玄田有史『孤立無業 (SNEP)』(日本経済新聞出版) を読む
玄田有史『孤立無業 (SNEP)』(日本経済新聞出版) を読みました。思い起こせば、玄田教授の初期の著書である2001年出版の『仕事のなかの曖昧な不安』については、出版当時に私自身が海外勤務をしていたもので、帰国後に読んで感激した記憶があります。本書の第4章の冒頭でも軽く触れられていますが、中高年層の雇用を既得権益と見なして、これを守るために大卒新人をはじめとする若年層の雇用を抑制する、日本の民間企業の現状を分析していて、当時のもうひとつの論調だった「若年層バッシング」、すなわち、フリータなどの若年層の非正規の低賃金雇用が若者のヤル気のなさやスキルの低さに起因するという議論を見事に論破して、各種の賞を総なめにしたりしました。玄田教授は、その後、NEET、すなわち、Not in Education, Employment or Training を研究対象とし、最近はこの SNEP: Solitary Non-Employed Persons に注目しているようで、本書はその成果です。
タイトルの通り、孤立かつ無業の人を分析対象としています。ただ、私が読んだ印象としては孤立と無業が並列なのではなく、「無業の人の中で孤立している人」なんだろうと思います。すなわち、社会との連帯とか社会への参加を重視するとすれば、就業であれば何らかの社会活動に参加しているわけであって、問題なくOKであり、無業であってもボランティア活動などで、もちろん、そこまで行かなくても近隣と言葉を交わすだけでも社会参加であり、ともかくはOKということなんだろうと私は理解しました。ですから、私が単身赴任をして大学教授として2年間を過ごした期間は、近隣100キロ圏に知り合いはおらず、ほとんど誰とも言葉を交わさず、大学における教育と研究以外では社会との関わりを持たなかったんですが、このように孤立していても労働を通じて社会に参加しているのでOKと理解しています。
孤立無業(SNEP)については、これも偏見があって、ひきこもりに近い状態で同居家族以外の他者とのコミュニケーションを持たない理由や原因は、自室でするコンピュータ・ゲームにハマッて外出もせず、もちろん、働きもせず、という状態に陥ってしまった、との誤解です。本書では総務省統計局の「社会生活基本調査」の個票を基に、フォーマルな定量分析が実施されており、孤立無業に対するデジタルなゲーム原因説は棄却されており、むしろ、昔はアナログだったテレビを見て過ごす時間が長く、「昭和」な実態が明らかにされていたりします。そして、「孤立」と「無業」については、まず、「孤立」から脱却する必要性が論じられています。そうしないと、就業にたどり着ける確率が低いからです。しかし、繰返しになりますが、私の単身赴任時のような孤立就業はどうなるんでしょうか。やや疑問が残らないでもありません。他方で、「空気を読む」に代表されるようなコミュニケーション・スキル崇拝論者の前では、少し説得力に乏しいと感じないでもありませんでした。また、ロジャー・グッドマン編著『若者問題の社会学』(明石書店) はこのブログの8月11日付けのエントリーでも取り上げましたが、ニートも含めて我が国の若者問題全般は「一握りのキーアクターが協調して行ったクレイムメーキングの成果」という見方を示していますし、私のような専門外の人間からすれば、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社) のような意見も成り立つように思えてなりません。ただし、かつてのように、若年者の意欲やスキルをバッシングして、実は中高年の雇用という既得権益を守るだけの論調の復活を許すことは出来ません。孤立無業者の自己責任というトラップに逃げ込むのではなく、真っ向から社会問題として取り組むべき課題であることは認識すべきです。
最後に、学術論文のバージョンは私の知る限りで以下の通りです。
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