今週の読書は清純派に復活なった青山七恵『風』ほか
今週の読書は、やや怪しげな『快楽』と『めぐり糸』の後、短篇集で清純派に復活なった青山七恵『風』ほか、以下の通りです。今週は経済書と教養書もまずまず当たりでした。
まず、青山七恵『風』(河出書房新社) です。短篇集であり、「ダンス」、「二人の場合」、「風」、「予感」の超短編から短編ないし中編くらいの4作品を収録しています。最後の「予感」は前後の見開き表紙に作者の手書きで綴られています。私はこの作者が芥川賞を授賞された「ひとり日和」から一部にさかのぼって読んだ作品も含めて、おそらく、単行本で出版されている作品はすべて読んでいるつもりです。しかし、最近2作の『快楽』はともかくとしても、『めぐり糸』については、現時点での青山七恵が挑戦すべき内容の作品とは思えませんでした。20-30年後くらいであればともかく、アラサーの作家が少し背伸びをした印象しか残りませんでした。その点でこの作品は清純派の青山七恵に戻った安心感があります。ただし、私は純文学は清純派に限るとか、官能文学はよくないとか言っているわけではなく、現時点での青山七恵については私は清純派の作品が好きである、ということですので念のため。なお、私はこの作者の短篇集としては『かけら』がもっとも好きなんですが、この『風』の評価も、かなり高いと受け止めています。エンタメでない純文学の瑞々しさに触れることの出来るいい作品です。オススメです。私のような青山七恵ファンは必ず読んでおくべきです。
次に、大塚啓二郎『なぜ貧しい国はなくならないのか』(日本経済新聞出版) です。タイトルから想像される通り、開発経済学の入門書です。学生のレベルによっては大学の講義などで教科書にすることも可能かもしれません。著者は正察研究大学院大学の教授であり、我が国開発経済学の泰斗である速水佑次郎門下の農業経済学を専門とする学者さんです。最初のはしがきにある通り、開発経済学の経済学の部分は「常識を体系化」した学問として捉え、私の言うところの前期開発経済学、すなわち、食料生産などの国民生活の基礎的な基盤をまず充足させる政策から始まっています。私はどちらかと言うと、後期開発経済学、すなわち、ビッグプッシュから先の工業化などのキャッチアップ政策が専門ですが、いずれにせよ、とても分かりやすく平易に途上国の経済発展の状態を伝え、途上国の国民生活の向上のために必要とされる政策を正確に体系化しています。専門の学生やビジネスマンだけでなく、広く世界に目を向けたい多くの人にオススメです。
次に、チップ・ウォルター『人類進化700万年の物語』(青土社) です。作者は科学ジャーナリストで、この本は人類進化をテーマにしています。特に、現在生き残っているホモ・サピエンス以外の人類、例えば、ネアンデルタール人とかクロマニョン人とかがどうして絶滅して我々だけが生き残っているのかの謎に挑戦しています。本書では少なくとも27種もの人類が誕生しては消えて行ったと跡付けています。ゴリラのようにガッチリ体型のネアンデルタール人ではなく、柳腰の華奢な体型は直立歩行という特性をより際立たせるという可能性を指摘し、脳を発達させるために未熟な段階で子供を産んでしまう、というか、逆に、母体の中で脳を発達させ、ゴリラのように20か月ほども母体にいれば産道から出て来られない、ような脳の発達を見せ、脳の発達を最重要視した進化を遂げた可能性、また、ネアンデルタール人は種として滅んだかもしれないが、ホモ・サピエンスと混ざった可能性などが指摘されていて、まったく専門外の私でもとても興味深く読めました。たぶん、専門書のレベルには達していないんでしょうが、教養書としてオススメです。
次に、長谷川修一『旧約聖書の謎』(中公新書) です。作者は歴史学や聖書学も修めたイスラエル考古学の若き第一人者だそうです。広く人口に膾炙したノアの箱舟から始まって、モーセに率いられたユダヤ人の出エジプト、ダビデとゴリアテの対決ほか旧約聖書の7つのエピソードを歴史的な事実かどうかについて、検証とまで行かなくても、考古学で得られた史実と突き合わせて、それなりに考察を加えています。そても面白かったんですが、ユダヤ教徒とユダヤ人を同一と考えるなど秀逸な面もある一方で、ユダヤ教徒の少ない日本人相手の本ですから、旧約聖書に盛り込まれたエピソードが、たとえ史実と異なっているとしても、どういった宗教的な意味を持たせているのかについては、もう少し解説が欲しかった気がします。割合と、各エピソードがメソポタミア周辺の遊牧民などの生活観を反映していることが私なりに理解できただけに、宗教的な面ももう少し掘り下げたらもっと面白かったかもしれない、と思わないでもありません。
次に、三浦しをん『星間商事株式会社社史編纂室』(ちくま文庫) です。これはまったく新刊書ではなく、数年前に単行本として出版された本が、今年になって新たに文庫本として出ているのを読みました。中規模商社に勤務する社史編纂室勤務の女性を主人公に、会社におけるパブリックな社史編纂の活動と、腐女子というか、BL小説の作家として同人誌を出版するプライベートな活動の両面から、会社の歴史の中で何故か誰も触れたがらない「高度経済成長期の穴」を探るのが主たるストーリーとなっています。以下 かもしれませんが、なにせ新刊ではないので、結論はインドネシアのデビ夫人よろしく、東南アジアの大統領に日本人女性を差し出した、というのが結論だったりします。私はジャカルタ勤務の経験があり、深田祐介『神鷲(ガルーダ)商人』を読んだんですが、何となくながら、参考になるかもしれません。
最後に、冲方丁『もらい泣き』(集英社) です。これも新刊ではなく、約2年ほど前に出版された本なんですが、何となく借りてみました。エッセイというか、「小説すばる」誌のコラムをまとめた単行本です。短編よりもさらに短く仕上がっています。小説ではなく、フィクションながら、あくまでエッセイというか、コラムです。5月17日付けの記事で銀座を舞台にした藤田宜永『銀座 千と一の物語』を取り上げましたが、よく似た印象ながら、さすがにコラムよりも小説にまとめた方が自由度が高くて出来はいいような気がしました。私の感受性が少しズレているのかもしれませんが、余り泣けない話が少なくなかったような気がします。やや失敗だったかもしれません。
今週は『なぜ貧しい国はなくならないのか』を別にして専門書がなかったんですが、今も教養書を何冊か借りていますので、ここしばらく、小説と教養書を中心に、逆から見て、経済書や専門書から外れた読書になるかもしれません。
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