今週の読書は和田竜『村上海賊の娘』ほか
今週の読書は、経済書や専門書が多いんですが、話題の本屋大賞受賞作『村上海賊の娘』上下巻も読みました。さすがに面白かったです。以下の通りです。
まず、翁百合『不安定化する国際金融システム』(NTT出版) です。いかにも日銀OGらしく、全面的に日銀ビューを示した国際金融本なんですが、リーマン・ショックに対する見方は標準的といえます。すなわち、国際金融におけるプレイヤーの多様化、リスクの原子化、ファイナンスの市場化で説明しています。また、マクロ・プルーデンス政策の重要性を指摘し、特に、シャドウ・バンキングへの監督が不十分だった点は多くのエコノミストが同意するところだと受け止めています。ただし、やや偏っていると私が感じたのは国際金融本には余りお目にかからない生産性への言及がとっても多い点です。金融が実体経済の生産性にどのようなルートで影響を及ぼすかの議論ではなく、金融を離れて生産性を向上させる必要性を延々と説いています。一般経済書であればともかく、国際金融というよりも日本経済の「失われた10年」について、日銀がコントロールする金融ではなく生産性に起因するといいたいんでしょうが、やや過剰な生産性への言及だという気がしないでもありません。旧来の日銀理論のように、金融セクターを含まないリアル・ビジネス・サイクル(RBC)理論的な生産性概念が念頭にあるような印象も受けますが、そうだとすれば金融を論じる意味はないわけでとっても不思議です。
次に、大野健一『産業政策のつくり方』(有斐閣) です。かなり私の専門分野に近いです。というのは、私は学会には3つ入っていて、専門分野はマクロ経済学ですから、景気循環学会がもっとも早くに入会して専門分野なのかもしれませんが、後に、国際開発学会と地域学会にも入っています。最後の地域学会は地方大学出向中に勧められて出向先の大学の先生に推薦人になっていただいた記憶があります。また、一家4人でジャカルタに3年間赴任して国際協力に勤しみましたので、開発経済学にもそれなりに親しみはあり、地域学よりも専門に近いと感じています。ということで、前置きが長くなりましたが、本書は途上国において経済発展のために産業政策を策定する際の重要なポイントについて取りまとめています。第1部トータル4章で総論とし、第2部が各国編、すなわち、シンガポール、台湾、マレーシア、インド、ベトナム、エチオピアと、副題の「アジアのベストプラクティスに学ぶ」らしく、広くアジアの諸国が取り上げられています。また、日本の過去の参考例ということで、かつての通産省による産業政策策定についても対象にされています。産業政策という政策の策定ですから、国家のリーダーと担当する官庁が重視された印象を私は受けました。人的資本に重点を置いた開発経済学だという気がします。また、比較優位は考慮すべきではないという主張があるんですが、私は大いに同意します。静学的な比較優位は動学的に発展・成長する途上国経済では分析ツールとして適当でないというのが私の見方です。本書は産業政策を策定するマニュアルでは決してありませんが、産業政策を策定する国際協力の際のマニュアルになりそうな気がしないでもありません。政策立案を担当する政府関係者だけでなく、途上国経済に関係する多くのビジネスマンにも参考になりそうな部分を含んでいるような気がします。
次に、橘川武郎、パトリック・フリデンソン[編]『グローバル資本主義の中の渋沢栄一』(東洋経済) です。明治期から昭和初期までに活動した財界人、経済人の渋沢栄一の経営や財界活動などについての日本経営史に関する学術書ですが、一般的な経営本としても十分な内容を持っているように見受けました。私自身は2年間出向していた地方大学の経済学部長が日本経営史の専門家でしたので、生協でのランチタイムにお話を伺った程度で、経営学や日本経営史は詳しくないんですが、経済活動の道徳的な側面を重視していた渋沢栄一の信条というか、経済活動へ取り組む姿勢というものが理解できたような気がします。第2次世界大戦前の日本経済は現在とかなり違っていて、アングロサクソン的だったと私は考えていますが、実は、商道徳のレベルがかなり低くて、契約を順守しないとか、事前のサンプルと大きく異なる模造品や粗悪品を販売するとか、ひょっとしたら、一昔前の偏見に基づく中国についての見方のように感じられたりもしました。キリスト教倫理に基づく欧米の商道徳と渋沢的な儒教に基づく商道徳は、私はかなり近いような印象を持っていたりします。もっとも、それがサン・シモン主義的かどうかは私には分かりません。p.110 にある大隈重信の渋沢評がとても印象的です。繰返しになりますが、現代的な感覚で読んでも興味深い本です。ただし、現代の道徳的経済学の一翼を担うグラミン銀行などのマイクロファイナンスを発展させたムハマド・ユヌス教授との比較があってもよかったような気もします。
次に、マッシモ・リヴィ-バッチ『人口の世界史』(東洋経済) です。著者はイタリア人でフィレンツェ大学名誉教授、80歳近い人口学の大家です。私の直感で、本書はかなりアナール派に近い歴史の学術書であるといえようかと思います。人類の人口の歴史について、いわゆるr戦略とK戦略から説き起こし、第5章の貧困国の人口と第6章の将来展望で締めくくっています。経済学の立場から人口を考えた学説として有名なのは、マルサス『人口論』であり、悲観的な人口と経済の見通しを取り上げています。ローマ・クラブ的な見方が現在にも伝わっているのは広く知られた通りです。しかし、本書では少なくとも「近い将来において食糧供給が人口の制約要因となることはない」との見方を明確にしており、私も同意するところですが、人口に対する悲観的な見方は収穫逓減に基礎を置いている一方で、人口に対する楽観的な意見は規模の経済を重視している、と本書では喝破しています。ただし、残念なのはアナール派的な歴史観からか、社会的な要因についての分析がないような気がします。人口に影響しそうな社会的要因として私は3点考えており、すなわち、土地所有制度、相続制度、結婚制度です。最後の結婚制度というのは、単婚か複婚かということです。また、経済史的に考えて、産業革命の前後は連続で微分可能ではない、と私は考えているんですが、人口の世界史ではどうなんでしょうか、やや気にかかります。
最後に、今年の本屋大賞受賞作、和田竜『村上海賊の娘』上下 (新潮社) です。織田信長が大坂本願寺を攻めた際、毛利から本願寺に兵糧を入れるのを助ける村上海賊、その三島村上の中でも最大勢力かつ毛利から独立している唯一の能島村上家の当主である村上武吉の娘、村上景を主人公にした時代小説です。真っ黒に日焼けした大女で、瀬戸内では醜女で通っているんですが、泉州に行くと別嬪と評価されたりします。村上景に対する織田側の海賊の頭目は泉州海賊の眞鍋七五三兵衛です。これも胆力が備わり、泉州海賊らしい剽悍な大男として登場します。もちろん、歴史的な事実として大坂本願寺への毛利の兵糧入れは成功する一方で、大坂本願寺は織田信長に屈して寺域を明け渡します。本作ではこの前段だけを取り上げているわけです。我が家は先祖代々の一向門徒ですから、門徒の奮闘に胸が熱くなり、また、門徒衆を騙すがごとく、景を怒らせた僧官には反発を覚えます。特に、下巻に入ってからはスピード感豊かに一気に読ませます。ただし、戦国末期の時代背景からどうしようもないんですが、戦闘シーンが多くて、人が死んだり血が流れたりと、私の苦手な場面が多くて少し閉口しました。私はこの作者の作品は『のぼうの城』しか読んだことがないんですが、この『村上海賊の娘』も映画化されることと思います。誰が主演するんでしょうか。とても興味があります。最後に、出版社の特設サイトにある人物相関図と合戦図などへのリンクを示しておきます。何らご参考まで。
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