村上春樹さんにノーベル文学賞を取ってほしいもうひとつの理由
何となく、後期の授業が始まったばかりで、科研費の申請作業もあったもんですから、この3連休は長崎で過ごしていますが、やっぱりヒマですね。東京に帰って家族と過ごせばよかったと後悔しています。変化の少ない田舎暮らしにも慣れたかと思ったんですが、まだまだ修行不足です。
さて、先週からノーベル賞の発表が始まり、明日の経済学賞で終わるんですが、いまだ何の具体的成果も上げていない米国のオバマ大統領に平和賞が授賞されたのには少しびっくりしました。そして、今年も村上春樹さんは文学賞を逃してしまいました。Frau Herta Müller の受賞にケチを付けるつもりは毛頭ありませんが、やっぱり、エンタテインメント性よりは社会性のある「大きな物語」の方が評価が高いのかと思わないでもありません。もちろん、日本語を母語とする作家の不利はあります。言うまでもなく、日本語を母語とすることは経済学賞よりも文学賞の方でより大きなハンディになります。ついでながら、Wikipedia のノーベル文学賞のサイトによれば、受賞者の創作言語は以下の通りだそうです。もちろん、今年の Frau Herta Müller まで含まれていて、『ゴドーを待ちながら』で有名なサミュエル・ベケットは英語と仏語の双方にカウントしてあるようです。
- 26人 - 英語
- 14人 - フランス語
- 13人 - ドイツ語
- 10人 - スペイン語
- 6人- イタリア語、スウェーデン語
- 5人 - ロシア語
- 4人 - ポーランド語
- 3人 - デンマーク語、ノルウェー語
- 2人 - 日本語、ギリシャ語
- 1人 - トルコ語、ハンガリー語、中国語、ポルトガル語、アラビア語、チェコ語、イディッシュ語、ヘブライ語、セルビア・クロアチア語、アイスランド語、フィンランド語、ベンガル語、プロヴァンス語
私が村上春樹さんにノーベル文学賞を取ってほしいのは、当然ながら、私自身がハルキストであり、村上作品が大好きであるからなんですが、もうひとつの理由があります。私は1990年代前半に在チリ大使館に勤務していたんですが、ようやく私が勤務を終えた後の1994年に大江健三郎さんが受賞するまで、当時、日本人のノーベル文学賞受賞者は川端康成さんただ1人で、他方、チリには1945年のガブリエラ・ミストラルと1971年のパブロ・ネルーダの2人のノーベル文学賞受賞者がいました。いずれも詩人なんですが、ミストラルは日本でいえば明治期の与謝野晶子に相当するような情熱的な女性詩人、ネルーダは1970年代初のアジェンデ政権を支える典型的な左翼文化人の代表、などと日本からの来訪者に説明していました。特に、これもノーベル文学賞受賞者であるガルシア・マルケスはネルーダのことを「どの言語の中でも20世紀の最高の詩人」と称しています。私もネルーダの家イスラ・ネグラを訪れたことがあります。ラテン・アメリカでネルーダはキューバのゲバラとともに左翼運動のヒーローです。
チリ人でノーベル賞を受賞したのはこの2人の文学賞だけで、日本と違って他の物理学賞や化学賞などの受賞者はいないんですが、日本人のノーベル文学賞受賞者が1人しかいないことに対し、チリは2人いることをさんざ自慢する知り合いがいて、悔しい思いをした記憶があります。すなわち、実用上の学問領域ではチリは確かに日本に後れを取っているかもしれないが、文学などの芸術面では日本に優っている、などと言われたものです。普通の感覚からすれば、そうでもないんでしょうが、南米チリという極めて日本人の少ない環境で、しかも、あらゆる意味で日本を代表する大使館の外交官として、チリへの対抗心とともに日本を背負っていた記憶があり、早く2人目のノーベル文学賞受賞者が出ないものかと考えていました。2人目の大江健三郎さんが受賞してから早くも15年が経過したんですから、そろそろ、村上さんへの授賞があってもおかしくないと感じています。
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