日本の社会保障はどのくらい高齢者に手厚いのか?
昨日、国立社会保障・人口問題研究所から2006年度の年金、医療、介護などの社会保障給付費が発表されました。社会保障給付費は引き続き伸びを続けており、2006年は前年度伸び率は+1.5%増と低かったんですが、総額は89兆円となり、人口は減少しているにもかかわらず、毎年過去最高を更新し続けています。PDF ファイルの詳細なリポートも公表されています。まったくどうでもいいことですが、社会保障・人口問題研究所のホームページのディレクトリ構成を見ると、社会保障給付費の関係のページは ss-cost、おそらく、social security cost の省略と考えられるディレクトリに置かれています。実に正しい認識だと感心してしまいました。それはともかく、朝日新聞のサイトから関連する記事を引用すると以下の通りです。
06年度に医療や年金、介護などに税金や公的保険から支払われた社会保障給付費は、過去最高の89兆1098億円となったことが18日、国立社会保障・人口問題研究所のまとめで分かった。前年度からの伸びは1.5%で、1950年度の集計開始以来、3番目に低かった。06年4月の診療報酬改定が、過去最大のマイナス3.16%だった影響だという。いろんな分類の仕方があって、いろんな分析が可能なんでしょうが、私なんかの少し古い世代の常識だったのは、日本は社会保障のうちで医療が占める割合が高かったということです。ひと昔前までは、高齢者比率がそんなに高くないことから年金の比率は低く、介護制度のないころは病院が老人ホーム代わりになっていましたから、医療が大きな比率を占めるのは当然です。現在では、年金の比率が急速に高まり、介護保険制度の創設もあって医療のシェアが低下しています。 といったような私が学生相手に日本経済論で講義しているような概観は別として、社会保障国民会議の最終報告を取り上げた11月5日付けのエントリーなどで従来から主張しているように、日本の社会保障制度が高齢者に偏っていて少子化や人口減少と悪循環を起こしている統計的な裏付けを見てみたいと思います。下の2枚のグラフです。上のグラフは我が国の社会保障給付の1975年度から2006年度までの時系列的な変化で、下のグラフは2005年時点における各国比較です。どちらも、一番下の凡例にある通り、灰色が高齢者関係、赤が児童や家族関係、水色がその他を表しています。日本式の分類と経済協力開発機構 (OECD) に従った各国比較の分類で微妙に割合が違うんですが、いずれも、高齢者向けの社会保障給付が大きな割合を占めていて、児童や家族向けの給付が極端に少ないのが見て取れると思います。
分野別では、全体の32%を占める医療は、28兆1027億円。前年度の28兆1094億円から微減した。53%を占める年金は47兆3253億円で2.2%増。福祉分野も、児童手当の支給対象拡大などに伴い、2.3%増の13兆6818億円になった。
高齢者関係への給付が最も多く、62兆2297億円で、70%を占めた。一方、子育て支援費用が含まれる児童・家族関係は3兆5391億円で4%にとどまった。また06年度は、障害者自立支援法施行で障害関係に分類される費用が増えたため、15%増の2兆5618億円。
国民所得に占める割合は23.87%。国民1人あたりの給付費は、1.5%増の69万7400円だった。
もちろん、高齢者比率が日本では高いから仕方ないとの批判もあり得ます。しかし、例えば、ドイツと比較すると、いずれも2005年の統計で、日本の高齢者比率が20.16%であるのに対して、ドイツは18.78%となっており、米国の12.26%などと違って、日独の間にはそれほど大きな違いはありません。従って、社会保障給付のうちの大雑把に5%、5兆円くらいを高齢者向けから児童・家族向けにシフトさせることは、控え目に言ってもムリな政策だとは私には思えません。社会保障給付の5%を高齢者向けから児童・家族向けにシフトさせても、高齢者向けの比率はドイツと同程度ですし、児童・家族向けはフランスやスウェーデンにはまだ及びません。そんなに大きなムリをせずに、歪みを小さく出来る可能性が十分あると私は考えています。しかも、5兆円は考えようによっては大きな金額です。高齢者向けで1割のカットを実現できれば、逆から見て、児童・家族向けの給付は倍増となります。11月5日付けのエントリーで主張した通り、社会保障国民会議の最終報告は、小泉内閣以来の給付削減から負担増加へと大きく舵を切ったと解釈されていて、私はこの方針転換に同意しかねますが、百歩譲って負担増加により給付を維持するとしても、給付の中身を高齢者向けから児童・家族向けにシフトすることは可能ではないかという気がします。もちろん、短期的に大きな効果を望むことは難しいでしょうが、10年、20年と経るうちにジワジワと少子化や人口減少に何らかの効果を発揮すると私は考えています。加えて、現役時代の貯蓄を取り崩すことなく、年金だけで日常生活が出来てしまう高齢者への給付を、わずかとはいえ削減することにより、ひょっとしたら、高齢者の労働力市場への参加が高まり、人口減少下での経済活力の低下を抑制することが可能となるかもしれません。ただし、この最後の点については留保を付しておきます。
将来の社会保障制度をどうするかは最終的には国民の判断となり、憲法に定める現在の代議制民主主義の下では、投票権を持たない未成年の意思は反映されず、もしも、高齢者の投票率が高いのであれば、高齢者に有利で若年層に不利なバイアスのかかったカギカッコ付きの「国民の判断」が下される可能性が高いのは事実です。政治家にしても、メディアにしても、自分の支持基盤、いわば「タニマチ筋」に便宜を図るのはある意味で当然です。ですから、私は大学の講義などで学生相手に、社会的な出来事に無関心でいることなく、もっと投票に行きメディアにも物申すように呼びかけています。長らく公務員をしてきた私の信条は、「国民は時間がかかっても正しい判断を下す」というものです。
最後に、この社会保障の歪みの問題を取り上げるたびに、やや悲壮感が漂って、暗い気分になってしまいます。私の考えが少数意見だということは自覚していますが、間違っているわけではないことを願っています。
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