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2009年12月12日 (土)

伊坂幸太郎『SOSの猿』(中央公論新社) を読む

伊坂幸太郎『SOSの猿』(中央公論新社)

伊坂幸太郎さんの新作『SOSの猿』(中央公論新社)を読みました。まず、ネタバレをする前に、出版社のホームページにあるあらすじを引用すると以下の通りです。

家電量販店の店員・遠藤二郎は、イタリアで修行した「エクソシスト」というもう一つの顔を持つ。遠藤は他人の発する「SOS」を見過ごせない性格だった。ある日、知り合いの「辺見のお姉さん」にひきこもりの息子・眞人の悪魔祓いを依頼され、辺見家に赴く。
一方、桑原システムの社員・五十嵐真は、20分間で300億円の損失を出した菩薩証券の株誤発注事故の調査を命じられる。 菩薩証券は、ミスの原因をシステムのせいにしたがっているという。聞き取り調査を始めた五十嵐は、なぜか奇怪な幻想に翻弄されていく。
眞人の部屋で「西遊記」を発見する遠藤。そして五十嵐の前には異形の猿が......。これは現実か妄想か。二つの物語のゆくえはいかに。

まず、この作品が伊坂作品であることは間違いないんですが、漫画家の五十嵐大介さんとと共同で構想した世界を、それぞれ独自に小説とコミックの二つの表現方法で競作した、という意味で、めずらしい試みであるといえます。来年早々には五十嵐さんのマンガの方も小学館から出版されるようですから、コチラも読んでみたい気がします。読売新聞夕刊に連載されていた小説を大幅に加筆修正して出版したと記されています。なお、以下にはネタバレを含む可能性があります。未読の方が読み進む場合にはご注意ください。
物語の場所は伊坂作品の中心をなす仙台ではなく、東京であるようです。山手線が出て来ます。遠藤次郎が1人称で進める「私の話」と、3人称で語られる五十嵐真の「猿の話」と交互に物語は進みます。「猿の話」の方は孫行者、すなわち、一般には孫悟空の名で知られている妖怪が語り手のようです。ですから、「猿の話」の方には『西遊記』よろしく、登場人物が牛魔王をはじめとする妖怪に擬されます。三蔵法師は五十嵐真自身です。なぜか、孫悟空から五十嵐真が「お師匠様」と呼びかけられたりしますが、他の人には孫悟空は見えないとの設定です。また、引用にもある通り、遠藤二郎は悪魔祓いの資格をイタリアで取得していたりします。物語が 2/3 くらい進んだところで長い「五十嵐真の話」が現れて、作品の結論を迎えます。
宗教的な観念の中で、善悪や真偽とは何かを考えさせられる作品ですが、そんなに重く受け止めるべき作品でもないような気もします。そもそも、仏教とは真理の体系であると私は考えています。しかし、キリスト教やイスラム教的な全知全能の神といった形で、絶対的な真理や善というものが仏教には存在しないのも事実です。我が家が信仰する一向宗、すなわち、浄土真宗でも阿弥陀仏は一神教の神に近いですが、全知全能というよりも真理の体現者です。また、村上作品のようなエンタテインメント性もないわけではないんですが、従来の伊坂作品を好きな人には「重い」と感じられ、やや不発度が高いような気がしないでもありません。株の誤発注や児童虐待も取り入れられており、このあたりの社会性は新聞連載であることも関係しているのかもしれません。

読み終えた『SOSの猿』は私が愛用している尾道帆布のレンガ色のブックカバーとともにおにいちゃんの手元に渡って行きました。親子で競い合うように伊坂作品を読んでいる我が家ですが、おにいちゃんには期末試験が終わってから読み始めるように言い渡してあります。でも、早くおにいちゃんの感想を聞いてみたい気がします。

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