今週読んだノンフィクションの経済書・専門書など
今週読んだ経済書、学術書、専門書など、ひっくるめてノンフィクションは以下の通りです。なぜか、私が役所でごいっしょに仕事した方々のご著書が3冊も含まれています。
まず、茨木秀行『世界経済危機下の経済政策』(東洋経済) です。ご著者は内閣府の現役の参事官で、本書の略歴にOECD代表部の参事官のご経験があるように書いてありますが、実は、私が2011年12月にパリに出張した際にはOECDの国際会議に出席するのが主目的でしたので、パリでランチをごいっしょしたりしました。それ以前にも、1997年APEC経済委員会報告書「APEC貿易自由化の経済効果」の取りまとめ作業においても仕事をした記憶があります。ぜひとも早くに買い求めて読もうと思ったんですが、税込みで6000円近いお値段にひるんでしまって図書館から借りました。著者ご自身のフォーマルな定量分析結果が示されているわけではありませんが、IMFやOECDなどの国際機関から出されたリポートや各種の学術論文をていねいにサーベイし、現下の経済政策について理論的に適切に整理し、とても体系的によく取りまとめてあります。地方大学に出向していたころと違って、私も学術論文を書く機会がめっきり減ったんですが、論文を書く際には最新のペーパーをサーベイした本書がとても役立ちそうです。もちろん、学術論文を書くわけではない向きにも、最新の経済政策についての議論を把握するために貴重な書物だと思います。一定の経済学や経済政策に関する基礎的な学識を要求する本ですが、現在のグローバルな経済社会を理解する上でとても有益でオススメです。
次に、佐藤朋彦『数字を追うな統計を読め』(日本経済新聞出版) です。ご著者は私が統計局に出向していた折には別の部署の別の統計を担当されていたように記憶していて、余り交流はなかったんですが、それなりに顔見知りであるような気もします。最初に紹介した『世界経済危機下の経済政策』と違って、極めて体系性に欠けてトピックがアチコチに飛んでいます。もっとも、この点は著者ではなく編集者の責に帰すべきかもしれません。トピックに取り上げられている統計は、統計局の大看板である国勢調査のほか、家計調査、消費者物価、労働力調査などです。私が知る範囲の統計局の統計は、大看板の国勢調査を基にランダム・サンプリングによってミニ・ジャパンを標本調査し、それを一定の比率を乗じてオール・ジャパンの母集団の統計を得る、というもので、その意味ではラクでした。母集団は日本国そのもの、もしくは日本国民全体であり、統計が何を示しているのかは自明です。しかし、実際のビジネスでは母集団が何であるのか、から始める必要があり、データが何を示しているのかをキチンと解釈せねば使いものになりません。その意味で、データのメーカーであるスタティスティシャンとデータのユーザであるエコノミストほかの分業体制が確立しているんだろうという気がします。統計のメーカーに関するウンチク話に興味ある向きにはオススメです。
次に、小峰隆夫『日本経済論の罪と罰』(日経プレミアシリーズ) です。このご著者には上司としてお仕えした記憶がありますが、不肖の部下でしたので忘れ去られているかもしれません。閑話休題。本書の第1章から第5章までは私はほとんど諸手を上げて賛成します。芸がないことながら、順に5つの章のタイトルを並べると、「脱経済成長論を疑え」、「人口減少・市場縮小論の誤謬」、「公共投資主導型成長論を批判する」、「日本型雇用慣行に罪あり」、「TPP亡国論をただす」となります。この5点に関してはいいんですが、第6章で取り上げられている成長論に関してだけは私はやや疑問を感じます。すなわち、先進国との格差の大きい途上国経済でキャッチアップを目指そうというのであればともかく、我が国の政府がこの先の経済の成長分野を知っていて、そこに政府予算をつけるというターゲティング・ポリシーは、ホントに成長戦略たりえるのかという疑問があります。この点は8月31日付けのエントリーでで取り上げた池尾和人『連続講義・デフレと経済政策』の第5講の方に私は傾きます。ただし、最後の第7章 「民意に従う財政再建」はあり得ない は秀逸です。財政再建に反する方にバイアスのかかる投票結果にもかかわらず、政治レベルでなすべきことをなすという、間接民主主義の本質を適確に言い当てています。私もシルバー・デモクラシーとの関係で、現行の民主主義の危うさを指摘したことがあります。すなわち、地方大学に出向していた際の紀要論文からの引用ですが、「第1に、選挙民が経済合理的でない選択を行った場合、事後的に、『政治主導』の下に実行するかどうかは政治レベルの見識であり、第2に、選挙民が憲法に定める代議制民主主義を通じての経済合理的な選択を出来るようにすることは、事前的に、専門的知識を有するエコノミストが果たすべき重要な役割であろう。」と論じています。決して投票結果に示された民意を無視すべきとは思いませんが、気持ちはまったく同じです。
次に、山下勉『「老人優先経済」で日本が破綻』(ブックマン社) です。著者は朝日新聞や同じ系列の雑誌「アエラ」で活躍のジャーナリストです。タイトルや体裁などは著者や編集者の趣味かもしれませんが、ややキワモノっぽい雰囲気を漂わせているものの、内容についてはかなりの部分で私は賛同しています。ただし、内容として物足りないのは、「老人優先経済」の前後、すなわち、前段の原因と後段の処方箋がややお粗末な気がします。原因についてはシルバー・デモクラシーっぽい記述が見受けられなくはないものの、処方箋についてはまったく欠落しており、ひたすら「老人優先経済」をバッシングすることに終始しています。本書の といわざるを得ません。その点、先の『日本経済論の罪と罰』では、明示的ではないものの、選挙で示された民意にバイアスがあるならば間接民主主義に基づく政治家の見識で乗り切る、という方向が示されています。それから、内容的には処方箋の欠落を譲ってまったくOKとしても、キワモノ的な打出し方には疑問を感じます。本書のように、単に現在の「老人優先経済」の実態を明らかにするだけでは、なかなか現行の政策の変更には結びつきにくく、対案を提示するとともに、キワモノ的ではない真摯な打出しが必要です。実は、1998年に新日銀法が施行されてデフレ政策がひどくなった際、リフレ派エコノミストが対案を提示したものの打出し方が少しキワモノ的というか、強烈過ぎたために、リフレ政策の採用がかなり遅れたんではないか、という意見を聞いたことがあります。私自身はその間日本を離れて南の島でノンビリしていたもので、余り実感がないんですが、政策変更を求めるとすればそれなりのプレゼン方法があるというのも分かる気がします。
次に、ライアカット・アハメド『世界恐慌』上下 (筑摩選書) です。著者は米国のシンクタンク所属となっているんですが、私は不勉強にしてエコノミストとしては存じ上げません。本書の体裁としてはジャーナリストではないかと伺わせるものを感じます。なお、2010年に著者は本書でピュリツァー賞を受賞しています。それはともかく、本書の副題は「経済を破綻させた4人の中央銀行総裁」となっており、1929年10月のウォール街における株価急落に始まる世界恐慌の原因を金融政策に求め、戦間期の米英仏独4か国の中央銀行総裁の動きなどをクロノロジカルに追っています。もちろん、この時期ですからケインズも登場します。前者の中央銀行総裁プラス、英国のチャーチルを含めて、何人かの政治家、が金本位制に対する執着を示した一方で、金本位制からの離脱を主張したのがケインズであったわけです。大きな話の流れのついでに、いくつかのウンチク話も挿入されています。例えば、ジョセフ・ケネディがウォール街への道中で靴磨きから、株式投資に関してとっておきの情報を教えてやると言われ、ここまで多くの人間が同じ情報を共有したのであれば、株式投資からは撤退すべきと考えて持ち株全部を売る決意をした、なんてのは、いかにもありそうです。金融危機から始まった世界恐慌が、最終的には米国のローズベルト政権下のニューディールとか、ドイツのヒトラー政権下のアウトバーン建設などの実物経済における政府による有効需要の創出によって不況を脱するまで、中央銀行総裁と金本位制の観点から実によく世界恐慌に迫っています。
最後に、エリック・フォーナー『業火の試練』(白水社) です。上の表紙を見ても分かる通り、米国のリンカン大統領に関する伝記のようなノンフィクションです。なお、通常は「リンカーン大統領」と延ばすように表記するんですが、本書の表記に従って、このブログでも「リンカン大統領」と表記します。悪しからず、それはさておき、著者はプリンストン大学の歴史学教授であり、近現代の米国史の大家の1人、と言うか、おそらく学識の点でトップに君臨する歴史家です。もちろん、スポットライトを当てているリンカン大統領は、南北戦争という武力によって奴隷解放を成し遂げ、歴代の米国大統領の中でもっとも尊敬されている1人であり、現在のオバマ大統領が就任の宣誓においてリンカン大統領が用いた聖書を使った、というのも有名なトピックです。奴隷解放についてのリンカン大統領の思考や行動について、あくまで南部諸州の連邦離脱を阻止するために始めた南北戦争が、当初の目的から外れて奴隷解放につながったり、リンカン大統領の「段階的かつ補償あり」の奴隷解放方針が、時とともに「即時かつ補償なし」に変化したり、と極めてビビッドに歴史を描き出しています。なお、戦史ではありませんから南北戦争の戦闘に関してはほとんど記述がありません。訳者の解説にもある通り、おそらく、原文は極めて格調高い文章なのだろうと想像されますが、かなり翻訳が負けています。「リンカーン大統領」か、「リンカン大統領」かはやや趣味に任せるとしても、「連邦軍」と「連合軍」ではワケの分からない場合もあるでしょうから、せめてカッコ書きででも「北軍」と「南軍」くらいは補って欲しかった気もします。また、確かに州レベルでも上院と下院があるんですが、「国会」ではなく「連邦議会」くらいの表記は欲しかった気もします。やや残念です。
今秋の読書は経済書が多かったので、通常の「読書感想文の日記」ではなく、「経済評論の日記」に分類しておきます。
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