サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)を読む
とっても遅ればせながら、ハーバード大学サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)を読みました。4月から6月にかけてNHK教育テレビで放送された「ハーバード白熱教室 in Japan」も有名になりました。まず、ハヤカワ・オンラインのサイトからあらすじを引用すると以下の通りです。なお、ミステリや何やの小説と違ってネタバレをまったく気にせずに書いています。未読の方は自己責任でご注意ください。
『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)
1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。
つまるところこれらは、「正義」をめぐる哲学の問題なのだ。社会に生きるうえで私たちが直面する、正解のない、にもかかわらず決断をせまられる問題である。
哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。
アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。
ハーバード大学史上最多の履修者数を記録しつづける、超人気講義「Justice (正義)」をもとにした全米ベストセラー、待望の邦訳。
一言でいって、ものすごく面白いです。面白いのは、実例が豊富に取り入れられていることと、サンデル教授の結論があいまいでなく明確に提示されていることに起因していると私は受け止めています。決して、難しい哲学的な概念がオンパレードで並び、しかも、結論がハッキリしないという内容ではありません。ただし、読み進むには一定の知的レベルに達していることが要求されそうな気がします。本書に出て来る哲学に関する古典的な名著で私が読んだことのある本は J.S.ミルの『自由論』だけでした。もう少し哲学に関する教養が私にあれば、もっと面白かった可能性があります。
タイトル通り、「正義」 Justice にアプローチする本です。そのアプローチは3通りあり、第1に幸福、すなわち、ベンサム流の功利主義が取り上げられ、第2に自由、すなわち、リバタリアニズムやカントあるいはロールズの哲学にスポットライトが当てられます。第3に美徳、すなわち、アリストテレスの政治哲学が対象となります。サンデル教授は最終の第10章で、第1と第2のアプローチを退け第3のアプローチを取り、「公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。」(p.335) と結論します。
自分自身の考えを展開すると、多くのエコノミストと同様に、私も経済を考える場合は正義よりは功利主義的な効用 utility を重視します。これは本書でいう第1のアプローチそのものです。サンデル教授が効用の最大化と選択の自由の両方を明確に否定していることは、前のパラで示した結論の通りです。ただし、私は自由を考える場合、本書でいうところのコミュニティとの連帯を重視することも確かです。例えば、リバタリアンは自分を完全に所有していると考えがちですが、私は自分自身についても private と public な部分に、言葉はおかしいかもしれませんが、「分割可能」 decomposable だと考えています。もちろん、private な部分は自分が所有しますが、public な部分は自分のアイデンティティが帰属するコミュニティが管理します。場合によっては、地域共同体や国家かもしれませんし、家族かもしれませんし、階級や年代かもしれません。日本のサラリーマンの場合は勤務する職場であることもあり得ます。ですから、自分自身を全的に所有していると考え、その観点からのカギカッコ付きの「自由」を主張するリバタリアンには違和感を覚えます。もちろん、public な部分が余りに大きい全体主義も同様です。public な部分とは、人口に膾炙した表現では「公共の福祉」に親和性を持った表現であり、J.S.ミル『自由論』の第4章でいう「社会が管理する領域」というのと似通った考え方だと受け止めています。その上で、最初のエコノミスト的な功利主義に立ち帰ると、あくまで効用の最大化が経済を考える際の基本になりますが、最大の困難は、我が国経済政策論の泰斗である熊谷教授のエッセイでも示されている通り、社会的な効用関数は定義されず、推移率がループするということです。単に何らかの規範 norm を数学的に導入するだけでなく、サンデル教授的な「公共の文化」を含める必要性が示唆されている可能性は否定できません。現時点では残念ながら、広範なエコノミストの間で「美徳」や「善」に関する合意は形成されていません。しかし、バブルの発生と崩壊を通じて、何らかの進むべき方向が少しずつ見えて来つつあるような気がしないでもありません。でも、私くらいの知的レベルではよく分からないことも確かです。
繰返しになりますが、とっても面白い本でした。そして、読む側の知的レベルが高いほど面白さが増すタイプの本であると見受けました。ハーバード大学で多くの学生を集めたのも理解できる気がします。文句なしの5ツ星です。知的レベルの高さに自信がある向きだけでなく、多くの方が手に取って読むようオススメします。
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コメント
nhk-etvで見ていました。私は中学レベルの理解力で楽しめる平易な政治哲学論だと周囲に話したのですが貴ブログ拝見させていただきますと書籍のほうはかなり難しそうですね。もしそうなら話した人から後で文句言われそうな気が・・^^
投稿: 使徒 | 2010年9月11日 (土) 13時15分
ひょっとしたら、私の知的水準が低過ぎてバイアスがかかっているのかもしれません。実は、中学生の上の子が読み始めていますので、彼の意見を聞きたい気がします。
投稿: 官庁エコノミスト | 2010年9月11日 (土) 15時20分
ぜひお子様のその結果を記事にしてください。あと私は以前は阪神の公式でアンチ岡田として暴れていました。今は野球をあまり見ていませんが。
投稿: 使徒 | 2010年9月12日 (日) 03時02分
残念ながら、お約束は致しかねます。彼自身のブログに書くかもしれませんから。
投稿: 官庁エコノミスト | 2010年9月12日 (日) 13時01分