長崎から東京に戻る人事異動に伴う引越しの真っ最中で、少し私は脇に追いやっていたんですが、セント・ルイス連銀の Bullard 総裁が7月29日に "Seven Faces of 'The Peril'" と題するペーパーを公表しています。私も読みましたので、もう少しして夏休みに入ったら取り上げようと考えていたんですが、8月に入って早々にみずほ総研から「デフレ回避の手段と脱却策は同じか」と題するリポートが出されたり、日経新聞で滝田編集委員が「米国は『日本型デフレ』を防げるか(グローバルOutlook)」と題して解説していたり、あるいは、いくつかの金融機関からちょうだいしている顧客向けのクローズなニューズレターでも注目されていますので、私のこのブログでも時流に遅れず取り上げたいと思います。
まず、ポイントとなるのは Bullard ペーパーの p.2 Figure 1. Interest Rates and Inflation in Japan and the U.S. のグラフは以下の通りです。凡例にある通りですが、縦軸が名目金利、横軸がインフレ率のカーテシアン座標に、日米両国がプロットしてあり、緑色が日本、水色が米国です。近似的に非線形のテーラー・ルール曲線が黒の実戦で描かれています。赤い点線は実質金利が0.5%の時のフィッシャー方程式です。テーラー・ルール曲線とフィッシャー方程式は2つの交点を有しており、右上の (2.3, 2.8) が "targeted steady state" で、左下の (-0.5, 0.001) が "unintended steady state" となっています。明示的な表現はないような気がしましたが、インフレ均衡とデフレ均衡であると解釈されることは言うまでもありません。
みずほ総研のリポートが正しくも喝破しているように、Bullard ペーパーはデフレ回避に着目しており、日本のようにデフレに陥った後のデフレ脱却を論じているわけではありません。その前提に留意しつつ、ペーパーのタイトル通り、デフレ回避の政策を考える際の論点として以下の7点を取り上げています。
- Denial
マイナスの政策金利は "nonsensical" として否定しています。 - Stability
デフレ均衡の安定性は、例えば、Benhabib 教授らのペーパーにあるような完全な DSGE モデルの世界など、モデルに依存するが、現に日本がこの状態にあり、十分安定的であり得ると結論しています。 - FOMC, 2003
2003-04年の米国のデフレ回避成功は連邦準備制度 (FED) の金融政策に依拠するか、その他の情報によりインフレ期待を高めたかは識別が困難で、さらに、長期には "play out" するとしています。やや懐疑的な評価といえましょう。 - Discontinuous
インフレ率が低い場合にテーラー・ルールを放棄して、一定のプラスの金利を維持することです。例えば、Figure 4. では0.5%を下回るインフレ率の時には、1.5%の金利水準を維持するように作図されています。これだと、テーラー・ルールとフィッシャー方程式の左下の交点で表わされるデフレ均衡は生じません。 - Traditional
イングランド銀行が最近まで314年に渡って続けてきたように、政策金利の下限を2%程度に決めてしまう方法です。この第4と第5の方法は Bullard ペーパーでは好意的に取り上げられています。 - Fiscal intervention given the situation in Europe
金融政策ではなく財政政策を用いる方法なんですが、このペーパーでは、実際に財政拡張策を取るというよりも、デフレを回避するために、非合理的なまでに財政を膨張させると政府が脅しをかける "The government threatens" ことにより、インフレ期待を高めて、望ましくない均衡を脱する "eliminates the undesirable equilibrium" というものです。しかし、欧州のソブリン危機や政府債務のGDP比が200%を超える日本の例を引いて、効果は疑わしい "questionable" と結論しています。 - Quantitative easing
量的緩和、特に、イングランド銀行の量的緩和はインフレ的な貨幣化 "monetizing the debt" であり、有効性を確認しています。
大雑把な紹介は以上の通りなんですが、3点ほど補足します。第1に、やや奇っ怪な経済学を展開しているみずほ総研のリポート、Bullard ペーパーのデフレ均衡の基礎を提供している Benhabib 教授らのペーパーの紹介、最後に日銀金融政策との関係の3つの論点です。
第1に、最初に紹介した「デフレ回避の手段と脱却策は同じか」と題するみずほ総研のリポートなんですが、「デフレ回避」と「デフレ脱却」を明示的に論じ分けている点は秀逸であるものの、結論が何と、ヴィクセル的な自然利子率の引上げとなっています。このリポートの著者は米国経済を専門とするすぐれたエコノミストなんですが、失礼ながら、少しアサッテの方向だという気がします。長期を考える場合、自然利子率は相対的危険回避度、あるいは同じことですが、異時点間代替率を1と仮定すれば、生産性の伸び率と時間選好度の和で決まります。短期では長期の自然利子率に需要要因を加えることとなります。非常に単純化すれば、自然利子率はほぼ潜在成長率に等しいという見方も成り立ちます。潜在成長率を引き上げるという議論は極めて重要なんですが、成長戦略か何かで明るい展望を持てばデフレが脱却できるという当たり前のことを述べているに過ぎない気もします。
第2に、Bullard ペーパーのデフレ均衡という考え方自体は以下の Benhabib 教授らのペーパーに基づくものです。ほぼ完全に DSGE モデルに即した議論が展開されています。ペーパーの最後に数式の展開に関する注釈があったりして親切です。
- Benhabib, Jess, Stephanie Schmitt-Grohé, and Martín Uribe (2001) "The Perils of Taylor Rules," Journal of Economic Theory 96(1-2), 2001, pp.40-69
- Benhabib, Jess, Stephanie Schmitt-Grohé, and Martín Uribe (2002) "Avoiding Liquidity Traps," Journal of Political Economy 110(3), 2002, pp.535-63
第3に、Bullard ペーパーに照らせば、現在の日銀の金融政策は何ら評価されないという点は強調されて然るべきであると私は考えています。例えば、少し前までの behind the curve の時間軸はイールド・カーブをフラットにしてターム物の金利を下げることによりデフレから脱却することを目指していましたが、この Bullard ペーパーに従えば、デフレ均衡を長引かせる結果になります。他方、日銀の公式見解では効果が疑問視されている量的緩和に対して Bullard ペーパーでは唯一といっていい効果を、特に、イングランド銀行方式の貨幣化に大きな効果を見出しています。もっとも、「デフレ回避」と「デフレ脱却」を混同した見方であることは否定しません。
追加緩和策の噂も流れましたが、今日の日銀金融政策決定会合では何も決まりませんでした。私も年明けの段階では追加緩和策を確信していましたし、実際に、3月の成長金融というパッとしない政策が実行されましたが、この夏は金融政策動向がやや不透明な気がします。
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