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2009年1月 8日 (木)

田中慎弥『神様のいない日本シリーズ』(文藝春秋)を読む

田中慎弥『神様のいない日本シリーズ』(文藝春秋)田中慎弥さんの『神様のいない日本シリーズ』(文藝春秋) を読みました。先日1月5日付けのエントリーで紹介した通り、第140回芥川賞の候補作品にも選ばれています。左の画像は単行本で出版された本の表紙で、クリックすると文藝春秋社のページが別窓で開きます。でも、私が読んだのは昨年2008年10月号の「文學界」でした。ですから、より性格には二重カッコではなく、一重カッコで書名を引用すべきなのかもしれませんが、もちろん、内容は同じだと思います。短編ではないんでしょうから、中篇くらいの長さだと思います。父親が小学4年生の男の子に話しかけるモノローグという形を取っています。小学4年生の息子は扉の向こうに閉じこもっていて、何も話はしませんからダイアローグではありえません。どうして小学4年生の男の子が部屋に閉じこもっているかというと、同じ野球部の6年生に父親の父親、すなわち、男の子からすれば父方の祖父についてのことなどでいじめられたりしたからです。男の子からした祖父のことを、父親は「あの男」と呼び、父親が自分の幼少のころから、男の子の母親、つまり、父親の妻となる女性に出会った中学生のころ、特に、中学3年生の時の学芸会で「ゴドーを待ちながら」の演劇に取り組んだことなどを、「香折」という男の子の名前の由来まで含めて、延々とモノローグで語り続けます。父親は自分からは扉を開けることはしないと明言し、扉を閉ざした状態でのコミュニケーションを最後まで維持し続けます。
小説や文学にやや疎い私の見方かもしれませんが、完成度の高い小説に思えました。もちろん、モノローグで終わらせずに、最後に小学4年生の男の子に何らかのレスポンスをさせるという形を取ることも考えられなくもないでしょう。例えば、バルザックの『谷間のゆり』では、フェリックスの長い手紙の後に、それを読んだナタリーの短い手紙が添付されています。ここでは、ナタリーはこんな打明け話は2度として欲しくないとフェリックスをたしなめたりしています。でも、小学4年生にはこれはムリそうだから、モノローグで終わらせるのも一案かと思ったりしました。
タイトルになっている『神様のいない日本シリーズ』のうち、後半の「日本シリーズ」は1958年の西鉄vs巨人と1986年の西武vs広島の2戦がクローズアップされます。どちらも3連敗の後の4連勝で、それぞれ、西鉄と西武が日本一に輝いています。順序が逆になりましたが、前半の「神様」は1958年の日本シリーズで「神様、仏様、稲尾様」といわれた稲尾投手や「ゴドーを待ちながら」のゴドーをゴッドを解釈したりと、「神様」も「日本シリーズ」もともに、いろんなものを重層的に暗示させています。でも、小学4年生の男の子がやっている野球が大きなモチーフになっていることは確かなような気がします。モロのネタバレを書きそうな気がしますので、野球についてはサラリと終えたいと思います。

小説や純文学に疎い私のことですから、ネタバレなしに読書感想文を書くのは難しいんですが、繰返しになるものの、完成度の高い小説だと感じました。芥川賞候補作品ですから単行本を置いていたり、また、「文學界」であれば置いている図書館も少なくないと思います。一読をオススメ出来る小説だと思います。

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