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2009年4月29日 (水)

県書道展に行き、書道界のビジネスモデルを考える

今週は月曜日の午後くらいから長崎でもいいお天気が続いています。気象庁の週間予報でも、このゴールデンウィークの前半は全国的にも土曜日くらいまで好天が続くような予報になっています。下の画像は毎日新聞のサイトから引用しています。

ゴールデンウィークの天気

ということで、お天気がよくて、さすがの出不精の私も外を出歩き、第34回県書道展を訪ねました。私もちょくちょく取材を受けている長崎新聞の創立120周年記念だそうで、長崎新聞社主催です。だからということんでしょうが、4月14日の開会式典の模様を収めた動画が長崎新聞のサイトで報じられています。出島近くの長崎県美術館で開催されています。長崎新聞の報道によれば、この展覧会は、漢字、かな、近代詩文、少字数、篆刻、前衛の6部門を公募する総合書展となっていて、今回は1263点の応募があり、最高賞の長崎新聞社大賞6点をはじめ、入賞・入選作計426点が選ばれました。県南の長崎市のほか、県北の佐世保市でも展覧会が開催され、長崎市の展覧会では計887点を前期・中期・後期の3期に分けて展示しています。私が今日行ったのは後期の展示です。佐世保展では378点の作品が展示されるそうです。先生方の作品を私ごときが評価することは出来ませんが、立派な作品が並んでいました。長崎県民の教養の高さを示していると実感しました。多くの方が鑑賞されるようオススメします。
ということで、表題にした書道界のビジネスモデルについて、パッと見で、応募総数のうちの 1/3 超が入賞・入選していますから入賞・入選の割合がやたらと高くて、長崎展と佐世保展を合わせて、ほぼすべての応募作品が展示されることになっており、展示されない作品が100点足らずととっても少なく、審査が甘いんではないかと見られがちなんですが、私も書道をやっていましたから知っていますので解説しますと、ハッキリ言って、応募作品の1割近くが展示されないというのは公募の書道展としてはメチャクチャに厳しい審査と言えます。もっとも、何らかの勘違いがあって、書道以外の作品が応募されているのだとすれば、長崎県民の教養のレベルの問題だという気もします。いずれにせよ、公募の書道展というものは応募したら必ず展示されるもので、会場いっぱいに所狭しと作品を並べるものなのです。ですから、こういった書道展を見に行く人の多くは出品者かその知り合いなどで、他の作品へは軽く目をやるだけで、パンフレットなどで作品の配置を確認した上で、自分や知り合いの作品の展示にダッシュし、作品に並んでの記念写真も撮り放題です。当然ながら入場は無料か、少なくとも、出品者などの関係者には大量にタダ券が配られます。今日行った県書道展も入場無料でした。もちろん、公募展でなく、私が今までにこのブログで取り上げたような、王羲之の「蘭亭序」の臨摸である八柱第三本や顔真卿の「自書告身帖」の真蹟などをメインに据えた書道展はまったく別です。あくまで、公募の書道展だけのお話です。
それから、段位や家元などを認定するのは書道界に限らず、華道や茶道などの伝統芸能でも行われていますし、それぞれの流派の中でいわば勝手に段位などを認定して、日本全国で単一の団体による認定ではないことは共通しています。もちろん、柔道のように講道館というガリバー独占が成立している業界もある一方で、華道や茶道はせいぜい片手で数えられるくらいの流派しかないのに対して、正確ではないかもしれませんが、直感的に、書道は軽く200くらいの流派があって、その大多数の団体が独自に段位を認定していたりします。武道である柔道は精神と肉体の鍛錬であることはいうまでもありませんが、習い事・芸事である書道・華道・茶道などは芸術として高いレベルを目指すとともに、一般に広く普及させることも目的にした教養であることも確かですから、その面から、応募された作品はほぼすべて展示するとか、細かい流派に分かれて近くの書道教室で手軽に級位や段位を認定するとか、こういった親しみやすさも必要なのかもしれません。私の出身地である京都の(財)漢字能力検定協会が資格認定ビジネスをやり過ぎて、さらにファミリー企業などとの不明朗な会計処理もあって批判されていますが、もちろん、柔道も含めて書道・華道・茶道などの教養団体においても、資格認定は魅力あるビジネスのひとつなんだろうという気はします。
さて、ビジネスモデルを離れて、今日の県書道展で私の目についた特徴をいくつか上げると、まず、ほとんどが行書とかなだったことです。もちろん、隷書や篆刻や前衛書もありましたし、少数ながら、楷書も見かけましたが、草書はほとんど見当たらず、楷書の中で私の好きな細楷は皆無でした。かなについてもお行儀よく真っ直ぐに書いたかながほとんどで、和様を極めた小野道風の継色紙や秋萩帖などにおける分かち書きのような書法は見られませんでした。前衛書もかなと同じようにお行儀のいいものが多かったような気がします。私には受け入れやすいものでした。少し脱線しますと、そもそも、私が前衛書を苦手にしているのは、言うまでもなく師匠の影響なんですが、私の師匠は「書道である限り、字として認識されねばならない」との信念をお持ちでした。ココロは、例えとしてよく持ち出されたのは、「大」と「太」と「犬」は点のあるなし、また、点がどこにあるかで違う文字を表しているわけで、単に白い紙に黒い墨を塗りたくっただけで、何の文字であるかが認識されないようでは書道ではない、ということでした。かなりのご高齢でしたから、というわけではないんでしょうが、おそらく、重要なポイントだとお考えだったため、何度も聞かされた記憶があります。もちろん、各人の来歴により文字として認識できるかどうかには個人的に大きな差があり、日本人でも小学生は難しい漢字を読めないかもしれませんし、外国人は漢字やかなを文字として認識しないのかもしれませんが、少なくとも、私の師匠クラスの能書家が文字として認識できないような紙に書いた墨の跡は書道ではないと言い切っていました。ですから、私には前衛書の比率の高い毎日展よりも伝統的な書の多い読売展を見に行って勉強するように、と勧められたこともあります。ということで、こういったバックグラウンドを持つ私にも受け入れやすい前衛書が多かったような気がします。

いずれにせよ、繰返しになりますが、本県書道界のレベルの高さを実感することができました。無料ですし、美術館の場所も交通便利なところですから、多くの方が訪れるよう、私からもオススメします。最後に、知らない誰かにトラックバックでも送ろうかと考えて、goo のサイトから「長崎」と「書道展」をキーワードにしてブログ検索をかけてみましたが、1件もヒットしませんでした。書道とブログの両方に関心が高いのは、長崎140万県民の中で私1人だけなのかもしれません。

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