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2012年12月18日 (火)

上野誠『天平グレート・ジャーニー』(講談社) を読む

上野誠『天平グレート・ジャーニー』(講談社)

上野誠『天平グレート・ジャーニー』(講談社) を読みました。8世紀に遣唐使の判官として旅立ち、唐はもちろん、帰国便が流れ着いた林邑、さらに、阿倍仲麻呂の仲介で帰国する際に渤海まで見聞した平群広成の物語です。著者は万葉研究で有名な奈良大学教授です。とても面白かったです。まず、出版社のサイトから【本書の内容】を引用すると以下の通りです。

【本書の内容】
天平5(733)年の遣唐使は数ある遣唐使のなかでも数奇な運命をたどったことで知られます。行きは東シナ海で嵐に遭い、なんとか4隻すべてが蘇州に到着できたものの、全員が長安入りすることはかないませんでした。それでも玄宗皇帝には拝謁でき、多くの人士を唐から招聘することにも成功、留学していた学生や僧も帰国の途につきました。
しかし……。
4隻の船のうち第1船だけが種子島に漂着、第2船は広州まで流し戻されて帰国は延期、第4船に至ってはその消息は杳として知れません。そして第3船。この船は、南方は崑崙にまで流され、115人いた乗員は現地人の襲撃や風土病でほとんどが死亡、生き残ったのは4人だけだったと史書には記されています。そのひとりが本書の主人公、判官の平群広成なのです。
広成たちはたいへんな苦労の末に長安に戻り、さらに北方は渤海国を経て帰国します。そのとき広成はなぜか天下の名香「全浅香」を携えていたといいますが、それはなぜか?
若き遣唐使の目に世界はどう映じたのか? ふたたび日本の土を踏むまでに何があったのか?
阿倍仲麻呂、吉備真備、山上憶良、玄宗皇帝らオールスターキャストの学芸エンターテインメント。読んで損はさせません!

8世紀の大唐帝国に玄宗皇帝が君臨し、東海の孤島に我が国が、朝鮮半島に新羅が、インドシナ半島の今のベトナムの地に林邑が、朝鮮半島北方の中国北東部に渤海が、それぞれ唐に朝貢している中、もちろん、米州大陸や豪州などの新大陸は発見されておらず、アフリカはもとより欧州ともほとんど何の交渉もない東アジアで、それぞれ独自の文化と外交を展開する東アジア諸国を網羅し、我が国の遣唐使というエリート貴族の視点から当時の歴史を再構築しています。なお、上の引用では省略されていますが、本書の最後の方で聖武天皇も登場するオールスターキャストです。
唐に着くまでは、嵐に遭遇したりしたものの、後の行程に比べれば、まずまず順調といえましたが、唐の玄宗皇帝が臨席する朝賀の序列で我が国が最下位だったり、細々と外交上の田舎者振りをさらけ出したりします。そして、帰路が大冒険になるわけで、吉備真備とその膨大な書物を積んで出港したまではよかったものの、平群判官の乗った第3船だけが林邑に漂着し、そこで幽閉されたり、仲間を海賊や風土病で失ったり、第3船の乗員は平群朝臣以下4名に激減してしまいます。天下の名香「全浅香」を携えて、何とか長安に戻ったものの、阿部仲麻呂に帰国の仲介を頼むも無為に時間が過ぎるばかりで、結局、海路ではなく北方の渤海回りの渤海の使節団に便乗して、当時の新羅と渤海の微妙な二国間関係を綱渡りのように利用して帰国することになります。

どこまでが真実で、どこからが脚色されたフィクションなのか、私には判然としませんが、壮大な歴史冒険スペクタクルであり、8世紀の東アジアの唐を中心とする文化と外交の歴史をなぞる教養文学という位置付けも出来そうです。とってもオススメの5ツ星です。

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