宮部みゆき『ソロモンの偽証』第2部と第3部 (新潮社) を読む
宮部みゆき『ソロモンの偽証』第2部と第3部 (新潮社) を読みました。作者の久し振りの現代ミステリと話題満載で、『ガリレオ8 禁断の魔術』などとともにベストセラー街道まっしぐらの3部作完結です。まず、出版社の特設サイトから第2部と第3部のあらすじを引用すると以下の通りです。
第2部 決意
もう大人たちに任せておけない――。保身に身を窶す教師たちに見切りをつけ、一人の女子生徒が立ち上がった。校舎を覆う悪意の雲を拭い去り、隠された真実を暴くため、学校内裁判を開廷しよう! 教師による圧力に屈せず走り出す数名の有志たち。そして他校から名乗りを上げた弁護人の降臨。その手捌きに一同は戦慄した……
第3部 法廷
8月15日。遂に開廷日となり、5日間にわたる裁判が始まった。柏木卓也の家族、警察、不明だった告発状の差出人をはじめとする様々な証人が登場し、事件の謎の解明は二転三転する。同時に、生前の柏木卓也像がどんどん浮き彫りになる。しかし、最後の、あまりにも意外すぎる証人の登場に、法廷は震撼した。この裁判は仕組まれていたのか――。証人の口から明かされる前年のクリスマスイヴの知られざる状況とは……。驚天動地の完結編!
次に、これも出版社の特設サイトから人物相関図を引用すると以下の通りです。宮部作品らしく、極めて複雑で錯綜した多数の登場人物の関係を一覧で分かりやすく示しています。ものすごく厳密なチェックをしたわけではありませんが、書籍のカバーの裏側にあるのと同じだと思います。第1部の事件直後の相関図から、当然ながら、第2部と第3部は少し発展しています。
第1部のダメな担任教師、情報隠蔽に走る校長などの教育現場の荒廃とメディアの先走りした取材の対立から、第2部と第3部では一転して生徒が主体的に活動するスタイルに切り替わります。教師により濃淡は当然ながらあるものの、新たな体制の中学校も積極的あるいは消極的に生徒の裁判活動をサポートし始めます。ものすごい迫力でグイグイと読者に迫ります。超長編ですから登場人物も多く、相互の関係が錯綜する中、宮部作品らしく細部までゆるがせにせず、ディテールまでしっかりと描き切ります。ミニマリスト的な表現とはまったく反対であり、私の知る限り、この点で宮部みゆきに匹敵するのは国内では見かけず、スティーヴン・キングくらいのものです。
ただし、これも宮部作品らしく、ラストに「アッと驚くどんでん返し」が用意されているわけではありません。その意味で、先に引用した第3部の「驚天動地」はやや誇張した表現かもしれません。予定調和的とまではいいませんが、多くの慧眼なる読者の予測した通りの結末に至ります。しかし、そこは作者の筆力の賜物であり、「なあんだ」や「やっぱり」で終わるんではなく、「なるほど」と読後感はとっても素晴らしいものがあります。現時点で早急な評価は控えますが、私は今まで宮部作品の原題ミステリのうちの最高峰は『模倣犯』であると当然のように見なして来ましたが、ひょっとしたら、何年か後には『ソロモンの偽証』が取って代わる可能性があると思っています。
第1部の読書感想文をアップした9月14日付けのエントリーでは、2点疑問を取り上げました。タイトルの「ソロモン」と1990-91年のバブル期の時代背景の必然性です。この2点は解消しました。ついでながら、本のタイトルが「ソロモン」なのに、ソロモンの五芒星ではなく、上の画像のダビデの六芒星が表紙などに現れる点も理解しました。すなわち、第2部の帯に「史上最強の中学生か、それともダビデの使徒か」と弁護人の神原和彦が紹介されています。告発状を書いた三宅樹里が偽証をするソロモンに、神原和彦がそのソロモンを上回る父ダビデに、それぞれ擬されているわけです。続いて、バブル期の時代背景ですが、別にバブル期でなくてもよかったんでしょうが、多くの中学生が携帯電話を持っている現在では不適当だった、ということなんだろうと思います。もっといえば、公衆電話からの連絡が大きな役割を果たすということです。
読書熱心な我が家では往々にしてあることですが、この作品については家族の中で奪い合いが生じました。私が退いて、おにいちゃんが先に読み始めたんですが、中間試験に入ってしまい、私に回ってくるのが少し遅れました。その昔、ハリー・ポッターの最終話『死の秘宝』は調整がつかずに上下巻とも2冊ずつ買った記憶があります。この『ソロモンの偽証』も一家に2冊ずつあっておかしくない値打ちがある、と見なす読書子も少なくないだろうと私は受け止めています。もっとも、3冊とも700ページを超えますから、それなりに重くて収納スペースも必要です。
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