今年度の「経済財政白書」は「客観的な経済分析」か「政権の宣伝文書」か?
先週7月23日付けのエントリーで軽く今年度の「経済財政白書」について取り上げましたが、朝日新聞のサイトで「政権色の経財白書 政策裏付け、揺らぐ客観性」と題して白書の客観性について論じています。まず、長くなりますが、記事をそのまま引用すると以下の通りです。
政権色の経財白書 政策裏付け、揺らぐ客観性
経済財政白書の「客観性」が揺らいでいる。前身の経済白書はかつて「白書の中の白書」といわれ、その分析に注目が集まった。ところが、今年度の白書は、子ども手当など民主党の政策の効果を裏付けようとするデータを並べ、「宣伝文書」との批判も浴びた。政権交代で経済政策が大きく転換する時代、何のための白書なのか、改めて問い直す必要がありそうだ。
今年度の白書は「民主党色」に染まったものだった。
「バブル崩壊から約20年間続く慢性的な需要不足」をデフレの最大要因とし、家計を起点に長期停滞やデフレを克服する道を探った。白書の売り物であるデータ分析では、子育て世帯の消費意欲の高さを挙げるなど、子ども手当などの政策の景気浮揚効果を暗示した。
だが、小泉内閣時代の2001年度版の白書は「不景気は需要不足なのだから、需要をつければよいという議論は説得力に欠ける」と断言。「労働力、資本、土地といった経済資源を、生産性の高い分野に振り向ける構造改革によって潜在成長力を高める」としていた。
政権交代で、処方箋(しょほうせん)が百八十度変わってしまった。
エコノミストから「客観的な現状分析を放棄してしまえば、白書を出す意味はなくなる」(小峰隆夫・法政大大学院教授)と厳しい声があがるのも、かつての経済白書は客観的な経済情勢の分析で評価を受けてきたからだ。
■注目集めた前身
初代白書である「経済実相報告書」は1947年7月発刊で、政府の白書で一番歴史がある。初代の執筆責任者は戦後日本を代表する経済学者の都留重人氏。「集めうる限りの資料や統計を基礎として、我が国経済の現状を国民に伝え、国民と一緒に問題を考えかつ解決していきたい」という理想を掲げた。
その後も、56年度版の経済白書の「もはや『戦後』ではない」という言葉が流行語にもなるなど、政府の白書としては最も注目を集めてきた。
■小泉政権から変化
それが、小泉政権時代から政治色の強いものに変わり始めた。経済白書は経済財政白書に衣替えし、内閣府は首相直属の経済財政諮問会議の事務局として執筆領域も財政・金融分野に広がった。その分、政権の政策を後押しする役割を求められるようになった。当時の竹中平蔵・経済財政相は「白書は小泉改革を経済分析面でサポートするもの」と言い切った。
そもそも官庁エコノミストが執筆する白書は、政権の意向に左右されることは避けがたい。担当者らは前年の12月ごろから、翌年度版の構成や研究テーマについて経済財政相に相談。そこで決まった方向性に従って執筆を進め、各省と協議し、最終的に経済財政相が閣議に報告する。
■読む側の意識必要
内閣府の幹部は「時の政権によって政策の思想や方向性は大きく違う。それを俎上(そじょう)に載せずに日本経済の分析はできない」と弁明するものの、「政府の組織である以上、『現政権の政策の効果がない』と言うこともなかなか難しい」と本音も漏らす。
内閣府OBの櫨(はじ)浩一・ニッセイ基礎研究所経済調査部長は「経済の現状分析は客観性が確保されることが大切だが、政策の効果や課題の分析に政権の意向が反映するのは仕方ない。政権交代時代は白書が『宣伝文書化』する。政権の考えを意識しながら読み解くようにするのが必要なのではないか」と話す。(鯨岡仁)
「客観的な経済分析」と「政権の宣伝文書」が100パーセント必ず矛盾するというわけではありませんが、控えめに言っても、ひとつの対立軸となる可能性はあり得ます。ただし、逆から見て、100パーセント「客観的な経済分析」というものがあり得るのかどうか、私は自信がありません。例えば、定量的に実証したとしても、元のモデルにバイアスがある可能性も排除できません。すぐれたエコノミストであっても、何らかのバイアスにより分析の目が曇ることはありますし、引用した記事にある通り、分析結果をそのまま公表しているとは限りません。いずれのエコノミストも何らかの信念というか、社会的経済的な規範を持っているわけですから、何らかのバイアスはかかります。もちろん、世の中には意味のない、あるいは有害なバイアスもいっぱいあります。
エコノミスト、特に官庁エコノミストの分析に関する歪み、あるいは、分析結果の公表に関する歪みという深刻な事柄について考えさせられる記事でした。
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