小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』(文春文庫)を読む
小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』(文春文庫)を読みました。アチコチで取り上げられている通り、チェスを扱った作品です。というか、私の見方を表に出せば、チェスの棋譜をメインに据えた小説です。主人公はリトル・アリョーヒンと呼ばれる少年、あるいは、11歳で成長を止めてしまった男性です。まず、出版社の特設サイトからあらすじを引用すると以下の通りです。
伝説のチェスプレーヤー、
リトル・アリョーヒンのひそやかな奇跡。
『博士の愛した数式』で数字の不思議、数式の美しさを小説にこめた著者が、こんどはチェスというゲームの不思議、棋譜の美しさをみごとに生かし、無垢な魂をもったひとりの少年の数奇な人生をせつなくも美しく描きあげました。
かつてない傑作の誕生です!
この小説の大きな特徴は2つあり、第1に、社会的・歴史的な背景を一切無視していることです。といっても、自ずと限界はあり、そもそも実在のアリョーヒンが死んだのが1946年ですから、それ以降の時代背景であり、そして、おそらくは欧米のどこかであって、アジアやアフリカではあり得ないと考えられます、第2に、リトル・アリョーヒンと呼ばれた少年だか青年だかの一生を、文字通り、生まれるところから死ぬまでを小説でカバーしていることです。前者の特徴はアチコチの書評なんかで注目されていますが、私は必ずしも作者の意図が成功したとは考えていません。控えめに言っても疑問が残ります。しかし、後者の人間の一生をすべてカバーした小説と言うのはかなり少なく、この点は大きな成功を収めたと私は受け止めています。
成長したがゆえにデパートの屋上から下りられなくなった象、太り過ぎてクレーンで死体をバスから運び出したマスター、それらを見て成長することを止め、チェス人形の中でプレーして棋譜を残すことを生涯の仕事とし、ミイラとの手紙による棋譜のやり取りなど、非常に滑らかかつ美しくストーリーは進みます。作者の力量を余すところなく感じ取ることが出来ます。ただし、傑作であるが故に、1点だけ苦言を呈すれば、二重の意味を持たせた「リトル・アリョーヒン」をもっと自然に書き分けて欲しかった気がします。この「リトル・アリョーヒン」は主人公を指す場合とアリューヒンを模して造られたチェス人形を指す場合があり、後者の場合は二重クォーテーションで囲んであります。しかし、これだけの力量を持つ作者にしては、余りに芸のない書分けではないかと私は危惧しています。私の不満は、作者なのか、編集者なのか、どちらにぶつけるべきか不明ですが、少しストレスを生じたことは確かです。
現在の豊かな日本でもそうは出会えないくらい、なかなかの傑作であることは確かです。私は文庫になった機会に買い求めましたが、多くの図書館でも所蔵されていることと思いますし、多くの方が手に取って読むことを願っています。
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