道尾秀介『月と蟹』(文藝春秋) を読む
道尾秀介『月と蟹』(文藝春秋) を読みました。言うまでもありませんが、第144回直木賞受賞作品のひとつです。ほぼ常に芥川賞は注目していて、発表後の「文藝春秋」で選評とともに読むことを習慣にしている私ですが、直木賞についてはやや冷たい扱いをしています。もっとも、授賞の時点ですでに売れっ子作家だった東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』を最大の例外として、森絵都さんの『風に舞いあがるビニールシート』や松井今朝子さんの『吉原手引草』の読書感想文をブログにアップしたりして、また、ブログには何も書きませんでしたが、三浦しをんさんの『まほろ駅前多田便利軒』をはじめ、いくつかの作品は買ったり借りたりして読んでいることも確かです。
さて、『月と蟹』は『容疑者Xの献身』とほぼ同様に、直木賞受賞の発表後に割合と間を置かずに買って読んだ双璧です。それだけ私自身の期待が高かったと言えます。そして、私の期待は裏切られませんでした。すばらしい出来の作品に仕上がっています。文句なく5ツ星です。小学校5-6年の上級生3人のみずみずしい感性を見事に表現しています。実は、私は道尾秀介さんが東野圭吾さんと同じくミステリ作家だと考えて買ったんですが、少なくともこの作品についてはまったくミステリではありません。しかし、ガリレオ・シリーズなどとと違ってミステリと呼べるかどうか疑問の残る『秘密』で東野圭吾さんがブレイクしたように、一流のミステリ作家はミステリ以外でも十分な力量を持っていることが改めて実証されたような気がします。以下、ネタバレがあるかもしれません。未読の方が読み進む場合は自己責任でお願いします。
主人公の利根慎一は2年前に父親の会社が倒産したので、鎌倉近くの父の実家に祖父と住むようになります。しかし、父親が癌で亡くなり、祖父と母親と3人の生活となりますが、地元の小学生にはなかなか受け入れられません。自然と、同じように関西方面から来て孤立している富永春也と2人で遊ぶようになり、ヤドカリを「神様」のように扱う遊びを始めます。そのうち、慎一の祖父が漁師をしていた時に、同じ船に乗って亡くなった研究者の母親を持つ葉山鳴海も加わります。慎一と春也がヤドカリを「ヤドカミ」さまと呼んで願い事をするんですが、お互いに「願い事」が叶うように取り計らいます。「お金が欲しい」と願った時に500円玉を落としておくとかです。このあたりの子供らしい気の配りようが、何とも、自然に描写されています。私くらいの年齢に達すると忘れてしまっているんですが、子供とはホントに純真無垢でも何でもなくて、子供なりに気を配って大人に合わせているんだということが思い出されました。その意味で、慎一の友人2人が終章で「大人になるのって、ほんと難しいよ」とか、「大人も、弱いもんやな」と言うのは、とっても心に残りました。
繰返しになりますが、素晴らしい出来の作品で、文句なしの5ツ星です。多くの方が手に取って読むことを願っています。道尾さんはすでにかなりの作品を出版していますので、私はこれからいろいろと読み進もうと考えています。取りあえずは、直木賞受賞後第1作の『カササギたちの四季』か、処女作のホラー作品『背の眼』あたりを考えています。
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