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2014年5月31日 (土)

今週の読書は東野圭吾『虚ろな十字架』と角田光代『私のなかの彼女』ほか

今週の読書は発売早々に買った東野圭吾『虚ろな十字架』と図書館の予約がやっと回ってきた角田光代『私のなかの彼女』ほか、以下の通りです。小説は大いに感動した力作ばかりでしたが、専門書の方は櫨浩一『日本経済の呪縛』を除けば、このところハズレが多い気がします。

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まず、東野圭吾『虚ろな十字架』(光文社) です。テーマは死刑は無力だということです。おそらく、大多数のほかの日本人と同じで、私は家族や親しい友人や隣人などを殺人事件で亡くした体験を持ちません。ですから、ホントの意味で実感は湧かないんですが、死刑がある意味で前近代的な風習を継承した野蛮な制度だと言われれば、そうかもしれないと思いますし、逆に、遺族感情などを勘案すると殺人に対して死刑を配するのは当然だと言われれば、やっぱり、そうかもしれないと思います。要するに、定見はないんですが、刑罰というものを社会復帰のための更生手段と考えれば死刑は廃止すべきかもしれませんが、当人だけでなく社会全体に対する見せしめ的な犯罪抑止手段と考えれば死刑も許容すべきかもしれません。その両方の要素があるわけでしょうから、何とも難しいところです。小説としては、当然に社会派の力作ですし、ストーリーのプロットは言うに及ばず、登場人物のキャラの立て方も、細かな表現力も、上質の仕上がりの小説になっています。作者はハッキリと死刑に対する否定的な態度を示していますから、この点で異論はあり得ましょうが、我が国でも指折りの売れっ子小説家の作品であることは十分に感じ取れると思います。昨年の『夢幻花』も力作でしたが、この作品もとってもいいです。私のような東野圭吾ファンは必読と言えましょう。

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次に、角田光代『私のなかの彼女』(新潮社) です。これも素晴らしい作品です。先週か先々週か、第2回河合隼雄物語賞が授賞されると何かのメディアで知りました。何らかの文学賞を受賞してもおかしくない水準に達した小説と言えます。アチコチの書評などで書かれている通り、北関東出身の主人公の女性がバブル期に東京で大学生活を過ごし、表現者として時代の寵児になった恋人との結婚を考えつつも、実家の蔵の取壊しの際に母方の祖母の小説家としての実像に触れる機会があり、自分自身も小説家を志すというストーリーです。祖母はすでに亡くなっていますので、主人公と母親との関係、もちろん、主人公と恋人との関係、とてもナチュラルで時代の先端を行くようなバブル期の寵児であった恋人との別れ、ひとつひとつのターニング・ポイントを作者は見事に紡ぎ上げて、ラストまで持って行きます。序盤の物語の前置き的な部分は別にして、主人公が大学に入学する18歳からの20年間を、実に小説家らしい視点から主人公の心と行動を跡付けます。この人生は運命で決まっていたことなのか、主人公自身が切り拓いたのか、とても興味深く読めます。ただし、主人公の恋人の仙太郎については読者の読み方が分かれそうな気もします。私は仙太郎をポジティブに捉えましたが、特に女性ではネガティブに受け止める人もいるかもしれません。バブル期を経験していなければ特にそういう傾向が出そうな気もします。ややハードルが高いかもしれないんですが、仙太郎の発言や行動を正しく解釈できなければ、小説としての評価が低下しそうで少し残念な気がします。

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次に、石弘光『国家と財政』(東洋経済) です。言うまでもなく、作者は一橋大学の教授を務め、政府税調の会長を歴任した税制や財政の専門家です。今週の読書は見ての通り、フィクションの小説2冊に主として経済の専門書が3冊なんですが、小説の水準が高かった分、専門書は物足りない思いをしました。その中でも本書はマシな方でした。シャウプ勧告から始まる戦後税制を概観し、財政学を体系的に再構築したマスグレイブ教授の業績を紹介しつつ、実に冷静に、新たな理論展開なしに従来の財政理論の再構築に終始したマスグレイブ教授へのノーベル経済学賞授与がなされなかったのは当然、との冷めた見方を表明していたりします。純粋経済学的というか、ケインズ的なハーベイ・ロード仮説の成り立たない財政学の政治経済的な側面を政府審議会などの委員として十分に観察した結果の考察も一見に値します。ただし、いくつかの主要な章で、後半部分が著者と著名な財政学者や税制学者との個人的な交流に当てているのは違和感がありました。もっとも、著者もこういった自慢話をしたい年齢に達したのかもしれません。それから、典型的には「バイアス」の語なんですが、アルファベットで綴る際に "b" を用いるにもかかわらず、なぜか「ヴ」を当てているカタカナ表記の外来語がありました。例えば、偏向の意味で「ヴァイアス」と表記したりしています。編集者のレベルが心配です。戦後日本の財政や税政について概観するには便利な1冊かもしれません。

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次に、森田長太郎『国債リスク』(東洋経済) です。私はこの本の主張が何なのかがよく分かりませんでした。要するに、ありきたりなアベノミクス批判本なんだろうと思って読み始めたんですが、いくつか「トンデモ経済学」的な見方が示されているものの、正統的な経済学的な見方も表明されています。先週取り上げた櫨浩一『日本経済の呪縛』でも、現時点での日本経済の最大のリスクは財政赤字であると指摘しており、私も唯一最大のリスクかどうかはともかく、財政赤字が最大のリスクのひとつであろうことは十分に理解しています。本書の主たる主張は、アベノミクスが日本国債というか、財政破綻のテール・リスクを高めた可能性がある、という1点だと受け止めています。では、従来のデフレ均衡の方がよかったのか、というと、そうでもないようです。実に直感的な私の受止めを比喩的に表現すると、かなり好成績と評価すべきアベノミクスの95点の答案に対して、足りなかった5点の部分にスポットを当てて、何やらよく分からない「トンデモ経済学」を振り回して文句を垂れている、という印象を持ちます。しかも、全体として好成績であることは明らかなものだから、その文句も実に中途半端に終っている、と言うことなんだろうと思います。興味ある人だけが読めばいいと思います。

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最後に、猪木武徳[編]『<働く>は、これから』(岩波書店) です。私は読んでいませんが、NHKの取材などを基にした『里山資本主義』が話題になったことがありましたが、それを雇用に当てはめれば、こういう本が出来るのかもしれないと想像をたくましくしてみました。岩手県釜石市や島根県海士町の現地調査などを基にして、高度成長期の昔を懐かしんでいるとしか、私の貧困な読解力では読みこなせませんでした。唯一読む価値があると私が考えたのが清家教授による 第2章 地に足の着いた雇用改革を という論文なんですが、成熟社会でうまく行かなくなったからといって、従来からの日本的雇用慣行すべてを投げ捨てるのではなく、本当に必要な雇用改革を取捨選択しつつ漸進的に進めるべきである、という主張を展開しています。それはその通りだと思います。他の論文で、極めて限られた地域的な成功体験を日本全体に適用せんが如き分析には辟易しました。政府の一部の部局をはじめとして、戦後の高度成長期に根付いた日本的雇用慣行を無条件に規範に据えて岩盤規制を墨守しようという勢力があるがために、逆の方向から極端な議論が生じていることも理解すべきです。その意味で、決して好き嫌いの観点ではないバランスの取れた議論が必要です。

薄給の身の上のため、今週の読書も『虚ろな十字架』以外はすべて図書館から借りて読んでいます。ですから、どうしても、私の場合は図書館の予約の順番に左右される読書になりがちです。さて、来週の読書やいかに?

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