム』(角川書店)柳広司さんの『ジョーカー・ゲーム』を読みました。久し振りのスパイ小説です。その昔は、私もスパイ小説は決して嫌いではなく、ジョン・ル・カレのジョージ・スマイリーを主人公にしたシリーズや、レン・デイトンのバーナード・サムソンを主人公にした『ベルリン・ゲーム』、『メキシコ・セット』、『ロンドン・マッチ』の3部作なんかを読み通した記憶があったりします。20年以上前のような気がします。最近では東西の冷戦も終了してスパイ小説もすっかり流行らなくなった気がしますが、柳さんは『トーキョー・プリズン』が日本推理作家協会賞の最終候補作として残ったように、基本的には、推理作家ですから、このスパイ小説も謎解きを中心に据えたミステリのように仕上げています。柳さんのミステリにはソクラテス、マルコ・ポーロ、聖フランシスコ・ザビエル、シュリーマン、オッペンハイマー、果ては、夏目漱石の小説で有名な坊ちゃんまで、実在・架空を問わず有名人が出てくる本が多いようなんですが、この『ジョーカー・ゲーム』は昭和初期の日本陸軍でスパイ機関を創設した結城中佐が主人公になっています。私が知らないだけかもしれませんが、少なくとも広く知られた実在・架空の有名人はこの小説には出て来ないような気がします。この『ジョーカー・ゲーム』は短編といえるくらいの長さで、完結した5部構成になっていて、大雑把に250ページの単行本の50ページずつを充てています。以下は各章のタイトルです。なお、今夜のエントリーは対象がミステリですので、出来るだけネタバレはないように努めたいと思いますが、一応、この先は自己責任で読み進みつつ十分ご注意ください。

  1. ジョーカー・ゲーム
  2. 幽霊 ゴースト
  3. ロビンソン
  4. 魔都
  5. XX ダブル・クロス

大雑把なストーリーは、第1話がスパイの疑いのある外国人宅を結城中佐の部下が捜索して、先に家宅捜索に入った憲兵隊が決して手を触れることのなかった場所から証拠品を見つけ出します。この章は結城中佐や D 機関に関する導入部の役割も果たしています。第2話は洋服店の店員に化けたスパイが在横浜の英国総領事を調査して、爆弾テロをたくらむ秘密組織と関係があるかどうかを明らかにします。第3話はロンドンに送られたスパイが英国諜報機関に捕えられた後、脱出するまでの顛末です。第4話にはスパイはほとんど出て来ないんですが、間接的な情報操作により上海駐留の日本憲兵隊における不正を始末する話です。最後の第5話は日本にいたドイツ人ジャーナリストでドイツとソ連の二重スパイをしていた男が殺された犯人を結城中佐の部下のスパイが追及します。
「魔王」と称される結城中佐が設立したスパイ養成期間は D 機関と呼ばれていて、一部例外を除いて軍出身ではない10人余りの養成期間中の学生や巣立った卒業生などが、奇妙奇天烈な訓練を受けたり、実践で活躍したりします。昭和初期の軍機関にあって、学生が天皇制の正当性や合法性について議論したり、金庫破りを教わったりします。結城中佐のモットーは、「死ぬな。殺すな。とらわれるな」の3点です。スパイは影のような見えない存在で、疑われた瞬間にスパイとしては終わりと主張し、戦場以外での人の死は警察などで徹底的な取り調べが行われるため、死を強く忌避することも特徴のひとつです。今日のニュースを見ていても、東証の株価下落なんかよりも、出産間近の東京の女性が7病院から搬送を拒否されて出産後に死亡した事件や、船橋の小学校で給食のパンをのどに詰まらせて死亡した事故などが大きく報じらていますから、これはうなずけることかもしれません。また、最後の「とらわれず」は最終の第5話でその一端が明らかにされます。いずれにせよ、「死ぬな。殺すな」については、戦場で相手を殺して、場合によっては自分も名誉の戦死を遂げることを使命とする戦前の日本陸軍組織の中では極めて異質な存在であることが強調されています。
『ジョーカー・ゲーム』の大きな特徴として、短編であるがゆえに、国際政治や外交の延長であるスパイ活動の背景部分を大きく割愛し、あるいは、逆から見れば、短編にするために大きく割愛し、D 機関のスパイ各個人やその大元締めである「魔王」こと結城中佐のスーパーマン振りが際立っているということです。先に上げたル・カレやデイトンなどのスパイ小説は米ソの冷戦のさなか、厳しく対立する東西両陣営を互いに探り合うスパイを主人公に、両陣営内部でも温度差があり、それに基づくさや当てがあったりと、国際政治や外交の緻密かつ裏から見た分析が豊富に語られていました。私なんかは今でもゴルゴ 13 のマンガを読んで、外交の舞台裏ではこういったことがあるのかと感心したりしないでもありません。しかし、『ジョーカー・ゲーム』では国際政治や外交の舞台裏は大胆にカットし、その代り、スパイ個人の活躍や結城中佐の飛び抜けた資質や洞察力などをクローズアップする形を取っています。この手法には賛否両論あり得ますが、私は大いに評価したいと思います。今さら、大昔の国際政治や外交についてクドクドと背景説明をされても困惑するばかりです。もちろん、批判も十分あり得て、スパイが苦労して入手した重要な情報が国際舞台で生かされる場面は全くありません。個別かつ瑣末な事件の解決に当たっているだけで、中には、結城少佐が D 機関に予算を引っ張って来るための組織防衛的な活動にスパイを使ったりしています。このあたりは、官僚機構はどれも同じような面を持っていると感じてしまいました。

いろんな見方が出来て、いろんな楽しみ方のできる好著です。私は柳さんの作品をそんなに多く読んでいるわけではないんですが、この小説は『トーキョー・プリズン』より高く評価する人も少なくないだろうと感じました。文句なく5つ星でしょう。もっとも、私独自の評価では、買って読む本と借りて読む本の分類には少し迷います。

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