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2012年2月16日 (木)

深田祐介「さらば麗しきウィンブルドン」を読む

深田祐介さんの「さらば麗しきウィンブルドン」を読みました。中編といえるくらいの長さで、文庫本で160ページ余りあり、同じくスポーツに関する他の2編とともにこの作品と同じタイトルの文庫本に収められています。小説ではなく、ノンフィクションとされています。深田さんは私の海外勤務地を先回りして、いくつか小説を出版されていて、チリについては『革命商人』、インドネシアについては『神鷲商人』が有名です。なお、「神鷲」には「ガルーダ」とルビが振ってあります。『革命商人』にはトヨタ車を取り扱っていた三井物産の現地採用の日本人が登場するんですが、私がサンティアゴで外交官をしていた時、すでに三井物産を退社されていて日本食のレストランを経営されていましたので、毎晩のように夕食に行っていた記憶があります。

ウィンブルドンでプレーする佐藤次郎

それはともかく、「さらば麗しきウィンブルドン」は佐藤次郎選手に焦点を当てたノンフィクションです。昭和1ケタ、1930年代前半に活躍したテニス・プレーヤーで、世界ランキング3位まで上り詰め、おそらく、現時点までは空前絶後の日本最高のテニスプレーヤーと認識されています。上の写真は1932年のウィンブルドン全英選手権大会でプレーする佐藤選手です。日本テニス協会のアーカイブから引用しいています。どうして、図書館で借りてまで読んだのかと言うと、軽く想像される通り、錦織圭選手の活躍に触発された面が多分にあります。
日本のテニスが世界で認められるようになったのは、1920年代前半の大正末期です。4年前の北京オリンピックの際、このブログの2008年7月29日付けのエントリーで取り上げたように、1920年のアントワープ・オリンピックで熊谷一弥選手や柏尾誠一郎選手などが銀メダルを取り、また、チルデン選手とウィンブルドンで名勝負を繰り広げた清水善造選手などとともに、1920年代前半から日本のテニスは急速に世界で頭角を現わします。「さらば麗しきウィンブルドン」で取り上げられている佐藤次郎選手は熊谷選手や清水選手から約10年後の1930年代前半に活躍します。そして、1934年4月に欧州遠征途上のマラッカ海峡にて投身自殺をしています。27歳でした。遺体は発見されませんでしたが、船室に遺書が見つかり、覚悟の自殺と考えられています。
「さらば麗しきウィンブルドン」では昭和初期の史料をたんねんに当たって、その当時の我が国テニス界の実情をテニスを取り巻く諸事情などとともに浮き彫りにしています。すなわち、キーワードのひとつとなるデビス・カップに選手団を送り出して思わぬ収入がテニス協会に転がり込み、当時の国威発揚の雰囲気の強い国内世論とともに、個人的な参加となるウィンブルドンの全英やローラン・ギャロの全仏よりも、テニス協会内でデビス・カップへの傾斜が大きくなった事情、佐藤次郎選手が在学していた早稲田がテニス協会の中で派閥としてのし上がっていく様子、佐藤選手は国家として威信をかけたデビス・カップの試合を控えて神経性の胃腸病に苦しんだ一方で、個人参加のウィンブルドンなどでは体調もよく素晴らしい成績を残した戦績、などなど、ノンフィクションとして読みごたえのある内容となっています。佐藤次郎選手をいわば「看板」や「商品」として酷使し、死に追いやった形になったテニス協会に批判的な論調となっていることはいうまでもありません。

この「さらば麗しきウィンブルドン」は清水善造選手の生涯を描いた『やわらかなボール』とともに、1920年代から30年代、大正から昭和初期にかけての我が国テニス界の黄金期を描いた基本文献と見なされています。錦織選手を押し立てて、日本テニスは第2の黄金期を迎えることが出来るでしょうか。とても楽しみです。

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