今日からゴールデンウィーク後半の部の4連休に入り、東京ではお天気が回復して有り難い限りです。今朝は早くから少し遠くの図書館に自転車を飛ばして、ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』(日本経済新聞出版社) を借りて来ました。長々と待った予約が回って来ました。このゴールデンウィーク後半は、特段、どこかに出かける予定もなく読書にいそしみたいと思いますが、その前に、昨年暮れあたりから読んでいた人気作家の本を簡単に振り返っておきます。
まず、道尾秀介『ノエル』(新潮社) です。理不尽な暴力をかわすために、絵本作りを始めた中学生の男女を描く「光の箱」、妹の誕生と祖母の病で不安に陥り、絵本に救いをもとめる少女を主人公にする「物語の夕暮れ」、最愛の妻を亡くし、生き甲斐を見失った老境の元教師を中心とする「暗がりの子供」、最後に配された「四つのエピローグ」と、短編ないし中編くらいの長さの作品を収めたチェーン・ストーリー集です。独立した短編ないし中篇として読むことも可能なのかもしれませんが、2月11日のエントリーで取り上げた伊坂幸太郎『残り全部バケーション』のように、いろいろと微妙につながりのある連作として読むべきだという気がします。その方が文学作品としての価値が高そうです。なお、芥川賞を受賞した『月と蟹』でも感じたんですが、子供を主人公にしたこの作者の小説は少なくとも私にはかなり濃密で、息苦しささえ覚えるほどです。サラサラとエンタメ調に読み進むのではなく、純文学として真正面から腰を据えた読み方が求められるような気がします。でも、以前の作品のような重苦しい印象よりも、この作品は明るいイメージでいっぱいです。読後感も爽やかでオススメです。
次に、道尾秀介『笑うハーレキン』(中央公論社)です。荒川沿いのスクラップ置き場でホームレス仲間と暮らしている家具職人を主人公に、家具職人の弟子入りを希望する若い女性や主人公を取り巻くホームレス仲間の日常や仕事振りなどを描き出しています。そして、ホームレスを食い物にして利用する反社会的存在を道化師の意味を持つ「ハーレキン」になぞらえて、仮面を剥いで行きます。この作者のエンタメ作品といえますし、ミステリにもなっていて、読みようによっては伊坂幸太郎の作品にも通ずるものがあります。しかし、決定的に道尾秀介の作風を感じさせるのが、この作品に登場する「厄病神」です。何とも正体不明なんですが、ハーレキンとしていろんな仮面を被り、現れたり消えたりする超常的な存在として描き出されています。でも、「神」がつくものの、絶対的なパワーを持つ存在でもなさそうです。というのも、「厄病神」とは主人公がつけた名だからです。こういったオカルト的な存在にストーリー展開上の意味をもたせるのは道尾秀介の真骨頂と私は考えています。しかし、映画「カラスの親指」を見た後だったものですから、もっと最後に大きなどんでん返しを期待してしまい、その意味で少し物足りなさを感じてしまいました。でも、小説『カラスの親指』は別格であり、この小説も水準以上の作品であることは確かです。
道尾秀介を離れて、次に、湊かなえ『母性』(新潮社) です。女子高生が倒れている場面から始まり、その母と娘である女子高生の母娘のモノローグを順番に配した作品です。いうまでもありませんが、このモノローグは『告白』でデビューした湊かなえの独特の手法です。母は神父に対してモノローグし、娘の女子高生は警察における、もしくは、単なるモノローグだったりします。そして、この女子高生の母親の方が女性ではめずらしいマザコンで、女子高生から見た母方の祖母、当然ながら母親の母親に対して過剰な愛情を持っています。物語のひとつのクライマックスである火事の際には、このマザコンの母親は我が子には目もくれず、自分の母親を先に助けようとしたりするわけで、それも含めて、この作者の作品にはありがちなんですが、とても性格の歪んだ登場人物でいっぱいです。昨年2012年3月11日のエントリーで取り上げた久坂部羊の『無痛』と『第五番』も、私にはとても性格の理解できな登場人物でいっぱいで、そのためストーリーの展開も不可解な部分が多々あったんですが、この『母性』では性格は歪んでいるものの、誰しもあり得る方向の歪みを増幅したキャラ設定になっていますので、まだマシだという気はします。でも、物語に登場する人物の性格や状況・背景などが極めて複雑で入り組んでいて、私のような特にひねりのない凡人には理解し難い部分がいくつかあります。特に、最初に倒れていた女子高生の謎が、最後まで解き明かされないのもややムチャな気がしないでもありません。でも、この作者のファンであれば、主人公が中年女性のモノローグであり、しかも書下しですから、読んでおいて損はありません。小説としての水準は別にしても、この作者の典型的な作品のひとつに数える向きもあると私は思います。
最後に、湊かなえ『望郷』(文藝春秋社) です。同じ瀬戸内海の島、おそらく架空の白綱島の出身者や関係者をそれぞれの物語の主人公に据えた短篇集です。同じ作者の短篇集で、宝石をリンケージさせた『サファイア』もいい出来の短篇集だったんですが、私はこの『望郷』の方がさらに水準が高いと受け止めています。女性を主人公にした短編がやや多くを占めるんですが、男性を主人公にした物語もあり、作品の幅の広さを感じられたりします。嫁と姑の確執を含む物語もあって、この作者の特徴である暗い物語、ブラックな小説、毒々しい展開などもなくはないんですが、明るいストーリーもかなりあって、一般的な意味での読後感も悪くありません。その意味で、この作者本来の作品ではないと感じるファンもいそうな気がしないでもありません。もっとも、ストレートな趣きのある短編作品だからといって、どんでん返し的な、というか、ミステリらしい意外な結末を迎えるストーリーがないわけでもありません。十分にひねりの利いたラストが用意されていると期待していいと思います。さらに、田舎と都会、もっといえば、瀬戸内海の島と東京を対比させつつも、決して、田舎を否定的に、あるいは、東京を肯定的にストーリーを進めるのではなく、作者のホームグラウンドである瀬戸内海の島の生活に対して、愛憎入り混じりつつも、やっぱり、愛着のような郷愁のような温かい何かを感じさせます。
最後に、人気作家の道尾秀介と湊かなえを離れて、新進作家の山下澄人『緑のさる』(平凡社) と『ギッちょん』(文藝春秋社) も読みました。後者の短篇集『ギッちょん』に収録されている「ギッちょん」は、選に漏れましたが、先の芥川賞候補作品だったりします。この作者の作品を強烈にオススメしてくれる知り合いがいるもので、私も借りて読みましたが、悲しいかな、私には十分に読みこなすことができませんでした。私にはこの作者の作品を理解するため、読解力か、感受性か、野性味か、何らかのパワーか、あるいは、信仰心か、何か決定的なものが欠けているように思えてなりません。私に欠けているものが何かすら分かっていないんですが、もう一度修行をし直して、何かの機会にこの作者の作品に再挑戦したいと思います。現時点では諦めます。
長くなりましたが、最後の最後に、話題の村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋社) についても軽く触れると、すでに買ってあって手元にあるんですが、読み始めるのはもう少し先になりそうです。小説を読む前に、借りたばかりのジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』(日本経済新聞出版社) を早く読み進みたいと思います。
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