サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)を読む
昨夜の「読書感想文の日記」は第140回芥川賞と直木賞に関する本邦読書界の話題でしたが、今夜のエントリーは正真正銘の読書感想文で、村上春樹さんの新訳になるサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)を読みました。旧訳とでも称するのか、同じ白水社の Hakusui U Books のシリーズから出版されている野崎孝さん訳の『ライ麦畑でつかまえて』の方も何度か読んでいますので、5-6回くらいになると思います。1年半ほど前の2007年6月7日付けのエントリーで、やっぱり、村上春樹さんの新訳になる『グレート・ギャッツビー』を取り上げて以来、この『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も読もう読もうと考え続けて来たんですが、とうとう、読んだという感じです。昨年の読書感想文で取り上げた村上春樹さんのエッセー『うずまき猫のみつけかた』の最初の章で「一に足腰、二に文体」というのがありましたが、まさに、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のためにあるような言葉かもしれません。何度読んでも新鮮に感じます。サリンジャーのグラース家のシリーズに出て来る長男のシーモアに通ずるような、主人公ホールデン・コールフィールドの破滅型・落下型の性格は別にしても、第2次世界大戦直後の1950年ころの米国の東部ティーンエイジャーの雰囲気をよく伝える文体だと思います。いわゆるプレップ・スクールの高校生からアイビーリーグの大学生なんかの考え方や話し方の雰囲気が伝わって来ます。もちろん、私のような中年のオッサンではなく、できれば、多感なハイティーンの高校生から大学生のころに読んでおくべき本であることは間違いありません。
何度読んでも新鮮に感じるんですが、今回は、教職についてから始めて読んだので、特に、一番最後の部分の主人公とアントリーニ先生との interaction が印象的でした。学校教育によって「自分の知力のおおよそのサイズ」が分かるようになる、との発言なんか、何度も読んだのに、改めて感じ方が違ってしまいました。もちろん、いつものことながら、主人公の妹のフィービーの気の利いた会話やリアクションは都会的なセンスにあふれています。「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」とズバリと主人公に指摘するんですから、とってもファンタスティックで参ってしまいます。どうしても、ニューヨークに戻ってからの後半に印象的な部分が多い小説のような気がしないでもありません。我が家の子供達はまだ小学生ですが、高校生くらいになれば読ませてみたいと思っています。
残り少なくなって来た冬休みに、二晩続けての読書感想文の日記でした。
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